102話 二人の魔王、降臨する

 これ以上紬希さんと一緒に居るとボロが出る……と言うか。ボロが出る以前に紬希さんに興奮したあや子の身体に意識を乗っ取られかねない。そんなわけでこれ以上は危険と判断し、緊急避難的に紬希さんから逃げ出した私は……あや子の仕事場であるスポーツクラブの温水プールへとやって来た。

 ちなみに私は当然ながらあや子と違いインストラクターの経験などない。一応仕事の名目でここには来たものの……インストラクターの仕事なんて出来っこないしどうしたものかと心配だったんだけど。つい先ほどあや子に浸食されそうになり正気に戻ろうと咄嗟に頭を壁に打ち付けて、その時に出来た怪我のお陰で……


『そんな怪我した状態じゃプールになんて入れないし仕事も出来ないでしょ。今日はインストラクターの仕事はしなくていいから伊瀬さんは監視員の仕事だけしておいて』


 と、あや子の上司から直々にそうお達しが出された。監視員くらいなら予備知識のない私でも仕事出来そうだし、文字通り怪我の功名って奴だね。

 なお、どうでも良い余談だが。仕事に入る前にあや子の上司ならびに同僚の皆々様から——


『いいですね?わかっていますね?絶対に子どもたちに手を出さないように』

『伊瀬さん、またスキンシップと称して教え子に過激なボディタッチをして保護者に頭を下げるような事はしないでくださいよ』

『YesロリータNoタッチの精神を忘れないでね。あんまり酷い時は警察か……嫁さんを呼ぶからそのつもりで』


 ——と、口を酸っぱくして職員全員に警告を出されたことをここに記しておく。負の意味であや子の信頼感がすっごい。普段から何をやらかしているのかが手に取るようにわかるわな。


「いやぁ、しかしながらこんなに早く再びここに戻ってくる事になるなんてね」


 思わずそう独りごちる私。この間、職場見学として訪れた時にちょっとした(?)トラブルのせいでここの温水プールには出禁扱いになってしまっていた。まさかこんな形で舞い戻る事になるとは……どうせ来るなら琴ちゃんとまた一緒に来たかったなぁ……

 ところでだ。私が出禁された事とは関係ないと思うけど、


『本プールでは過激な暴力・過激な風紀に反する行為・はお断りしています!発見次第出禁いたします!』


 と、以前来た時にはなかった注意勧告があちこちに貼られているのがちょっと気になった。他二つの注意はともかく過度な鼻血芸って……これ私の事じゃないよね?ないよね……?


「「「あや子せんせー!こんにちはー!」」」

「はーい、こんにちは。今日も皆、元気そうで何よりね」


 そんな事を考えながらプールサイドでプールの監視員もどきをしていると。あや子の教え子さんらしき女の子たちが元気に声をかけてきた。


「せんせーどうしたの?いっしょに泳がないの?」

「あや子ちゃん、今日はわたしに平泳ぎおしえてくれる約束だったよね?」

「先生水着着てない!わすれものしちゃったの?あたしの貸してあげよっか!」

「あはは……いやぁ、悪いわね。実は先生、ちょっとドジって転んで怪我しちゃってさ。今日は皆と一緒に泳げないのよ。ごめんね」

「「「ええっ!?」」」


 私の……いやあや子の姿を見た途端、女の子たちは一斉に集まって口々に話しかけてくる。その勢いと若さに圧倒されながらも怪我をした事を告げると、びっくりした顔で女の子たちは更に迫ってきた。


「せんせー、ケガしちゃったの!?」

「いたい?だいじょうぶ?」

「あたしがいたいのいたいのとんでいけーしてあげるね!」

「あ、ああうん……ありがとうね皆」


 心配そうに私を見つめたり、泣きそうな顔で『だいじょうぶ?』と言ってきたり、怪我をした額を優しく摩りながら『痛いの痛いの飛んで行け』をしたり。ホントあや子の奴教え子さんたちに慕われているんだなと改めて理解する。

