第21話 襲撃

 みやびが帰還する次の満月まで、あと八日。


「ですからみやびさま、掃除はメイド達がやると」

「調理場を清めるのも料理人の仕事なの。こればっかりは譲れないわ」


 毎度繰り返される、ファフニールとみやびの小競り合い。侯国の客人が自ら掃除をするなど、君主の立場で見れば確かにもっての外だろう。

 対してみやびは、食中毒を出さないためにも徹底的に清めたいという、料理人としての意地と誇りがある。

 そんな二人を、妙子は面白そうに眺めていた。最初の頃は火花を散らすようなやり取りだったが、今では『一応言わせてもらう』『一応聞くけど譲らないよ』で落ち着くのだ。

 むしろこの二人、小競り合いを楽しんでいるようなフシがある。なにせ、お互い笑っているのだから。メイド達も恒例となったやり取りに、掃除の手を止めることはない。


「フュルスティン・ファフニール、そろそろ評議会の準備を始めませんと」


 洗い物や掃除が大方片づくと、メイドの一人が手を挙げた。ファフニールはそうねと頷き、メイド達に移動を促す。


「妙子さま、みやびさま、しばらくの間メイド達が不在となります。ご不便をおかけしますが、ご了承下さい」

「いいのいいの、行ってきて。みんなも通訳がんばってね」


 モップを片手に、みやびはファフニールとメイド達に手を振り送り出した。

 今日の評議会は議事堂ではなく、ダイニングルームで食事をしながら行われる。料理を広めるために、みやびと妙子でそうなるよう誘導したのだから計画通り。


「ねえみやびさん、ひとつ聞いてもいいかしら」

「急に改まって、どうしたの? 妙子さん」


 妙子はリンゴの皮を剥きながら、慎重に、言葉を選ぶように口を開いた。


「もしも、もしもよ。ファフニールがみやびさんにスオンの申し出をしたら、あなたはどうする?」


 人差し指を顎に当てて天井を見上げると、頭を右に、そして左に振るみやび。彼女特有の仕草に目を細めながら、妙子は返事を待つ。


「考えた事もなかったわ」

「なら、考えてちょうだい。リンドと親密になるということは、そういうことだから」


 ――その時だった。


 窓を蹴破り短剣を手にした男達が調理場になだれ込んできた! 二人にやいばを向け、頭目らしき男の口が動く。


「妙子さん、何て言ってるの?」

「抵抗しなければ殺しはしない。だそうよ」




 南門で門番の一人が、腕を組み首を捻っていた。どうにも腑に落ちないと、何やらぶつぶつ呟いている。

 ちょうど市場の巡回から戻ったレベッカが、どうかしたのかと尋ねた。呪文のように呟かれては、耳障りなことこの上ない。


「あ、レベッカ隊長。実は肉の配達に来た荷馬車を通したんですが、どうにも気になって」

「何が、どう気になるんだ」


 紋章の魔力は詰め所のリンドに確認してもらい本物だったと前置きして、門番は話し始めた。


「御者がいつもの奴と違うんで尋ねたら、急病で代わりに来たと。それがどうにも腑に落ちなくて」


 頭をかく門番に、レベッカの眉が曇る。


「こういう時の直感は大事だ。どのように腑に落ちないのか、話せ」

「は、はい。と畜場で働いてる者は衣服は汚れるし、家畜の臭いがするもんでしょう。ところが代わりに来たって奴は、こざっぱりとした身なりで臭いもなくて」


 火属性特有の、ルビーのように赤いレベッカの瞳が徐々に見開かれていく。彼女は詰め所に向かい怒鳴るように声を上げた。


「フランツィスカ、居るか!」

「隊長、何かあったの?」


 開け放した窓から顔を出す風属性の副隊長に、レベッカが烈火の如く号令を飛ばした!


