54話 お姉ちゃんはスーツ+眼鏡がお好き

「ごめんね、お待たせしちゃったね。母さん見たらつい興奮しちゃって、頑張り過ぎちゃった」

「……いえ、お気になさらず……私は何も見てませんし、聞こえませんでしたので……」

「そかそか。さーてと。それじゃあ張り切って職場見学の続きに行こうか」


 たっぷりと時間をかけてから、麻生さんはようやく役員室から出てきてくれた。役員室に入る前はかっこよくビシッと決めていたスーツ姿が妙に乱れてたり、唇に綺麗に塗られていたルージュが色を失っていたり、扇情的な吐息を漏らしてうっとり艶々してるけど……全部私の気のせいと言うことにしておこう。

 余所様の恋愛に下手に突っ込むと、馬に蹴られてしまいそうだもんね。


「そう言えば聞きそびれちゃってたんだけどさ。小絃さんはどうして職場見学したいって思い立ったの?流石に、ただ音羽の顔を見に来ただけじゃないんでしょう?」


 と、乱れた服装をさり気なく整えながら。そんな事を私に問いかける麻生さん。


「えっと……その。実は私……お恥ずかしい話ですけど、あと1年足らずで高卒の資格を取れるって言うのに。私まだ将来について何も考えていないんです。ニートか琴ちゃんのヒモ化待ったなしの今のままじゃマズいなーって思ってて……」

「そこでこの私が何かの参考になればと。小絃さんをこちらに連れてきた次第です」

「ほうほうなるほど。つまり小絃さんは進路について迷っているって事か」

「その通りです。……あ、麻生さん。ちなみにですが……琴ちゃんって、どうしてここの職場を選んだのか知ってますか?」


 参考までに今まで気になっていた事を麻生さんに尋ねてみる。この人は琴ちゃんの直属の上司さんなわけだし、志望理由とか何か知ってるかもしれない。


「うん、勿論知ってるよー。あいつの最終面接の時、私も同席してたからね。……と言うか、小絃さんはその話は聞いてないんだ?」

「あー……はいです、……なんか琴ちゃんからはお仕事の事とか聞きづらくて」

「んー?そう?あいつの事だし小絃さんに聞かれたら何でも答えそうなものなのにね。……聞きたい?あいつがうちの会社選んだ理由」

「さ、差し支えなければ是非とも……!」

「おっけー。聞かせてあげる」


 若干食い気味に麻生さんに聞いてみると、快く彼女は答えてくれる。


「あいつもね、小絃さんと同じで。就職に関してはかなり悩んでたみたいなんだよね」

「え……?琴ちゃん、悩んでたんですか?私の中の琴ちゃんは、どんなことでも即断即決するイメージなんですけど……」

「うん。悩んでたの。『小絃お姉ちゃんに目を覚まして貰えるように。自分の手でお姉ちゃんを救おうと医療関係に進むと言う道も考えました。医師としてお姉ちゃんを治療したり。看護師としてお姉ちゃんの看護をしたり。製薬会社で薬の研究をしたり。そっち方面でお姉ちゃんを支えたいという気持ちもあるんです』ってさ」

「私も琴ちゃんからその話聞いてました。もしかしたら紬希ちゃんと一緒に看護師として働いていたかもしれないねって」

「……そ、そうですか」


 聞いててなんか恥ずかしくなってきた……琴ちゃん、自分の就職の時にまで私の事を考えてたんかい……


「で、でもそれにしてはまるっきり方向性が違う職場で働いていますよね琴ちゃん。何を思ってこちらの会社に働こうって決めたんでしょうね?」


 恥ずかしさを誤魔化すように、改めて聞いてみる。医療関係とアパレル関係じゃ、大分方向性が違うよね。琴ちゃん一体何が決め手でここで働くことになったんだろうか。


「あいつがここを選んだ理由?そうだねー……えっと確か……まず医療関係に進んだら……」

「進んだら?」

「『小絃お姉ちゃんに付きっきりというわけにもいかなくなるから』だってさ」

「…………はい?」


 すみません、なんですって?


