77話 なんでもない琴ちゃんの一日(昼)
~Side:琴~
「ふぃーっと……今日はこんなもんかな?」
不幸な事故に遭い寝たきりになって10年。その10年分のブランクを取り戻そうと、目覚めてから毎日欠かすことなく小絃お姉ちゃんはリハビリを続けている。今日もしっかりメニューを終えたお姉ちゃんは、ベランダで大きく背伸びをしながら額の汗を拭っていた。
「お疲れ様小絃お姉ちゃん。汗かいたでしょ?タオルあるよ」
「おー、琴ちゃん。サンキュー。いつもいつも気が利いて助かるよー」
家事の傍ら陰ながらお姉ちゃんを見守っていた私は、リハビリが終わったタイミングでお姉ちゃんにタオルを持ってくる。
「ああ、お姉ちゃんはそのままじっとしてて。私が拭いてあげるから」
「え?い、いやいいよそんな事までしなくても。それくらい自分で出来るし……」
「だーめ。お姉ちゃんはまだまだ病み上がりで、それもリハビリ直後でお疲れだろうし。これくらいさせてよ。ね?いいでしょ?」
「で、でも……あ、汗臭いだろうし……そんな事を琴ちゃんにさせるのは申し訳ないって言うかなんて言うか……」
「……?お姉ちゃんはおかしな事を言うよね。汗臭いから申し訳ない?そこが良いんじゃないの」
「……ああ、琴ちゃんがますます私と同じダメな思考回路に……どこで育て方を間違えたんだ私は……」
そんなこんなでしばらく『私がやる』『いいや私が』と問答を繰り返す私とお姉ちゃんだったけど、結局いつも通り『わ、わかったよ……お願い琴ちゃん』と、お姉ちゃんが折れて私に委ねてくれた。
委ねられたからには誠心誠意真心込めてお姉ちゃんの汗を拭き取ってあげる私。白く美しい素肌に浮かんだ、日の光を浴びて光る汗。舐め取りたい衝動を抑えながら、それを優しく丁寧に拭き取ってあげる。
「お姉ちゃん、今日も精が出るね」
「そりゃ精も出るってもんよ。何せ約束したからね。元気になったら琴ちゃんと色んなところに旅行に行くって。約束守るためにも一日でも早くまともに動けるようになりたいからさ」
「お、お姉ちゃん……!」
爽やかにスポーツドリンクを飲みながら、そうさらっと嬉しい事を言ってくれる小絃お姉ちゃん。リハビリを頑張る一番の理由が他でもない私の為ってところ……そういうところ、昔からホントに好き。大好き。
「や、約束守ろうとしてくれる事は嬉しいけど……でも無茶だけはダメだからね?私は……いつまでも待つから。いつまでも待てるから。何せ私は10年お姉ちゃんを待ち続けた実績があるんだからね。いくらもで気長に待つよ」
「ははは、そうだったね。ま、あんまり待たせすぎてお互いお婆ちゃんになっちゃったら元も子もないし。来年——ううん、今年中には旅行が出来るくらいには身体の調子整えとくよ」
「うん。楽しみにしておくね。……はい、汗拭き終わったよお姉ちゃん」
「ありがとね琴ちゃん。すっきりしたよ」
「どういたしまして。あっ、タオルは私が責任もってお洗濯しておくから安心してね」
「……とか言って。まーたその回収したタオルをあとでこっそりクンクンするつもりじゃなかろうね琴ちゃん?私の汗で汚れたものの臭いを
嗅がれるとか……汚いからやめてと毎度毎度言ってるのに……」
「…………あはは、しないよーそんな事」
「だったらどうしてその可愛いおめめを必死に逸らしているのかね琴ちゃんや?」
そんな楽しい雑談をしながら、ベランダに置かれたベンチに二人で腰掛ける私とお姉ちゃん。
「いやぁ、それにしてもさ。なんかひっさびさに平和な一日って感じがするねー」
おもむろに小絃お姉ちゃんは青空を眺めながらそんな事を呟いた。
「最近はあや子のアホとマッドな母さんに散々振り回されまくったからね。こういうなんでもない日が凄く尊いものに感じちゃうよね」
「ふふ、私は賑やかなのも嫌いじゃないけどね」
「いやいや琴ちゃん。お姉ちゃんは限度ってものがあると思うの。紬希さんみたいに邪魔しないお淑やかな人ならいつでも大歓迎なんだけどさぁ……あの二人は賑やかを通り超してるじゃない。もはや災害レベルじゃない」
「あ、あはは……」
……お義母さんとあや子さんには申し訳ないけれど、声を大にして否定できないのが辛いところだ。
「その点、今日はあの厄介な連中は来ないわけだし平和そのものだよね。特に予定も入ってないし……琴ちゃんと二人っきりでのんびり出来るね」
「二人っきり……」
