112話 鼻血芸(?)を受け継ぐ者

「——ごめんね小絃お姉ちゃん。今日は10時からちょっと野暮用があってね、一時間程度お姉ちゃんのお世話が出来ないと思うの。寂しい思いをさせちゃうことになって本当にごめん」


 いつものようにぐーすか寝てた私を優しく起こし。いつものように私のリハビリに付き合って。そしていつものように私の為に特製の美味しい朝ご飯を振る舞ってくれた琴ちゃん。

 琴ちゃんに甘やかされまくったそんな至れり尽くせりないつもの朝を送っていたところで、申し訳なさそうに琴ちゃんは私にそう謝ってきた。


「あ、ああうん。大丈夫だよ、ちゃんと聞いてたし……」

「……?あれ?私、お姉ちゃんに今日予定があるって言ってたっけ?」

「あっ……!?い、いやなんでもないの!気にしないでっ!」


 思わず口が滑りかけ慌てて誤魔化す私。いけない……早くもヒミツの計画が頓挫するところだったじゃないか……気をつけないと。


「そう?お姉ちゃんがそう言うなら気にしないけど……とにかく用事は急いで終わらせるからね。テレビでも見て待っててねお姉ちゃん」

「う、うん……ご、ごゆっくり……」


 私の挙動不審な言動も『いつもの事』と言わんばかりに軽く流してくれた琴ちゃんは、食器を洗い終わるといそいそ自分のお部屋へと向かう。


「…………(コソコソ)」


 そんな琴ちゃんを見送った——フリをした私は、抜き足差し足忍び足で琴ちゃんの部屋の前まで忍び寄る。

 音を立てぬように細心の注意を払いつつ、扉をわずかに開けひっそり中を覗き見る私。そんな私の瞳に映ったものは、


「(ほわ……ほわぁあああああ!!!)」)」


 今まさに、お化粧中の琴ちゃんの姿だった。



 ◇ ◇ ◇



『……あ。そーいや明日Web会議入ってたんだった。ちょうど良いから小絃さん。折角だしあいつの仕事ぶりを見てみたら?』


 つい昨日の事だ。たまたま琴ちゃんの職場の上司さんであるヒメさんに会った私は、彼女からそんな耳寄りな情報を頂いていた。Web会議……10年の時を経て進化した通信技術のお陰で、距離や場所を超えて今や自宅で気軽にお仕事できる時代になっていたらしい。いやはや、科学の進歩って凄いよね。

 いやまあ、通信技術の進化自体は割とどうでも良いんだけど。それよりも何よりも、私にとって今一番大事なのは……


「(……Web会議って事は……琴ちゃんのお化粧したお姿とか。琴ちゃんのスーツ姿とかは勿論…………琴ちゃんが凜々しくお仕事しているところをこの目で見られるって事じゃないの……!)」


 お仕事している琴ちゃんは、以前職場見学させて貰った時にじっくりと見せて貰っていた。あのプレミアムな光景をうちでも楽しめるなんて……そんなの想像しただけでご飯三杯は軽くイケルに決まっているじゃない……!

 そんなわけでヒメさんの提案に乗り気になった私は、琴ちゃんにバレないように琴ちゃんの仕事ぶりを覗き見——もとい、見守ることを決めたのであった。


 …………え?ところでなんでそんなストーカーみたいに隠れてこそこそ琴ちゃんの様子を見る必要があるんだって?そりゃ勿論琴ちゃんがお仕事に集中できるようにという配慮に決まっているじゃないですかハッハッハ。

 決して。お化粧&お着替え中の琴ちゃんが見たいから——なんて不純な動機ではない。ないったらない。



 ◇ ◇ ◇



「(自宅とは言え、偉い人たちも集まる会議らしいし……真面目な琴ちゃんならきっと身だしなみを整えるためにも化粧はするだろうって睨んでたけど……ビンゴだわ……!)」

「~~~~♪」


 勿論自宅での会議という形式上、すっぴんのまま会議に臨む可能性だってあったけれど。私の読み通りきっちりと琴ちゃんは化粧をしていた。

 ドレッサーの前に座り、邪魔にならないようにと長く美しい髪を後ろに縛って鼻歌交じりにお化粧している琴ちゃん。化粧水、美容液、乳液にファンデにetc.……端から見たら何が何やらさっぱりな多種多様な化粧道具を巧みに使い仕事の顔へと変えてゆく。ベースメイクが終われば今度はアイメイク。眉を整え迷いなくラインを引きマスカラを塗ればあら不思議。いつも私に見せる優しさの塊みたいな慈愛の目付きから働く凜々しい女性の目付きに早変わり。リップメイクも忘れない。リップクリームでしっかり保湿しライナーで縁取り輪郭を取った後は、唇に沿って橋から中央へはみ出す事なく丁寧に塗っていく。


