第4話 エビデンス城

「お城と言うよりも、格式のあるホテルって感じ」

「何かおっしゃいましたかにゃ?」


 みやびの鞄を抱えながら、前を歩いていたチェシャが立ち止まり振り返った。


「ううん。お城って、無骨なイメージがあったから意外なだけ」


 二週間の間、滞在する客室にチェシャは案内してくれるらしい。国賓待遇とブラドは言ったが、それがどんな待遇なのかはみやびもよく分かっていない。


「にゃはは。この城は城伯が政務を執り行う居城であり、諸外国からの客人をもてなす施設でもあります。故に居住性を重視して造られておりますにゃ。みやびさまがイメージしておられるのは多分、国境に配置された城でございましょう。あれは居住性を無視した砦でございますからにゃあ」


 そう言いながら、チェシャは再び歩き出した。二足歩行なのだから尻尾が左右に揺れるかと思いきや、しっかりセンターをキープしている。まあ、猫らしいと言えば猫らしい。

 だがそこで、みやびは我が目を疑った。


「あの、チェシャ。尻尾が三本あるように見えるのだけど」

「はい。見ての通り、わたくしの尻尾は三本でございますにゃ」


 九尾の狐じゃあるまいし、そんな猫がいてたまるか! 心の中で叫んだが寿命の件といい、もはや猫の姿をした別の何かと思うしかないのだろう。思考を早々に放棄して、みやびは別の質問に切り替える。


「ブラドのことを城伯って呼んでたわよね、どういう意味?」

「ああ……。みやびさまの世界で言うところの、五等爵位はご存知ですかにゃ」

「公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、のことかしら」

「そうですにゃ。この世界では伯爵と呼ばれる爵位が複数ございまして、辺境伯、方伯、宮中伯、そして城伯。同じ伯爵という地位でも、それぞれ立場が違いまする」

「ふうん。ブラドは、どんな立場なの?」

「城伯は都市伯とも呼ばれておりまして、ロマニアの首都であるこのビュカレストを守護するお立場なんですにゃ」


 なるほど、城持ちの大名ということか。

 ふかふかの絨毯を歩きながら城を観察すると、この建物が中庭のある三階建てである事が分かった。

 広間にいた時は吹き抜けの天井があまりにも高いので、みやびは五階建てと思っていた。だが実際には各階の天井も高く、それで三階建て止まり。

 もっとも建物と敷地は耽美女子学園に匹敵するほどの規模だ。お掃除を含め、管理は大変そうである。

 だが城の調理場とはどんなものだろうか。わくわくしてきたみやびは、ブラドにお願いして見せてもらえないだろうかと思案する。もしかしたら、料理の新発見があるかもしれない。

 そんなことを考えながらチェシャの後を付いていくと、女性が二人、廊下の角を曲がってこちらに歩いて来るのが見えた。

 みやびはそこで、妙な違和感を感じ取った。


「これは妙子たえこさま、ファフニール、ちょうどよいところへなんだにゃ」

「ごきげんよう、チェシャ。そちらのお方は?」


 チェシャにごきげんようと声をかけた袴姿の女性が、みやびに軽く会釈をした。

 違和感の正体が分かった。ひとりは着物に袴、まるで大正時代の女学生という出で立ちなのだ。それに対し、もうひとりは飾り気のない古典的なメイド服。

 コスプレイベントの会場でもない限り、日常で目にする事は滅多に、いや多分ないだろう。みやびは二人の服装のアンバランスに違和感を感じたのだ。


「こちらはゲートの向こうからの客人、蓮沼みやびさまでございますにゃ。実はゲートで事故がございまして」

「ふうん。事故、ねえ」

「ひっ。みやびさま、まだ根に持っておるのでございますかにゃ」


 無意識に拳を握り締めていたみやびに対し、チェシャは既に鞄を頭に載せている。何と素早い条件反射。


「あははは。みやびと申します、以後お見知りおきを」


 拳を後ろに隠し、何はともあれご挨拶。


「わたくし、二宮妙子と申しますの。同胞に会うのは何十年ぶりかしら、後でお話を聞かせてくださいな」


 同胞? 確かに名前と袴姿は純和風、どう見ても日本人だ。ブラ下まである黒髪に、赤いリボンの付いたバレッタがよく似合っている。もっとも、和服だからブラは付けていないのだろうが。

 いやそれよりも、何十年ぶりとはどういうことだろう。目の前の女性は、みやびよりも二つか三つ年上にしか見えないのだ。


「こちらはメイド長のファフニールでございますにゃ」


 そんなみやびのクエスチョンマークなんぞはお構いなしに、鞄を下ろしたチェシャがもうひとりを紹介した。


「ファフニールと申します。ご用の節は、何なりとお申し付け下さい」


 一礼した後、にっこりと微笑むメイドさん。

 碧眼へきがんと言えばよいのか、サファイアのように青い瞳。金色の髪を三つ編みにし、後ろでお団子状にまとめている。そしてよく見ると、金髪の中に青い髪のラインが混じっており美しい。地味なメイド服なのに、華があって可愛らしい女性だ。

