64話 プールサイドで休憩中(あや子ちゃんの場合)

 ~Side:紬希~



 私のお友達、琴ちゃんの大事な人で……私の元患者さんの音瀬小絃さん。琴ちゃんを庇って瀕死の重傷を負いずっと寝たきりだった彼女は、絶望的な状態から10年をかけて琴ちゃんへの愛の力で目を覚ましました。

 そんな彼女は自分の足で立ち、昔みたいに琴ちゃんと二人並んで歩くことが夢なんだとか。私にとっても小絃さんは琴ちゃん同様に色んな意味でお世話になっている大切なお友達です。そんな彼女のささやかで尊い夢を是非とも叶えてあげたい、そう思った私は小絃さんをとあるスイミングクラブへ紹介することに——


 …………なんて。すごく尤もらしい建前を使わせて貰いましたが。実のところ、今日私がこのプールに来た理由の大半は別にあって……


「いやぁ、それにしてもラッキーね。仕事でもバカ小絃の顔と面倒を見なきゃいけないのは苦痛だったけど……そのお陰で可愛い紬希と仕事場でも会えるなんてさ。それもこれも、紬希があのバカと琴ちゃんにうちのスイミングクラブを紹介してくれたお陰よねー!」

「う、うん……そうだね……あはは……」


 上機嫌に笑うあや子ちゃんの隣で引きつった笑いを浮かべながら……内心ちょっぴり自己嫌悪な私。違うんです……逆なんですよあや子ちゃん。小絃さんを紹介したからあや子ちゃんと会えるんじゃなくて、あや子ちゃんに会いたいがために小絃さんを紹介したんです……


「(……ごめんなさい小絃さん、それに琴ちゃん。二人を体の良い言い訳に使っちゃって)」


 察しの良いお二人は、私の思惑に気づいていたようですが……改めて心の中で小絃さんと琴ちゃんに謝る私。小絃さんのリハビリの力になりたい気持ちは本当ですけど……どちらかと言うと……今日ここに小絃さんを呼んだのは、ただ単にあや子ちゃんの仕事の様子がどうしても気になって。でも一人では行けなくて……どうしても付き添いが欲しかったから。『小絃さんに水中リハビリを勧めた』って建前さえあれば、私があや子ちゃんの職場に顔を出しても変に思われずにすみますから……

 そんな面倒くさい建前を使わなくても普通に会いに行けば良いだけでは?と思われそうですが。『好きな人に会いたいから』って理由だけで職場に顔を出すなんて……恥ずかしいですし。ああ、いえ。勿論小絃さんたちを出しにしている時点で、すでに十分恥ずかしい事なんですけどね……


「……?紬希、どうかした?」

「あ、いえ……なんでもないです……そ、それよりあや子ちゃん。小絃さんのリハビリの調子はどう?」


 その恥ずかしさと後ろめたさを紛らわすように、私は休憩中のあや子ちゃんに小絃さんの調子を尋ねます。


「ん、まあまあってところね。あのバカは昔から琴ちゃんの事になると人が変わったみたいに真面目になるからね。相当にキツいハズのリハビリにもついて行けてるし……あの具合ならもう少しリハビリメニューのハードルあげても良いかもしれないわね」

「そうだね。小絃さんも根気よく真面目に毎日リハビリを続けているから……その成果が出ているのかもね。……とはいえ、まだ小絃さんは目覚めて半年も経っていないから。くれぐれも無理はさせない範囲で小絃さんに力を貸してあげてね」

「勿論言われるまでもないわ。だって下手にあのバカに無理をさせようものなら……琴ちゃんに最悪殺されかねないものね」

「いや、殺されかねないってそれは流石に大げさな……」

「……あの子ならやりかねないわ、間違いない」


 あや子ちゃんは琴ちゃんの事をなんだと思ってるんだろう……?


