40話 琴ちゃん、お姉ちゃんのママになる(その2)

 ~Side:琴~


 私が幼い頃から、私の面倒をずっと見てくれていた小絃お姉ちゃん。そんなお姉ちゃんは年上の従姉妹という立場があるからか。『私は琴ちゃんのお姉ちゃんだからね』と、私の前では弱みなんて全く見せたことがなかった。

 それ故に、私は今までお姉ちゃんが泣いている姿を見た事なんてなかったんだけど……


「うぁあああああああん!!!ままぁああああああああああ!!!」


 ……一体これはどうした事だろう。目の前にいる私の大好きな人……どんな時でも頼りになる、どんな時でも太陽みたいに明るくて安心する笑顔を私に振りまいてくれる……そんな立派で素敵な小絃お姉ちゃんが。

 あろうことか私の前で『ママ、ママ』と大絶叫を上げ、手足をバタバタと振り回し、涙と鼻水で綺麗なそのお顔をぐっしょり濡らしている。


 これじゃまるで……


……?」


 そう、その姿はまさしく赤ちゃん。言動仕草全てが赤子のようにお姉ちゃんは惜しみなく振る舞っていた。


「お義母さん……一体何があったんですか……小絃お姉ちゃんは、どうしちゃったんですか」


 恐らく原因を知っているであろうお義母さんに問いかける。するとお義母さんは若干視線を逸らしつつ頬をかきながらこう告げる。


「い、いやぁ……その。小絃が赤ちゃんになりたいって言うから……実験ついでにこの装置を試してみたんだけど……どうにも上手くいきすぎたみたいでさー……小絃ったら完全に幼児退行しちゃったみたいで……ちょっと手が付けられなくなっちゃって……」

「……なるほど」


 お義母さん、原因を知ってるどころか元凶だった。


「そういうわけで琴ちゃん!お願い!小絃の事は頼んだ!なんとか宥めてちょうだい!」

「え、ええっ!?私ですか!?きゅ、急にそんな事を言われましても……!?」


 お、お姉ちゃんと結婚して……それからゆくゆくはお姉ちゃんと愛の結晶を——と夢見たことは数知れずとも。流石に赤ちゃんのあやし方とかまで具体的に勉強したことはない私。何をすれば良いのかなんて全然わからない。


「と言いますか……小絃お姉ちゃん、今ママを求めているわけですし……ここはやはり本物のお母さんであるお義母さんがあやしてあげたら泣き止むのではないでしょうか……!?」

「そのハズなんだけどダメだった!めっちゃ小絃に拒否られちゃってるのよねー。……いやぁ、そう言えばあたしってば小絃が赤ん坊の時って元旦那と離婚して家計を支えるべく完全に仕事一辺倒になっちゃっててさー。小絃のお世話はお姉ちゃん——つまりは琴ちゃんのお母さんに任せっきりだったのよ。……だから多分、この頃の小絃はあたしの事を母親だって認識出来て無いんだと思うの。参っちゃったわねハッハッハ!」

「笑い事じゃないですよぅ!?」


 そもそも実の母親がどうにもならないなら、なおのこと年下の従姉妹である私がどうこう出来るわけないじゃないですか……!?


「その点琴ちゃんなら大丈夫よ!今言った通り小絃は琴ちゃんのお母さんがお世話してたの!ならばそう、成長した琴ちゃんなら小絃の奴も自分のママだって思ってくれるはず!この子単純だからね!そういうわけで……琴ちゃんガンバ!」


 親指をサムズアップさせてお義母さんは私をグイグイとお姉ちゃんに押しつけてくる。そ、そんなむちゃくちゃな……!?


「まま……むぁむぁあああああああああ!!!」

「ぁ……」


 流石にこればかりはお手上げだとギブアップを宣言しようとした私。けれど母親を求め、慟哭をあげぽろぽろと涙を溢すお姉ちゃんを見て……私は……

 ……お姉ちゃんが泣いているところ、見たくない。お姉ちゃんにはずっと……ずっと笑っていて欲しい……


「……だ、大丈夫よ……小絃お姉ちゃ——小絃ちゃん。ま……ママ、は……ここにいるわ……」


 そう思ったら居てもたってもいられなくなる。気づけば私は泣き続けるお姉ちゃんを一生懸命抱きしめて、お姉ちゃんのママと名乗っていた。


「うぅうううう……!ふぇえええ……」

「大丈夫、大丈夫だから……ま、ママはここよ……ね?大丈夫よ……」

「ぐすっ……ひっぐっ……」

「小絃ちゃんは良い子、良い子ね……」


 話しかけながらギュッと抱きしめて、お姉ちゃんの背中をさすってあげる。母親の庇護を求めてあれだけ大絶叫していたお姉ちゃんだったんだけど、私の胸の中でだんだんと泣き声が小さなしゃっくりに変わっていって。少しずつ落ち着きを取り戻しはじめ……


「……まま?」

「……!え、ええそうよ。私が小絃ちゃんのママよ」

「……まま」

「はーい。小絃ちゃんのママですよー」

「ままぁ……!」


 お義母さんの言うとおり。私の事を母親と認知した様子の小絃お姉ちゃん。ようやく泣き止んでくれたお姉ちゃんは、代わりに赤ちゃんならではの天真爛漫なまばゆい笑顔を見せつつ。絶対に『ママ』である私を離さないようにと、強く強く私を抱きしめ返してくれて……

 …………かわいい。


「……よし!思った通り上手くいったわね!そんじゃ琴ちゃん、あとはよろしくぅ!」


 とりあえずどうにか泣き止んでくれたお姉ちゃんにホッと息をなで下ろした私をよそに。お義母さんはいつの間にか荷物をまとめて逃げるように家を後にしようとする。え、ちょ……お義母さん……!?