「荷馬車で城内に賊が侵入した可能性がある! 直ちに近衛隊と団長に知らせるんだ!!  手空きの者は城伯の元へ行け! 牙は東西南北の城門を全て閉じ、誰も通すな!」


 事の重大さに、詰め所に控えていたリンドと牙が全員外に飛び出して来た。近衛隊には私が、団長には自分が、各城門への連絡は牙にお任せ下さいとそれぞれ走り出す。フランツィスカも手勢を引き連れ、ブラドの執務室へ向かい駆けて行く。

 部下達の背中を見送ると、レベッカはくだんの門番に向き直った。彼は大変な事をしてしまったと、カタカタ震えている。馴染みの業者であっても、積み荷は確認すべきだったと。


「お前は御者の顔を覚えているな?」

「は、はい。俺の不手際で、申し訳ありません」


 顔面蒼白の門番を、しっかりしろ! と一喝したレベッカ。起きてしまった事に、後悔など何の役にも立たない。反省は必要だが今は最善を尽くすのみ。


「荷馬車を改める、付いてこい」


 レベッカも城に向かって走り出し、その後を門番が槍を手に必至に追いかける。

 搬入口に駐まっている荷馬車を指差しあれかと叫ぶレベッカに、そうですと息を切らせながら門番が答えた。

 荷台の木箱に被せてあった布を引き剥がし、レベッカはやはりと拳で木箱を叩く。肉を入れて来たならば、あるはずの汚れが一切ない。代わりに底面には靴跡がいくつもあった。


「レベッカ! 賊が侵入したというのは本当か」


 大声で尋ねながら駆け付けたのは、パラッツォであった。第一種警戒態勢に身を包み、自慢の大剣を背負っている。


「間違いありません! 数は靴跡から見て十名程度でしょう。ファフニールは?」

「貴賓室で近衛隊が守りを固めておる。心配は要らん」


 パラッツォの言葉にほっと胸を撫で下ろすレベッカ。その二人の元へ、フランツィスカ達を引き連れたブラドが合流した。


「賊の目的がよう分からん。リンドの城に侵入して、生きて帰れるわけなかろう」


 腕を組んでパラッツォは、首を捻った。竜化したリンドにとって、十人やそこらの人間など踏み潰すか尾で薙ぎ払えば終了だ。魔力を行使するまでもない。


「城門警備の目を欺き、荷馬車で何かを運び出そうとしたのでは?」


 ブラドの考察に、レベッカは瞳を閉じて思考を巡らせる。評議会の準備で、ファフニールと近衛隊が一カ所に集まるタイミングを狙ったのは間違いない。

 金蔵と宝物庫は守備隊のリンドが常に警護しており、金品狙いは考えにくい。ならば目的は、リンド以外の暗殺か誘拐ではあるまいか。

 だが今の城には狙われるような要人など……、いや居る。人質に取られでもしたら、おいそれと手出しできなくなってしまう大事な人が。


「妙子殿とみやび殿は今どちらに!」

「調理場ではないか?」


 自分で口にしながら、ブラドも気付いたらしい。パラッツォもはっと顔を上げる。三人の目が険しくなり、背中から剣を抜いて走り出すのは同時だった。


 貴賓室ではファフニールが、レアムールとエアリスに詰め寄っていた。

 胸にアイリスの紋章を象ったビブスと、近衛隊の色である黒いマントを身に付けた第一種警戒態勢。その二人が、扉から出ようとするファフニールに両手を広げ通せんぼしていた。


「そこをどいて、これは主命よ」

「なりません。貴方にもしもの事があれば、侯国存亡の危機です」


 レアムールの言葉に、ファフニールはギリっと歯噛みする。命に替えても君主を守るのが近衛隊の役目であり、それは正しい。

 それでもみやびの所へ行きたい衝動を、彼女は抑える事ができないでいた。自分が君主にあるまじきダダをこねているのは、重々承知している。


「二人とも、みやびさまと妙子さまが心配ではないの!」


 レアムールもエアリスも、もちろん心配でたまらない。みやびに接する態度でファフニールの心情も察している。けれど近衛隊として、断じて通すわけにはいかないのだ。


「どうしても行くと仰るのであれば、私の屍を踏み越えて下さいませ!」


 そう言い放つエアリスの目は、本気であった。

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