第61話 ミスチアの熱とみやびのお粥

 食後のお湯割りぶどう酒を飲みながら、カルディナ姫がファフニールに上目遣いを使った。


「のうファフニールよ……」

「ダメですみやびは選帝侯です」


 ランハルト公と同じ事を言うだろうなと構えていたファフニールが、先手を打って釘を刺した。公正を期するためにも皇帝領に選帝侯の枠は置かない決まり、領邦諸国の選帝侯達が認めるはずもない。


「うあぁ、そうであった」


 頭を抱えながらテーブルに突っ伏すカルディナ姫。何とかならんものかとうんうん唸っている。


「ランハルト公から料理を教えてやって欲しいと依頼され、騎士を一人預かっておりますが」


 そう言いナプキンで口を拭うファフニールに、カルディナ姫がテーブルからがばっと顔を上げた。当然その視線はミスチアに向けられるのだが。


「まさか姫君、私にやれと?」


 カルディナ姫が頭を縦にブンブン振る。ミスチアは初カレーで湧くダイニングルームを見渡し、面白そうですねと言った。


「やってくれるのかや? ミスチア」

「ええ、軍団の糧食に関する知識も得られそうですし」


 その言葉に、カルディナ姫はテーブルから身を乗り出した。私の願いを叶えてくれと言わんばかりに。


「フュルスティン・ファフニール、わらわもミスチアを預けたいのだがどうじゃろう」

「構いませんわ、カルディナ姫」 


 特に断る理由はない。それに料理を帝国内に広めるのは、当初の目的に適っている。調理道具を作るライセンス料がロマニアに入って来るのだから。

 近くのテーブルでカレーを頬張っていたエミリーが、仲間が出来たと拳を握りガッツポーズしていた。


 だがミスチアをエビデンス城に預けたら、カルディナ姫はどうやって帝国城に帰るのだろう。もしや帰る気がないのではと、ブラドとパラッツォが顔を見合わせる。


「しかしこうやって共に食事をすると、色々と思い出すのうフュルスティン・ファフニール」

「そうですわね、花壇を踏み荒らしたあなたのお尻を叩き折檻せっかんしたこととか」

「その腹いせに、わらわがそなたのベットにウシガエルを入れてやったこととか」


 んっふっふと、満面の笑みを向け合う二人。

 顔は笑っているが目が笑っていないファフニールとカルディナ姫。そのあまりの恐ろしさに、ティーナとローレルが震え上がっていた。


 ――翌朝


 みやびとファフニールがおはようと調理場へ入れば、レアムールとエアリス、レベッカとヨハンが額を寄せ合いどうしましょうかと悩んでいた。まあヨハンは身長が低く、額は三人より頭ひとつ分下にあるのだが。


「レベッカ、何かあったのかしら」


 朝から調理場にいるのが珍しいレベッカに、ファフニールが事情を聞いてみる。


「西門でワイバーンが暴れておりまして」

「肉はあげたのでしょう?」

「それが、食べないのです」


 何でまたと、顔を見合わせるみやびとファフニール。


「我々が竜化して押さえつければ簡単なのですが、姫君の側近であるミスチアさまの持ち物ですから傷をつけるわけにもいかず」


 お手上げとばかりに、レベッカは両手を胸の前に上げて肩をすぼめた。そこへレアムールが、更に困った事にとレベッカから引き継ぐ。


「長旅の強行軍で疲れが出たのか、ミスチアさまが熱を出し伏せっておられるのです」


 飼い主が動けなければ、誰が止めると言うのか。取りあえず現状把握ということで、ファフニールとみやびは四人と共に西門へ来てみた。


 羽をバッサバッサ上下させ、地団駄を踏むように足を動かすワイバーン。これでは近寄れず、城門の牙達が遠巻きで見ながら怯えてしまっている。


「ちょっとみや坊!」

「ラングリーフィン!」

「総監殿!」

「みやび殿!」

「お待ちください!」


 なぜそうしたのか、みやびも分からない。イン・アンナに背中を押された気がしたのだ。

 皆が止めるのも聞かず、ずんずん歩いてワイバーンの前に立つ。すると、みやびを見下ろしたワイバーンの動きがピタリと止んだ。


 実際にはみやびの頭や肩でくつろいでいる、四聖獣が目に入ったからだが。タイマンでも勝てない聖獣を四体も従えるみやびに、恐れおののき硬直したのだ。


「朝からギャースカうるさい! 静かにしなさい」


 人差し指を立てるみやびに、ワイバーンは足を曲げて大人しくなった。けれど肉に手を出そうとはせず、うなだれてキューンと鳴いた。


「もしかして、ミスチアさんを心配してる?」


 みやびとファフニールを繋ぐ赤い糸とは違うだろうが、ミスチアとワイバーンにも主従間で安否を知らせるものがあるのだろう。みやびはそう思いながら、人差し指を顎に当てて空を見上げた。

