44話 目覚めた貴女は運命の人

 ~Side:琴~



「——おっ。やっぱりいる。流石ね琴ちゃん。文字通り一日も欠かさずに見舞いに来るとは感心感心」


 紬希ちゃんがナースステーションへ戻ってしばらく経った頃。ひょっこりとお姉ちゃんの病室にやって来たのは……小絃お姉ちゃんの大親友のあや子さん。


「こんにちは、あや子さん。いえいえ……そういうあや子さんもほとんど毎日来てくれるじゃないですか。お姉ちゃんのお見舞い……いつも本当にありがとうございます」

「よしてよ琴ちゃん。私、琴ちゃんと違って別にわざわざこいつに会いに来てるわけじゃないわ。お見舞いなんて大層なもんじゃない。ただ……私は紬希という名の可愛い嫁に会いに来たついでに、顔見せに来ただけだもの」


 照れ隠しのようにお決まりの憎まれ口を叩きながら、ベッドの脇に置かれた椅子に座るあや子さん。

 ……こんな事を言ってるけれど、大事な用事がある日以外は紬希ちゃんが勤務している時じゃなくてもあや子さんはこうしてお姉ちゃんのお見舞いに来てくれる。


「やれやれ。まだ起きないのね、このバカは」

「……はい。お医者さん曰く、良くも悪くも……大きな変化は無いそうです」

「そっか、相変わらずってわけね。……ったく。こーんな可愛くて良い子が心配して付きっきりで見守ってくれているってのに。あんたは相も変わらず呑気にぐーぐー寝ちゃってさぁ」


 そう言ってお姉ちゃんの頬をむにむにと指で突き、あや子さんは呆れた顔でお姉ちゃんに声をかける。


「バカ小絃……昔っから根っからのねぼすけだけど、いくらなんでも10年は無いでしょ10年は。いつまで寝てんのよ。琴ちゃんの事が大事なら、その琴ちゃんを心配させんじゃないわよ。早く起きなさいよね」

「……あや子さん」


 多くの人がお姉ちゃんの回復は絶望的と諦めている。けれど……この人は私と同じように、10年前からお姉ちゃんはきっと目を覚ますと信じてくれている。


「最近は子どもたちに『眠り姫』って呼ばれてもてはやされてるらしいじゃない。運命の人のキスでも待ってるわけ?あんたにはそういうお姫様みたいな役は似合わないっての。……だからそろそろ目を覚ましなさいよ。じゃないと大好きな琴ちゃんにも愛想尽かされちゃうわよあんた」

「……あはは。大丈夫ですよあや子さん。私が……お姉ちゃんに愛想を尽かすなんてあり得ませんから」

「ったく、ホントに琴ちゃんは献身的なんだから。ちょっと聞いたぁ小絃?こーんな良い子を捕まえておいて放置プレイとかあり得ないでしょ普通。早く起きて琴ちゃんに謝りなさいよねー」


 きっと、私一人でお見舞いをしていたら……自責の念でいっぱいになって潰れていた事だろう。こうして私以外の人がお姉ちゃんに会いに来てくれて。お姉ちゃんが戻ってくるって信じて待ってくれている——それは、私にとってどれだけ救いになっていることか。

 ……ありがとうございます、いつも感謝していますあや子さん。


「さーて、そんじゃ私はそろそろお暇するわ」

「もう宜しいんですか?今日はお姉ちゃんとあまりお話されていないみたいですけど……」

「いいのいいの。紬希の迎えにきただけだし、何より琴ちゃんのお楽しみタイムを邪魔しちゃ悪いからね。じゃあ琴ちゃん、ごゆっくり」

「はい。お姉ちゃんのお見舞い、ありがとうございました」


 手を振ってそのまま病室を後にするあや子さんに、日頃の感謝も込めて頭を下げる。

 あや子さんが去って行った後は、賑やかだった病室内に再び静寂が訪れた。


「……」


 ……お姉ちゃんと私以外、誰もいない静かな病室。特別な患者さんの為に用意されただだっ広いこの真っ白な個室は、なんだか少し寂しさを感じる。


「……お姉ちゃん」


 何度も……それこそ文字通り毎日ここには来ているというのになんだか落ち着かず。つい不安にかられた私は……掛け布団から出ていたお姉ちゃんの手に縋るように両の手を重ねてしまった。