『お姉ちゃんも気づいたでしょ。あの人たちの視線』

『あ、ああうん。まあ見られているなーってのはわかるけど……それがどうかした?』


「……あれ?」


 と、そんな話をしていたまさにその時でした。私たちと少し離れたプールサイドで、話題の琴ちゃんと小絃さんの声が聞こえてきたのは。なんとなく気になって二人の様子を遠目で見てみると……なんだか琴ちゃんが怒っていて、それを小絃さんが宥めている……みたいに見えるんだけど……


「……ねえ、あや子ちゃん。なんか……琴ちゃんたち様子が変じゃない」

「んー?…………ああ、あれ?私も気になってさっきから少し観察してたけど……どうも小絃のやつが他のお客さんに見られているみたいなのよね」

「見られてるって……」


 あや子ちゃんに指摘されて私も周囲を見回すと……なるほど確かに。小絃さんたちの周りのお客さんが小絃さんに視線を送っているのが見えました。小絃さんをジッと見つめ、ヒソヒソ声で話をして、小絃さんと目が合うと慌てて離れて…………

 あれって……もしかしなくても小絃さんの事故の傷を見て嗤って——


「おっと紬希。変な邪推はしなくて大丈夫よ」

「え……?」


 と、少し嫌な気持ちになりかけた私の頭をポンポンと撫でて。あや子ちゃんは優しい声でそう言います。


「確かに数人はあいつの傷に驚いているようだけど……それもほんの一握りっぽいし。その人たちだって悪意があるわけじゃないわ」

「で、でも……」

「それに……ほれ、落ち着いて周りの声を聞いてみなさいな」

「うん……?周りの……?」


 あや子ちゃんに言われるがまま。ヒソヒソ話をしているお客さんたちに耳を傾けてみます。すると……


『ね、ねえ……勘違いだったら悪いんだけど……もしかしてあの子って……例の……』

『だよね、だよね!どこかで見たことあると思ってたけど……現代の眠り姫だよね!』

『確か……事故から身を挺して好きな人を守って……昏睡状態になったけど好きな人のキスで10年後に目を覚ましたんだよね。テレビで一時期話題になったよね』

『そーそー!それそれ!……聞いてみようかしら、貴女が眠り姫さんですか?って』

『い、いやよしなって……違ったらどうするのさ。それに……なんか良い雰囲気っぽいし邪魔しちゃ悪いでしょうが……』


 そんな声が私の耳に届いてきました。周りの他のお客さんも大体似たような話をしているみたい。これは……


「あいつ、良くも悪くもそれなりに有名だからね。あいつと琴ちゃんが遭った一連の事故は飲酒運転撲滅キャンペーンを促進させたし。従姉妹と再び会うために10年かけて目を覚ましたって話はセンセーショナルな話題で新聞やテレビで取り上げられて盛り上がったしさ」

「あ……じゃ、じゃあ小絃さん……悪く思われてると言うよりも、どっちかというと芸能人さんを前にした反応をされてる感じなの……?」

「まさにそんな感じね。……だから心配しなくても大丈夫よ紬希」


 あや子ちゃんのそんな一言に、私はほっと胸をなで下ろします。確かによくよく反応を見てみると、悪意を持って小絃さんたちに視線を送っている人たちはいないみたい。よかった……


「…………あ。それならそうと、小絃さんや琴ちゃんに教えてあげなくて良いのかな……」


 多分二人とも、私みたいに『小絃さんの傷を見られてる』って勘違いしてると思う。嫌な気持ちになってるだろうし……誤解はといてあげたほうが良い気がするんだけど……


「いーのよ紬希。小絃はあの程度で堪えるようなメンタルはしてないわ。鈍感な上に図太い性格してるし。それに……」

「それに?」

「見てみなさい紬希。あの二人を」


『好きな人が、好きでいてくれる証みたいなものだから……他の誰でもない、好きな人からこの傷が素敵だって思われてるなら……それで十分に幸せだなって……自分の良さは、好きな人だけに知って貰えてたら……それで良いかなって……さ』

『……ッ!お、お姉ちゃん……!』


「あの通り。どんな事でもイチャイチャする口実に使う連中だし心配しなくても大丈夫。つか、二人だけの世界に入っちゃってるし無粋な事は言わぬが華よ」

「う、うーん……本当に良いのかなぁ」


 ……まあ、確かにあや子ちゃんの言うとおり。二人とも凄く楽しそうだしそっとしておいても良いのかもね。


「——あー!あや子せんせーだー!」

「「ん?」」


 そんな事を考えていると。私たちの後ろからあや子ちゃんの名を呼ぶ声が聞こえてきました。あや子ちゃんと一緒に振り返ってみると。小学生くらいの子がトテトテとあや子ちゃんに駆け寄っています。


