第7話 不思議な後輩との日々④
結果的に、僕は一本早い電車に乗ることにした。
秋の朝は涼しく、混み合っている駅のホームも幾分か爽やかに思えた。
心なしか、並んでいる会社員や学生の顔も清々しい。
ちょっと前まではあまりの猛暑に皆太陽を親の仇のように睨みつけていたというのに、四季というのは恐ろしいものである。僕は辺りを身わたし、そっとため息をついた。
「あいつはいないな…。」
春日谷舞の姿は見えなかった。ここに彼女がいたら僕はあまりの気まずさと申し訳なさにしどろもどろになっていただろう。
『2番線、まもなく電車が参ります。』
電車の到着を知らせる音声案内が鳴り響く。
「……………」
大きな音と共に駅に着いた電車に僕は乗り込んだ。
僕は電車が苦手だ。2ヶ月前からずっと苦手だ。どんなに楽しい雰囲気でも、良いことがあっても電車に乗ってしまえば僕は特有の息苦しさに眩暈を覚えた。
だから僕は電車に乗る時毎回息を止める。
まるで冷たい水の中に自分を浸すかのように。
電車の車窓から、通り過ぎていく街並みを見ていた。秋の空気を纏ったそれらは透明に見えた。
僕はそっと、扉に肩を預ける。
「……早く忘れたいのにな。」
電車の早さにも、先輩のいない世界の早さにも僕は着いていけそうにはなかった。
しばらく窓の外を眺め続けていた。しかし、僕の鬱屈とした思いも霧散することになる。
「!」
何かが僕の肩に強烈に当たったのだ。僕はその衝撃に思わず後ずさる。
何かと思い見渡せば、どうやら電車の中に新しい人が入ってきたらしい。早いバスとはいえ、人が多く乗る。当然人波の密度も高くなっていくのだ。
「「え」」
しかし問題はそんなことではなかった。
問題は、僕の肩にぶつかってきた少女が見覚えのある赤いヘッドフォンをつけていたことと、そして…その顔がとても暗く荒んでいたことだった。
「…っ…………」
春日谷舞は少しだけやつれていて、僕は思わず息を呑んだ。そして、それは彼女も同様だった。
「春日谷……お前」
「っ!」
「あ、おい!春日谷!!」
そのあまりの変わり様に僕が声をかけようとしたとき、春日谷は脱兎の如く駆け出し僕から逃げる。そして電車から飛び降りた。周囲の乗客がざわめく音が聞こえた。
「……………」
追おうにもこの人混みと僕の体の大きさでは抜け出せそうにはなかった。僕は彼女の細くて小さい背中を見送ることしかできないでいる。
この10日間で春日谷舞に何があったのか?
電車がまた走り出した。もう戻れない。
春日谷の目を見開き僕を見上げたさっきの顔が僕の脳裏から離れることはなかった。
☆
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
私は痛む肺を撫でながら駅のベンチに座った。赤いヘッドフォンを付け直し、項垂れるように自分の太ももを見つめた。いや、私の視界はぐるぐると回っていた。
見られた。見られた。何で今日に限って?ずっと避けてたのに。恥ずかしいところを羽賀先輩に見られた。
「はぁ、はぁ、はぁ…先輩…………」
羽賀先輩は強いから、弱い私が近くにいるべきじゃない。
クラスの女の子たちにいじめられ始めたのは細田君に先輩とのことを指摘された次の日からだった。
私の予想でしかないけれど、きっと細田君のことが好きな子があのなかにいるのだろう。
いじめられるのは初めてだった。
最初はものを隠されるだけだった。
私は特段気にしてはいなかった。困ることはあったものの何も死ぬわけではないからだ。
赤ペンなければ青ペンで書けばいいし文房具自体ないなら教科書を読み覚えればいい。
教科書を隠されたなら黒板を見ればいい。先生から教科書を読めと言われたらわかりませんと言えばいい。
簡単なことだった、最初までは。
「痛い……」
痛いのはギシギシと息を吸う肺ではない。私は脇腹をさすった。昨日蹴られた脇腹が痛い。私は体を縮めベンチの上で丸まった。少しでも痛みを和らげたかったのだ。
クラスメイトの女の子たちは私に手をあげるようになった。トイレに連れ込まれて大人には見えないようお腹や背中を殴られた。
それでも学校を休むことは負けだと思い、毎日通っていた。だけど時折、そんな自分が情けなくなった。
先輩ならどうしただろうかと考えてみた。あの人は強いから、学校なんて行かないと自信を持って言えるだろう。
似ていると思った。一緒にいて楽しいと思った。それでも、私はあの人みたいにはなれないのだと思い知った。
「学校行かなきゃ……」
顔を擦り、少しでもマシに見えるようにしなければいけない。泣いたあとを隠さなければいけない。
「私は………」
私は駅のホームのベンチから立ち上がることができないでいた。その場所は奇しくも先輩と初めて会った時のベンチだった。
「サボっちゃおうかな。」
HRが始まっても、1限目のテストが始まる時間になっても、1限目のテストが終わる時間になっても、私は駅のベンチにひっそりと座り続けた。
時折、私に話しかけてくる人がいたが死んだように動かない私を見て面倒だと思ったのだろうか次第に離れていった。
そろそろ次のテストが始まる時間だ。次のテストは物理。一番勉強した教科だったのだけれど、残念ながら私は受けられないみたいだ。
「…………」
今も鞄の中にある物理の参考書を思い出して私は泣きそうになった。だけど泣くもんかと拳を握る。
負けたくないと思った。
子供の頃から人と違った。
近所の子供の会話にうまく入れなかった。かくれんぼとか鬼ごっことか一緒に遊んでいるのに心のなかでは下らないと思っていた。
テレビで人気のお笑い芸人も何が面白いのか分からなくて、親の真似をして笑ってみても虚しいだけだった。
中学で一人でいた私に声をかけてくれた女の子のおすすめの本も、ただの文字の羅列にしか見えなかった。
仲良くなろうと寄ってくる皆が私のことを妖怪でも見るような目で去って行った。
どんなものを食べても味がわからなかった。
その度に私は首を傾げて鈍感なふりをして笑った。
誰も見てはいないのに。
人と同じように生きることはできないと、毎秒世界から突きつけられてきた。
それでも私はそんな自分を愛したかった。自分を他よりも劣っていると思いたくなかった。
「ひぃぃん……」
硬く握りしめた拳が白くなり、キツく閉じた目からは涙が溢れそうになった。やばい、泣く。
その時、誰かが私のヘッドフォンを外した。
「風邪ひくぞ。」
聞き覚えのある声に見上げてみれば、誰よりも優しい顔をしたその人がいた。
冷たくなった心が温かくなっていくのを感じた。
ああ、そうなんだと思った。初めて会った時も、細田君に下らない妄言を吐かれた時も、そして今も。
私の張り詰めた心を解くのはこの人なのだ。
「また、サボりですか?」
「違うよ、早退。」
そこには、羽賀和季先輩がいた。
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