168話 フラッシュバック
~Side:琴~
私の愛しのお姉ちゃん、小絃お姉ちゃんからデートにお誘いされた。しかもお誘いされるだけに止まらず、お姉ちゃんがデートプランを立案しリードしてくれると言う。突然の事だったし、何よりも普段はこっちからお姉ちゃんにお願いしてお出かけするだけに……正直に言うとすっごく驚いた。
そんなお姉ちゃんのデートは……当然と言えば当然だけど楽しかった。ううん、楽しかったなんて一言で表現するのが勿体ないくらい素敵な時間だった。折角のデートだからとお姉ちゃんに手を取って貰って、恋人繋ぎで街中を歩く。それだけでむず痒くて甘ったるい初恋のような気持ちを思い出せた。優しい言葉をかけられる度に、名前を呼ばれる度にクラクラと頭が蕩けそうになった。お姉ちゃんお手製のお弁当をあーん♡して貰えば幸せすぎてそれだけでお腹いっぱいになった。気になっていたシュシュを買ってくれて、それをお姉ちゃんに付けて貰った。とてもよく似合うよと褒めて貰えて……照れくさかったけどめちゃくちゃ誇らしかった。
『ごめんね琴ちゃん。ちょっと庶民的過ぎたかな?』
私をリードしてくれるお姉ちゃんは恥ずかしそうにそう言っていたけれど、とんでもない。私にとってはどこもかしこもどんな高級リゾート地よりも新鮮で輝いて見えた。見るもの全てが新鮮で、新天地に赴いたようなワクワク感で溢れていた。
それが例え……遠い昔にお姉ちゃんと共に来た場所であっても。
『ある程度見て回ったし。それにそろそろ時間も時間だし。次行くところで最後にしよっか。琴ちゃんもそれでいいかな?』
そんなお姉ちゃんとの幸せなデートも、そろそろおしまいの時間となったらしい。お姉ちゃんのそんな一言に……一瞬身を竦ませてしまう私。次に行くところが最後。それはつまり――そういう事なのだろう。
『ごめん……折角なら……ちょっとだけお化粧直しする時間を貰っても……いいかな?』
今の私の精神状態では、とてもじゃないけどその場所に行けそうにない。早速私を連れて行こうとするお姉ちゃんに断りを入れ、適当な理由を付けて近くのトイレへと駆け込む私。
「ハッ……ハァ……っ、うぅぅ……」
胸に手を当て呼吸を整えながら、誰も居ない女子トイレの鏡を覗き込む。鏡に映った私の顔は顔面蒼白で、今にも泣き出しそうなほど臆病に目元が揺れていて。とてもじゃないけど、デートを楽しんでいるような顔には見えない。
……お姉ちゃんとのデートが楽しいと思う気持ちは決して嘘ではない。本当に楽しかった。お姉ちゃんと過ごす時間は一分一秒が奇跡のようで、かけがえのない一時だった。
けれど……私は、楽しさと同時に……その感情とは正反対の感情を抱いていた。あろうことか、この私が。音羽琴が。お姉ちゃんと過ごす時間が辛いと――心の奥底で感じてしまっていた。
「…………最初に公園、次に小物屋。駄菓子屋に音楽ショップと来れば……なら最後に行く場所は……やっぱり……あの場所……だよね……」
なんとなく。お姉ちゃんがデートに誘ってくれた時点でなんとなくだけどわかっていた。今日お姉ちゃんが誘ってくれたのは、デートだけが目的ではない事を。お姉ちゃんが私に何を求めているのかを。
お姉ちゃんにリードされてそれは確信に変わった。お姉ちゃんが私を連れて行ってくれたのは……どれも私が幼少期、お姉ちゃんと一緒に行った場所。お姉ちゃんとの思い出が詰まった場所ばかりだったから。
「…………お姉ちゃんは多分、私にトラウマを克服して欲しいんだ」
反射的に自分の身体を両腕で抱きしめる。今から行くであろう場所を想像すると、どうしても震えが止まらない。今まで私は……逃げていた。その自覚はちゃんとあった。優しいお姉ちゃんは『お姉ちゃんとして、あの日の琴ちゃんとの約束を守らなくちゃね。あのお店で琴ちゃんに似合うお洋服買ってあげるよ』と、何度かそこへ行こうと誘ってくれたけど……何かと理由を付けてはその場所に近寄らないようにしていた。
だって怖かったから。思い出したくなかったから。行けば否が応でも思い出してしまうだろう。あの日の惨劇を。あの日から毎晩夢に見るあの悪夢を、より鮮明に思い出してしまうだろうから。
「…………わかってる。このままじゃダメなことくらい……私だってわかってる」
