65話 浮き輪はただの萌えアイテムではありません

 琴ちゃんといちゃいちゃ楽しい休憩時間を過ごし、十分に英気を養った私。さあ残りの時間も気合いを入れてリハビリを頑張ろう!


「……さあ小絃。張り切ってリハビリの続き、始めるわよ……」

「どうでも良いけど、全然張り切って無いように聞こえるのは私の気のせいかね?あとそのほっぺたの紅葉マークは一体何なのさあや子」

「……聞くな」


 ……なんて、人が折角気合い十分に意気揚々とリハビリに望もうとしていると言うのに。指導者であるあや子は私とは真逆で何やら意気消沈している様子。さっきまで『嫁の紬希に私の良いところ見せられる!』って無駄に張り切ってたくせに今や見る影もない。

 まあ、その落ち込み具合と赤く腫らした頬を見れば、詳細など聞かなくても紬希さんを怒らせてビンタ食らってへこんでるって事くらいは簡単に想像出来るけどね。やれやれ……休憩時間のほんの数分で一体なにをやらかしたのやら。相も変わらずアホな奴だなぁ。


「何?まーた離婚の危機なわけ?私としてはあや子が紬希さんに愛想を尽かされてこっぴどく別れられるのは、それはそれで面白くてアリだとは思うけど……」

「……ブチのめされたいのかしら?」

「けどそれだと紬希さんが悲しむだろうし、紬希さんの為にも仲直りの手伝いくらいはやってあげてもいいよ」


 あや子のアホはどうでもいいけど、紬希さんには私も琴ちゃんも色々とお世話になっているからね。少しでも彼女の力になれるなら力になってあげたいもの。


「んで?今回は結局何をやったのさあや子。正直に言いなよ」

「…………その。大した事じゃないんだけど……」

「うん」

「教え子に……ちょっとしたスキンシップしてたのを……紬希にバレた」

「アホなの?」


 いや、疑問に思うまでもなくアホだったわコイツ。危惧してたとおり案の定教え子に手を出してるじゃねーか。そりゃ紬希さんも怒る。色んな意味で怒って当然すぎる。よくビンタだけで済ませてくれたよね……警察に突き出されても文句言えねーぞコイツ……


「ま、待ちなさい小絃!アンタも紬希も勘違いしてるっぽいからこの際言っとくけど……あくまでもスキンシップは常識的な範囲でやってた事だから!相手は小学生だし、合意の上だったし、なによりも私が愛してるのは紬希ただ一人だけなの!だから……だからセーフよね!?」

「アウトだよ」


 常識的も何も教え子に手を出してる時点でアウトだし、更にその教え子が小学生って時点でツーアウトだし、愛してるお嫁さんがいる癖に余所でつまみ食いしてる時点でスリーアウトであや子の人生ゲームセットだわ。


「ある意味想像通りだったけど、想像以上にアホ過ぎて頭痛いわ。力になるって言った矢先で紬希さんには悪いんだけど、未来ある教え子ちゃんたちの為にもやっぱあや子はここで警察に突き出して引導を渡しておくべきなんじゃないかと思い始めたよ」

「だから待ちなさい小絃!?この程度のことで警察の手を煩わせようとするんじゃないわよ!?」


 110しようとする私を必死に引き止めようとするロリコン。この程度のこと……?十分すぎるくらい犯罪的だと思うのは私だけだろうか……?