「はっ、ハーッ!ハァアアアア……ッ!」


 そんなお化粧中の琴ちゃんの様子を、廊下に跪き視姦していた私は……早くも息と鼻息を荒くし必死に悶え声を溢すのを堪えていた。


「(やだ……うちの琴ちゃん美人過ぎじゃない……!?)」


 美男美女のお父様お母様の良いところを全て引き継いだ琴ちゃんは私から言わせて貰うと化粧なんて必要ないほどに、肌も眉も目元も血色も髪もその全てが完成された(私の好みドストライクな)綺麗な顔立ちをしている。すっぴんだろうがなんだろうが、世界一綺麗で可愛い自慢の従姉妹だ。


「(め、滅茶苦茶キラキラ輝いてるぅうう……ッ)」


 けれど……私は化粧というものを甘く見ていたらしい。私に見事に化粧をしてくれた実績もある琴ちゃんのメイクの腕前は知っていたつもりだった。けど……琴ちゃん自身がお化粧するとまさかここまで凄いなんて良い意味で予想外。

 ビジネスマナーに則ったナチュラルメイクのハズなのに、ラメやツヤ感を出すような化粧なんてしてないのに。実際に化粧をした琴ちゃんを見ると……すっぴんとはまた違った魅力が……如何にもデキるOLって感じの魅力が溢れ出ているではないか。それでいて濃すぎず薄すぎず、琴ちゃん本来の魅力を一切損なわない絶妙な仕上がりで一種の感動すら覚える。


 そしてその素晴らしい化粧の出来映え以上に心惹かれるのは……


「(あの、琴ちゃんが……社会人として立派にお化粧しているなんて……ッ!)」


 思い出すのは小さかった頃の琴ちゃん。『コイトおねーちゃんのおよめさんにふさわしいレディになるもん!』と意気込んで皆に内緒でお化粧チャレンジし、その結果——口元から血が出ているのではと錯覚するくらい口紅で真っ赤に染まった唇。貴重な乳液を出し切ってベトベトになった手。ファンデーションとチークを使いすぎておかめさんみたいになった顔——琴ちゃんのお母さんのお化粧道具を勝手に拝借しあえなく失敗しちゃって……珍しくしこたま怒られていたあの頃が懐かしく感じる。

 そんな琴ちゃんが、今ではこんなに大人の雰囲気を醸し出しながら完璧にお化粧していると思うと……姉としては大変感慨深いし、そして何よりも……興奮する。子どもだと思っていたあの子が、ちょっと見ない間に見た目だけじゃなく中身も一人前のレディになったんだって実感出来て……凄く、すごくいい……


 琴ちゃんの化粧そのもの以上に、琴ちゃんの化粧中の仕草に興奮を覚えるなど我ながら中々に業が深いと思わなくもないけれど……で、でも仕方ないでしょ……!?なんかドキドキするんだもの……!?


「(お、落ち着け……クールになれ私……下手に騒いだら琴ちゃんに気づかれる……)」


 ひとしきり悶えに悶えたところで一度大きく深呼吸。い、いけない……ちょっと冷静にならないと。こんなところを琴ちゃんに見られたら、なんて言われるか——


「あの……小絃お姉ちゃん?そんなところで蹲って、どうしたの?」

「…………」


 もうとっくに気づかれていた件について。

 

 深呼吸を終え呼吸を整えたところでふと視線を上げると。酷く心配そうな表情で、ハァハァしながら蹲っている私を見下ろす琴ちゃんがそこに立っていた。


「だ、大丈夫?もしかして立ちくらみでも起こした?ひょっとして具合が悪いんじゃ……」

「だ、大丈夫ダイジョウブ!?ちょ、ちょっと靴紐が解けちゃって結んでただけだから気にしないで!?」

「え……でもお姉ちゃん。それスリッパだから靴紐なんてないような……」

「ほ、本当になんでもないの!それじゃ!」


 まさか化粧してる琴ちゃんの盗み見てましたと正直に言えるはずもなく。慌てて言い繕ってから逃げ出す私。危なかった……なんとか誤魔化しきれて良かった……(※誤魔化せていません)


「(つ、次は……もっと注意して覗き見ないと……)」


 琴ちゃんに不審がられないためにも、少し時間を空けてから再度琴ちゃんの部屋の前へとノコノコやって来た私。

 この時点ですでにストーカーみたいだな私……なんて思いながらも溢れ出る恥的……じゃない知的好奇心には勝てず。先ほど以上に慎重に扉を開け、そして中を覗き込む。すると……


「(フォォオオオオオオオウウウウ!!!)」


 そこには、心の中で魂の雄叫びを上げざるを得ない素晴らしい光景が目の前に広がっていた。


「(生スーツ!琴ちゃんの、生スーツぅ!!!)」


 私の目に映るのは、姿見の前でスーツをビシッと着こなしている琴ちゃんのお姿。それに一目で心奪われ、バレたらヤバいという認識を忘れかけるほどに私は狂喜乱舞しかけていた。

