176話 コマさんのキストレーニング

「……むぅ。私がキス魔という扱いに関しては正直ちょっぴり釈然としない気持ちはありますが……それは今は一旦置いておくとして。とにかく小絃さま。キスが上手になりたいというお話でしたよね?」

「そうですコマさん。琴ちゃんをキスだけでも満足させられるような超絶テクを……是非ともこの私めにお教授ください!」

「え、ええっと……キスだけで満足、ですか……」


 琴ちゃんとの恋人生活をより良いものにするため。我慢させてしまっている琴ちゃんを満足させてあげるため。その道のスペシャリスト(?)であるマコ師匠の双子の妹コマさんにそう懇願する私。


「……うーん」

「それでその……コマさん?どうですか?やっぱり私では難しいでしょうか……?」

「…………うーん」

「えっと……コマさん?」


 そんな私に対してコマさんはと言うと、なんとも言えない難しいお顔で考え込むような素振りを見せ。無言のまま反応がなくなってしまう。参ったな……このコマさんの微妙な反応はやっぱりアレだろうか?私みたいな不器用人間には荷が重い的な?


「あ、あのぅ……?」

「……あ。すみません小絃さま、ちょっと考え事をしていて。えっと、そうですね。キスが上手になる事自体は……何とかなると思いますよ。小絃さまって才能ありそうですし、その点に関しては心配ないかと」

「ほ、ホントですか!?」

「…………(ボソッ)寧ろ私が心配しているのは……上手くなりすぎた場合の……後の事なのですが……」


 そっかぁ、私ってばコマさん的には才能あるように見えるんだ……箏弾くくらいしか能がないとばかり思ってただけに嬉しいな。どうなることかと不安になったけど、コマさんからそんな太鼓判を押されたら自信も湧いてくるってもんだ。


「……ですが、まあ……他でもない小絃さまが乗り気ですし……琴さまも絶対に喜ばれるでしょうし……いいのかな……?」

「コマさん?」

「…………えっと。もう一度だけ確認しますが。良いのですよね?キスが上手になっても……」

「ええ、勿論です!」


 念を押すようにコマさんに問われ即答する。一体何を躊躇う必要があるのだろう。


「……わかりました。小絃さまもということで。人に教えるほど上手いわけではありませんが、私でよろしければ力になりましょう。キスの練習でも何でもお付き合いしますよ」

「ホントにありがとうございますコマさん!どうかよろしくお願いします!」


 覚悟の上、だなんてちょっと大げさな言い回しに少しだけ違和感を覚えたけど。これ以上ないくらい頼りになるコマさんの協力を得ることに成功する私。これで私も琴ちゃんをメロメロの骨抜きに出来ちゃう歴戦のテクニシャンになれたも同然だね!


「それでは時間も惜しいですし早速始めようと思いますが……その前に小絃さま。一つだけ断っておきたい事があります」

「へ?あ、はい何でしょうか?」


 と、勝ちを確信してテンションが上がっていた私に。コマさんは未だかつて見たことがない深刻な顔でそう切り出す。そのあまりの真剣さに私も姿勢を正し、生唾を飲み込んでコマさんの次の言葉を待つ。改まって何だろう……?なんか緊張するな……


「……キスの練習に付き合うとは言いましたが。ですが小絃さま……」

「は、はい……」

「間違っても練習として私とキス……なんて事だけは、絶対にないようお願いします」

「はい。…………はい?い、いやいや!?しませんってそんな事!?」


 あまりの荒唐無稽なお願いに声を荒げてそう宣言する。確かにコマさんは私のタイプにかなり近い琴ちゃん似の美人さんだし。キスが上手な人と直接キスを試してみれば上達も早いかもしれない。……それでも。どんな事情があろうとも、そんな愚行はしない。絶対にしない。

 なぜかって?そりゃ決まっている。


「(そんな事になったら……マコ師匠が本気で私の息の根を止めに来るだろうし……)」

「(そんな事になれば……琴さまが私を殺処分しに襲いかかってくるでしょうし……)」


 私だって(そして恐らくコマさんだって)、自分の命は惜しいからね。


「それを理解して頂けているのであれば問題ありませんね。それでは早速キスの練習をしてみましょうか。自分一人でも出来るキスの練習はいくつかあります。キスシーンのあるドラマや映画を見てタイミングを覚えたり。鏡の前でエアーキスしてみたり。雑誌などでキスの知識を高めたり。あと自分の指や食べ物を使って…………あ、そうだ」

「……?コマさんどうしました?」


 そう私に丁寧に説明してくれるコマさん。その説明の途中で何かを思いついたのか持って来ていた荷物を開けてそこから何かを取りだした。


「ちょうど良かったです。小絃さまと琴さまのお土産にと持って来たのですが……まさかこんなところで役に立つとは」

「何ですこれ?」

「さくらんぼです。職場でたくさん頂きましたので、折角なのでお二人にも分けようと思いまして。良かったら召し上がってください」

「あ、これはどうもご丁寧に……」


 コマさんが差し出したのはタッパーいっぱいに入った瑞々しいさくらんぼ。これはとっても美味しそうだ。わざわざ来て頂いた上にこんなお土産まで持って来て貰えるなんてコマさんは良い人だなぁ……

 ……それはそれとして。なんでこのタイミングでお土産を渡してきたんだろう?


