第23話 不思議な後輩とクリスマス⑥





「先輩、起きてください。」


誰かが僕の肩をゆさゆさと揺らしている。


「先輩、私次の駅で降りなきゃなんですけど…。」


「んん…」


暗い。僕は眠っていたらしい。重たい瞼をこじ開けてみると眩しい光が僕を襲った。


やがて光に慣れて、徐々に視界が明瞭になっていく。僕の目に最初に映ったのは、僕を覗き込む春日谷の顔だった。


「!」


「先輩…お、おはようございます。」


彼女の柔らかい手が僕の額と肩に置かれ、僕の頭は彼女の腿の上に乗っていた。僕は春日谷に膝枕されていた。


僕は慌てて跳ね起きる。


「わ、悪い…その、膝枕なんかさせちまって。」


「い、いえ…気持ちよさそうに寝ていたので起こすのも悪くて。気にしなくて大丈夫です。それに、乗客も私たち以外いなかったんで。」


彼女に言われて僕はあたりを見渡した。春日谷の言う通り人っ子一人乗っていない。どうやら僕の醜態は春日谷舞にしか見られてはいないようだ。



僕が春日谷舞を抱きしめてしまったあと、顔をリンゴのように赤く染めた彼女に怒られているうちに水族館の営業時間が終わってしまった。予定よりも帰路に着くのが遅れてしまったこともあり、僕たちは急いで電車へ乗った。



「やっぱり家まで送ってくよ。」


「でも…悪いですよ。」


「こんなに遅くなったのは僕が突然あんな事したからなんだし。親御さん達への挨拶と謝罪は大切だ。」


「あ、挨拶!?それって何の…?」


「何のって…お前の父親も娘が自分の知らない男と一緒にいるの気分悪いだろ。しかもこんな遅くまで連れ回したんだからちゃんと謝らないと…。」


「あ、なるほど…。」


春日谷が少しだけ残念そうな顔をする。


「…わかりました、ご好意に甘えさせてください。」



電車が駅のホームに着いた。僕と春日谷は連れ立って電車から降りる。彼女の最寄りの駅には今まで降りたことはなかったが、住み心地の良さそうな街のようだ。


これなら面倒なこともなく彼女を家に届けられそうだ。


「家どっちだ?」


「こっちです。」 


彼女がちらちらと僕のことを気にしながら前に進む。僕は彼女のそばから離れないように隣を歩く。


すると彼女が何が言いたそうに僕を見上げては口をつぐんで顔を逸らしていた。


「せ、先輩その…。」


「どうした?」


「…約束守ってくださいね。」


「え?あ、ああ。」



突然抱きしめられた春日谷舞はお詫びとかこつけて僕とひとつ約束をした。


『わ、悪い!ちょっと目眩がしてよろけたんだ。抱きしめたとかそういう…』


『…………』


『いや、悪い。言い訳は見苦しいな。その…お詫びをさせてくれ。』


『お、お詫び……!』


『なんだ?なんでもいいぞ。』


『じゃ、じゃあ私のこと…舞って呼んでください!』


苗字ではなく名前で呼んでほしいと言った彼女の顔は赤らんでいた。



「わかってるよ、舞って呼べばいいんだろ。」


「……はい、えへへ。」


嬉しそうな顔で舞が笑っている。よく笑うやつなのだ。僕は少しだけ心が痛んだ。


あのとき、僕が舞を抱きしめたのは彼女に先輩の影を重ねたからだ。そういう関係ではないにしても違うひとと間違えられて抱きしめられるなんて普通は嫌だろう。


でも、忘れられないのだ。

片時も僕の頭から離れてくれない。


「舞。」


「なんですか先輩?」


「お前は…忘れられない人っているか?」


「忘れられない人……」


キョトンとした顔で舞が呟いた。その様子に僕は情けなくなる。何で変なことかわいい後輩に聞いてんだ。


「…ごめん、変なこと聞いたな。」


「あ、いえ…」


「気にしないでくれ。そうだな…夜風は冷えるな、早く行こう。」


何かを誤魔化すように彼女を促して、夜の道を歩いた。何かを思い悩むような顔をした舞に気づかずに。






「ごめんなさいね、こんなものしか出せなくて。」


「い、いえ、お構いなく。」


僕は目の前に出されたお茶を見る。


「わ、わざわざお茶までもらって…すいません。」


「いいんだ、君とは一度話してみたかったんだよ。」


「え」


舞の父と母が机越しに僕の対面に座る。お茶を飲んだあとすぐに出て行くつもりだったので少しだけ戸惑ったが、僕は居住まいを正した。



舞に案内され、彼女の家に行った僕たちは彼女の両親に迎えられた。正直、こんな夜更けまで娘を連れ回していたのだからあまりいい印象は持たれないと思っていたのだが、舞の家族は僕を居間に通して丁重にもてなしてくれた。