「やれやれ……ホントに昔も今もあや子ったら度しがたいロリコンで変態だよね。悪友として恥ずかしい限りだよ全く」

「その台詞、ド変態なアンタだけには言われたくないわよ……」

「いやいや謙遜しなさんな。いくらなんでもお嫁さんに似合うからって理由で、無理矢理スク水着せて……その上に浮き輪まで添えるあや子には負けるよ」


 昔以上に業が深くなった悪友を褒め称えてる私。そんな私にまだ納得がいかないと言いたげに、あや子は憤りを露わにする。


「それも待ちなさい小絃。アンタ……まさかとは思うけど、私が紬希にスク水着せて浮き輪を渡した理由が……私の趣味嗜好だからだとは思ってないわよね?」

「『紬希にスク水&浮き輪のコンボとか最上級の萌えよね!』——って理由以外、他に何があると?」

「それに関してはマジで誤解で偏見よ!?…………い、いやまあスク水に関しては確かに私の趣味が9割程入ってるけど……」


 だったら誤解も偏見もないじゃないか。


「でも違うの、スク水はともかくちゃんとした理由があるのよ」

「理由ねぇ……どうせ碌でもない事なんじゃないのぉ?」

「いいからちゃんと聞きなさい小絃。恥ずかしいことだからってあの子私たちに隠してたっぽいけど、紬希って多分——」



 ◇ ◇ ◇



 ~Side:紬希~



「…………はぁ」


 ひとしきりあや子ちゃんを説教してから。プールサイドで膝を抱えて落ち込む私。


「……紬希ちゃん、大丈夫?」

「あ……琴ちゃん……」


 そんな私にそっと寄り添ってくれるのは。私の一番のお友達の琴ちゃんでした。


「そんなに落ち込んで……もしかして、あや子さんと何かあった?喧嘩でもした?」

「……あ、あはは……よくわかったね琴ちゃん」

「そりゃあ、紬希ちゃんがそんなに落ち込む理由なんて一つだけだろうから」


 ……流石。よくわかってるね琴ちゃん。


「私で良いなら相談に乗るよ。何があったの?」

「……あー……えと、その。すっごく恥ずかしい話なんだけど……」


 察しの良い琴ちゃんには隠せないと諦めて。そのままさっきあった事を全部琴ちゃんに言ってみることに。あや子ちゃんが自分の教え子にちょっかいを出していたことも、それに怒って思わずビンタしてしまったことも……洗いざらい全部琴ちゃんに話してしまいました。


「…………と、まあだいたいこんな感じ。こんな時、私はどんな対応するのが正解だったのかな……?」

「……あー。今回の件に関しては、普通に引っぱたいて怒ってよかったと思うよ。……あや子さんったらもう……何やっているんですか」


 流石の琴ちゃんもあや子ちゃんの一連のあれこれには苦笑い。ポンポンと私の肩を叩いて慰めてくれます。


「ね、琴ちゃん」

「んー?どうしたの紬希ちゃん」

「…………私って、魅力無いのかなぁ」

「……どうしてそう思うの?」

「だってぇ……」


 話を聞いて貰えたついでで、思わず琴ちゃんに弱音を吐き出してしまう私。……だって、そう思わざるを得ないんだもん。


「結婚してても……あや子ちゃんが他の子に手を出しちゃうって事は……それだけ私に魅力がないって事でしょう?ここには……あや子ちゃんの好みの子がいっぱいいるだろうし……ちっちゃいだけが取り柄の私じゃ……」

「……んー」


 こんな事正直思いたくはないけれど。これじゃああや子ちゃんは私じゃなくてもよかったんじゃないかなって……思っちゃうじゃない……


「まあ、確かにここにはあや子さんの好みの子がいっぱいいるかもね」

「……だよねー」


 そうハッキリズバッと言いにくいことを言ってくれるのも琴ちゃんの良いところ。……ちょっと更に落ち込んじゃうけどね。


「でもね、紬希ちゃん。これだけは言っておくよ。あや子さんはね……誰でも良いって事だけはあり得ないと思う」

「……え?」

「あや子さんは……他の誰よりも、何よりも。紬希ちゃんの事大事にしているはずだよ」


 先ほどよりも更にハッキリと。琴ちゃんは何かを確信しているように私にそう言ってくれました。


「そう、だと良いんだけど……ねえ、琴ちゃん。琴ちゃんはどうしてそう思うの……?何の確証があってそんな……」

「わかるよ。だってあや子さん、紬希ちゃんの事一番に見てるんだもん」

「だから……なんで」

「例えばほら。その手に持ってる浮き輪。それってさ、あや子さんが紬希ちゃんに渡したものだよね」


 ……えっと?琴ちゃん、何故唐突に浮き輪の話に……?


