156話 脱走作戦その2(実行編)
夜も更け静けさが深まる中、紬希さんに託された作戦を決行する私。
「――琴ちゃん、琴ちゃん。ごめん……ちょっと起きて貰ってもいいかな」
「んぅ……?お姉ちゃん……?」
まずは多少の申し訳なさを感じつつも、心を鬼にしてぐっすり眠っていた琴ちゃんをゆさゆさと起こしてみる。
「どーしたの……お姉ちゃん。もう朝……?私、また寝過ごした……?」
「ううん。まだ夜中だよ。ごめんよ、気持ちよく眠っていたのに起こしちゃって。ちょっと琴ちゃんにお願いしたいことがあってね」
「お願い?んー、なぁに?」
寝ぼけ眼をこすりながらムニャムニャと愛らしい様子を見せてくれる琴ちゃん。そのお顔を全力で我が脳内に刻みつけ付けながら、紬希さんに言われたとおりに琴ちゃんにこう言ってみる。
「実はお姉ちゃん……ちょっと喉渇いちゃってさ。悪いんだけど飲み物が欲しいんだ」
「お飲み物?あ……そうだよね。今日はあれだけいっぱい汗とかかいたもんね。そりゃ喉も渇いちゃうよね」
「……ソダネ」
いや、汗かいたっていうか……かかされたっていうか。より正確に言うと欲情した琴ちゃんに身体中から色んな汁を絞り取られたっていうか……ま、まあそれは一旦置いておくとしてだ。
「気が利かなくてごめんねお姉ちゃん。用意しておけば良かったね」
「う、ううん。いいの。それよりも……何か飲ませてくれないかな。あと……出来れば……」
「出来れば?」
「琴ちゃんさえ良ければ……琴ちゃんに……その。く、口移しで飲ませて貰えると……嬉しいなーって……」
「…………ッ!?」
半覚醒状態だった琴ちゃんは、私のそんなおねだりにカッと目を見開いて一気に覚醒する。私の肩を掴み、ハァハァと息を荒くしてそのまま押し倒される勢いで迫られる私。
「まさか……まさかお姉ちゃんがここまで私に積極的になってくれるなんて……!ああ、やっと……素直になってくれたんだねお姉ちゃん!うん、うん!任せて!すぐにお飲み物持ってくるからね!持ってきたらお姉ちゃんが満足するまでチューしてあげるからね!」
「あ、ああうん……ありがと琴ちゃん……」
琴ちゃんは興奮気味に私にそう伝えた後、嬉々として開かずの扉の前へと駆ける。扉の前まで琴ちゃんが立つと同時に、無機質な機械音声が流れ出した。
『解錠パスワードをどうぞ』
この部屋は私が脱走しないようにと、マッドサイエンス母の(余計な)手によって魔改造され夜間の間はオートロックで施錠されている。だからもしもこの部屋の外に出たい場合は――
「小絃お姉ちゃんは世界一可愛くて綺麗でエッチな私だけのお嫁さん♡」
「……」
『音声コードを確認しました。解錠します』
この通り。琴ちゃんの声紋認証で解錠して貰うしか出られないのである。……なんかパスワードが随分と独特だった気がするって?気のせい。
「それじゃお姉ちゃん!すぐ戻るからちょっとだけ待っててね!」
「ご、ごゆっくりー……」
部屋から出た琴ちゃんはスキップするように部屋から出て行く。琴ちゃんの足音が遠ざかるのを聞き耳を立てながら確認し、完全に離れたところで急いでちゃんと録音できているかどうかシーツを被り密かに確かめてみる。
『小絃お姉ちゃんは世界一可愛くて綺麗でエッチな私だけのお嫁さん♡』
「…………よしっ!」
スマホから聞こえてくるのはついさっき聞いた琴ちゃんのクリアな美声。どうやら上手くいったようだ。先ほど琴ちゃんが解錠した際、紬希さんの指示通りにこっそり録音しておいたのである。
「……ホント、スマホ様々って感じ。便利な世の中になったもんだよなぁ」
昔はこういうことするならボイスレコーダーとかわざわざ買う必要あったのに。今ではスマホ一つあれば大抵のことが出来ちゃうんだよね。私が眠りこけてた10年でこんなにも……改めて技術の進歩というものをしみじみと実感しちゃうわ。
