第89話 市民からの陳情

 メイドの待機室で調理科三人組が、お付きと一緒に香澄謹製のチーズケーキを頬張っていた。

 砕いたビスケットを土台に考えた人すごいわよねとみやびが称え、みんなもうんうんと頷いている。


 訓練場で武術を披露しお風呂で汗を流した後、麻子と香澄はパートナーであるレアムールとエアリスの私室に急遽引っ越していた。


「二人とも、浴室で何かあったの?」


 あっけらかんと尋ねるみやびに麻子と香澄は顔を赤らめ、お付きのイレーネとパトリシアが口に手を当て顔を背けた。必死に笑いを堪えているのだ。


 硫黄分の強い温泉で床が滑るから、押し倒すか押し倒されるかしたのかなと想像するみやび。それ当たり。

 口づけ血の交換を交わす間柄が素っ裸でゼロ距離になれば、そりゃまあ……。


 城を築く場合は井戸が掘れるかが基準になるのだけれど、井戸が不要なリンド族は温泉が湧くかを築城の基準にしていたらしい。方伯領のクスカー城も井戸無し温泉付きだったりする。


 話しを戻すが二人が水宝の間を出たことで、女子トークをする場所がメイドの待機室に変わったというオチ。


「それよりもさ、こっちはリンドも普通の人も食事の量が多いわよね」


 恥ずかしいから追求しないでと言わんばかりの香澄が話題を変え、確かにそうねと麻子が便乗して相槌を打つ。空気を読んであげたみやびは詮索することをせず、確かにと頷き目を細めた。


 みやびは両親が新婚旅行でフィンランドを訪れた時の、笑い話しを思い浮かべていた。いわゆるオーロラを見にいきましょうというツアーに参加した父と母。

 ホテルでメニューを開いた時、両親はステーキのサイズが一キロや二キロで困窮したと言う。


 副菜であるターキーサラダでさえボウルに山盛りで、そこにソテーした七面鳥の肉がでんと乗る。それだけでもうお腹いっぱいだったらしい。


 両親はやっと見つけた、二百グラムの子羊のステーキを注文したと言う。ところがどっこい、ステーキの下に肉の三倍量はあろうかというジャガイモが敷き詰められていたと、父である徹が話していた。

 ハンバーガーを頼めばノーマルでもダブルビックマックのサイズで、それに同量のフライドポテトがセットで付くものだから参ったと。


 ちなみにフィンランドではトナカイの肉も食用。そんな話しを聞き、子供心にショックを受けたなとみやびは思い出して苦笑した。サンタさんのお友達を食べちゃうのと、泣いてしまったっけと。


「胃袋のキャパが欧米人並み、もしかしたらそれ以上かもね。カルディナ姫もヨハン君もよく食べるし」


 みやびがしみじみと言い、麻子と香澄もそうだよねと同意を示す。だがそこは美味しいもので空腹を満たしてあげてこそ、料理人の本懐ほんかいだろう。


 ならば腹ペコ達に今夜は何を作りましょうかと、作戦会議を始める三人。ティーナとローレル、イレーネとパトリシアが、チーズケーキを頬張りながら目をキラリンと光らせていた。さて今宵のお題は何になるのかしらと。


 そこへチェシャが顔を出し、みやびに城伯がお呼びですと告げた。何かしらとみやびが席を立ち、お裾分けするつもりだったチーズケーキのお盆を手に取った。

 途中ですれ違ったパラッツォがきびすを返して付いて来たのはご愛敬。ブラドの執務室に入ると、そこには妙子の姿もあった。


「二台目の屋台が完成し、子供達は野菜カレーも始めたそうじゃないか。評判はどうなんだい?」

「評判というか、仕込みに二時間、販売を始めて完売するのに一時間、これを午前と午後で二セットなのよ」


 そいつはすごいなと、ブラドとパラッツォがチーズケーキを頬張りながら顔を見合わせる。

 新しい屋台はみやび亭二号、もちろん妙子は嬉々として暖簾とのぼりを仕上げたわけだ。嫌がるチェシャの前足を掴んで。


「実は牙から娘をメイドにと追加の希望が来ていてな、ファフニールに面接をお願いしてきたところなんだ」


 それは喜ばしいことだと、みやびは歓迎の意を示す。調理場に余裕はまだあるし、足りなければ隣の空き部屋を食材置き場にすればいいと。


 実は今の調理場、有事の際に食料備蓄庫として用意されたものらしい。だがその目的で使用されたことは一度も無いと聞く。ビュカレストを戦場にさせないというリンドの矜持きょうじが、よく現われている。


 だが話しの流れだと、なぜ自分は呼ばれたのかしらとみやびは首を傾げる。面接はファフニールに依頼済みとブラドは言ったのだ。

 その彼が執務机から一枚の紙を手に取り、みやびに手渡した。隣から何かしらと妙子も覗き込む。


「料理を教えて欲しいという、市民からの陳情さ。どうする?」


 牙の娘達やと畜場の娘が自宅で料理を始め、教会の子供達が屋台で美味しいものを販売している現状、どうか私達にも食の錬金術師から教えを賜る機会を。

 そんな願いが切々と綴られていた。陳情の代表者は、宿屋組合長と酒場組合長の二人。特に酒場組合長は、そうとうな危機感を抱いているようだ。


 ブラドにどうすると聞かれたが、みやびと妙子が目指すのはお料理の普及であり、むしろ望むところ。


「南門の城門前で、テントを広げてやるのはどうかしら」

「名案だわみやびさん、頻度はどうする?」

「週に一回で金曜日はどうかしら」

「ああ、カレーの日ね」


 カレーばっかり教えるという訳ではなく、カレーならもうメイド達に全部任せられるから時間が取れるという意味。そこはお互い通じ合っている。


 メイドの待機室に戻ったみやびが、麻子と香澄に妙子を交えて作戦会議。青空お料理教室で何を教えて行こうかと。


「トップバッターの私が洋風野菜炒めを教えるの?」


 驚く香澄に、お醤油がまだ量産に入ってないからねとみやびがペンを走らせる。市場で調達できるものでないと教えられないのだ。


「なら次に書いた、鶏と白菜の煮込みだってオイスターソースが……」


 麻子がオイスターソースも市場には無いでしょと、不思議そうな顔をする。だがみやびはムッフッフと笑った。

 何度か港に足を運ぶ中、漁師がカキを長期保存食として塩漬けしているのを、みやびは偶然発見していた。その塩漬けした上澄み液がオイスターソース。

 

 瓶詰めして売りなさいよと言う侯国のお偉いさんみやびに、漁業組合長が目をぱちくりさせていたが。

 しかし売れてお金になるならばと、いまロマニアの漁師達が家族総出で瓶詰めしているところである。


「なるほどね、ならオイスターソースの心配はないか。そうなると命の豆板醤も量産したいから、誰かに教えたいな」

「麻子、作れるの?」

「うちのお店は豆板醤を手作りしているのじゃぞ、香澄殿」


 ほうほうと頷くみやびと香澄に、麻子は人差し指を立てた。大豆ではなく空豆が原料の唐辛子味噌、それが豆板醤よと。

 妙子がこうじが必要な時はいつでも言ってねと、ポンと胸を叩き請け負っていた。

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