「当然と言えば当然だけどさ。『お医者さんにせよ看護師さんにせよ、お姉ちゃん一人だけを対応するわけじゃない。製薬会社でお姉ちゃんのためだけの薬を作ろうにも……あまりに莫大な時間と費用がかかって現実的じゃ無い。だからそっちの道に進むのはやめました』ってあいつ言ってたよ」

「……は、はぁ」

「その点、ここの会社ですと小絃さんが入院してた今私が働いている病院の目と鼻の先にありますからね。そこに凄く惹かれたんだって琴ちゃん言ってましたよ。仕事が終わったらその足で小絃さんのお見舞いに行けるし、何かあってもすぐに駆けつけられるから。とっても良い職場だって」

「……えっと」

「あとはやっぱ残業とかしなくて良い会社だからってのも理由にしてたね。定時ぴったりに帰れたり、気兼ねなく休みが取れる会社なら。その分小絃さんのお見舞いの時間がしっかり取れるでしょう?だからうちを選んだとかなんとか」

「……」

「あー、あとそれからね」

「……もう、良いです」


 恥ずかしいのを誤魔化す為に聞いたのに、余計に恥ずかしくなってきた。……だから琴ちゃん、私の事ばっか考えすぎでしょうが……

 ってか、琴ちゃんや?……そんな身も蓋もないような理由で仕事選ぶかね普通!?この人も、そしてこの会社も。こんなヤバい志望理由でよく琴ちゃんを採用したよね!?


「まあまあ。話は最後まで聞きなって。それから……音羽がうちを、と言うか。今の仕事を選んだ一番の理由はね」

「……はい」

「小絃さんと約束したから、だってさ」

「…………へ?約束……?」


 麻生さんに不意にそう言われて戸惑う私。約束って……?何だっけ、私琴ちゃんと……何か約束したっけ……?

 寝耳に水で首を傾げる私を前に。くすりと笑いながら麻生さんは話してくれる。


「あいつ言ってたよ。小絃さんが事故に遭うその日に、お姉ちゃんとファッションショップに一緒に行く約束をしてたって。お小遣いで素敵なお洋服を買って、それをお姉ちゃんに見て貰うって約束をしたんだって」

「ええっと…………あ、ああはい。そう言われるとそうだったかもです。……それがどうしたんですか?」

「音羽曰く『小絃お姉ちゃんは過去、一度だって私との約束を守らなかった時はなかった』らしくてね。お姉ちゃんなら、絶対自分との約束を守ってくれるって信じてたんだってさ。どれだけ時間がかかっても。お姉ちゃんは自分との約束を守るために再び目を覚まして。そして自分と一緒に素敵なお洋服を買いに行ってくれるって」

「…………ぁ」


『えへへー、楽しみにしててねコイトお姉ちゃん!かわいいお洋服着て、お姉ちゃんを今日こそノーサツしちゃうんだから!』


 そう言われて、ふと思い出すのは事故に遭う直前の出来事。……そう言えば、私。まだ琴ちゃんに――


「ああ。ちなみにそのファッションショップが他でもないうちの会社の傘下のお店でね。その縁もあって『折角ならこのお店で並ぶような素敵な服を……お姉ちゃんにドキドキして貰えるような服を自分で作って。その服を着て目覚めたお姉ちゃんを悩殺したいんです。そういうのも含めて、この会社を志望しました』ってさ」


 ……琴ちゃんが、そんな事を。


「端から聞いたらものすごく意味不明なトンデモ志望動機に聞こえるかもしれないけど。音羽からしてみたら、そんな些細な小絃さんとの約束があったからこそ。ここまでどうにか生きてこれたって話でさ。そういう事を聞かされたら、この子採用したいって思ってしまったってワケ。……ふふふ。愛されてるね、小絃さん」

「……はい、本当に」


 ……約束した本人さえ忘れかけちゃうような、本当にどうでもいい約束を糧に。私が目覚める事を疑わず、私の目覚めをひたすら待っていた琴ちゃん。

 それを改めて聞かされて、思わず胸いっぱいになる。ああ、もう……ホント、琴ちゃんって……私の事大好きすぎでしょ……


「さてさて。そんな話をしているうちに良い頃合いになったわけだし。それじゃあそろそろ行こうか小絃さん」

「へ?行くって……?」


 琴ちゃんに想われていることを再確認し、恥ずかしいやら嬉しいやらで赤くなった頬が緩んでいるのを自覚していると。麻生さんはそんな事を言い出した。

 行くとは……どこへ?