「あや子せんせーこんにちはー!」

「あらこんにちは。今日も元気いっぱいね。……ああ、でもいつも言ってる通りプールサイドで走っちゃダメよ。危ないわ」

「はーい、ごめんなさーい!」

「あや子ちゃん。この子って……もしかして」

「ああ、うん。スイミングスクールの生徒よ。……どうしたの?今日もプールに来たの?確か今日はスクールの日じゃないよね?」

「えへへー。今日はママとプールに遊びにきたのー!」

「そっかぁ。ホント泳ぐのが好きねぇ貴女」


 そのままスクールの生徒さんとお話を始めるあや子ちゃん。そんなあや子ちゃんの話を聞きながら……こっそりとあや子ちゃんを見つめてみます。


「(……お仕事中のあや子ちゃん……かっこいいなぁ……)」


 勿論いつものあや子ちゃんだって明るくて楽しくて、とても素敵だって思っているけれど。お仕事中のあや子ちゃんはまた別の魅力に溢れていました。


「(さっきの小絃さんと琴ちゃんの件といい……察しも良いし。何だかんだよく周りを見てるよね……それに面倒見も良くて、こんなちっちゃな子に慕われてて……あや子ちゃん凄いなぁ……)」


 小絃さんのリハビリに真剣に対応している姿。休憩中も常にプール全体に気を配り、問題が無いかしっかりチェックしている姿。生徒さんに好かれ慕われている姿。

 どれもこれも初めて見るあや子ちゃんの姿。どれもこれも素敵な姿。……困ったなぁ、これじゃあますますあや子ちゃんの事、好きになっちゃうじゃない。


「——あ、ママが呼んでる……せんせー、それじゃあさようならー!」

「はいはい、さようなら。また今度のスクールで会いましょう。今度のスクールは進級テストがあるから頑張るのよ」


 と、大好きな人の好きなところがまた増えたところで。ちょうどお話が終わったみたい。生徒さんは大きく手を振り自分のお母さんの元へ戻っていきます。


「ごめんね紬希、つい話し込んじゃった」

「ううん、良いの。私も……見てて楽しかったから」

「見てて楽しかった……?楽しい要素あったっけ?まあ良いけど」

「それよりあや子ちゃん。あ、あのね……今日のお仕事中のあや子ちゃんの事なんだけど——」


 素敵なところを見せて貰えたお礼に。今日はあや子ちゃんに『かっこよかったよ』とちゃんと素直に言ってあげよう。そう思い勇気を出そうとした私。


「あや子せんせー!」


 けれど私がそう言い終わる前に。どうしたことかさっきのあや子ちゃんの生徒さんがまたトテトテとあや子ちゃんの元に近づいてきました。


「あら?どうしたの?何か忘れものかしら?」

「あの……えっとね……こ、今度のテストであたしが受かったらね……」


 そうしてあや子ちゃんの前に立った彼女はというと、もじもじしながら頬を染め。そして……


『よく頑張ったね』のぎゅーってしてね!」

「あっ……!?」

「……はい?」


 よく頑張ったねの……ぎゅー……?


「あとね、あとね!なでなでもして欲しいし」

「ちょ……ま、待って……待ちなさい……」

「…………なでなで」

「あとはね!ちゅーもしてほしいの!」

「そ、その話は……また今度にしましょう、ね!ねっ!?」

「…………ちゅー」

「約束だよ、あや子せんせー!それじゃーまたね!」

「「…………」」


 そんな爆弾発言を、残して去っていきました。…………ほうほう。なるほど。あや子ちゃんは『いつも』あんな小さな子に『ぎゅー』したり『なでなで』したり……あまつさえ『ちゅー』をしているんですね……そうなんですね……


「…………あや子ちゃん?」

「い、いやあの誤解…………ご、誤解よ紬希。もしかしたら貴女なにか勘違いしているかもしれないけど、決して紬希が思っているような事は……誓ってなにも…………あ、あくまでも常識の範囲内のスキンシップしているだけで……」

「…………そうですか。ならちゃんと私がわかるような釈明を聞かせて貰いましょうか……」

「…………はい」


 今日は本当に、ここに来てみて良かったです。好きな人の好きなところが増えましたし…………それに。


「つ、紬希……釈明前に……絶対に、これだけは言わせて欲しいの」

「…………どうぞ」

「ちゅ、ちゅーと言っても唇にじゃないから!あくまでほっぺにだからセーフ!セーフよね!?」

「…………アウトです」


 バシィッ!!!


 どこかの浮気者の制裁も……出来るんですからね……

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