第22話 不思議な後輩とクリスマス⑤
「宮前に感謝しなきゃ…。」
水族館のトイレのなか、鏡を見ながらニヤけてしまう。
心なしかいつもよりも先輩が私のことをチラチラと見てくれる気がする。私がかわいくなったからだろうか。
それとも…。
『綺麗だな。』
思い出すだけで全身の血が早く巡り頰は熱く、鼓動は激しくなっていく。
「綺麗…わ、私が………。」
憧れの先輩に褒められた。この事実だけで私の胸はほくほくだ。さっきから顔が気持ちの悪いニヤけ顔から元に戻らない。
私はコートのポッケからデジカメを取り出し、先程から何回も撮っているツーショット写真を見る。
(わ、私の顔…ニマニマして気持ち悪いな。)
それに比べて羽賀先輩は平然としている。写真を撮り慣れているようなそんな感じ。
これじゃまるで私ばかり空回りしているみたいだ。
(お、落ち着こう…このデートで少しでも私の好感度をあげるんだ。用意したプレゼントだってちゃんと渡さないといけない。大丈夫、今日の私は綺麗なのだから。)
鏡を見て頷き、私は彼の元へ歩き出した。
☆
夕ご飯を食べ終え、僕はお手洗いに行った春日谷をベンチに腰掛けながら待っていた。腕時計を確認すると、朝方早くに出たのにもう夕方になっていた。
今日はなんだか時が経つのがいつもより早い気がする。それだけ春日谷と過ごした時間は僕にとって楽しいものだったということだろう。
「先輩お待たせしました!」
「!」
春日谷がお手洗いから帰ってきた。トコトコと小走りでこちらにやってくる彼女に僕は手をあげて応える。
「すいません長く待たせてしまって。」
「いや、気にしてないよ。それより今日はこれからどうするんだ?もう水族館も大方回り終わったし…そろそろ日も暮れそうだ。」
実を言うと、僕は彼女にクリスマスプレゼントを用意していた。だがいつ渡していいのかわからず時期を伺っていたのだ。これからの予定がなければ今渡そうと思っていたけれど…。
「これからイベントホールに行きます。クリスマス限定のイベントがこれから始まるんです。」
どうやら春日谷はちゃんと考えてくれていたらしい。プレゼントを渡すのはそのイベントのあとでいいだろう。
「どんなイベントなんだ?」
「えっと…いや、内緒にしておきます。」
「内緒って…わかったよ。それで、イベントホールはどっちにあるんだっけ?」
「こっちです!」
綺麗に整えられた黒髪を揺らして彼女が背中を向けた。水族館の紫色の照明が彼女を照らす。
僕は息を呑んだ。
『和季!』
綺麗を黒髪を見るとどうしても思い出してしまう人がいる。薔薇の花のような美しい彼女のことだ。
僕が今日わざわざプレゼントを用意したのは、去年のクリスマスデートではろくな用意もしておらず、気が利かないとその人に怒られてしまったからだ。
春澤澄歌とのクリスマスの思い出。
僕はあの人に怒られてばかりだった。一方的に冷たく僕を突き放すくせに、僕が落ち込むと素知らぬ顔で隣にいてくれるような人だった。
『怖がらないで。』
不器用で冷淡で、それでも優しい人だった。
「先輩?」
「!」
「疲れちゃいましたか?」
「え…?」
随分考え込んでしまっていたらしい。いつのまにか春日谷が僕の顔を覗き込むように正面から見上げていた。黒色の目が僕を真っ直ぐ見ていたのだ。
忘れなきゃ。
僕も大人にならなきゃいけない。離れていった
大切な後輩が誘ってくれたデートでまでフラれた女のことを思い出さなんて女々しいにもほどがある。
「大丈夫、少し立ちくらみがしただけだよ。」
「大丈夫ですか?…先輩背大きいですもんね。」
「そうそう、だから大変なんだよ。」
僕がそう言うと春日谷は胸を張り、自信満々に言う。
「困った時は私に頼ってくださいね!私もう買い物だって一人でできちゃうんですから!」
「………そうだな、頼んだ。」
ニコニコと僕を見上げる春日谷を見て僕もつられて笑ってしまった。初めて会った時のツンケンした態度はどこへやら、春日谷はこの数ヶ月で随分と丸くなった。
これから彼女は今日のようにメイクをしてオシャレして、立派な大人になっていくのだろう。
一緒に変わっていこうと言ったもののすっかり置いていかれてしまっているような気がした。
やっぱり女の子は一気に変わっていくものなのだろう。
「先輩!もうすぐですよ!」
「ああ、うん。」
彼女に導かれるように水族館の廊下を進んでいく。やがて視界の開けた場所に僕たちは辿り着いた。
そこは、光の海のなかだった。
静かな暗い白色の光が薄暗いイベントホールを照らし、一層と光り輝いている。その幻想的な光景に僕は思わず息を呑んだ。