 そしてみやびは、あることに気付く。


「あなたも犬歯が長いのね。ブラドと一緒……えっ?」


 なぜか急に寒さを感じた。吐く息が白いのだ、気のせいではない。周囲の気温がどんどん下がっており、まるで極寒の地に放り出されたようではないか。あまりの寒さに、奥歯がガチガチ震えてきた。


「これ、ファフニール」


 妙子が眉間に皺を寄せ、ファフニールの肩に手を置いた。するとこれは、彼女の仕業という事になるのだが。

 そして当のファフニールはと言うと、おっかない顔をしてみやびを睨んでいる。冷気が体にまとわり付き、周囲が霜で真っ白になっていく。チェシャを見れば、三毛猫が白猫になっているではないか。

 しゃべる猫が存在するのだ。常識の範疇を超える出来事はあるだろうと、みやびも覚悟はしていた。だがこんな力を持つメイドが居るとはたまげた。ともかく寒い、彼女は何を怒っているのだろうか。


「ぶぇっくしょい。ファフニール! 客人に無礼であるにゃ、控えなさい!」


 長い廊下に、チェシャのくしゃみと一喝が響き渡った。

 何かに弾かれたように、怒気を含んだファフニールの表情が緩む。それと同時に、辺りに立ちこめていた冷気が止んだ。

 助かったと、みやびは安堵の吐息を漏らす。屋内で本気で遭難するかと思ったのだ。


「も、申し訳ございません、つい……。ですが」

「お黙りなさい。ご本人がお決めになった事ですにゃ、あなたが口を挟んではなりません。それと、謝る相手を間違えておるんだにょす」


 チェシャと妙子に平謝りしていたファフニールが、みやびに向き直った。口をへの字に曲げているところを見るに、不満は解消していないらしい。


「私、何か気に障るような事したかしら」


 みやびの問いかけにファフニールは口を開きかけたけれど、すぐに閉じてしまった。


「黙ってちゃわかんないよ。私に落ち度があるなら、ちゃんと話してちょうだい」


 けれど彼女は答えず、失礼しますと言うなりそのままつかつかと去ってしまった。それはないでしょうと、みやびの頬が膨らむ。


「はにゃ。ファフニール、お待ちなさい」


 呼び止めようとするチェシャを、妙子が両手を胸の前に広げて制した。


「チェシャ、みやびさんに暖をとっていただくのが先ではなくて? 貴方もご自慢の髭に氷柱が出来ておりましてよ」

「し、しかし」

「ファフニールの事は、私にお任せくださいな」

「むう……。では、お言葉に甘えますにゃ。いきなり熱いのは無しで」

「ふふ、分かっておりますとも」


 いきなり熱いとはこれいかに? お風呂にでも連れていってくれるのだろうか。そんなみやびの予想とは裏腹に、突然周囲に熱を感じた。寒さで力が入っていた肩の筋肉が、徐々に緩んでいく。

