43話 目覚めぬ貴女は眠り姫

「——そう言えばさ。ちょっと気になってたことがあるんだけど……ねえ琴ちゃん、聞いてもいい?」

「んー?なぁに小絃お姉ちゃん。何でも聞いて。私に答えられる事なら、なんでも答えちゃうよ」

「よしよし。そんじゃ遠慮無く。ほら、この前の学校見学でさ。琴ちゃん言ってたよね。寝ている私にキスがどうとかこうとかって」

「うん言った。それがどうかしたのかな?」

「いや……あれってさ……一応確認なんだけど……ほ、ほっぺとかおでこにしたって事だよね?流石に……お口でちゅーしたわけじゃないんだよね?ね?」

「…………」

「……琴ちゃん?ねえ、どうしてそんなに全力で目を逸らすの?ねえ、ねえ!…………聞いてる?琴ちゃん!琴ちゃーん!?」



 ◇ ◇ ◇



 ~Side:琴~



 ——これは、小絃お姉ちゃんが目を覚ます。そのちょっとだけ前のお話。


「……急がなきゃ」


 急に入った用事を済ませなきゃいけなかったお陰で、今日はいつもよりも遅い時間になってしまった私。10年間毎日変わらず欠かさず通った道のりを、普段よりも少しだけ早いペースで歩いて行く。

 まあ……別に誰と待ち合わせをしているってわけでもないし。面会時間もまだたっぷりある。急ぐ必要なんて本当はないんだけど……それはそれとして、大好きな人と一緒に過ごせる時間が少なくなるのは私が嫌だ。お目当ての建物が見えてくる頃には……早歩きどころかほとんど走っていた。


「あら琴ちゃん。いらっしゃい。珍しいわ、今日はちょっぴり遅めの到着なのね」

「ああ、音羽さん。そんなに息を切らして大丈夫かな?」

「本当に琴さんには感心するよ。今日もあの子のお見舞いだろう?きっと彼女も首を長くして待っているよ」


 駆け込むように中に入ると、今ではすっかり顔なじみになった受付のお姉さんや警備員さん、先生たちに声をかけられる。挨拶もそこそこに面会の手続きをさっさと済ませ……はやる気持ちを抑えつつ、彼女がいる一室へと足を運ぶ私。


「…………すー、はー……よし」


 走って切れた息を整えるついでに、扉の前に立ち。深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。……ここに来ると私――音羽琴はいつも。彼女に会えるという嬉しさと。彼女の身に何かが起こっていないかという不安。そして……奇跡が起こり、彼女が目を覚ましているのではないかという淡い期待という色んな感情がごちゃ混ぜになって取り乱しそうになる。

 そんな気持ちをどうにか静め、コンコンと扉をノック。そしてそっとその扉を開けて……


「……こんにちは、また来たよ小絃お姉ちゃん」


 この部屋の主に、いつものように挨拶を交わす。そんな私の視線の先には……穏やかに眠る私の大好きな人がそこにいた。姿、ベッドに静かに眠っていた。

 ——眠っているのは音瀬小絃お姉ちゃん。彼女は私の従姉妹で、実年齢は私の8個上。綺麗で明るくてどこまでも優しい……頼れる大好きだった人だ。


「ごめんね、今日は少し遅くなっちゃった。ホントはいつも通り来るつもりだったんだけど……急な来客の対応と報告をしててたらこんな時間になっちゃってさ。ふふ、でも聞いてお姉ちゃん。お陰で中々良い契約が取れたんだよ……」


 いつものように備え付けてあったパイプ椅子に腰掛けて、目線を合わせお姉ちゃんに声をかける。返事が返ってこない事にほんの少しだけ寂しさを覚えつつも……今日もまた、彼女が生きている事に胸をホッと撫で下ろす。

 ……彼女は今、ただ眠っているわけじゃない。10年前、ある事故が原因で……他でもない、この私を事故から庇った事が原因で……あの頃のままの身体で、年も取らず意識も取り戻せず……昏睡状態になっている。


「(今でもハッキリ覚えてる……あの時の恐怖を……お姉ちゃんが私の腕の中で冷たくなっていく、あの感覚を……)」


 飲酒運転で暴走する車から私を庇い、大怪我を負った小絃お姉ちゃん。……病院に運ばれた時点で、すでにかなり危険な状態だった。多くのお医者さんが手を尽くし。結果これは助からないと諦めるくらい、死の一歩手前だったそうだ。