「とにかくこれで全ての準備は整った。後は……脱走するだけだ……!」
さて。本当なら今すぐにでもこのキュートな琴ちゃん録音ボイスを使ってこの部屋から、そしてこの家から抜け出したいところだけれど。今はまだその時じゃない。今出たら完全に目を覚ました琴ちゃんに即捕縛されるのがオチだ。
『――脱走するのは琴ちゃんの声を録音してから……最低でも2,3日は空けておいた方が良いと思います。ただでさえ察しが良く、小絃さんの事を熟知している上に……警戒心が非常に高くなっている今の琴ちゃんに『わざわざ私を深夜起こしたのは何か理由があるのでは?』と勘づかれてしまう恐れがありますからね。すぐにでも琴ちゃんを元に戻したくて歯がゆいと思いますが……我慢ですよ小絃さん。急いては事をし損じる、です』
紬希さんのためになるアドバイスを心の中で反芻する私。急いては事をし損じる……良い言葉だ。紬希さんの言うとおり、ここで焦って逃げ出しても聡明な琴ちゃんに察せられる可能性が大だ。私の場合やると決めたら後先考えずに実行してしまう猪突猛進なところがあるし……その性格を熟知しているであろう琴ちゃんは普段以上に警戒している恐れが高い。
琴ちゃんの今後の為にも失敗は許されない。機を見て最高のタイミングで脱走しなければ……
「――お姉ちゃんお待たせ!お飲み物いっぱい持ってきたよ!」
「う、うん!待ってたよ!ありがとうね琴ちゃん!」
大量の飲み物を携えて戻ってきた琴ちゃんをにこやかに出迎えながら覚悟を決める私。……さあ、ここからは我慢比べの時間。勝負だよ、琴ちゃん……!
◇ ◇ ◇
それから3日ほど日が流れ……
「…………すぅ、すぅ……」
「…………」
夜のしじまに、琴ちゃんの規則正しい寝息だけが聞こえてくる。
「……琴ちゃん、起きてる?」
「…………すぅ」
念のため小声で琴ちゃんに声をかけてみる私。けれども琴ちゃんはピクリとも反応を示さない。もしも起きているのなら、普段の琴ちゃんならどんな私の囁き声でも一発で聞き取って何かしらの反応を見せてくれるはず。ということは……
「(ようやく、絶好のチャンス到来か……!)」
この3日間は中々隙を見せてくれなかった琴ちゃん。私が少しでも深夜動こうものなら、
『どうかしたお姉ちゃん?また喉渇いたの?』
『もしかしてお腹空いちゃった?』
『眠れないの?だったら本でも読んであげようか。それとも軽い運動でもして汗を流してから眠ってみる?』
と、何かある度に瞬時に目を覚ましては私の動きを封殺していた。それでもいずれ隙は出来るハズと粘りに粘ってから……ようやく見る事が出来た琴ちゃんの油断。深い眠りについた琴ちゃんを目の当たりにして確信する。今こそ動くときであると。
そうと決まればうかうかしていられない。いつ琴ちゃんが目を覚ますかわからないわけだし、脱走作戦を実行に移さねば。極力音を立てぬよう細心の注意を払いつつ、鉄格子で覆われた部屋の唯一の出入り口へと足を運ぶ。
『解錠パスワードをどうぞ』
出入り口に立った途端に自動的にそんな要求をしてくる扉。手早くスマホを取りだして、数日前に録音した琴ちゃんの声を再生させる。
『小絃お姉ちゃんは世界一可愛くて綺麗でエッチな私だけのお嫁さん♡』
扉に聞こえるようにスマホを近づけ、解錠の時を待つ。……いけるか?琴ちゃんの声を実際に録音しているとは言え機械越しの声だ。無駄に凝っている母さんが作り上げたシステムだし変に難癖付けて解錠されないかも……
今更ながらそんな不安な気持ちが急にわき上がる中、その扉は私に判決を言い渡す。
『音声コードを確認しました。解錠します』
「(っしゃぁ……!)」
カチャリと音を立て、ゆっくりと開いた扉を前に心の中で思わずガッツポーズを決める私。上手くいった……!流石あや子なんぞとは格が違う……!ありがとう紬希さん……!