ちなみに私の方もたまっているお仕事もないし。今日は(今日も?)お仕事に行かなくても大丈夫な日。つまり……お姉ちゃんと一日中一緒にいられる日。
つまるところ、今日は邪魔する存在など何もなくお姉ちゃんと二人っきりと言うわけで……
「…………(ピトッ)」
「ッ!?こ、琴ちゃん……!?」
「……んー?なぁにお姉ちゃん。どうかしたの?」
お姉ちゃんと二人っきりというシチュエーションを意識したら、自然と身体が動いていた。お姉ちゃんに引っ付いて腰に手を回し、そのまま寄りかかって頭をお姉ちゃんの肩にもたれ掛けてみる。
「あ、あの……っ!?さ、さっきも言った通りリハビリして汗めっちゃかいてるから……汗臭いよ……!?て、てかお胸もあたって……!?」
案の定、お姉ちゃんはわたわたと私から離れようとするけれど。当然、腰に回した手でがっちりホールド。逃げられないし、逃がさないよお姉ちゃん♡
「これが良いの。お姉ちゃんが嫌じゃないならこのままでお願い」
「で、でもさぁ……」
「…………だめ?」
「……ぐっ、ぬぬ…………ズルいよね琴ちゃん。琴ちゃんにそう言われると、私拒絶出来ないの知ってるのに……」
上目遣いでお願いすると、お姉ちゃんは諦めた顔でため息一つ吐き。そのまま静かに私と同じように私の腰に手を回してくれる。……ズルくてごめんねお姉ちゃん。でも私……お姉ちゃんも私と同じように本心ではこういうことされたいの知ってるから……許してね。
そのまましばらくお姉ちゃんと、何をするでもなくただ二人でくっつき合う。青空と流れる雲をただただ眺め、髪を揺らす優しいそよ風が吹くのを感じ。時折二人で顔を見合わせては笑い合う……そんななんでもない穏やかな時間を楽しんでいた。
ぐー……
「あっ……!?」
「あら……?」
一体どれだけの時間が過ぎただろう。まだまだ暑い日が続いているとはいえ、汗をかいたままのお姉ちゃんが身体を冷やすのは良くない。そろそろお家に戻ってシャワーでも一緒に浴びようと進言しようとしたところで。愛らしい音色が聞こえてきた。
「あ、あの……琴ちゃんこれはその……」
「……ふふ。いっぱい運動してお腹空いたよね。ちょっと早いけどそろそろお昼ご飯の用意しようか」
私にお腹が鳴るのを聞かれたお姉ちゃんは、私に引っ付かれた時とはまた違う意味で顔を真っ赤にしている。本当にお姉ちゃんは可愛いなぁもう。
「そ、そうだ琴ちゃん!きょ、今日は私がお昼ご飯作ってあげる!な、なにか食べたいもののリクエストとかないかな!?」
お腹の虫が鳴ったのを誤魔化すように。小絃お姉ちゃんはそんな事を提案してきた。え……?小絃お姉ちゃんが、お昼を……?
「それは……凄く食べてみたいけど……で、でもお姉ちゃんリハビリでお疲れだろうし……わ、私が作っても良いけど……」
「大丈夫、だいじょーぶ!これもいいリハビリになるよ。朝ご飯は琴ちゃんに作って貰ったし、琴ちゃんさえ良ければ私に作らせてよ!」
笑顔でそう私に提案するお姉ちゃん。ここ最近、小絃お姉ちゃんはお仕事している私の力になりたいからと料理教室に通いながらお料理を作ってくれるようになった。元々お姉ちゃんは料理上手だったけど、料理教室に通い始めてからはまた一段とその料理の腕は磨かれていて……今では私よりも美味しくご飯を作ってくれる。
「……お、お姉ちゃんが良いなら……是非とも」
「うんっ!任せて琴ちゃん!」
お姉ちゃんに料理を振る舞いたい気持ちと、お姉ちゃんの手料理を口にしたい気持ちが天秤にのせられて。傾いたのはお姉ちゃんの手料理の方だった。
だ、だって仕方ないでしょう?お姉ちゃんの手料理ってことは……いわば(未来の)お嫁さんの手料理ってことだもん。そんなの食べたいに決まってる。
「ふっふっふっ……ついこの間、マコ師匠にマンツーマンで鍛えて貰ったからね。厳しく鍛えられた分、かなりレベルも上がったって自負してるし……きっと琴ちゃんも美味しいって言ってくれるはず。楽しみにしててね琴ちゃん!」
「…………うん、それは楽しみだけど。……また、その料理の先生なんだ……最近よくその先生の名前お姉ちゃんの口から聞くよね……そんなに凄い人なんだ……」
「うんっ!そりゃもう色んな意味で凄い人なんだよ!料理の腕はピカイチで教えるのも丁寧だし、色んな意味でも人生の先輩だから相談とか気軽に受けてくれるし!本当に良い師匠なの!」
「…………ふーん」
「あ!そうだ!琴ちゃんにも今度紹介してあげるよ!琴ちゃんも会えば師匠の凄さわかると思うよ!
