第8話 みやびとファフニール
日が暮れ始めると、明かりを灯しますのでと二人のメイドがやって来た。中学一年生くらいに見える、可愛らしいメイドだ。一人は脚立とビンを、もう一人は先端に火の点いた棒を手にしていた。
一人が脚立に乗って壁にあるガラスの筒を持ち上げると、中には皿があって、そこに持っていたビンから液体を注いだ。そして下にいるもう一人が、皿に置かれた灯芯に棒をかざして火を移す。あとはガラスの筒を戻して一丁あがり。
部屋の四隅にある照明と、文机と鏡台に置かれた同じ構造のランプに二人は手際よく火を灯していく。
電気を使った照明に比べれば、お世辞にも明るいとは言えない。だが室内が柔らかい雰囲気になって悪くない。
興味がわいてビンの中身を尋ねたら、菜種油なのだそうだ。日本もロウソクが普及するまでは、菜種油や魚の油を照明の燃料にしていたらしい。古典のおじいちゃん先生が脱線授業で話していたのを、みやびは思い出していた。
それにしても、リンド族の女の子は面白い。みんな金髪なのだが、必ず違う色の髪が混じっている。
エアリスはミルク色の太いラインが前に一本、ファフニールは青色の細いラインが左右に一本ずつだった。そしてこの子たちもラインの違いこそあれ、一人は緑でもう一人は赤。染めているのだろうか。
「いいえ、これは地毛ですぅ」
そう答えてくれたのは、緑色の子。
「地毛なんだ。へえ~」
そして赤色の子が、頷きながら付け加えてくれた。
「リンド族の女性は、属性が瞳や髪の色に出るんです」
「属性?」
「はい。この世に生をうけた者は、必ず何らかの属性を持ちます。大地は緑、水は青、火は赤、風は白、光は高貴なる紫、闇は
よく分からないが、その子の瞳と髪に含まれる色で属性というものが識別できるらしい。するとエアリスは風で、ファフニールは水ということになる。
「あれぇ」「あれっ」
「な、何?」
「あ、いえ。何でもないですぅ」「お気になさらず」
「やだ、気になるじゃないの」
唇を尖らせるみやびに、緑色の子がもじもじしながら口を開いた。
「みやびさまからは、属性を感じませんですぅ」
「それって、私が違う世界の人間だからじゃないの?」
そう、少なくともみやびの住んでいる世界では、ひとりひとりに属性があるなんて話は聞いたことも無いし見たことも無い。向こうの人間は違うということではないのだろうか。
だが赤色の子が、それを否定した。
「そんなことはないです。妙子さまもみやびさまの世界からいらした方ですが、私と同じ火の属性をお持ちです」
「それじゃ私って……何?」
首を捻るみやびと、遠い記憶を探るような顔をしている二人。
その二人が急にあっと声を上げ、穴が開くほどにみやびを見つめた。このリアクションは、何を意味するのだろうか。
「無属性がいつか現れると、リンドの古い言い伝えにありますぅ」
「でもすみません。私達、勉強不足で詳細をお伝えすることができないのです」
属性を持たないイコール、最強の役立たずみたいな気がしてきたみやび。だが向こうの世界では無問題だし、普通に生きていける。
二人とも困惑しているようだし、ここは軽くスルーしておこうと決めた。みやびはこういう時の切り替えが早い。
間延びした話し方をする緑色の子と、はきはき話す赤色の子。二人はこれから廊下の照明に取りかかるという。見送りがてら、みやびも部屋の外に出てみた。
「わぁ、きれい」
中庭ごしに一階でも二階でも、メイド達が廊下に明かりを灯しているのが見える。宵闇の中、ひとつ、またひとつ。城が幻想的な風景に変わっていく。
光と影の調和。そう言いながら、かわせみの女将も客室の照明には気を遣っていた。仕事や勉強をするなら、明るい方が良いに決まっている。しかし寛げる空間というのは、必ずしもそうではないのだと。
そんなことを思い出しながら欄干にもたれ、みやびは刻々と変化していく城の姿をぼんやりと眺めていた。
「どうか、なさいました?」
振り返ると、そこにファフニールが立っていた。火の点いた棒を手にしている所を見るに、彼女も点灯作業をしていたのだろう。
「うふ。私が早々ホームシックで黄昏てるんじゃないか。なーんて、心配してくれた?」
「な、なぜ私がそのような心配を」
冗談で言ったのに、碧い瞳が泳いでいる。もしや図星だったのだろうか? 本当に心配してくれたのなら、みやびとしては嬉しいのだが。
「ステキな眺めだなーと思って」
「ステキな、眺め?」
ファフニールはみやびの隣に並ぶと、中庭を見渡した。
「私にとっては日常の風景です。そのような感慨はありませんね」
「情緒がないわね」
「む、仕事に情緒など不要です」
「あら、私の職場は情緒に溢れているわ」
「みやびさま、職をお持ちなのですか? あちらの世界では学生の身分だと、妙子さまからうかがいましたが」
「さまじゃなくて、さんで」
「い・や・で・す」
思った以上にガードは固いようだ。だがファフニールとの他愛も無いやり取りに、妙にくすぐったさを感じるみやび。
「たしかに学生だけど、働きながら技術を身に付けているの。夢を叶えるためにね」
「夢……ですか」
棒の種火に目を向け、ファフニールは何か考え込んでいるようだ。彼女にも、思い描く未来はあるはず。みやびが理解できる範疇の夢かどうかは別にしても。
この世界に慣れたら、そのうち聞いてみたい。ファフニールの横顔を眺めながら、みやびはちょっと先の未来に想いを馳せる。
「あ、ファフニール。頭に
「え?」
「動かないでね。つぶれたりしたら、綺麗な髪が台無し」
自分よりちょっとだけ背が低い彼女の肩に手を添えて、そっと煤をつまむ。ガラスの筒を持ち上げた時にでも、落ちて来たのだろう。
そして視線をファフニールに向けると、彼女の瞳もみやびを追っていたようだ。まつげが長く、慣れてしまえば口元からのぞく牙もチャームポイントに思えてくる。
すると、心の深いところから不思議な感情が湧き上がってきた。ファフニールはどんな竜になるのだろうかと。胸の奥がざわめいて、今まで経験したことのない感覚にみやびは戸惑う。
「えっと、ゴミ箱はっと」
いつの間にか、お互いに見つめ合っていたのだ。小っ恥ずかしくなって口をついた言葉がゴミ箱とは、何とも情けない。
「あ、ここに」
ファフニールがポケットから紙を出して広げた。城の廊下にゴミ箱などという無粋なものは、残念ながら存在しないらしい。みやびが煤を乗せると、彼女は紙を折りたたんでまたポケットに仕舞う。
「仕事に、戻ります」
「そう……。うん、またね」
後ろ髪を引かれるような感じを抑え、みやびは軽く手を振って送り出す。すると去り際、彼女は何かを思い出したように振り向いた。
「アドバイスをひとつ」
「アドバイス?」
「夜の廊下は、ご用心」
「何それ」
「きっと腰を抜かしますよ。ヒントは差し上げません、お楽しみに」
それだけ言うと、ファフニールは棒を両手で挟みくるくる回しながら去っていった。ご用心と言いつつも、彼女は微笑んでいたから危険なことではないらしい。
だが腰を抜かす? 何に? 謎だ。
「あんにゃろうめ、ヒントくらいちょうだいよ」
頬を膨らませ、みやびは欄干から中庭越しにファフニールを睨むのだった。
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