舞はいない。体が冷えたからと風呂に入りにいった。だから僕は誰に助け舟を出していいかわからない。



「それは…どういう……」


「君が"羽賀先輩"だろう?」


「え、そう…ですけど。」


自分のことを認知していた二人に僕は驚く。舞から聞いたのだろうがどういう風に聞かされているのかわかったもんじゃない。


やはり怒っているのだろうかと僕はハラハラとしながら二人を見る。



「娘に代わってお礼が言いたい。本当にありがとう。」


「!」



しかしながら、僕の予想とは裏腹に舞の両親は僕に頭を下げてきた。僕は当然戸惑ってしまう。


「か、顔を上げてください…僕は……」


「あの子、舞は子どもの時から暗い子でね。そのくせ意地っ張りだから友達なんて一人も出来やしなかった。」


顔を上げて舞の母親が話し出した。


「私たちと話す時だって目を合わせてくれなくて…学校にも無理して行かなくていいって言ったけれどあの子は頑固だから。毎日つまらなそうな顔で制服を着ていたわ。」


「…………」


「でも…ある日あの子が『おはよう』って言ってくれたの、とても清々しい顔をしてね。それから舞は楽しそうに学校へ行くようになった。それだけじゃない、学校の話をしてくれるようになった。」


そして僕を見て、微笑ましそうに笑うのだ。


「あなたの話もそのときに聞いたの。とても良くしてくれている先輩だってね。あなたの話をするときの舞はとても楽しそうだったわ。」 


後輩の親御さんに改まった態度を取られていることもあり、僕はすっかり恐縮してしまう。


「良くなんて…そんな大層なことは」


「羽賀くん。」


「!」


しかし、僕の緊張をほぐすように舞の父が僕の名を呼んだ。隣に座る舞の母の肩に手を置きながら、彼はもう一度僕に頭を下げた。


「謙遜なんてしないでくれ。僕たちでは舞を救うことはできなかった…舞を救ってくれたのは君なんだ。本当にありがとう。」


「…………」


舞の母も無言で頭を下げてくる。そんな二人を見て、僕はゆっくりと口を開いた。


「…違いますよ。」


「え?」


「違うんです、救われたのは僕なんです。舞さんに支えられてきたのは僕の方なんです。」


まだ一口も飲んでいないお茶を机に置いて、僕は笑った。







居間に入るタイミングを完全に見失った。


先輩がまだいたらいいなと思いつつも、そんなわけはないとパジャマを着てしまった私は居間の外でひっそりと息を潜めていた。


クリスマスデートのためのおしゃれな服は買ったが、パジャマはまだダサいままなのだ。こんな姿先輩には見せたくない。


「舞さんに支えられてきたのは僕の方なんです。」


「!」


まさかそんな風に思われていたなんて知らなかったし、支えになれていた自覚もなかった。


「…………」


支え。つまり先輩には誰かに支えられなければやっていけないことがあったということだ。


日々の生活が辛かった。いや、先輩はそんなに弱い人じゃないだろう。じゃあ何だろうか。



『春澤澄歌って知ってる?』



宮前の言葉が頭の中に響き渡る。


『相当綺麗な人だったわよ、高嶺の花を絵に描いたような人。誰も寄せ付けず、来るものは皆傷つけた。』


一体誰の話だろうと思った。


『時には自分に接触する男子を刺そうと暴れたこともあったらしいわ、真相はわからないけど。』


ただ宮前の真剣な様子に、聞き入るほかなかったのだ。


『でもね、春澤澄歌が心を許した人が一人だけいたの。いつからかはわからないけど…彼女とその人はずっと一緒にいたわ。高嶺の花のスクープだって根も歯もない噂がたくさん流れた。それが…羽賀先輩なの。』



突如話題に登った先輩の名前に驚き、私は聞く。

『その人、春澤さんは…今は何してるの?』



宮前は言いにくそうな顔をして黙ってしまった。どうしたのだろうと私は彼女を見つめる。


やがて重々しい口調で彼女は言うのだ。 



『春澤澄歌は亡くなったの、今年の夏の終わりに。』

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