 細くて小さくて少し力を入れたら折れてしまいそうなお姉ちゃんの手だけれど、重ねた途端に深い安堵を覚える私。


 ……大丈夫。お姉ちゃんの温もりも、脈も……ちゃんとわかる……


「…………おねえちゃん」


 手をそのまま重ねたまま、なんとなく頭をベッドに預けてみる。すぐ側には小絃お姉ちゃんの寝顔……

 その愛おしい人の顔をぼんやり眺めていると……だんだんと意識が途切れ途切れになってきて……瞼がゆっくり下がりはじめ——



 ◇ ◇ ◇



『——琴ちゃん』


 遠くから、私を呼ぶ声が聞こえてくる。


『琴ちゃん、ここだよ。おいで』


 身を起こし、声のする方へと向かう私。見知らぬ家の見知らぬ部屋から出て、階段を降り……リビングへと足を運ぶ。


『いらっしゃい、琴ちゃん』


 そこに、声の主がいた。ソファに腰掛けあの頃と変わらぬ私の大好きな笑顔で微笑んで。私を手招きしてくれていた。

 私はとっても嬉しくなって。誘われるがままその人の元へと駆ける。一緒のソファに腰掛けて、顔をほころばせてその人の胸に飛び込むと。その人は困ったような、でもちょっとだけ嬉しそうな顔をして頭を撫でてくれる。


『なぁに?琴ちゃん、急に甘えん坊さんになったね。まるで昔の琴ちゃんみたいよ』


 くすくすと笑いながら、その人は私にそう聞いてくる。……だって、だって仕方ないじゃない。貴女が……小絃お姉ちゃんが、目を覚まして。私の前で笑ってくれているんだもの。


『ふふ。それにしても少し見ない間に、随分と大きくなったね。とっても綺麗よ琴ちゃん』


 お姉ちゃんに褒められて、私は嬉しさと気恥ずかしさと誇らしさで胸がいっぱいになる。


『あのね、あのね。聞いてお姉ちゃん。私頑張ったんだよいつかお姉ちゃんが目を覚ましてくれた時。その時お姉ちゃんに好きになって貰えるように。この身で全身全霊を保って、お姉ちゃんに尽くせるように。お姉ちゃんの理想の女として、私成長したんだ。お勉強も、お料理も、運動だって出来るようになったの。綺麗になる努力もいっぱいしたんだよ』

『……うんうん、そっか。琴ちゃんは本当に凄いなぁ』


 昔に戻ったみたいに。自分が頑張ってきたことを一生懸命お姉ちゃんに話してみる。お姉ちゃんは昔と全く変わらずに、にこにこと笑って私のお話に相づちを入れながらゆっくりと聞いてくれる。

 ……ああ、間違いなくこれはお姉ちゃんだ。お姉ちゃんがいる。お姉ちゃんが私の側にいてくれる……なんて幸せなんだろう。


『ね、お姉ちゃん。もうどこにも行っちゃダメだよ……あんな、辛い思いはもうたくさん。ずっと私の側に居て。ずっと私に笑っていて……おねがい』

『…………』


 この幸せが途切れぬように。祈りを込めてお姉ちゃんに昔みたいにおねだりする。けれどそのおねだりを聞いた途端。ずっとにこにこ笑ってくれていたお姉ちゃんは、少しだけ申し訳なさそうな顔になってしまう。……?どうしたのお姉ちゃん。どうしてそんな顔をしているの?