 心底信じがたい事ではあるんだけど、大柄で口も悪くその上気持ちの悪いロリコン女の癖にあや子って妙に子どもたちに慕われるんだよね……だからこそ余計にたちが悪いんだけど。


「ぎゅーってしたら痛いの治るかも!はい、せんせー!トクベツにぎゅーってしてあげる!」

「キズは舐めたほうが早くなおるんだよね。あや子ちゃん、わたしたちがぺろぺろしてあげるね!」

「えー?ぺろぺろよりもちゅーのほうが、あや子せんせーよろこぶでしょ?そうだよねせんせー」

「…………ええっと」


 それはそれとして。慕われることは良いことではあるとは思うんだけど……一言言っても良いだろうか。

 …………流石に、慕われすぎじゃないかコレ?


「こ、こらこら貴女たち。そんな事しなくていいのよ。わ、私は大丈夫だから。元気いっぱいだから」


 いくら何でも『ぎゅー』も『ぺろぺろ』も『ちゅー』もアウト過ぎる。気遣われることはありがたいと思いつつも、やんわりとその申し出を断る私。すると女の子たちは目をぱちくりさせて首を傾げてこう答える。


「でもあや子せんせーは、いつもあたしたちがケガした時とか『ぎゅー』も『ぺろぺろ』も『ちゅー』もやってくれるよね?」

「マジでいつも何やってんだあのロリコンクズ犯罪者……ッ!?」


 事案だった。もうやだこの悪友……

 よし決めた、これ以上このロリコンを野に放つのは危険すぎる。都合が良いことに今の私は伊瀬あや子だ。元に戻る直前に警察に行って自首しよう。自首した後ですぐに元の身体に戻るとしよう。


「えんりょしなくていいんだよせんせー。はい、ぎゅー!」

「こうすればいつもあや子ちゃんよろこんでくれるでしょ!」

「ちゅーしてあげるね。それとも……あたしにちゅーしたい?いいよ、あや子せんせーにならあたし……ちゅーされても♡」


 そう決心している間にも、あや子に悪い事を教えられた女の子たちの猛攻は続く。引っ付き、抱きつき、あまつさえキスまで強請ってくる始末。


「(そして女の子たちに触れられる度に……このロリコンの身体が無駄に反応しやがって……)」


 私の名誉のためにも言っておくが、私の好みのタイプは落ち着いた大人のスタイル抜群なお姉さん。小学生に興奮しちゃうような、あや子みたいなロリコンでは断じて違う。

 ……だと言うのに、私の意思に反して。あや子の脳が、身体が、全身が。迫る女の子たちに反応を示してくるからマジで困る。


『可愛い女の子たちとイチャイチャしたぁああああああい!!!』


 と、煩悩が叫び。私の思考を塗りつぶそうとしてくる。紬希さんに余計な事をしないように、そして思考まであや子にならないようにとここに来たって言うのに……こ、これじゃあ何のために紬希さんから距離を置いたのかわからなくなるじゃん……!寧ろ、こっちの方が手を出したらアウトな奴じゃん……!


「だ、だめ……ダメよ皆……おねがい、やめて……」

「「「…………」」」


 迫る女の子たちから顔を背け、半泣きしながら身を竦ませて弱々しくそう言うしか出来ない私。そんな私の一言に、女の子たちは目を見開き止まってくれた。

 あ……良かった。聞き分けが良い子たちで助かった。


「ご、ごめんね皆。でもホント……これ以上は色々マズいの。お願いだから今日のところは勘弁して——」

「「「なんか、今日のあや子せんせー……可愛い♡」」」

「…………へ?」


 ……可愛い?


「いつもはぐいぐいくるけど……今日のせんせーって」

「う、うん。いつもはかっこいい感じだけど、なんかかわいい……よね」

「えへへっ!なんかよくわかんないけど……今日のせんせーはよわよわなんだね!」


 ギラギラとした小学生とは思えない怪しげな目つきで。にんまりと悪そうな笑みを浮かべ。じりじりとにじり寄ってくる女の子たち。あ、あの……皆々様……?


