第3話 ブラド・ドラクリア

 カラカラカラという音が聞こえる。開いた麻袋から、お鍋の蓋か何かが飛び出したのだろう。カラカラはカランカラン、カランカランはカラララに変わり、そして静かになった。


「……いったぁい」


 お尻から落ちた痛みに耐えながら、周囲を見渡すもまっ暗だ。なぜ準備室の光が差し込まないのか、体を起こして上を見上げるも暗いだけで何も見えない。ただ、微かにぶどう酒の香りがする事だけは感じとれた。


「ありゃま、くっついてきちゃったんだにゃ」


 闇の中に、猫の瞳だけがくっきりと浮かぶ。


「ここ、どこよ。校舎に地下室があるなんて聞いたことないわ」

「それはですにゃあ……」


 猫が何やら言いよどんでいる。


「ここはロマニア候国こうこくの首都ビュカレストにある、エビデンス城の酒蔵さ」


 猫の他に誰かいる! だがロマニア? ビュカレスト? エビデンス? まるで日本じゃないような言い草に、みやびは首を捻る。


城伯じょうはく、申し訳ありません。あちらの人間が付いて来てしまいましたにゃ」


 暗闇に、少しだけ目が慣れてきた。木の樽がずらっと並ぶそのひとつに、人らしき姿が腰掛けている。その後ろには壁沿いに石積みの階段が、上がった先には扉があるらしく、薄っすらと直線の光がもれていた。


「招いた覚えはないが、エビデンス城へようこそ」


 声の主が、樽から降りて近付いて来る。みやびはパタパタと手探りで鞄を拾い上げると、立ち上がって訊ねた。


「あなた誰? エビデンス城って何? この猫はなんでしゃべれるの? 備品をどうするつもり?」

「うにゃにゃ、質問はひとつずつお願いしたいんだにゃ」

「かくかくしかじかはお黙り!」

「あわわわ」


 鞄を振り上げると、猫が人影の後ろに逃げてしまった。地団駄を踏みながら、心の中で覚えてなさいよと叫ぶみやび。


「元気のいいお嬢さんだ。こんな所で立ち話もなんだし、広間へ出ようか」


 一瞬、無重力を感じた。どうやらみやび、抱きかかえられたらしい。世間一般で言うところの、いわゆるお姫様だっこ。


「ちょっと、何すんのさ」


 全力でもがき両手両足をばたつかせたのに、相手は蚊ほどにも感じないらしい。逆にがっちりと押さえ込まれてしまった。

 実は残念なことに、みやびは女性扱いされることにまるで耐性がない。手のひらから伝わる温もりに、体の力がすっかり抜けてしまっていた。


「僕達は夜目が利くんだ。石段から落ちて怪我でもされちゃ、かなわないからな」


 そう言いながら、相手は階段を上りはじめた。

 夜目が利くとはどういうことだろうか? まるで自分は人間ではないと宣言しているようなもの。分からない事だらけだし、自分はこれからどうなってしまうのだろうか。そんな不安がみやびの脳裏を過る。


「では、荷物をお預かりしますにゃ」

「あっ」


 鞄を猫にとられてしまい、みやびは相手の首に腕をまわすしかなかった。


「城伯が女性を抱き上げるなんて、珍しいんだにゃ」

「ん、そうか?」


 階段を上りきると、猫はジャンプしてドアレバーを回した。みやびの鞄を抱えながら後ろ足での操作、器用なものである。


「う、眩しい」


 車に乗って長いトンネルを出たような、強い光に目がくらむ。思わず片手で遮るのと同時に、みやびは床に下ろされていた。

 眩しさに目を細めながら、城伯と呼ばれる人物に改めて向き直る。光に目を慣らすように、みやびは下からゆっくりと見上げて行った。

 ぴかぴかに磨かれた、黒の革靴。ヘリンボーンのスリーピーススーツ。首にペイズリー柄のスカーフを巻いている。みやびの目線と相手の胸ポケットが同じ高さ、身長は百八十センチくらいだろう。

 そしてお顔を拝見。どきどきしながら視線を上げていく。顔がライオンだったらどうしようなどと思ってしまったのは、某映画の影響だろうか。身長差でみやびが見上げ、相手が見下ろし目が合った。

