第90話 帝国城で頑張る小さな板前
ここは朝を迎えた帝国城の貴賓室。
みやびの愛弟子である第一陣の子が、どうぞとクララの前に同じ料理の皿を三つ並べた。皿と言うかみやびが朝食用に提唱したワンプレートで、仕切られた区画に数種類の料理が盛られたスタイル。
ビュカレストの陶器職人がみやびの依頼を受け量産中で、焼き損じたものは弓矢の的になる定め。他にも小鉢やらカレー皿など、依頼の多さに悲鳴を上げている。
城の台所番であるクララはプレートをシャッフルし、無作為に一つを選び盛られた料理をそれぞれ頬張っていく。その様子を見守る皇帝陛下とシリウス皇子がソワソワしていた。
いわゆる毒味というやつで、帝国城ではこれがお約束。毒殺不可能なリンドとリッタースオンには縁が無い慣習だが、他のお国ではそうもいかないようだ。
毒味役を務めるクララはリンド族を信用している。みやびの配下であり将来は教会の料理人になると言った小さな板前に、何の心配も抱かず頬張る。
だが考えてみるとクララ、毒味の前に調理場で味見もしているのだから、それ役得の極みじゃあるまいか。
彼女は大丈夫よと部下の使用人に目線で合図を送り、自分が手を付けなかったプレートを陛下とシリウス皇子に運ばせる。
やっと来たかと二人は目の前に置かれたプレートに目を細め、クララに教わった覚えたてのフォークを手にした。
スクランブルエッグと表面をパリッパリに焼かれた腸詰めに、ケチャップの彩りが食欲をそそる。
仕切られたお隣にはみやび直伝の、豚バラ肉を湯通しして野菜に和えたサラダ。今朝のドレッシングは和風のごまダレ味。
別の仕切りには香澄から分けてもらった、種菌で発酵させたヨーグルトとスライスチーズが何枚か。
刻んだネギを散らした麻子直伝の、肉団子入り鶏ガラスープが良い匂いを漂わせ腹の虫がぐうと鳴る。
麻子と香澄の影響も受け、朝から
「蒸した黒パンを割いて、スクランブルエッグと腸詰め、それとチーズを挟んで食べても美味しいですよ。あとサラダをチーズで丸めて食べるのもお勧めです」
なんだってと、シリウスがスライスチーズにサラダを乗せ始め、陛下が蒸した黒パンを割く。ただでさえも美味いのに、自分で食べ方をアレンジすることもできるのかと驚きながら頬張った。
うんうんと、二人は咀嚼しながら味を楽しんでいるのが分かる。味見や毒味でそんな話しは聞いていなかったわと、食事を共にするクララもチーズ巻きに頬が緩んでいた。
「昨夜のガーリックハンバーグとやらも美味かったな、そなたに褒美をやろう。何か欲しいものはあるか」
目尻にしわを押せる陛下に、小さな板前さんが顎に人差し指を当てて天井を見上げた。これはみやび、癖まで弟子に伝染しているぞ。
「料理を覚えてくれる人を付けて頂きたいのと、調理場にオーブンが欲しいです」
料理を教えてくれるのかと、陛下もシリウスもクララも食いついた。それは願ってもないことと、三人は顔を見合わせ頷き合う。
まさか自分たちがと、クララの使用人達が青ざめていた。けれどこれはみやびと妙子が、派遣される子に与えた大事な任務である。
「人を付けるのは承知した、それで……オーブンとは？」
「はい陛下、それがあればお出しできる料理の幅が広がります。特にお菓子が」
陛下とシリウスの目の色が途端に変わる。小さな板前さんが作る和菓子には目がないのだ。もちろんクララもで、エビデンス城で食べた洋菓子が頭に浮かぶ。
白パンもクッキーも、パイやピザも、子供達はマスターしていた。金貨が一向に減らないみやびが、火属性リンドの補助がなくても作れるようにと、お屋敷の納屋にオーブンを設置する大改造を行っていたからだ。