 それでも諦めない人がいた。わずかな可能性に賭ける人がいた。……小絃お姉ちゃんのお母さんだ。


『だいじょーぶ、大丈夫よー琴ちゃん。この子がそう簡単にくたばるわけないし、あたしが死なせやしないから』


 そう言ってお母さんは、お姉ちゃんにそっくりな頼りになる笑顔を私に見せて……当時自ら開発していたコールドスリープ装置をお姉ちゃんに使うことを決めたのであった。


『色々と倫理的に問題がある』

『得体の知れないそんなものを実の娘に使うなど正気の沙汰じゃない』

『自分の娘を実験動物にするなんて人の心がないのか』


 そんな多くの反対意見を全て押しのけてたお母さんのその賭けは見事に勝った。装置を使いお姉ちゃんの消えゆく命を繋ぎ止めた。仮死状態のままお姉ちゃんを生きながらえさせ……少しずつ時間をかけて身体を治し……生々しい傷跡を残しながらも、とうとうお姉ちゃんの身体は事故直後の状態まで回復することが出来たのであった。


「……それでも……やっぱり、今日もお休みしているんだねお姉ちゃん……」


 ……ただし。身体はともかく……お姉ちゃんの意識だけは一向に回復することはなかった。10年が過ぎた今も……お姉ちゃんの意識はまだ闇の中にいる……


『ごめーん、琴ちゃん。あたしったら調整間違えちゃった☆コールドスリープ効き過ぎちゃったわー!ま、大丈夫でしょ。このアホ娘の事だしそのうちひょっこり目は覚ますわよ』


 私に心配かけないようにと、お母さんは笑って誤魔化していたけれど。本当は……お姉ちゃんの意識が戻らないのは、お母さんのせいじゃない事を私は知っている。

 だって……


『いくら身体が治ったと言っても。いくら音瀬さんのコールドスリープが効いていると言っても。娘さんが事故に遭った際に強く打った脳へのダメージは相当に深刻です。脳組織の回復までは……今の我々にも、勿論音瀬さんにもどうする事も……幸運な事に、娘さんには痛覚などの反応はあるようですので回復の可能性は残っています。ですので我々も投薬治療など色々試してはいますが…………ただ、正直に言って娘さんの意識の回復は……その。かなり絶望的かと……』


 ……そんな話を、主治医のお医者さんがしているところを。私はこっそり聞いてしまっていたのだから。

 お姉ちゃんの身体が完全に治ったと聞いて、安心したのもつかの間の事だった。言いよどみながらもお母さんにそのように告げていた主治医のお医者さんの姿を見てしまったのは。そんな聞きたくない話を耳にしてしまったのは……


「…………お姉ちゃんの意識の回復は……絶望的……」


 この頃になると私も、自分の力で色々と調べることが出来ていた。例えばお姉ちゃんが今どんな状態なのかとか。どうやったらお姉ちゃんが回復出来るのかとか。


 とか。


 それを裏付けるかのようにお姉ちゃんの身体が治ってもコールドスリープ装置を外さなかった……ううん、外せなかったお母さん。お母さんのその態度で私は理解してしまった。

 よほどの奇跡でも起きぬ限り……お姉ちゃんは、もう……


「…………それでも、私は……」



 コンコンコン



「……ッ!は、はーい!どうぞー」

「失礼します小絃さん。そして……いらっしゃい琴ちゃん」

「うん……紬希ちゃんこんにちは」


 少し沈んだ気持ちになりかけていたところで。一人の看護師さんが扉を叩き、私たちの前に現れる。

 やって来たのはお姉ちゃんの担当の看護師さんで、この病院で知り合うことが出来た私の友達……伊瀬紬希ちゃんだ。


「ごめんね琴ちゃん、お話中に邪魔しちゃって。ちょっとだけ小絃さんのお熱とか計らせて貰いたいんだけど……いいかな琴ちゃん?」

「あ、うん平気……こっちこそお邪魔しててごめんね紬希ちゃん。私の方こそ席外した方が良い?」

「大丈夫だよ、すぐに終わるから」


 紬希ちゃんはそう言って、テキパキと準備を進める。そうして準備を終えるとお姉ちゃんに近づいて……


「ふふっ♪小絃さーん。大好きな琴ちゃんは今日も貴女に会いに来てくれてますよ。良かったですね。本当に小絃さんは琴ちゃんに愛されちゃってますね。妬けちゃいますよ。……さてさて、それじゃあ小絃さん。いつものようにちょっとお熱とか計らせて貰いますよ。小絃さんが元気だってわかると、琴ちゃんも安心してくれますからね。一緒に頑張りましょうねー」


 そう言って紬希ちゃんはいつものように。お姉ちゃんにしっかりと声をかけて看護してくれるのであった。


「(紬希ちゃん……凄いなぁ)」


 当然のように、意識のないお姉ちゃんからの反応はない。それは紬希ちゃんもわかっているはずなのに。それでも意識のあるように、お姉ちゃんに優しく声をかけてくれる紬希ちゃん。