 口髭を蓄えているから老けて見えるが、二十代半ばだろう。彫りの深い顔、筋の通った鼻、栗色の髪を後ろで無造作に束ねている。どこからどう見ても人間だが、違和感があるとすれば紫色の瞳。カラーコンタクトだろうか。


「ブラド・ドラクリヤ」

「え?」

「我が国の直系男子は、代々この名前を引き継ぐんだ。僕は七代目にあたる。ブラドと呼んでくれ、呼び捨てで構わない」


 直系男子? 七代目? 何を言われているのかさっぱり分からないが、自己紹介されたらしい。みやびもしなければと、居住まいを正す。


「蓮沼みやび、です」

「どちらがファーストネーム?」

「みやびの方よ。私も呼び捨てでいいからね」


 ブラドが微笑みながら右手を差し出して来たので、おずおずとその手をつなぐ。みやびの倍近くもある、大きな男性の手。

 見た目は優男だが、手の皮がぶ厚くてタコがある。まるで職人のような手にみやびは驚く。どうやったらこんな風になるのだろうかと。少なくとも、優雅な生活に浸っているような手ではない。


「うにゃにゃ。わたくしはチェシャと申します。先々代のブラドさまから執事としてお仕えしておりますにゃ」


 猫がみやびの鞄を抱えたまま、ぺこんとお辞儀をした。

 先々代からとはこれいかに。猫の平均寿命を遙かに通り越し、人間の寿命すらも超えているではないか。冗談の類いだろうとみやびは受け流し、事の発端となった猫を見据える。


「チェシャって、まるで不思議の国のアリスね」

「にゃはは、あちらの世界にはそんな物語もございましたにゃあ」


 あちらの世界には、という言葉に引っ掛かるものを感じたが、ブラドもチェシャも屈託の無い笑顔だ。

 はて、悪事を働くような人達には見えない。どうして準備室の備品を持ち出したりしたのだろうか。

 みやびの疑問を察してか、急にブラドが腕を組んで真面目な顔になった。


「色々と聞きたいことはあるだろうが、最初に重大な話しをしなければならない」

「重大な、話し?」

「ここはみやびが住んでいた世界ではない。僕が光属性の力でゲートを開いた。君は、そのゲートを通ってしまったんだ」

「光属性? ゲート? 私の世界とは、違う?」


 明るさにすっかり慣れた目で、みやびは周囲を見渡す。

 大理石の床と柱、奥に二重の螺旋階段らせんかいだんが見える。階段の両脇には、二匹の竜が向き合い首を交叉させる紋章が描かれた赤い垂れ幕が。

 階段から吹き抜けの天井に視線を移せば、剣を携え甲冑を纏い竜に跨る騎士の姿が極彩色で描かれていた。

 そして等間隔に並ぶ縦に細長い窓の外には庭園が広がり、その向こうには石積みの高い壁が庭園とこの建物を取り囲んでいた。

 信じられない。学園の近隣に、こんな建造物は存在しない。みやびは自分の手の甲を、おもいきり抓ってみる。だがこれが現実であることを、残念ながら痛みが証明していた。


「あのさ。私、帰れるんだよね?」


 みやびの上擦った声に、ブラドが顎に手を当てて思案げな顔をする。


「ちょっと、やめてよ。なんでそんな難しい顔してるの」

「帰してあげたいのはやまやまなんだが、月が変わらないとダメなんだ」

「月が、変わる?」

「ゲートを開く事が出来るのは、満月か新月の日に一回だけなんですにゃ。次回はそのぉ、二週間後になるんだにゃ」

「ええ!」

「すまない」

「誠に、お気の毒でございますにゃ」

「そんなぁ。私、二週間も行方不明になっちゃうの? どうしよう」


 家族のみんな、学校のみんな、かわせみのみんな、心配するのは必至。きっと捜索願いを出すから、新聞やニュースで実名が出るだろう。新聞の見出しは多分こうだ『女子高校生、学校の調理実習室から失踪』と。