 不思議に思ったそんな私を、お姉ちゃんは優しく抱きしめて……


『…………ごめん、ごめんね琴ちゃん。待たせちゃって本当にごめん。……よく頑張ってくれたね。辛かったよね。苦しかったよね』

『……お姉ちゃん……?』


 そう言ってお姉ちゃんは私を離し、一度だけ頭を撫でると……立ち上がってどこかへ行こうとする。


『あ、あの……お姉ちゃん……?どこにいくの?ねえ……ねえ!まって、まってよ……!?』


 慌てて私も立ち上がり、お姉ちゃんを追いかける。けれども成長した脚でいくら追いかけても、前を行くお姉ちゃんはまったく走っていないというのに追いつくことが出来なくて。


『まって、ねえ……おねがい!お姉ちゃん、おねえちゃん……コイトお姉ちゃん……ッ!』


 置いていかれる私は、届かぬ手を必死に伸ばす。必死に声を張り上げて、お姉ちゃんの名を呼ぶと……小絃お姉ちゃんは一瞬だけ振り向いて……


『大丈夫、大丈夫よ琴ちゃん。もう少し……もう少しできっと——』



 ◇ ◇ ◇



 ——目が覚めると、そこはお姉ちゃんが眠る病室だった。慌てて飛び起き息を整える。どうやら私はお姉ちゃんのベッドに突っ伏して、お姉ちゃんと一緒に眠っていたらしい。

 ……何か夢を見ていた気がする。なんだかとても優しくて幸せで、そしてとても切なくて残酷な夢を。


「…………私、泣いて……?」


 その証拠に。夢の内容は起きた瞬間忘れちゃったけど……お姉ちゃんが眠っている横……ちょうど私が寝ていたシーツは濡れていて。それが自分の涙だって気づくのに、そう時間はかからなかった。

 謎の酷い喪失感に苛まれながら、私は涙を拭いつつ眠っているお姉ちゃんの顔を見た。

 お姉ちゃんはやっぱり眠っていた。目を閉じて、いつもと変わらずすやすやと。あの事故から10年。未だにあの頃の……高校生の若々しい身体のまま眠っていた。


「(……まるでおとぎ話の眠り姫みたい)」


 突拍子も無くそう私が思ったのは、眠っているお姉ちゃんがお姫様みたいに綺麗で可愛かったからなのか。それとも紬希ちゃんの『お姉ちゃんが子どもたちの間で眠り姫と呼ばれている』という話を事前に聞いていたからか。

 ……後から冷静になって思い返してみると。この時の私はかなり気が動転していたんだと思う。これは現実のことで、お姉ちゃんは童話に出てくるお姫様じゃなくて、勿論100年の眠りについたわけでもないのに。


「……眠り姫は、王子様のキスで……目を覚ます……」


 熱に浮かされたように、何かにとりつかれたように。私はそんなうわごとを呟きながらお姉ちゃんにゆっくりと近づいてゆく。


「……お姉ちゃん」


 ……改めてじっくりお姉ちゃんを見てみると。本当に綺麗……整った顔立ちに真っ白な肌。私を事故から守った時に出来た生々しいおでこの傷も、お姉ちゃんの美しさを際立てていて……


「小絃お姉ちゃん」


 そんなお姉ちゃんに引き寄せられるように、私はお姉ちゃんの名を呼んで。


 降りていた前髪をはらい。


 そして——


「……んっ」


 微かに震える自分の唇を、規則正しく寝息を立てるそのお姉ちゃんの美しい唇に重ね合わせた。


 夢うつつで、正直この時の感覚は……ハッキリとは覚えていない。後から考えると、これが私とお姉ちゃんのファーストキスだったわけだし…………もう少し堪能しておけば良かったなと、ちょっぴり後悔したりもしてる。


「……お姉ちゃん、起きて……おねがい……」


 ただこの時は……無我夢中だった。何度も言うけどこの時の私は本当に我ながらどうかしていた。ただただ私は、お姉ちゃんに目を覚まして欲しくて……祈りを込めて必死にキスを交わしていた。


「…………ぁ」


 どれだけ唇と唇をくっつけていたのかもわからないけれど。息苦しさを感じてようやく正気に戻った私は、自分が一体何をしているのか理解して……弾かれたようにバッとお姉ちゃんから唇を離す。

 びょ、病人に……意識がない人の唇を塞いじゃうなんて……何やってるのよ私……!?目を覚まして貰うどころか、息の根を止めるつもりなの……!?