「…………それは楽しみだね」
……それはそれとして。料理教室に通い始めてからというもの。小絃お姉ちゃんったら……料理教室の先生にぞっこんになっちゃっている。口を開けばマコ師匠、マコ師匠と……楽しそうにお話ししてくるから……正直面白くない。
……うん、私も是非とも会ってみたいなぁ………お姉ちゃんを誑かすその女にさ……
~一方その頃:どこかの双子宅~
「——それでねコマ!その料理教室の生徒さんなんだけどさー!もー、ホント面白い子なんだよ!料理の腕はまだまだだけど気概があっていつでも一生懸命でさ!なんか昔の自分を見ているみたいで、力になりたいなって思える不思議な子でね! 料理以外でも色んな意味で面白くてね!」
「…………マコ姉さま。またその教え子さまのお話なんですね……随分とお気に入りなんですね……」
「まあね!今度あの子もまた料理教室に来るからさ、その時はコマも見に来たらどうかな?きっとコマも気に入ると思うよ!」
「…………そうですか。それは楽しみです。私もお会いしたくなってきました…………姉さまを誑かす新たな泥棒猫に」
◇ ◇ ◇
「——はい、琴ちゃん。あーん♡」
「あ、あーん♡」
期待とちょっとの気恥ずかしさで胸を高鳴らせつつ、ひな鳥のように大きく口を開けて待つ。そんな私に小絃お姉ちゃんはちょうど良い大きさに切ったホットケーキを差し出してきた。
今か今かと待ちながら、ゆっくりとお口の中に侵入してきたホットケーキをパクリ。はちみつたっぷり塗されたそれはとっても甘くて、昔を思い出す懐かしい味がして——
「ど、どうかな琴ちゃん?おいしい?」
「…………とっても、美味しいです。それに……」
「ん?それに?」
「幸せすぎて、このまま昇天しちゃいそうです……」
「そ、それは言い過ぎでは……?てか、泣かなくてもこんなのいつでも食べられるでしょ……?それになんでさっきから敬語に……?」
だって……小絃お姉ちゃんの手作りで、しかもお姉ちゃんの『あーん♡』のオプションまで付いているんだよ?幸せの相乗効果で私の脳が焼き切れちゃいそう……
私のリクエストを聞いてくれて、私に手料理を振る舞ってくれた小絃お姉ちゃん。それだけでも涙が出ちゃうくらい嬉しかったんだけど……『いつも琴ちゃんにやられてるから仕返ししちゃうね』と笑って食卓につくなり『あーん♡』を仕掛けてきた。当然、避けることなんて出来ないし……避ける気なんて微塵もない。誘われるがままお口を開いて、次から次にお姉ちゃんに餌付けされるようにお姉ちゃんのホットケーキを頬張る。ああ、美味しい……幸せすぎてどうにかなっちゃいそう……
「にしてもさ琴ちゃん。折角リクエスト聞いたのに……食べたいものがホットケーキで本当に良かったの?折角料理多少は作れるようになったんだし……もうちょっと難しい料理とかリクエストしてくれて全然良かったのに」
「これで良いの。……ううん、これが良いの。お姉ちゃんとの思い出の味がする、このお姉ちゃんのホットケーキこそ至高の一品だよ」
料理教室で腕を磨いている小絃お姉ちゃんは私のリクエストに若干不満そうではあったけど。リクエストを聞かれて真っ先に思いついたのは『お姉ちゃんのホットケーキ』だった。
10年前もこんな風に、お昼とかおやつの時間になったらお姉ちゃんにお願いして美味しいホットケーキを作って貰っていた。食べるといつでも幸せな気持ちになれるお姉ちゃんの魔法のホットケーキ。
お姉ちゃんが昏睡状態になってから、口にすることが叶わなくなっていたこの味は。10年前と代わらずに色あせることなく私を幸せな気持ちにしてくれる。
「まあ、琴ちゃんが良いならそれで良いけどね。それよか琴ちゃん。冷めちゃうから早く食べちゃおう。はい、あーん♡」
「あーん♡」
そんな幸せをかみ締めながら、お姉ちゃんの手料理を心ゆくまで堪能した私であった。
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