 恥ずかしいやら情けないやら。なんでこんな目に遭うんだろうという思いから、だんだんと怒りが込み上げてきたみやび。


「はにゃっ、殺気を感じるんだにょす」

「あぁんたのせいで!」


 拳を振り上げる女子高校生と、学生鞄を頭に載せて身構える三毛猫の図。


「ちょいと、ひとの鞄を盾代わりに使わないでくんない?」

「にゃはは、ご冗談を。先ほど殴られた所がまだジンジンしておりますのに」

「あのね、もう一発殴らないと気が済まないの。四の五の言ってないで、鞄をおどき」

「ひええ、お許しを」

「みやび、落ち着いて」


 ブラドが間に割って入ったが、みやびの怒りは収まらない。


「誰だって怒りたくもなるでしょうが。そもそも、ゲートとやらを開いたのが貴方ならチェシャと共同責任ってことじゃない。今すぐ帰して戻して何とかしてちょうだい!」


 ブラドが面食らった顔でみやびを見つめる。だが、やがて彼の視線は外れ、別の場所に注がれていた。


「みやび、血が出ている」


 言われてブラドの視線を追いかければ、左の手首から血が出ていた。そう言えば、ここに重い麻袋の紐を巻いていたのだった。

 ブラドはみやびの手を取り、傷に口を付ける。唇の感触と手首にかかる温かい息に、みやびの顔が見る間に赤く染まっていった。

 繰り返しになるが、彼女はこういった行為にまるで耐性がない。自分にこんな乙女な部分があることを、当の本人が呆れているくらいなのだ。

 考えてみれば、みやびが家族以外の異性とまともに接している場所はかわせみくらいなもの。もっとも、あそこの厨房は怒声が飛び交う鉄火場。色恋なんて雰囲気は微塵も無い。

 こんな形でみやびの体に触れた男性は、中等部いらいブラドが初めてかも知れない。怒りは消え失せてしまい、自分が置かれた状況をすっかり忘れ手首に吸い付いている優男を眺める。

 いやちょっと待て。吸い付く? 変だ、何かがおかしい。


「あの、ブラド。いつまでそうしてるつもり?」

「ん、もうちょっと」


 一瞬ブラドの口元からとんでもないモノが見え、腰が抜けたみやびはその場にへたりこんでしまった。


「みやび、どうしたんだ」


 驚いたブラドが片膝をつき、みやびの顔をのぞきこむ。そして彼女の全神経は、彼の口元に集中した。


「あは、あははは。私も八重歯だけどさ、ブラドの八重歯、妙に長くない?」


 人間というものは、本当に恐怖を感じると笑ってしまうものらしい。


「城伯の血筋は代々、犬歯が長いんだにゃ」

「まさか、吸血鬼? 私、血を吸われて吸血鬼にされちゃうの?」


 ブラドとチェシャが、顔を見合わせ苦笑いしている。


「失礼なんだにゃ。それもあちらの人間が生み出した小説が元でございましょう」


 先ほどはルイス・キャロルの不思議の国のアリス。そして今度はブラム・ストーカーのドラキュラと、この猫は意外と物知りだ。


「大丈夫。戦や特別な儀式以外で無闇に噛み付く事はしない」

「う……。その特別な儀式とやらが怖いんですけど」

「いえいえ。わりとロマンチックな儀式ですにゃ。にやにや」


 チェシャがひげを撫でながら言うと、ぜんぜんロマンチックに思えないみやび。だが二人の様子を見るに、危害を加えられるということは無さそうだ。

 ブラドは胸ポケットからハンカチーフを取り出すと傷口に巻いて結び、そのまま手を引いてみやびを立ち上がらせた。


「君が怒るのも無理はないが、月が変わるまでは本当にどうにも出来ないんだ。君をどうこうするつもりは全く無い。二週間の間、大人しく城に滞在してくれないか」

「二週間後には、必ず帰してくれるの?」

「ああ、約束しよう」


 広大な敷地と建物に、不思議な力を使う吸血鬼っぽい優男としゃべる猫。みやびが変な世界に迷い込んだのは疑いようもない。

 そして彼は、月が変われば帰してくれると言っている。信じて良いのものだろうか? しかしゲートを開かなければ、帰れないのも事実。

 深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。何事も切り替えが肝心である。

 みんなに心配をかけるのは心苦しいが、二週間の秋休みをもらったと思おう。これがみやびの出した結論だった。

 左手を腰に当て、右手の人差し指を立ててポーズをきめる。


「最大限のもてなしを要求します!」

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