「……ふふふ。小絃さま、不思議そうなお顔をしていますね。なんでこのタイミングでお土産を渡してきたんだろう?ってお顔に書かれていますよ」

「あ、あはは……わかりやすいですかね私?」

「その様子だとご存じないようですね。さくらんぼのヘタを結ぶやつなんですが……」

「???」


 さくらんぼのヘタ……結ぶ……?何それ?そんな事をして一体何になるんだ……?困惑する私をよそに。コマさんはさくらんぼを一つ取る。実を食べ器用に種を出し、そして残ったヘタを……何故か口の中に含んでこう続ける。


「あくまで俗説なのですが。舌でさくらんぼのヘタを結べる人はですね、キスが上手いと言われているんです。舌を使ってさくらんぼのヘタを結ぶのは……それなりの技術が必要でして。それが出来る人ほど舌が柔軟に、かつ繊細な動きが出来ると言うことになるんです。そしてその技術があれば……キスも上手いんだとか」

「へぇ……」


 そんな俗説があるんだ。全然知らなかったよ。まあその理屈はなんとなくわかる。わかるけど……


「……不可能では?」


 こんな細くて短いヘタを、手も使わずに口の中で結ぶ?いやいくらなんでも無理でしょ……そりゃそれが出来るならキスも当然上手いに決まっているだろうけど……


「そうでもありませんよ。舌って思った以上に器用に動きますもの。慣れれば…………ほら、この通りです」

「え!?嘘、ホントに結ばれてる……!?コマさんすっご……!?」


 無理だろうと高をくくっていた私の前で、コマさんは口をもごもご動かして数秒後に色っぽい赤い舌を私に見せてくれる。驚くべき事にその舌の上には、見事に輪っかになったさくらんぼのヘタが乗せられているではないか。さ、流石歴戦のキス魔……


「いえいえ。私なんてまだまだですよ。私のマコ姉さまは舌だけで蝶結びが出来ますし」

「どんな舌使いしてるんだ師匠は……」


 蝶結びて……それはもはや凄いを通り越してキモいレベルだわ……


「と、まあこの通りです。キスは奥が深いので、これが出来たからと言ってキスが上手いってわけでもないと個人的には思いますが……それでもまあ、技術的な向上にはそれなりに役立つかもしれませんよ」

「な、なるほどです。わかりました!やってみましょう!何事も実践は大事ですもんね!」


 とりあえず折角なので試してみることに。口の中にさくらんぼのヘタを投入し、見よう見まねで舌を動かしてみる。


「舌でヘタを折り、曲げやすくしてから結び目を作るんです。ここが一番難しいところではありますが……結び目さえ出来れば後はヘタの先端を結び目に通して、きゅっと引き締めれば完成です」

「ぐ、むむむ……?…………ぬ、ぐぅ……この……!」


 言われたとおりに必死に舌を動かしてヘタを結ぼうとする私。けれどどれだけ動かしても結べる気配が全くない。簡単そうにやってのけたコマさんを見て私だって出来るかもと一瞬でも思ったのが大間違いだった模様。ちょっとこれ……無理ゲーじゃね……!?ヘタだけに下手過ぎだろ私……


「あはは……はじめては難しいですよね。大丈夫です。力まずに焦らずゆっくりと。あくまでもキスの練習をしている事をしっかり意識しながらやってみてください」

「ふ、ふぁい……」

「琴さまとキスしている時の事を思い浮かべて。ヘタを琴さまの舌と思ってください。優しく舌で舌をリードするんです」


 悪戦苦闘する私にコマさんがそんな素晴らしいアドバイスをしてくれる。なるほど、琴ちゃんと……キスしている時の事を思い浮かべるか……琴ちゃんと――


『小絃お姉ちゃん……好き……だいすき……』


 なんて可愛い事を良いながら、最強に美しいお顔を近づけて唇を突き出してくる琴ちゃん。


『ん、ちゅ……ちゅ……』


 その艶美な美貌を堪能しながら私は自分の唇と琴ちゃんの唇の距離をゼロにする。


『お姉ちゃん……おねえちゃん……』


 吸い付き、絡まり合う舌。その度に唾液が混ざり合い、ぴちゃりぴちゃりと淫らに響き渡る水音。互いに高まり合う体温と昂ぶる気持ち……

 そんなキスを想像するだけで……口の中いっぱいに唾液が溢れてきた。自然と私はそれをゴクリと飲み込んで…………あっ。


「…………」

「……?小絃さま?どうなさいましたか?なんだか顔色が……」

「唾液ごと、さくらんぼのヘタ……飲んじゃった……」

「あ、あらー……」


 琴ちゃんとのキス(妄想)に興奮しすぎて、さくらんぼのヘタ結びのことなどすっかり頭から抜け落ちてしまっていた私は勢いよくヘタを飲み込んでしまった。……おなか痛くならないかな……大丈夫かな……?

 キスの練習は始まったばかりだけど……前途多難である……

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