ここ最近、自分の心がコントロール出来なくなる事が多くなってきていると……自分でも思う。些細な事でも小絃お姉ちゃんに何かあったら気が気でなくなる。お姉ちゃんの動向を常に監視しておかないと不安な気持ちに押しつぶされそうになる。挙げ句、お姉ちゃんを監禁して……徹底的に管理して。自由を奪い自分のモノにする――そんな妙にリアリティのある夢まで見る始末だ。このままでは遅かれ早かれ、私はお姉ちゃんを……
元を正せば私の心の弱さが起因なのだろう。その弱さの原点はあの場所――お姉ちゃんが事故に遭った、お姉ちゃんが私を庇ったあのファッションショップ前の横断歩道だ。だからその場所に行けば、その場所で自分の弱さと向き合えば。解決の糸口が見つかるかもしれない。……私も、そんな聡明なお姉ちゃんの考えは理解出来る。
「……行かなくちゃ」
そんな中、お姉ちゃんがくれた折角のチャンス。これはものにしないわけにはいかない。もう怖いとか何とか言っている場合じゃない。……しっかりしなさい音羽琴。貴女はもう、お姉ちゃんに守られるだけの幼子ではないのよ。愛しき小絃お姉ちゃんに相応しくなれるようにと成長した……お姉ちゃん好みの大人の女性なのよ。
そう自分に言い聞かせ、軽く顔を洗い化粧を整え直してからトイレを後にする。
「お、お姉ちゃんお待たせ!ごめんね遅くなって!」
そこまで時間はかけなかったつもりだったけど、それでもデート中だというのにお姉ちゃんを待たせてしまった事実は変わりない。空元気も元気のうちということでなるべく明るい声を発しつつ、お姉ちゃんが待ってくれているであろう場所へと駆ける私。
けれど……
「…………あ、れ?お姉……ちゃん……?小絃お姉ちゃん……?」
先ほどお姉ちゃんと別れた場所に戻ってみると、そのお姉ちゃんがどこにもいないではないか。もしかしてトイレとか?……ううん、トイレは私がつい今しがたまで居たからそれはない。だったらどこか近くのお店にでも入って私を待っている?いいや、この近くに店らしい店は……少し離れた例のファッションショップくらいだし……まさかあまりに待たせすぎて怒って帰っちゃったとか……?いや、でもあのお姉ちゃんがそんな事するなんてとても――
そんな私の思考をかき消すように、突然私の目の前を救急車が走り抜けていった。けたたましいサイレンの音。それは高から低へと奇妙に歪むドップラー効果を生み出していた。忙しく回る救急灯の赤い光。赤い影を投げかけてそれは私をも赤く染める。
「ぇ……ぁ……」
その瞬間。あの日の光景が、頭の中に隠していた記憶が……蓋をして見ないようにしていた記憶が。洪水のようにより鮮明に溢れ出す。あのサイレンの音を覚えている。ピクリとも動かなくなったお姉ちゃんを連れて行った……私を置き去りに遠くへ連れて行ったあの救急車を覚えている。あのサイレンの赤い光を覚えている。お姉ちゃんの血で濡れた私を更に赤く照らすあの赤を覚えている。
「お、ねえちゃ……おねえちゃん…………どこ……?」
うまく息が出来ない。目の前をチカチカとフラッシュバックする光景。現実と過去の映像が交互に明滅して、正常に視界が機能していない。ただただ私の足はふらふらと前へ前へと歩みを進める。ここにはいないお姉ちゃんを探して歩み続ける。
「コイトおねえちゃん……どこ……」
気づけば私は信号機のない横断歩道の前に立っていた。ああ……この場所も覚えている。お姉ちゃんに連れられて、お姉ちゃんに手を引かれて渡った場所だ。
記憶の中のお姉ちゃんに手を引かれるように、そのまま私は一歩足を前に出す。小絃お姉ちゃんを見つけるために……ただただ前に――
「「「「あ……危な――!?」」」」
悲鳴に近い叫び声が、遠くで聞こえた気がした。と、同時に……鋭いクラクションの音が空気を震わせた。ぼんやりした頭で音の発生先を見ると――眼前にはもの凄い勢いで迫る何かがあった。
ああ、懐かしい。この感覚も……覚えている。絶体絶命のこの感覚も……自分一人では避けようのない絶対的なこの感覚も……ちゃんと覚えている。痛いかな?痛いだろうな……でも……いたくてもいいや。だって、ほんとうは……このいたみはわたしがうけるべきものだったはずだもん。ばちがあたったんだよ、おねえちゃんの10ねんをうばったばちが。でもこれでもとどおり。むしろ……おねえちゃんといっしょのいたみをもらえるならそれで……
私はそのまま目を閉じて、次に訪れるであろう痛みに備える。次の瞬間私の身体はふわり、宙を舞い――
「こっ、とっ、ちゃぁああああああああん!!!」
「ぇ……」
