第6話 幼馴染のいるもう一つの日常
数馬が金髪美少女になっていた日の翌日。
彼は多大なる傷を心に負っていた。
(あぁ、もう無理だ……きっと今日も女の子にさせられる……今度こそダメだ……)
数馬の頭の中には、ニコニコと満面の笑みを浮かべる先輩と後輩が自分を見上げる姿が映されていた。
だが決して毎日が毎日、昨日と同じような事が起きる訳ではない。
それこそ、平穏に部活が行われる時はザラにある。
ただ、それは全て千尋やミリアの気分次第である事には代わり無いのだが。
だからこそ、藤宮数馬は彼女らにとってのモルモットなのである。
そんなこんなで、ブルーな気持ちで机に突っ伏している数馬の元に、一人の女子生徒が竹刀袋を抱えてやってきた。
「おはよ、数馬」
「……なんだ、一香か。剣道部の朝練はもう終わったのか?」
「なんだとは何よ何だとは! せっかく幼馴染が起こしに来てあげたと言うのに!」
「起こしに来たって言うか、ただ話しかけに来ただけだろ」
「そうとも言うかも」
「そうとしか言わねぇよ」
憂鬱ダウナーな気分な数馬と正反対に元気ハツラツな様子な美少女が教室の片隅で「えへへ」と笑う。
爽やか過ぎて、浄化されてもおかしくない笑顔の持ち主の彼女の名前は
数馬とは保育園の頃からの付き合いであり、高校二年になった今でも健在である。
そしてそんな彼女は、千尋やミリアに負けず劣らず誰もが目を惹く美少女であり、明るい性格から人望も厚い。
「んじゃまぁ、一香、授業始まったらまた起こしてくれ」
自分とは真逆の立場にいる一香に引け目を感じているのか、しばらくするとまた数馬は机に顔を伏せ始める。
「んじゃまぁ、じゃ無いってば! せめてホームルーム中にも起きてなさい」
「どうせ俺が起きてても誰にも迷惑かけないから問題ないって」
「少しは私の話を聞きなさいってば!昨日、写真部の方に行けなかった事、まだ怒ってるの?」
明らかに顔を合わせようとしない幼馴染に、堪らず顔を覗き込ませる一香。
運動部の朝練後特有の、独特な制汗剤の匂いが数馬の鼻孔をくすぐる。そして後に続く、女子特有の香り。
「別に怒ってる訳じゃないし。幼馴染の貞操より、竹刀振って汗水垂らしてる方が好きなんだなって思っただけだし」
制汗剤の爽やかさと一香のつけている香水の甘い香りが相まって、先ほどまで膨れっ面をしていた数馬だったが、思わず頬を赤らめる。
ぶっきらぼうな態度を取っていたとしても、やはり男子であり、匂いから誘われる本能には抗えないようだった。
が、彼の反応に気づいていないのか、
「十分怒ってるじゃない……。仕方ないでしょ、先輩にクタクタに扱かれてたんだから。写真部見に行ける余裕なかったのよ」
と、話を続ける一香。
運動部故に均整のとれた体つきだということもあり、男子の視線には敏感な彼女。
だがその割には、目の前の幼馴染の僅かな表情の変化には鈍感なようだった。幼馴染故の弊害なのだろう。
「先輩、ねぇ……」
「……何よ」
「まぁ一香は剣道一筋だもんな。うんうん、分かってる分かってる」
「絶対分かってない……。しかもそれミリア先輩の得意文句だし……見事に毒されてるなぁ」
「なんか言ったか?」
「何にも」
言葉選びから分かる数馬の苛立ちに困惑しながらも、何事も無かったかのようにして一香は受け流した。受け流さざるを得なかったのだ。
そんな彼女へ、
「ならいいけど」
と返事をする数馬。
暫しの沈黙。互いに目は合わせずとも意識は向き合う。
苛立ち。不安。困惑。理解。
様々な感情、思惑が入り混じる空気感が二人の間に漂う。
次第にそれは、互いの口を重くしていく───その時だった。
リーーーンゴーーーン。
リーーーンゴーーーン。
ホームルーム開始の合図が学校中に鳴り響く。当然、数馬と一香のいる教室も例外なく。
一瞬にして二人の間に漂っていた重苦しい空気感が澄んでいく。
そして微かに残った重苦しさを振り払うように、一香が力強く数馬に詰めた。
「とにかくさ、機嫌直してよ、ね? 今日は写真部の方に行くからさ! なんなら、いつものアレしてあげるからさ!」
「……分かった、許す。ただし、約束破ったら許さないからな」
一香の圧力に負けてなのだろうか。
それとも、元々許すつもりだったのだろうか。
はたまた、一香の言う『アレ』に釣られて折れたのだろうか。
どう言う考えで苛立ちを抑えたのかは本人にしか分からないが、不思議と一香は笑顔だった。
「はいはい分かってますよ」
「おう」
「よかった、数馬が単純で」
「なんか言ったか?」
「何にも」
「そうか」
こうして、何事も無かったかのように、いつものやりとりへと戻る数馬と一香。
そして間も無くして、担任教師が教室に到着し、ホームルームが開始された。
幼馴染というのは不思議である。
勝手に喧嘩をし、すぐさま仲直りをする。
側から見れば、ただの痴話喧嘩にも等しい。
しかし当人らからして見れば大事であり、何事にも変えがたい時間でもあるらしい。
これもまた、藤宮数馬にとっての日常なのである。
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