「決まっているよ。大本命の、あいつのところにだよ。君の従姉妹の、音羽琴が働いてる姿。見たかったんでしょう?」



 ◇ ◇ ◇



「(小絃さん、紬希さん。こっちこっち)」


 待ちに待った働いている琴ちゃんの姿を直接見る事が出来る、そんな本日のメインイベント会場へとやって来た私。


「(声は出さないようにね。会議中ってのもあるけど……小絃さんの存在がバレたらあいつ暴走しそうだし)」

「(ああ、小絃さん。今ちょうどいいところみたいですよ。琴ちゃん、頑張ってるみたいです)」


 麻生さんと紬希さんに手招きされて、今まさに会議が行われている会議室の扉を少しだけ開けてドキドキしながら恐る恐る中の様子を覗き込んでみる。

 たくさんの如何にもお偉いさんって感じの人たちの視線が集まるのは部屋の中央。釣られるようにその人たちの視線の先を追った私の目に映ったのは——


「~~~~~ッ!!!」


 それを見た瞬間。私は大慌てで自分の口を両手で塞いでいた。……そうしないと、この会社中に私の奇声が木霊してしまっていただろうから。

 私の目に映ったのは、他でもない……私の大好きな従姉妹の琴ちゃん。それも……それも……ッ!!!


「(こ、こここ……琴ちゃんの、生スーツ……姿ッッツ!!!!)」


 それはもう、私の琴線に触れまくりな……女神様がそこに居た。……一応言っておくけれど。琴ちゃんのスーツ姿自体は、そう珍しいものではない。私の好みを熟知している琴ちゃんは、私の勉強に付き合ってくれる時はいつも決まって黒スーツに眼鏡をしてくれている。

 だからある意味それ自体は、私的には見飽きているレベルで見慣れているハズなんだけど……


「(じ、実際にガチでお仕事してる時の琴ちゃんのそのお姿は……あかんって……!!!破壊力ありすぎでしょうが……!!!?)」


 同じ格好でも、シチュエーションが違うとこうも違って見えるものなのか。家でしてた姿はある意味コスプレみたいなものだけど、今の姿は本物の琴ちゃんのスーツ姿と言っていい。なにせ、その格好で実際にお仕事場で働いているわけだもの。

 なんなの?なんなのこれは……!?スーツを着た琴ちゃんは……それはもう、知的で素敵で魅力的。如何にもバリバリ仕事が出来る大人の女性って雰囲気が普段以上に醸し出されてるじゃないか。黒スーツに映える琴ちゃん自身の長い黒髪は、邪魔にならぬようにとまとめ上げられていて……それがまた大人っぽいし、うなじ綺麗でむしゃぶりつきたくなっちゃうし。スーツは元々仕事で着る服なだけに、清潔感溢れる服装として作られているはずなんだけど……何故だか独特な色気を感じてしまう。身体にピタリと合うように作ってあるせいで、そんなものを美乳美尻でスタイル抜群な琴ちゃんが着ちゃうと……もう、見ているだけで色香がまぶしくてクラクラドキドキしちゃうわけで。しかも……しかもだよ?スーツに加えて眼鏡という追加装備まで身につけているんだから隙が無くて好き。クールで物静かな雰囲気にぴったりな眼鏡を付けた琴ちゃん。時折クイッと眼鏡をあげるその仕草が知的すぎてマジで堪らないですけど一体どうなってるんですかねこれは……!私に悶え死ねとでも言っているんでしょうかね!?


「(ちょ、待って……それはヤバい……)」


 あまりに衝撃的な琴ちゃんのお姿に取り乱しまくる私。い、いかん……落ち着け私……ちょっと冷静になれ。ここは琴ちゃんが働いている会社だ。ここで妙な行動を起こしたら、当然ここで働く琴ちゃんにも。ここまで私を連れてきてくれた紬希さんにも迷惑がかかってしまうだろう。

 そうだ、クールだ。クールになれ音瀬小絃……あ、あんなの……いつも誘惑してくる琴ちゃんのアレコレに比べたら、全然大した事なんて——


「(どうですか小絃さん。働いている琴ちゃんの姿は…………って!?こ、小絃さん!?)」

「(ふぇ?どうかしましたか紬希さん?)」

「(それはこっちの台詞です!?ど、どうしたんですかその鼻血は!?あ、明らかに致死量一歩手前じゃないですか!?)」

「(へ……?あ、あれ?言われてみると確かに出てますね……はなぢ…………あ、れ?やべ……意識が、なんか遠のいてるような……?)」

「(し、しっかり!しっかりしてください小絃さん!?ま、まずはとりあえず止血を……!?)」

「(おー。凄い凄い。これはまた、どこぞの双子のダメ姉を彷彿させる鼻血だわ)」


 …………冷静になるなんてやっぱ無理でした。ダメかも……ちょっと、私にとっては刺激が強すぎる。ダクダクと壊れた蛇口のように鼻血を放出しながら。琴ちゃんの大人の魅力ムンムンなスーツ姿で危うく昇天しかけるダメな琴ちゃんのお姉ちゃんでしたとさ……

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