 

 その後ろでファフニールが、竜化しようとしてレアムールとエアリスから羽交い締めにされていた。命に代えてでも君主をお守りするのが近衛隊の使命だから、それは正しい。

 代わりにレベッカが竜化しようと左腕をキトンの中に入れていた。そんな彼女がぼやく。みやび殿、勘弁してくれと。

 だがワイバーンを大人しくさせたみやびに、西門の守備隊と牙から拍手喝采が上がっていた。


「心臓が止まるかと思ったわよ、みや坊。お願いだから私をこんな気持ちにさせないで」


 それから小一時間ほど、ファフニールからお小言という名の音波攻撃をもらうみやびであった。

 





 カルディナ姫が滞在し続ける以上、セルフサービスは続ける必要がある。やっちまったもんはしょうがない。と言うか昨夜の雰囲気では、案外定着するかも。


 朝食の準備は麻子と香澄に任せ、みやびはひとり別メニューを作っていた。それはミスチアに出すためのお粥。


 みやびが作るお粥はちょっと手が込んでいる。

 まずはタイの骨に塩を振って焼き、それを煮込んで出汁だしを取る。タイの骨から取れる出汁は上品な味で、これだけでも美味しいスープになる。

 研いだお米を土鍋に入れると、出汁を張り蓋をしてみやびは加熱を始めた。塩は出汁に含まれているので、これ以外は何も足さない。


 炊き上がったお粥を丼によそい上に青ジソの葉を置いて、そこにみやびはタイのお刺身を数きれ並べていく。これがみやび流のお粥。

 食べた人が元気になりますようにと、気持ちを込めてそう念じながら。


「妙子さん、梅干しわけて」

「梅干しを?」


 お粥と言えば梅干しは鉄板だろう。

 実は妙子、少量だが梅干しを自分で漬けているのだ。さすが大正生まれである。何に使うのかしらとみやびの手元に視線を落とし、お粥ねと微笑んだ。


「試食してみる?」

「ええ、食べてみたいわ」

「タイのお刺身はね、お粥にくぐらせて食べるのがお勧め」


 熱々のお粥をよそった茶碗とレンゲを受け取り、妙子はふうふう言ってお粥と一緒にタイの刺身を頬張る。そんな彼女の動きが、完全に停止してまった。


「妙子さん、口に合わなかった?」

「いいえみやびさん、これは病人食じゃなくて立派な一品料理だわ。すっごく美味しい」


 良かったぁと、みやびは頭に手をやりにへらと笑った。







「ハンバーグとやらはいつ出て来るのじゃ!」

「だからそれは昼食です! 今朝のホットサンドも美味しいとお代りしていたでしょうに」


 調理場に押しかけてきたカルディナ姫とファフニールの鍔迫つばぜり合い。そんなやり取りを横目で見ながら、妙子が腕をぐるぐる回していた。


「妙子さん、どうかしたの?」

「ゆうべ遅くまでお裁縫してて肩凝りだったのだけど、治っちゃってるの」


 そこへなんと、ミスチアが姿を現した。ワイバーンがご迷惑をかけて申し訳ありませんと。三日は寝込みそうだなと思っていたカルディナ姫が、嘘じゃろうと目を見張った。


「ミスチアよ、本当に熱は下がったのかや?」

「それが、ラングリーフィンのお粥を頂いたらもうすっかり」


 ミスチアとの共通点に、妙子ははっと顔を上げた。みやびのお粥と。

 確かにみやびは、食べた人が元気になりますようにとお粥に念じていた。当の本人はあっけらかんとした顔で、ミスチアが回復して良かったとハンバーグの準備を始めているが。

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