私の身体が宙を舞う直前。聞き慣れた、とても安心する声が私の耳に届いていた。その声が届くと同時に私は何者かに身体を抱きかかえられ。一瞬の浮遊感を味わう。直後ゴロゴロとアスファルトの上を転がって、横断歩道の先で止まっていた。
予感していた痛みはおろか、アスファルトの上を転がった際の痛みすらない。せいぜい服が汚れた程度。それもこれも……私を全力で庇い、クッションになってくれた人がいたから。
「…………うそ」
その人は……私の下敷きになり、地面に静かに横たわっていた。苦悶の表情を浮かべ、それでも私に傷一つ付けまいと必死に私を抱きしめていた。
小絃お姉ちゃんが、あの日のように。私を庇って横たわっていた……
「お姉ちゃん……小絃お姉ちゃん……!?いや、何で……!?どうして、また……そんな……いや…………いやぁあああああああ!!?お姉ちゃん!コイトおねえちゃん……!」
再び過去と現在の映像が重なる。最悪の記憶が、最悪の形で再現される。私は必死に呼びかけるけど、お姉ちゃんは横たわったままその場からピクリとも動かない。どうして……どうして……!?私、また……またお姉ちゃんを……
「ば、バッカヤロウ!?急に飛び出しやがって……!お、俺のせいじゃないからな……!?そ、そっちが勝手に……急に飛び出したりするから……!」
そんな中、私たちを轢きかけた車から厳つい男の人が文句を言いに降りてきた。その人も相当動揺しているようで、私たちをそんな強い口調で責め立てて――
ガシッ
「…………なにが」
「「ぇ……」」
「何が、俺のせいじゃない、だ……何が勝手に、急に飛び出したりするからだ…………」
「え、いや……は……?」
「おねえ、ちゃ……?」
「――横断歩道は歩行者優先だろうがよぉ!?貴様、危うくうちの琴ちゃんが怪我するところだったじゃねぇかアァン……!?」
「ひ、ひぃっ!?」
――そして、突然再起動したお姉ちゃんに。見事に胸ぐらを掴まれていた。
「免許証ちゃんと持ってんのか貴様!?横断歩道の前に歩行者がいたなら、減速&一時停止が基本でしょうが!?そのルールを守らないばかりか、琴ちゃんに怪我をさせかけて……しまいには琴ちゃんに文句まで言ってくるだぁ……?貴様のその腐った根性叩き直し、ついでに交通ルールも空っぽの頭に叩き込んでやるから覚悟しろやおらぁあああああああ!!!」
「ひぎゃぁあああああああ!!?」
ただ呆然と、お姉ちゃんとその男の人のやり取りを眺めるだけしか出来ない私。止める間もなく激怒しているお姉ちゃん。
えと……あの……これって、私の幻想とかじゃ……ないよね……?私が事故に動転して……頭の中のお姉ちゃんを具現化してるとか……そういう感じじゃ……ないんだよね……?
「それと琴ちゃん!」
「ひゃ、ひゃい……」
「琴ちゃんも気をつけないとダメでしょうが!前々から言ってたよね?横断歩道を渡るときは、ちゃんと左右確認して手を上げて渡りなさいって!もう……二度としないでね!お姉ちゃん心臓が止まるかと思ったじゃないの!何とか間に合ったから良いんだけどさ!」
男の人をシメ上げながら、お姉ちゃんは私にそんな厳しい口調で……私の事を想った、とっても優しい事を言ってくれる。……ああ、間違いない。これはお姉ちゃんだ……夢とか幻想なんかじゃない。間違いなく、生きたお姉ちゃんだ……
「…………あの、おねえちゃん……」
「んー?何かな琴ちゃんや?言っておくけど今日という今日は私も怒って――」
「…………ごめんなさい、ちょっと……今だけはこうさせて……」
「ふぉ……!?ふぉおおおおおおおお!?え、何!?なんでそんな急に大胆なハグを……ど、どこでこんな甘え方を覚えて……!?」
「お姉ちゃん……おねえちゃん……コイト、おねえちゃん……!」
「えっ……え、えっ!?こ、琴ちゃん泣いてる?泣いてるの!?も、もしかして痛かった!?どっか怪我した!?そ、それとも……この交通ルール無視男が怖かった!?おのれ貴様ァ!!!よくもうちの琴ちゃんを怖がらせやがったな……明日の朝日は拝めないものと思いやがれってんだこん畜生がぁあああああああ!!!」
感極まった私は、お姉ちゃんの胸に飛び込んで必死にお姉ちゃんを求め続ける。昔のように、子どもの頃のようにお姉ちゃんの胸の中でお姉ちゃんの名前を呼び続け、泣きわめく。ごめんなさい、小絃お姉ちゃん。お説教なら……後でいくらでも受けます。
だから……今だけは。今だけはどうか……こうさせてください……
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