第60話 カルディナ姫とカレー
ブラドとパラッツォの案内で、護衛を一人伴ったカルディナ姫がダイニングルームに姿を見せた。
既に食べ始めていた者も含め、全員が一斉に席を立った。貴賓室を用意できないのになぜここへと、メイド達もびっくりだ。
こういう場合は通常、ファフニールかブラドの執務室で首脳陣と会食するか、客室に食事を運ぶ段取りになっている。
ファフニールがブラドの手を引っ張り、どうしてここにお連れしたのと目を吊り上げた。
「それが……、今すぐ食べたいと言ってきかないんだ」
遠い目をするファフニール。そのカルディナ姫は、良い香りじゃのうとダイニングルームを見渡している。
「苦しゅうない、皆はそのまま食事を続けるがよいぞ。久しぶりじゃのう、フュルスティン・ファフニール」
「お久しゅうございます、カルディナ姫。ところで、護衛はお一人なのですか?」
いくらお忍びと言っても、第一皇女に護衛が一人はあり得ない。カルディナ姫は護衛をミスチアと呼んで紹介した。
「
ワイバーンとは前足を持たない二足の竜。知性は持たないが、飼い慣らす
「お止めしたのですが……西門へ直に行けと」
第一城壁の西門へ直接舞い降りたなら、第二城壁から連絡が来るはずもない。もちろんこれは帝国内に於いて、他国の都市に入る時のルール違反。そのおてんばっぷりに、ファフニールが相変わらずねと心の中で呟く。
「それで、ワイバーンはどうなされたのでしょう」
竜化したリンド程ではないが、ワイバーンも結構な大きさ。気になったエアリスがミスチアに確認を取る。
「西門に待機させております。あ、肉さえ与えていれば大人しいですよ」
ミスチアの答えに、エアリスが数名のメイドに目配せをした。それは西門に肉を運んでくれという合図。放し飼いは困るとため息をつき、西門の牙達を不憫に思うエアリス。
「では妾も
そこへみやびがカルディナ姫とミスチアにトレーを渡し、さっきと同じ説明を始めた。麻子にお子ちゃま仕様でとささやくのも忘れない。姫が十三歳くらいに見えたからだ。
「サラダは好きなだけ取ってね、その上にこのドレッシングをかけて」
「ほうほう、好きなだけ取って構わんのか」
「ここからはご飯とナンを選択するの、両方でもいいわよ。ナンが気に入ったら追加で焼いてあげる」
「それは、食べ放題ということなのかや?」
「そういうことになるけれど、食べ過ぎ注意よ」
そう言って人差し指を立て、みやびがウィンクした。
レアムールが両手を頬に当て、この世の終わりみたいな顔をしている。食事をお運びするのが当たり前で、皇女さまにセルフサービスはどうなのかと。
大丈夫なのかと顔を見合わせるブラドとパラッツォに、プリンを頬張りながら成り行きを面白そうに見守るレベッカ。
そしてファフニールはと言えば、自らもトレーを持って一緒に並んだ。そしてブラドとパラッツォにおっかない視線を送り、二人とも並べと顎をしゃくる。エビデンス城では首脳陣も、トレーを持って並ぶのですよとアピールするために。いや誤魔化すために。
――ところが。
「これは面白い仕組みじゃのう、皇帝騎士団の寄宿舎に取り入れるよう父上へ進言してみるかや」
「いいかも知れませんね。この方式なら給仕に雇っている者達を、別の仕事に回せますわ」
カルディナとミスチアの会話を聞く限り、セルフサービスを受け入れたようである。帝国城の中ではまかり通らないが、騎士達の糧食を配るには効率的だと頷き合っている。
領邦国家群の盟主としてどうあるべきか、その心構えが皇女として
「ところでフュルスティン・ファフニールよ、
「ラングリーフィンは、そこに」
ファフニールが説明をしていたみやびに手のひらを向ける。そなたが新生の選定候かと驚くカルディナ姫に、みやびはよろしくねとにっこり笑いトレーにプリンを乗せてあげた。