 この熱波は誰の仕業だろうか。話の流れでいくと、妙子という事になるのだが。


「みやびさん、加減はこの位でよろしいかしら」


 やはりそうだった。冷気を操るメイドさんと熱波を操る大正時代の女学生。もう何が起きても驚かないぞと、みやびは開き直ることにする。


「もうちょっと、熱くてもいいかな」

「右に同じくですにゃ」


 妙子が頷くと、熱が一段高くなった。これは極楽極楽。


「それにしても、ファフニールはどうして怒ったのかしら」


 霜が解けて濡れた髪を手櫛で乾かしながら、みやびは棚上げにしていた疑問を口にしていた。どうにも納得がいかなかったのだ。


「親族以外でブラドさまを呼び捨てにできるのは、この国では竜騎士団長のパラッツォさまだけですのよ」

「そうなんですにゃ。みやびさまは異例中の異例」

「あ、なるほど。つまり江戸城にタイムスリップして、初代徳川将軍をいえやすって呼び捨てちゃうのと同じことなのね」


 それを聞いて、妙子が鈴のようにコロコロと笑った。


「面白い例えですけれど、的を射ておりますわね」

「それじゃ私は、無礼者と思われたわけか。やっぱり、さまとか付けた方がいいのかな」

「いえいえ、それは城伯が自ら望んだことですから付ける必要はございませんにゃ。まあ、公式の場ではビュカレスト卿、又は城伯とお呼びした方が無難ではございますが」


 チェシャの言葉に、妙子も相槌をうつ。


「使用人たちには周知しておきますから、みやびさんはお気になさらず」


 それもそうだよねと、みやびは頷いた。呼び方を変えたら、ブラドもきっと気を悪くするだろう。チェシャが言うように、ティーピーオーに合わせて使い分けた方が良さそうだ。


「うん、分かった。チェシャのアドバイスに従うわ」


 チェシャと妙子が、笑顔で頷き合った。そのチェシャが、それにしてもと目を細めみやびを見上げる。


「城伯は、みやびさまを気に入られたのでございましょうにゃあ」

「はあ?」


 ――キニイラレタ。


 一瞬どこの言語だろうかと考え込んでしまったみやび。いやいやそんなはずはないと、首を横にぶんぶん振って否定する。


「口は悪いし、口よりも手が早い私のことを?」

「ほんっとその通りでございますにゃ」

「言ったなこいつぅ」


 自覚はしていても、チェシャに言われると腹が立つらしい。みやびは拳を口に持っていき、はーっと息をかけた。

 けれどチェシャは鞄を頭には乗せず、目を細めたままみやびを眺めている。これはずるい。そんな無防備でいられたら、殴るに殴れないではないか。

 振り上げた拳の行き場を失い戸惑う女子高校生と、それを泰然たいぜんと見上げる三毛猫の図。そして妙子はと言うと、たもとを口に当ててクスクスと笑っていた。


「この天空の間がみやびさまのお部屋になりますにゃ」

「何このドア。ゾウかキリンでも出入りするわけ?」


 チェシャに案内されながら既に気が付いていたのだが、どの客室も扉が天井ギリギリの高さで幅もある。そして扉の右脇には、必ず椅子が一脚置いてあるのだ。


「まあ、そういう事もあるということで」


 そう言いながらチェシャは扉を開けた。そういう事ってどういう事よと、心の中で突っ込みを入れる。だがここは自分の常識が通用しない世界なのだ。深く考えるのは止めようと、みやびは早々に思考を切り替える。


 それにしても五十畳はあろうかという客室、天井が高いから尚更広く感じるのだろう。天幕付きのダブルベッドが、どういうわけか部屋のど真ん中にでーんと陣取っている。

 入って正面の窓側に文机と応接セット、廊下側の壁にクローゼットと鏡台が置いてある。鏡台と言っても、付いている鏡は姿見にも使える大きさだ。そして右側の壁には暖炉が、その前にもゆったりとしたソファーがあった。

 これだけの家具があるというのに、余裕でキャッチボールが出来そうなのだから恐れ入る。そして左側の壁には普通サイズの扉があり、そちらは客人の側仕えが使う部屋だとか。


「ねえチェシャ、本当にこの部屋なの?」

「何かご不満でも」

「そうじゃなくって、私には不釣り合いじゃないのかな」 

「またまたぁ、最大限のもてなしをと仰ったではございませんか。それ故の国賓待遇」

「はいはい、確かに言いましたともさ。でもこんな部屋で一人というのは、どうにも落ち着かない気がするのよね」


 城伯の決定は絶対だとチェシャに釘を刺され、膨れっ面でベットにダイブ。ヘッドボードに施された貝細工に見とれていると、チェシャが応接セットに鞄を置きながら声をかけてきた。


「ときに、みやびさま」

「ん、なあに?」

「この中からは、鍛え抜かれた鋼の匂いがいたしまするにゃ」


 チェシャから一瞬だが、目には見えない強烈なオーラを感じた。


「取り上げるつもりはございませんが、使用人の中には荒っぽい者もおりますゆえ、取り扱いには細心の注意を払って頂きたいのですにゃ」


 みやびは瞬時に悟った。荒っぽい使用人の中には、チェシャも含まれるという事を。

 彼女の鞄に入っているのは、教科書やノートだけではない。それは境鍛冶さかいかじ業物わざもの、出刃包丁と小出刃と薄刃包丁の三本。


 毎日かかさず磨いでいるし、自宅でも学校の調理実習でも、そして割烹かわせみでも使う。もはやみやびの体の一部と言っても過言ではないマイ包丁。


 だから大切にケースに仕舞い持ち歩いているのだ。持ち歩く立派な理由があるから、銃刀法違反には当たらない。それでもややこしい事になったら署長と馴染みだから連絡よこせと、華板が言っていたのを思い出す。


 さて、何と説明したらよいものか。

 取り上げないとは言いつつも、刃物を持ち歩く事に対する疑問をチェシャは抱いているはず。あっちの世界であれば板前の修業、その一言で説明が付く。けれどチェシャに通用するだろうか。


 疑惑を解かなければ。根本的な部分で誤解されるのを、みやびは殊更に嫌うのだ。彼女はしゃがみ、チェシャと向き合った。


「中に入っているのは確かに刃物だけど、これは創作の道具なの」

「創作の、道具?」

「そうよ。画家が筆を持つように、彫刻家や版画家が彫刻刀を持つようにね。私がこれを人に向ける事はないわ、約束する」

「なるほど、みやびさまは芸術家なのでございますにゃ」

「芸術……そうね、人を笑顔にする芸術」

「ほほう、それは興味がありますにゃ。機会があれば、作品を見てみたいんだにょす」

「二週間いるんだもの、機会はいっぱいあるわよ」


 金目銀目のオッドアイが、それは楽しみとばかりに輝いた。

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