「そういう気遣い出来るとことか。あや子さんが紬希ちゃんを大事に想ってる証拠だと私は思うんだ」

「えと……どう言うこと?これ、ただ単にあや子ちゃんが似合うからってくれたものでしょ?」

「うん、まあ似合うからって理由も勿論ありそうだけど。でもホントはもっと別の理由がああるからだよ。それをあや子さんが紬希ちゃんに渡したのってさ、紬希ちゃんが本当は泳げ——」


『『『プールだー!!!』』』

「「えっ?」」


 と、そこまで琴ちゃんが言いかけたまさにその時でした。私と琴ちゃんの背後からそんな声が聞こえてきたのは。

 一体何だろうと思わず振り向いた私と琴ちゃん。私たちの目に映ったのは……子どもたちがこちらに向かって駆け寄る姿。プールに興奮している子どもたちは無我夢中で。しかもお友達同士で話をしながら走っているせいで前を見ていなくて——


「「っ……!!」」


 咄嗟過ぎて避ける余裕なんてありませんでした。まるで弾丸のように飛んできた子どもたちと衝突して……脇腹に強い衝撃が走った次の瞬間には、琴ちゃんと共に私の身体は宙を舞い……


『プールサイドで走るのはやめましょう』


 子どもの頃、小学校のプールの授業で先生に口酸っぱく指導されたあの言葉。今になってどうしてあんなに真剣に先生たちが指導していたのかよく実感できました。こういう危険があるからなんですよね……

 そんな事をふと思いながら、私と琴ちゃんは……二人仲良く頭からプールの中にドボンと落ちていきます。


「(……ッ!まず、い……!)」


 折角紬希ちゃんに渡されていたのに。その浮き輪は空中で手放してしまい、水の中へと投げ出された私。反射的に息を吸い込もうとして水を飲み込み驚いて……そのせいで余計に口からも鼻からもゴボゴボとビックリするくらいの空気が失われていって……

 どうにか水上へ出なきゃと頭ではわかっているハズなのに。水の中で目も開けていられずに上か下かもわからぬまま、むやみやたらに手足をばたつかせるせいで余計に私はパニックになって……


「(……あや……こちゃ……)」


 脳に酸素が行き渡らず。意識が朦朧としかけます。そんな私が最後に思うのは……大好きな人の姿で——








「(紬希、大丈夫よ)」

「(…………え?)」


 と、意識を失いかけた刹那。水の中なのに……どうしてかハッキリとその大好きな人の声が聞こえた気がしました。直後力強くて優しい手に掴まれて、凄い勢いで水面に引き上げられて……


「紬希、紬希……!」

「けほ、けほっ……けほ……!」


 水面に顔を出し、飲み込んだ水と一緒に息を吐き出します。新鮮な空気が体中に流れて、朦朧としかけた意識も身体と一緒に浮上して。

 ようやくハッキリした頭で私を助けてくれた人を見てみると……そこにはやはりと言うべきなのか……私の一番大好きな人がいてくれて。


「あ、あやこ……ちゃん……?」

「ああ、よかった……息はあるわね…………大丈夫、そのままゆっくり息を吸って吐いて……」

「は、はい……」


 言われるがまま、あや子ちゃんの胸の中で深呼吸。その間にあや子ちゃんは私を抱えてプールサイドに戻ります。


「……どう?落ち着いた?」

「う、うん……あの……」

「紬希がちゃんと浮き輪を持っててくれてよかったわ」

「え……?」

「水面に浮き輪が残ってたのよ。お陰でどこで紬希が溺れたのか、すぐに見つけられたもの」


 あや子ちゃんがプールを指さすと……水面にあや子ちゃんが私に渡してくれていた浮き輪がたゆたっていました。ああ、そっか。だからこんなにすぐに私を助けられたんだ……


「とはいえ浮き輪さえあれば本来は溺れる事もなかったんだけどね……ごめんね紬希。、もう少ししっかりした紬希の身体に合った浮き輪を用意しておけばよかったわね……」

「う、ううん。あや子ちゃんが謝るようなことは…………えっ?」


 と、あや子ちゃんに背中をさすられていた私は、あや子ちゃんの一言に固まります。…………え、えっ?今、あや子ちゃん……なんて言った……?