「これは…」
「海月のイルミネーションです!綺麗でしょう?」
くらげ。ひらひらと水のなかで踊る光はまるで夜空を舞い落ちる美しい雪のようだった。
「すげぇ綺麗だな。」
「最初は普通のイルミネーションを見ようかと思ったんですけど、先輩も私も人が多いところは好きじゃないから。ここは外よりは人も少ないと思って。」
「そっか…ありがとうな。」
僕が笑いながらお礼を言うと春日谷はにへらと笑った。しばらく二人で妖精のようなその美しい光を見ていた。
ふと思いついたように僕はカバンから装飾された小さな袋を取り出した。
「春日谷。」
「はい?」
「これ、やるよ。」
僕から受け取った小袋を不思議そうにまじまじと見ている。やがてその顔が真っ赤に染まっていくのがわかった。
「せ、先輩!これって……」
「クリスマスプレゼントだ。」
「わざわざ用意してくれたんですか?…あ、開けても?」
「いいよ。」
春日谷が包装されたプレゼントを丁寧に剥いで行く。
僕が春日谷舞に送ったものは口紅だった。自分なりに彼女に似合う色を選んだつもりだがセンスの有無は僕にはわからない。
「お前は化粧用の口紅を持っていないと思って送ったけれど、今日ついてるところを見ると無駄だったか?」
「いえ…これは宮前に借りたものをつけたので……あ、あの嬉しいです私、本当に。」
「そ、そうか……。」
頬を赤らめ、僕のあげたプレゼントを大切そうに握りしめる彼女があまりに真剣な様子だったので僕は少しだけたじろいでしまった。
「そんなに嬉しいか?」
「はい、嬉しいです…。」
「なら…良かったよ。」
少しだけ照れ臭くて僕は彼女から目を離した。春日谷は未だもじもじとプレゼントと僕を交互に見てくる。
「も、もういいだろ。今はイルミネーションを見ようぜ。」
「あ、いえ先輩。私もプレゼントを…」
気まずい空気を誤魔化そうと彼女を促したが、彼女は僕の袖を引っ張ってきた。
「え?お前も用意してくれたのか?」
「………その」
「?」
顔を赤くして黙り込んでしまった春日谷に僕は首を傾げる。彼女は深呼吸をし、意を決したように口を開く。
「プ、プレゼントは……私でs!」
そのとき、春日谷の声を遮るようにイベントホールの静かで暗い白色の照明が色彩鮮やかな照明へと変わった。
さっきまでは雪のように綺麗で神秘的だったが、今は赤と緑色の光がクリスマスらしい活気を表現していた。
「見ろよ春日谷、綺麗だぞ……春日谷?」
「………ソーデスネ。」
いつもなら子供のようにはしゃぐ春日谷はなぜか海月たちを親の仇のように睨んでいた。
しかし綺麗なイルミネーションを見るうちにすぐに笑顔になっていった。
「あの…先輩。」
「ん?」
「今日はありがとうございました。」
急に殊勝な態度になるものだから僕は彼女を見る。春日谷は一直線にイルミネーションを見ていた。
「急にどうしたんだよ。」
「なんか…感極まっちゃって。少し前までは男の人とクリスマスデートだなんて想像もしてませんでした。そのために服を買ったりお化粧してもらったり…それだけじゃない。家族と話したり、友達を作ったりできることも。」
「それはお前が頑張ったからで…」
「でも、一緒に頑張るといってくれたのは先輩です。」
「……………」
イルミネーションから僕へとゆっくりと彼女が視線を動かしていく。黒色の瞳が僕を見据えた。
その表情には、見覚えがあった。
それは、去年のクリスマス。
『和季、綺麗ね。』
『…………』
『私、綺麗なものが好きなの。知ってたかしら?』
『…ええ、知ってます。』
『…このイルミネーションを近くで見るのが夢だったの。けれど私は人混みにいると具合が悪くなってしまうからなかなか一人では来れなくて。』
母の入院していた病院の近く、地元で有名なイルミネーションを春澤澄歌と二人で見にいった時の思い出。
『それで僕を誘ったんですか?』
『それだけじゃないわ、あなたにも見せたかったの。あなたと見たかったのよ。和季のおかげで私は色々なところに行けたのよ。あなたが夢を叶えてくれたの。だからね…』
「先輩。」『和季。』
『「あなたに会えて良かった。」』
気づけば僕は目の前にいる黒髪の乙女を抱きしめていた。
忘れることはできないのだ。きっと何日何ヶ月何年経ってもあの人の声は僕の頭のなかから消えてはくれないのだ。
大好きだった先輩を、僕は忘れられない。
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