「ミスチアよ、そなたも一緒に食べるのじゃ」
「そんな滅相も無い、私は護衛ですよ」
みやびに案内され空いているテーブルの席に座ったカルディナ姫が、そんなことをミスチアに言い出した。
主と護衛が他国で同じテーブルにつくことは、まず考えられない。主の後ろに立ち周囲に目を光らせるのが本来の職務。
だがカルディナ姫は、
「何代にも渡りモスマン帝国から守護してくれたリンド族を、妾は信頼しておる。そなたも腰の剣を外し、預けて座るがよい。それこそが信頼の証となろう」
おやこの姫君、思いのほか肝が太いようだ。ミスチアは腰の剣を外し、それをレアムールがうやうやしく預かった。
「さて、どれからいこうかや」
みやびに食べ方を教わりながら、カルディナ姫は三種類のカレーと向き合う。ちぎったナンをどれにつけようかと。
最初に食べたサラダのドレッシングを、彼女はいたく気にいったようだ。姫の野菜嫌いが克服できそうだと、ミスチアが目を見張るほどに。
もちろんドレッシングの主原料がニンジンだとは、敢えてみやびもファフニールも言わない。
「カルディナ姫、オーソドックスにチキンカレーから行くといいわよ」
みやびに教えられ、おおそうかとナンをつけて頬張るカルディナ姫とミスチア。同じテーブルについた初カレーのブラドとパラッツォも、チキンカレーに行く。
テーブルを挟んで姫君の向かいに座るファフニールだけは、野菜カレーから行った。調理場で味見をしており、チキンもキーマももちろん美味しいが、みやびの野菜カレーに惚れたからだ。
ほうれん草をベースにした緑色のカレーに、白いジャガイモと赤いニンジンに黄色いカボチャがごろごろ。和食を基本に置くみやびは、見た目の彩りも大事にしている。
タマネギももちろんどっさり入っているけれど、みじん切りなので見た目には分からない。このタマネギが良い仕事をするのだ。
「なんじゃこれは! 今まで口にしてきた鶏とはいったい……」
「姫君、このナンはそのまま食べても美味しいですわね」
ナンをつけて食べた後、その美味しさに目を見張り、更に鶏肉を頬張って頬に手を当てるカルディナ姫。
ミスチアはバターの利いたナンに感心しきり。軍団を動かす際の糧食に、保存と供給が難しい肉や魚よりも優れていると。
ブラドとパラッツォに至っては、もはや喋ることも忘れがっついていた。パラッツォよ、ナンのお代り何枚目だ。取りに来る赤いもじゃもじゃに、香澄の笑いが止まらない。
「肉をこのように細かく刻むとは、面白いのう」
「スジや骨を気にせず食べられますね」
キーマカレーにも感心するカルディナ姫とミスチア。そんな二人に挽肉を固めて焼いたハンバーグという料理もあるのよと、みやびがにっこり笑う。
「ラングリーフィンよ、明日はそれを頼む」
「お安いご用よ」
パラッツォがこの姫はどれだけ居座るつもりなのかと思いながら、六枚目のナンをカレーにつけて味わう。そんなパラッツォも、城に逗留すると言ってずいぶんになるが。時々帰ってはいるが、モルドバ辺境伯領の国境線は大丈夫なのだろうか。
「うむ、この緑色をしたカレーは優しい味じゃのう」
野菜の中でも特にニンジン嫌いであるはずの姫が、野菜カレーのニンジンをひょいぱく口に入れる。その姿にミスチアがまさかと驚いた。してやったりと、みやびの口角があがる。
そして彼ら彼女らは、最後のプリンで嘆くのだ。どうしてこれしかないのかと。プリンはお代りありませーんというみやびの声が、皆に精神攻撃のダメージを与えていた。
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