 ……10年も寝たきりの人を相手にこんな風に声をかけてくれる紬希ちゃんに感心してしまう。仕方のないこととはいえ。担当のお医者さんからもさじを投げられ、事務的に……まるで物を扱うかのように対応するベテランの看護師さんたちもいる中で。この紬希ちゃんだけは……お姉ちゃんを普通の患者さんと同じように接してくれている。


「小絃さん。ずーっと同じ姿勢だと身体に悪いですし……今度は反対側を向きましょうか。良いですかー?失礼しますよー。……あ、ちょうど窓の方ですね。ほら見て小絃さん、桜が綺麗です。元気になったら小絃さんと琴ちゃんと私と……それからあや子ちゃんと一緒にピクニックとか行きたいですよねー」


 今みたいに何かする度に声をかけ。暇さえあれば今日の天気や最近あった事をお姉ちゃんに語りかけてくれる紬希ちゃん。こういう行動見ると、私もちょっと安心する。

 紬希ちゃんも私と同じように……信じてくれているんだ。お姉ちゃんが絶対に、意識を取り戻してくれるって。


「——はーい、終わりましたよ小絃さん。お疲れ様でした。……ごめんね琴ちゃん、待たせたね。もう大丈夫だよ」

「……紬希ちゃん」

「ん?なぁに琴ちゃん」

「改めて……ありがとうね、本当に……お姉ちゃんも、私も。紬希ちゃんのお陰で救われてるよ」

「へ……?救われ……?い、いやあの琴ちゃん……大げさすぎない……?私、ただ小絃さんのお熱とかを計っただけなんだけど……?」


 こういう人だからこそ、人付き合いの悪いこの私も友達になりたいって本気で思えたし。小絃お姉ちゃんの大親友のあや子さんを紹介する気にもなれたんだ。

 ありがとう、本当にありがとう紬希ちゃん。貴女のお陰でいつも私……勇気づけられてるよ。


「ところで琴ちゃん。琴ちゃんは知ってた?最近ね、小児病棟にいる子どもたちから小絃さんの事が話題になっているんだよ」

「え、お姉ちゃんの事が話題に?どうして?」


 体温チェックとかを済ませてから、見舞客の私に気遣いササッと病室を出ようとしていた紬希ちゃん。

 と、病室を出る前に。ふと何かを思いだした様子で私に話しかけてくれる。子どもたちの間でお姉ちゃんが話題……?


「それがさ。私って時間がある時は看護主任の許可貰って入院中の子どもたちに絵本の読み聞かせとかをやってるんだけどね。この間たまたま『眠り姫』を読んであげたんだ」

「ふむふむ、それで?」

「そのお話をしてたらね、私と一緒に来てた主任が子どもたちに言ったんだよ。『実はですね。うちの病院にも眠り姫さまがいるんですよー』って」


 うちの病院にも……眠り姫がいる?それってつまり……お姉ちゃんの事を言ってるのかしら?


「子どもたちったらその主任の話に興味津々でさ。『話を聞かせろ』って私の読み聞かせ以上にせっついてくるからもう大変なんだよ。主任も主任でノリノリに脚色交えて小絃さんの事を話すから……今では小絃さん、子どもたちの間ではちょっとしたアイドルみたいな存在になっちゃっててね」

「へー……」


 まあ、私の中では今も昔もずっと小絃お姉ちゃんは永遠のアイドルでありヒーローでもあるからね。子どもたちの気持ちはわからなくもない。


「お陰で最近は病室を抜け出して小絃さんに会いに来る子どもたちもいる始末で大変だよ。『すごーい!本物のおひめさまだー!かわいいー!』とか『おひめさまにちゅーしたら目がさめるんだよねー!わたし、おひめさまを起こしてあげるー!』とか小絃さん大人気でさ」

「へー…………えっ?」


 ……ちょっと、待って。お姫様起こしてあげるって…………それは、つまり……まさかっ!?


「……ふふ♪琴ちゃん、何を考えてるのか顔に出すぎ。大丈夫。チューする前に子どもたちは追い返してるから心配しないで」

「…………そ、そう……なんだ。あ、いや……別に何も心配はしてないよ……うん……そんな、流石の私も……子どもにまでは、嫉妬とかしないし……」

「えー?ホントかなぁー?」


 紬希ちゃんにからかわれてそっぽを向きつつ、内心はちょっぴりホッとしちゃってる嫉妬深い私。良かった……いくら子どもとはいえ、お姉ちゃんの大事なファーストキスは……奪われたくないからね……


「…………それにしても」


 キスすると目が覚める……眠り姫、か……

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