 ……すでにご存じかもしれないが、私は琴ちゃんのスーツ姿が大好物。琴ちゃんもその事はとっくの昔に知り尽くしているようで、お勉強教えてくれる時とかは私の好みに合わせてスーツを着てくれる徹底ぶりだ。だからスーツ姿自体は見慣れているっちゃ見慣れているハズ……なんだけど。


「(だがしかし……しかーし!)」


 それでもやっぱり今から仕事するって時のスーツ姿は格別なんだと声を大にして言いたい。何度も言わせて貰うが……コスプレじゃない本物というプレミアム感があるわけだし。

 と、誰に説明しているのか自分でもわからないそんな言い訳じみたどうでも良い解説をしていたところで。琴ちゃんは姿見の前から離れ、自分のベッドに腰掛ける。そして……


「んっ……しょっと……」

「(ッッッ!!!?)」


 そのまま琴ちゃんはゆっくりした動作でストッキングを履き始めた。手にしたストッキングを少しずつたぐり寄せ、つま先を合わせたら足の甲から足首まで丁寧に引き上げる。それが終われば反対側の足も同じように合わせていって両足が揃ったところで足首からふくらはぎ、ふくらはぎから膝、股下、ヒップ……交互に引き上げて——


「フー……フー!フゥウウウウッ!」


 一連の動作にただただ私は身を乗り出し、食い入るようにマジマジと凝視する。琴ちゃんのそれは……圧巻の脚線美だった。すらりとした脚、太ももやふくらはぎの悩ましい曲線。足の指のバランスの良い配置……どれもかれもが眼福過ぎる。なんていうかその……ご馳走様です……!

 そしてそれらを全て包み込む、黒の透過性の高いストッキングがまた琴ちゃんの美脚を更に魅惑的に映って見える。組み換え、弧を描き、琴ちゃんの足が私の目の前で踊る。徐々に生足がストッキングに包まれていくそのさまは、あまりにも芸術的すぎて私の脳は沸騰寸前。


「……あ、やべ」


 その証拠に。ポタポタと何か水音が聞こえるなとふと目線を下に送ると……案の定と言うべきか。廊下に真っ赤な花が咲いていた。花というか……私の鼻から出た血痕なんだが。

 流石に琴ちゃんの部屋の前に血痕を残してしまっていたら、言い逃れが先ほどよりも難しくなる。慌てて証拠隠滅を図るべく、ポケットに入れていたハンカチを使いそれを拭う私なんだけど……


 ぽた……


 ふきふき


 ぽたぽた……


 ふきふき


 ぽたぽたぽた……


 ふきふきふき


「(キリがないんだけど……!?)」


 我ながら呆れるくらい興奮しているのだろう。拭いても拭いても尽きることなく溢れて出る琴ちゃんへの想いはなぢ。這いつくばり必死に拭き取っても次から次へと滴り落ちる。

 く、くそ……こんなところで足止め食らってる場合じゃないってのに……!


「い、急がないとまた琴ちゃんに見つかっちゃうじゃないの……!」

「――私がどうかしたのお姉ちゃん?」

「…………へ」


 そうやって悪戦苦闘して周囲に対しての警戒を疎かにしていたのが仇になった。知らぬ間にそんな声が頭上から聞こえてくる。

 その声につられて顔を上げた私の目に飛び込んできたのは……扉を開けて不思議そうに私を見下ろす琴ちゃん。這いつくばって床を拭いていたせいで私の視界いっぱいに、つい先ほどから穴があくほど見つめていた黒のストッキングに包まれた琴ちゃんの足が見えていた。


「…………」

「お姉ちゃん?」

「感、無量…………(プシャァアアアアアアア!)」

「ッ……きゃ、きゃぁあああああああ!?」


 ついでに……本来角度的に見えるはずのないスカートの中……ストッキング越しの光景もくっきりハッキリ見えていた。

 瞬間、嘘みたいに私の鼻から放出される琴ちゃんへの熱く醜い私の欲望。さっきまでのエンドレス鼻血がまだ可愛く見えるレベルで……まるで消防ポンプのように放水……いや放血開始。


「お、お姉ちゃんなんなのその出血は!?い、今すぐ止血を……ううん、これは救急車呼ばなきゃダメだよね!?ま、待ってて!今すぐに呼ぶから!?」

「だ……だい、じょうぶ……ただちょっと……(琴ちゃんに)のぼせただけだから……」

「のぼせただけでそんなに出血するわけないよ!?どう考えても何かの病気だよ!?」


 ……その通りだよ琴ちゃん。キミのお姉ちゃんは病気です。……ヘンタイという名の不治の病持ちですごめんなさい……

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