「あや子ちゃん……気づいてたの……?私、あや子ちゃんに言ったことなかったよね……?」

「気づいてたって何に?……ああ、もしかして紬希が泳げないことかしら?」

「う、うん……」

「あのねぇ紬希。いくらなんでも私をナメすぎよ。大好きな人が隠してることくらい、ちょっと注意して見ていれば気づくに決まっているでしょうが」

「…………っ」


 しれっとそんな事を言い放つあや子ちゃん。……琴ちゃんがついさっき言っていた事を思い出します。


『あや子さんは……他の誰よりも、何よりも。紬希ちゃんの事大事にしているはずだよ』

『だってあや子さん、紬希ちゃんの事一番に見てるんだもん』


 ……琴ちゃんの言うとおりだった。あや子ちゃんは……本当に、私の事を……


 大好きな人が命がけで自分を助けてくれたこと。大好きな人が自分の事をこれ以上ないくらい大切にしてくれていたこと。その二つが私の中で渦巻いて、胸が……身体が熱くなるのがわかります。

 どうしよう……さっきまで『あや子ちゃんなんて嫌い』とか『あや子ちゃんなんてもう知らない』とか思ってたのに……あや子ちゃんへの好きの気持ちが抑えられない……なんて現金なんでしょう。なんてチョロいのでしょう私って……


「あ、あの……あや子ちゃ……」

「さて……紬希の無事が確認できたことだし。私もそろそろいこうかしら」

「へ……?いくってどこに……?」


 思わず感極まって。あや子ちゃんに『さっきはあんなに怒ってごめんなさい』と言いかける私。けれどあや子ちゃんはその言葉を紡ぐ前に、そんな事を言いながらある方向に視線を向けます。

 つられたように私もその視線を追ってみると……


『——こんの……クソガキども……!プールサイドは走っちゃダメって初歩的なルールすら知らないのか貴様らァ!!!お陰で危うくうちの琴ちゃんが溺れるところだっただろうがアァン!!!?』

『お、お姉ちゃん……私の為に怒ってくれるのは嬉しいけど落ち着いて……わ、私は大丈夫だから……』

『止めないで琴ちゃん!!!この常識知らずなガキ共には社会のルールと、そして琴ちゃんに手を出すことがどれだけ愚かなことなのか、その身に叩き込んでやらないといけないの!じゃなきゃ私の気が済まないの……!!!』

『ぼ、暴力はダメだって……!ほ、ホントに私は大丈夫だから…………(ボソッ)寧ろお姉ちゃんにお姫様抱っこして貰える口実を作ってくれてありがたいって思ってるくらいだし……』


 琴ちゃんを抱っこしたまま、私と琴ちゃんを突き落とした子どもたち相手に烈火のごとく激怒している小絃さんの姿がそこにはありました。

 ……リハビリが必要なくらい足腰弱ってるハズなのに……琴ちゃんの事になると小絃さん凄いですね……


「全く……小絃のバカめ、いったい何をやってんだか。とりあえず早く止めないとね」

「そ、そうだね……あのままじゃ小絃さん、あの子どもたちを殴りかねないもんね……」

「ええそうね。あのままじゃ小絃の奴——あいつが殴っちゃいそうだものね」

「あや子ちゃんも何言ってんの!?」


 結局この後、私と琴ちゃん……そしてスイミングクラブの皆さん総動員で、子どもたちに指導という名の制裁をしようと暴走するあや子ちゃんと小絃さんを止める羽目になりました……

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