「お、お姉ちゃん……大丈夫……?」

「…………」


 慌ててお姉ちゃんの様子を見てみると……お姉ちゃんは何事も無かったかのように、また規則正しく息をしていた。ホッと胸を撫で下ろす反面…………ほんの少しだけ落胆する私。

 もしかしたらと淡い期待を抱いてみたけど……うん、やっぱりあり得ないよね……キスで目が覚めるだなんて……自分がお姉ちゃんの運命の王子様ってわけでもないのに『眠り姫』のあらすじに見立ててまで……寝込みを襲うような形でお姉ちゃんの唇を奪っちゃうなんて。


「…………何やっているんだか私」


 恥ずかしいやら情けないやら虚しいやら。とりあえずお姉ちゃんに心の中で謝りつつ、ウエットティッシュで唇を拭いてあげる。

 ……ごめんねお姉ちゃん。今のは……その。お姉ちゃんへの好きとかの気持ちは入ってない、人工呼吸みたいなものだし……ノーカウントって事で許してください……



 コンコンコン



『琴ちゃーん?ごめんねー、面会時間過ぎちゃってるんだけど……大丈夫―?』

「あ……う、うん大丈夫!?ご、ごめん……すぐに出るから……!」


 扉の向こうからそんな紬希ちゃんの声が聞こえてくる。気づけば面会時間はとっくに過ぎてしまっていた。大慌てで帰る準備をする私。


「……今日は、その。本当にごめんなさいお姉ちゃん。……また来るからね」


 帰る間際、もう一度だけお姉ちゃんに謝って。逃げるように病室を後にする。


 …………ああ、もう。面会に遅刻したり、病室でお姉ちゃんと一緒に寝たり、お姉ちゃんにキスしちゃったり……今日の私は本当にダメダメだ……

 こんなんじゃお姉ちゃんが目覚めても、お姉ちゃんが理想にしている女性にはまだまだ遠いよね……


「もっと……お姉ちゃんにふさわしい女性になれるように頑張らないと……」








「——待たせて……ごめんね……大丈夫、琴ちゃん…………お姉ちゃんは……もうすぐ……もう、すぐ…………」



 ◇ ◇ ◇



 ——私がお姉ちゃんとキスをした、その翌日だった。お姉ちゃんが長い年月を経て……目を覚ましてくれたのは。

 あのキスが効いたわけじゃないと思うんだけど……それでもあの直後に目を覚ましてくれたのは。絶望的だった状態で、無事に意識を取り戻してくれたのは……流石に運命を感じてしまう。


「——ねえちょっと!?聞いてるの琴ちゃん!?チューはおでことかほっぺに何だよね!?知らん間に琴ちゃんの唇奪ってたとか私……琴ちゃんパパ&ママに合わせる顔がないんだけど!?」


 そんな運命的で奇跡的なお目覚めを果たしたお姉ちゃんは。今日も私の前であの頃のまま、こんな風に元気な姿で私の側にいてくれる。それが何よりも嬉しくて、何よりも幸せで。


「…………大丈夫、大丈夫だよお姉ちゃん」

「何が!?何が大丈夫なのさ琴ちゃん!?」

「お姉ちゃんの初めてを貰った責任は、ちゃんと取るからね」

「そういう問題じゃないと思うんだけど!?って言うか初めてを貰ったとか……さらなる誤解を生むような発言はお姉ちゃんやめて欲しいんだけど!?」


 私を命がけで守り、そして私の願いを叶えてくれた私の運命のお姫様。ありがとう。本当にありがとう。

 大丈夫、私ちゃんと責任取るから。素敵な貴女にふさわしい、王子様になれるように頑張るからね。

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