第7話 みやびは何者?

「みやびさん、着付けの心得がおありなのね」

「うん。自宅にいる時は、和服でいることも多いかな」

「あら、いまどき珍しいのではなくて?」


 チェシャから相談されるまでもない。二週間も滞在するのに、制服だけの着たきり雀では不憫である。そう考えた妙子は、みやびのために着替えを何着かファフニールに持たせ天空の間を訪れていた。

 もっとも、妙子が所有しているのは和服のみ。まさかリンド族の民族衣装、キトンを着せるわけにもいかない。これは和服の着付けも伝授せねばなるまいと意気込んでいたのだが、その心配は杞憂に終わった。

 二人が見守る中、みやびは誰の手も借りずに和服をあっさりと身に付けてしまったのだ。帯の太鼓結びも堂に入ったもの。


「小さい頃から茶道のお稽古してて、和服は苦にならないの。それに、うちにある和服はみんなお母さんの形見だし」

「まあ、ご家族は?」

「私とお父さんとお祖父ちゃんの三人家族。あ、でもね」


 みやびは手のひらを胸の前に出すと、指を一本ずつ折り始めた。


「お手伝いの京子さん。お手伝い兼、多分お祖父ちゃんの愛人で辰江さん。庭師の原三郎さん。警備の黒田さんと佐伯さんと工藤さん。うちはけっこう、賑やかなのよ」


 祖父の愛人とやらは別にしても、庭師や警備の者が常駐するなら一般家庭とほど遠い。みやびはいったい、何者なのであろうか。


「家業は、何をなさっていらっしゃるの?」

「一応、上場してる建設会社。やってる仕事は真っ当だと思うんだけどな。多分、おそらく、きっと、メイビー」

「ぷふふ。真っ当とか、多分とか、何それ」


 話しを聞く限りは社長令嬢なのだろう、それならば納得できる。しかしみやびの説明は何とも珍妙で、妙子は思わず吹き出してしまったのだ。

 するとみやびは、人差し指を顎に当てながら天井を見上げた。


「私が生まれる前の話なんだけど、暴対法とかいう法律が施行される前は玄関に『蓮沼組』って看板を掲げてたんだって」

「蓮沼組?」

「今はお祖父ちゃんの部屋に飾ってあるけどね。そのお祖父ちゃんが言うには、うちのご先祖さまは江戸時代、荷宰領にさいりょうを家業にしてたんだって」

「荷宰領?」


 みやびは視線を天井から鏡台の鏡に移し、襟や帯を確認しながら続ける。


「参勤交代の大名行列ってあるじゃない。幕府は大名が力を付ける事を嫌って浪費をさせたい、そして大名は節約をしたい」


 話がいきなり大名行列に飛んでしまった。しかし面白そうである。妙子は頷いて、話しの先を促した。


「そこで大名は、旅費を節約するために必要最小限の人数で国を出発するの。そして江戸入りする前に、人足を雇ってそれらしい行列に仕立て上げるわけ。宿場町で、その人足と宿のお世話をしてたらしいわ」

「でもみやびさん、参勤交代は年がら年中あるわけではないですよね」

「うん。本職は馬や船を使った運搬業だって、お祖父ちゃんが言ってた。他にも土木工事の人足を動員したり、お祭りで露天の商いを取りまとめたり、奉行所が扱わないような町人同士の揉め事を仲裁したり、違法だけど賭博場を仕切ったり」


 なるほど分かったと、妙子はぽんと手を叩いた。


「ご先祖さまは、渡世人とせいにんの親分さんだったのですね」

「まあ、そういう事になるのかな」


 みやびは頭に手をやりながら、えへへと笑う。

 そんなみやびの姿に、妙子は目を細めた。スカートをはいていなければ少年と見間違うような風貌。しかし色白で、くりくりとよく動く瞳と小振りな唇に何ともいえない愛らしさがある。和服を着ることで、更にそれが際立つのだろう。