「人の件は承知した。クララよ、金に糸目は付けない。オーブンとやらを調理場に設置するのだ」
「かしこまりました陛下、早急に手配いたします」
自分もお菓子を食べたいクララが目をキラキラさせて頷く。頼んだぞと念を押す陛下は、ところでとシリウス皇子に視線を向けた。
「そなた、昨夜も城を抜け出し城下町で騒ぎを起こしたそうだな」
「あはは、バレておりましたか父上。嫌がる娘を宿屋に連れ込もうとする不埒な輩に、鉄拳をお見舞いしただけです。ついでに娘のお悩み相談を聞いてあげました」
最後のヨーグルトを頬張りながら、シリウス皇子がしれっとした顔で言う。陛下は全くもうと、口をへの字に曲げた。
「シリウスよ、お前が帝国内でどんな評価を受けているか分かっているのか？」
「はい、重々承知しております。けれど僕は、選定侯会議で自分の将来を決められたくはないのです」
そう言ってシリウス皇子は、みやびの愛弟子である小さな板前さんをチラリと見た。褒美をとらすと言われたのに、あの子は金品を欲しなかったなと。
みやびと教会の庇護下で衣食住が足り、職業選択の自由から自らの将来を定め邁進している。クララに笑顔でスープのお代りを置く小さいけれど立派な料理人に、シリウス皇子は羨ましいなと思った。
「お前の言い分は聞き飽きたが、まあいい。ミハエルとカルディナから書簡が届いているぞ。エビデンス城に遊びに来いと言ってきている」
「カルディナと兄上が、僕に？」
「気晴らしに行ってみたらどうだ。廃国処理でごたごたしている今、お前がリンドの城にいてくれれば私も気が休まる」
それは体のいい厄介払いですねと笑うシリウス皇子に、クララがスープを吹き出しそうになっていた。
その夜、こちらは相も変わらず大盛況のみやび亭本店。
「みやびのおかげで、陶器職人と木工職人、石切職人とレンガ職人がてんてこ舞いだぞ」
本日のお勧めであるシマアジとカンパチのお刺身を頬張りながら、ブラドが渋い顔をした。入荷量が少ないので、日本では高級魚とされる魚が何故かまかないに回るこの不思議がみやび亭。もちろん無くなり次第終了。
陶器職人には色々と発注しているから、みやびも自覚はある。けれど他の職人達がてんてこ舞いなのには覚えがない。私に何の関係がと首を捻るみやびに、ブラドが熱燗をキュッと飲んだ。
「屋敷の納屋に子供達用のオーブンを作っただろう。エルザを始め、民間のメイドたちがこぞって発注してな」
ああそう言うことかとみやびは納得し、暖めた追加のお銚子をブラドとパラッツォ、ミハエルの前に置く。仕事があるのは良いことじゃないよと。
「家の新築や建て替えの工期に影響が出ておってな、ブラドに苦情が殺到しておるのじゃよ、みやび殿」
みやび謹製の山海漬けを頬張り辛みを楽しみながら、パラッツォが補足しつつ熱燗をキュッとあおる。
「でもそれが兄上の仕事ではないかしら」
そう言ってエビとアサリのピラフを頬張るファフニールが、ブラドにダメ出しをグサリと突き刺した。ピラフは夕食でメインとなったリゾットからの裏メニュー。
料理を世間に広めるための最優先事項よと言われれば、ブラドも返す言葉がないようで肩を落とす。やっぱりこの兄妹、妹が強い。
そんなブラドに、妙子が元気を出してとカウンター越しにお酌をしていた。通常は調理と、カウンター脇にあるお会計の係である。自ら進んでお酌をするようなことはまずない。
みやびは『ふうん』とその姿を眺めながら、カルディナ姫の注文であるエビフライを揚げ鍋に投入していた。
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