「(……っと、いけない。喜んでいる場合じゃない。琴ちゃんに気づかれる前に早く脱走を……!)」
浮かれかけた心に鞭を打ち、気を取り直して素早く部屋を抜け出る私。いくら最大の難所をクリア出来たとはいえ、まだまだ囚われの身であることには変わりない。遠足は家に帰るまでが遠足。そして脱走は家から逃げ出すまでが脱走だもの。
次は玄関の鍵を入手するために金庫のある部屋へと急ぐ。慎重に、冷静に。スパイ映画とかでよく見るような主人公になりきって、抜き足差し足忍び足。
「(金庫の解錠ダイヤルは……確か、琴ちゃんが絶対に忘れないと豪語した番号……)」
急げ、急げ。早く、早く……焦りながらも震える指でダイヤルを回す。正直あんまり記憶力に自信の無い私には金庫番号を覚えるなんて至難の業……なはずなんだけど。
「(解除番号は……私の誕生日、っと…………よし、開いた!)」
こと、この金庫に関してだけはまず間違えるはずもない。琴ちゃんが大事な金庫はお互いに絶対に忘れない番号……つまりは私の誕生日と同じ番号に設定してくれたお陰で、流石の忘れっぽい私でも簡単に開けられた。琴ちゃんのそんな気遣いと、私への愛の重さに感謝しながらも。中に入っている大量の鍵を根こそぎ手に持つ。
「(最後…………玄関の扉をこれで開ければ……!)」
玄関は用心に用心を重ねた琴ちゃんによって、普通の鍵だけでなく……外付けの頑丈な鍵がいるところに取り付けられてしまっている。それを全て外さなければこれまでの努力が水の泡だ。
ラストスパートと自分を鼓舞し、一つずつ解錠を試みる。よくぞここまで念入りに取り付けたなと感心しながらも……一つ、また一つと開けていき――そして。
カシャン!
「…………これで、最後……ッ!」
気が遠くなる程の数の鍵を開けていき……ようやく最後の鍵が解錠される。解錠と同時に重い鉄の扉がゆっくりと開いていき、数日ぶりに見るであろう外からの光が扉の隙間から漏れ出していた。
やった……!やったぞ私……!これでようやく琴ちゃんを正気に戻せる……!外から入ってくる光に包まれながら、私は歓喜に沸きつつ家から飛び出し――
…………ん?あれ?ちょっと待って。外からの……光?なんで?どういうこと?おかしくない?
だって……今確か……深夜のはず……だよね……?
パッ!
「…………ッ!?まぶし……!?」
そんな疑問が頭をよぎった次の瞬間。私の目に飛び込んできたのは、目が眩む程の光量を放つ無数のサーチライト。
『警告、警告。許可無き者による扉の解錠が認められました。警戒のため一度閉扉いたします。警告、警告。許可無き者による扉の解錠が認められました――』
「…………んな……!?」
その光に怯む私の耳には、そんなけたたましい警告音と……重たい扉が独りでに閉まっていく音が一緒になって届いてきた。許可無き者による扉の解錠って…………ま、まさか琴ちゃん……こうなることを予想して、予め準備を……!?
ヤバい、このまま閉められたら全てが終わる……!瞼を閉じても届くような光を全身に浴びながら。なんとか扉だけは身体を張ってでも……足だけでも扉に挟んで――
「――ふ、ふふふ……鬼ごっこは楽しかったかなお姉ちゃん?でも……もうおねんねする時間はとっくに過ぎてるよ。…………いっしょに、お部屋に、帰ろうね」
「~~~~ッ!!!?こ、こここ……琴ちゃ――」
「色々と言いたい事はあるけれど……とりあえず。おやすみなさいお姉ちゃん♡」
いつの間にか真後ろから聞こえてきた、最愛の人の……背筋が凍るような甘ったるい声。振り返る間も与えられず、口元にふわりとハンカチが当てられて…………直後強烈な眠気が私を襲う。
立っていられなくなった私は、後ろから琴ちゃんに優しく抱き留められる。薄れゆく意識の中、それでもと私は必死に手を伸ばすけれども……眼前の扉は重苦しい音を立てながら無情にも閉まっていった。それはまるで……私の今後の行く末を暗示しているかのようだった……
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