 それにしてもファフニールときたら……と、心の中でぼやく妙子。ちゃんとお詫びするようにと、あれほど言い含めておいたのにずっと黙ったままなのだ。

 出会いが悪印象であったならば、早々に和解しないと修復が困難になる。新しい出会いは自分に変化をもたらすかもしれない大切な縁なのだと、懇々と言い聞かせたのだが。

 妙子が気を揉んでいると、ようやくファフニールが口を開いた。


「あの、みやびさま」

「なあに?」

「エアリスに、さん付けでお呼びするようにと仰ったそうですが、撤回して頂きたいのです」

「はあ?」

「客人は客人、使用人は使用人です。他のメイド達に示しがつかないではありませんか」

「ブラドは私に呼び捨てを希望したわ」

「それとこれとは話が違います」

「どーこーが、違うって言うのよ」


 やれやれと、妙子は額に手を当てため息をついた。これでは、和解どころか険悪になる一方ではないか。

 二人のバトルは尚も続いている。


「ゲストの要望に応えるのも貴方たちの務めでしょ!」

「接客に於ける私たちのルールを崩さないでください!」

「私はメイドさん達と気軽に話したいだけなの!」

「一定の節度は必要です!」

「そこを曲げてとお願いしてるんじゃないの!」

「それのどこがお願いしてる態度なんですか。受け入れられません!」

「この石頭!」

「言葉の意味が分かりませんが、それは私に対する侮辱ですか!」


 視線と視線がぶつかり合って火花を散らし、そして二人は「ふんっ」と言うなりお互いそっぽを向いてしまった。

 どちらも間違っている訳ではない。みやびは使用人との垣根を無くし、交流を求めている。対してファフニールは、身分と立場の違いを明確に線引きし、作法と礼儀に忠実でありたいと考えているだけだ。

 親愛や敬愛の情があれば敬称の付け方など些細な事なのに、二人とも妥協する気はさらさら無いらしい。さて、どうやって和解させたものか。

 妙子が思いあぐねていると、突然みやびが予想外の行動に出た。


「ねえメイド長さま」

「……」

「メイド長さまってば」

「……何でしょうか」


 たった今、口論の末に決裂した相手が自分を呼んでいるのだ、それは面食らうだろう。しかし相手は国賓待遇の客人、無視するわけにもいかない。


「このお城の人たち、どうして日本の言葉が話せるの? メイド長さま」

「リ、リンド族は言語を理解する能力に長けているのです。日本語は妙子さまから吸収しました。というかみやびさま、そのメイド長さまって言い方やめて下さい。名前で呼んで頂きたいです」

「ほーら引っかかった」


 みやびが、満面の笑みで人差し指をファフニールに向ける。


「……ああ! みやびさまずるい」

「ずるくないもーん。私の気持ち、少しは分かってくれた?」


 長が付く役職は、それ自体が敬称となる。それゆえ長の後にさまを付けて呼ぶのは、丁寧なようで逆に失礼な呼び方となるのだ。正に慇懃無礼いんぎんぶれい

 みやびはそれを分かった上で、わざと敬称にこだわるファフニールへ鎌を掛け誘導したのだ。あなたが名前で呼んで欲しいなら、私も呼び捨てやさん付けを希望していいじゃないよと。

 してやられた。そんな表現がぴったりの赤い顔で、ファフニールは尚も抵抗する。


「それでも私、曲げませんから」

「うん、それでいいよ」

「え?」

「ファフニールが仕事に忠実で真面目な人だってことくらい、ちゃんと理解したわ。本音をぶつけてくれて、ありがとう」


 みやびはにっこり微笑むと、右手を差し出した。笑顔と差し出された手を交互に見ながら、ファフニールは途方に暮れている。


「私のこと、お嫌いなのでは? ひどいことしたのに」

「あれは確かに寒かったけどね。でも私、ファフニールを全否定したわけじゃないのよ。私は二週間の間、貴方からみやびさんって呼んでもらえるように努力するわ」

「努力って……。私、絶対に言いませんからね」


 ファフニールは眉を八の字にしながらも、おずおずとみやびの手をとった。

 なんと言うことでしょうと、妙子は目の前の光景に驚きを隠せないでいた。みやびは妥協したわけではない。それでもファフニールの立場と性分に理解を示し、この場を収めてしまったのだ。しかも努力という名の挑戦状を添えて。

 誰にだって顔も見たくない口をきくのも嫌、そんな出会いはある。妙子も昔の自分であったなら、ここまで険悪になった相手と親交を深めようなどとは思わなかっただろう。

 他者の気持ちを汲み取る寛容さを、みやびは持っているのだ。これは家柄や血筋によるものなのか、それとも天性の資質なのか。

 でも良かったと、妙子は胸を撫で下ろす。フュルスティンであるファフニールには、身分の差を超えた理解者が必要なのだ。

 内心は自分の出る幕が無かった事に苦笑しつつも、握手を交わす二人に笑みを向ける妙子だった。

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