「ねえみんな。せっかくだし、今日はせんせーに仕返ししちゃおっか」

「そだねー、いつも『くすぐったいからやめて』って言ってもあや子ちゃんぎゅーするのやめてくれないもんね」

「だいじょうぶ……ちょっとだけ……うん、ちょっとだけだからねあや子せんせー……いたくないからねー……」

「ひっ……!?」


 ぜ、前言撤回……聞き分け、全然良くなかった……!


「「「と、言うわけで……あや子せんせーカクゴー!」」」

「い、いやぁああああああ!!?」


 知らぬ間に壁際に追い込まれ、逃げ場をなくしていた。そんな私に一斉に飛びかかってくる女の子たち。

 禄に抵抗する手段を持たない私は、ただただ情けない声を上げ襲いかかる女の子たちに為す術も無くもみくちゃに——







 ゾクゥ……!



「~~~~~ッ!!!?」


 ——もみくちゃにされるその刹那。言いようのない謎の奇妙な感覚に襲われて、全身鳥肌が立つ私。


 琴ちゃんを守った時に味わった、肉を裂き身体中が冷たくなるあの痛烈な痛みにも似た……いいや、あの時以上の抗うことも許されない絶望のような絶対的恐怖。そのせいで全く身動きが取れなくなっていた。まるで心臓を鷲掴みにされ、脊髄に刃を突き刺されたような……そんな錯覚に冷や汗が止まることを知らない。

 な、何故……?こ、こんな平和そのもののプールで……何故こんな生命の危機レベルの恐怖に苛まれているんだ私は……!?


「い、いや……なにこれ……こわい……こわいよぉ!」

「う、うわぁあああああああん!おかあさぁああああん!!?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」


 どうやらその恐怖を味わっているのは私だけではないようで。つい先ほどまで嬉々として私に飛びかかろうとしていた女の子たちも私と同じように謎の恐怖にパニックになっていた。お陰で彼女たちから襲われずには済んだけど……今はそれどころの話じゃない。ある子は真っ青になりながら震え上がり、ある子は全力で泣き叫び、ある子は虚ろな目で譫言のように謝罪の言葉を口にしている。

 そんな女の子たちを必死に宥めつつ、恐れおののきながらもその恐怖の出所を探ってみると……私の背後から、二つの黒く冷たく巨大で禍々しい……殺気にも似たオーラが発せられている事が背中で感じ取れた。

 息苦しい、心臓が痛い、この場にいたくない、今すぐ逃げ出したい。全身のありとあらゆる細胞がそう叫ぶ中。恐る恐る振り向いた私の目に映ったのは…………


「……ふふ、ふ……随分と、楽しそうだね君たち」

「……ダメですよ皆さん。私のお嫁さんに手を出そうとするなんて。人の物を取ったら泥棒なんですよ」

「琴、ちゃん……紬希……さん……」


 魔王が二人、降臨されていた。


「「「きゃぁああああああああ!!?」」」」


 ゆっくりと歩いて近づいてくる琴ちゃんと紬希さん。その二人を目にした途端、恐怖に駆られた女の子たちは一斉に……蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。後に残ったのは、二人の笑顔のまま瞬き一つしない視線に居すくまれて指一本動かせないでいる私だけ。

 そんな蛇に睨まれた蛙状態の私に対し、二人は同時にやれやれといった顔でため息を吐き。そしてこう告げるのであった。


「ダメだよ。いくら今のその身体はあや子さんのものだからって、隙だらけなのはよくないよ。危うく寝取られちゃうところだったじゃない。もうちょっと自分が誰の嫁なのか……その自覚を持って貰わなきゃ困るよ

「まったくです。琴ちゃんの言うとおり、困りますよ。いくら入れ替わっているとはいえ……それでも今の貴女はあや子ちゃんなんですから。知らず知らずのうちに浮気されてたとか笑えませんよ。以後気をつけて下さいね

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