「ま、待ってくださいお義母さん!この状況で置いてかないで……!?」

「い、いやぁ……そう言われてもあたしがいたら小絃がまた取り乱しちゃいそうだしさー。……昔からあたしってば、自分の理論と口八丁が聞かない子どもとは相性が悪いのよね。……だ、大丈夫!心配しなくてもあたしの睨んだとおり小絃の奴、琴ちゃんに懐いているっぽいし何とかなるはずよ!」


 何の理屈もなく大丈夫と言われましても……


「それに……逆に考えるのよ琴ちゃん。これは琴ちゃんにとっても願ってもいないチャンスなのよ」

「チャンス……?あの、チャンスって何の話ですか……?」

「琴ちゃんさぁ……小絃に甘えて欲しいって思ったこと、あるでしょう?」

「ぅ……!?」


 お義母さんのその一言に、言葉が詰まる私。確かに……お義母さんの仰るとおり。お姉ちゃんを自分の娘みたいに扱って……どろどろに甘やかしたいと思わなかったかと言われたら嘘になる。

 これでもかと言うくらい甘やかして、お姉ちゃんから『ママ』って呼ばれて。恥も外聞もなく甘えられたいって願望が、ないのかと聞かれたら……正直に言うとめちゃくちゃある。


「今ならね、この子を琴ちゃんの好きに出来るわ。良いのよ?この状態だときっと小絃は目が覚めても何も覚えていないはず。だから……どれだけドロドロに甘やかしても。どれだけアブノーマルなプレイを楽しんでも良いの。小絃もきっと琴ちゃんの母性と愛情を注げば、普段から抱えている恥とか姉としてのプライドとかかなぐり捨てて……琴ちゃんに思いっきり甘えてくれるはずよ」

「…………」


 悪魔の囁きが私の脳を、理性を溶かす。思わず生唾をゴクリと飲み込んでしまう。私が、小絃お姉ちゃんのママとして……お姉ちゃんを甘やかす……

 それはなんと甘美な誘惑なのだろう。普段しっかり者のお姉ちゃんが、無防備に私に……私だけに甘えてくれる。そんな想像をしただけで私は……


「それじゃ、小絃の事はお願いねー!煮るなり焼くなり好きにして良いからねー!」

「…………え、あっ!?」

「今回小絃に使った追想機の効果は約一日。つまり一日経てば元に戻るわ!その間だけ小絃の事、頼んだわよー琴ちゃん!」


 そんな邪念を抱いた隙に、お義母さんはあっという間に立ち去ってしまう。後に残ったのは呆然と立ち尽くす私と……キョトンとした様子のお姉ちゃんだけ。

 ど、どうしよう……これから私……何をどうすれば……


「お姉ちゃんを好きにして良いって言われても…………本当に、どうしようね小絃お姉ちゃ——じゃなかった。こ、小絃……ちゃん?」

「あぅー、だぁ♪」

「…………お、おぉー……」


 どうしようもなくて。意味も無くお姉ちゃんに手を伸ばす私。するとお姉ちゃんはスリスリと私の手を取りじゃれついてくる。……これは。


「……よしよし」

「だぁ!きゃー♪」

「…………はぅ」


 今度はそのお姉ちゃんの頭を『良い子良い子』するように優しく撫でてみる。お姉ちゃんは子猫のように目を細め、気持ちよさそうな顔でキャッキャと喜んでくれる。


「小絃ちゃーん?」

「あいっ!」

「ふふふ……ちゃんとお返事出来てえらいねー。よーし、もう一度。こーいとちゃん♪」

「あーい♪」

「…………ふぉお……!」


 こちらから名前を呼んでみると、小絃お姉ちゃんは元気よく手を上げて素直にお返事をしてくれる。その様はなんて、なんて無邪気で愛らしくて愛おしくて……


「もぉおおお……!小絃お姉ちゃん……ううん。私の小絃ちゃん、可愛すぎるよぉ……!」


 感極まってしまった私は、相手が憧れの『お姉ちゃん』であることを頭の隅にやり……思い切り抱きしめそのぷにぷにのほっぺに頬ずりする。ついでに頭も先ほど以上に思い切りなでなでして、いっぱいいっぱい小絃ちゃんの名前を呼んで……


「ままー……」

「…………ハッ!?」


 それを一体どれくらい続けていたのだろう。小絃ちゃんに呼ばれ、ハッと正気に戻ると……目の前の小絃ちゃんは見るも無惨な姿へと変わり果てていた。頬ずりしすぎてほっぺたは真っ赤になっているし。なでなでし過ぎてお姉ちゃんの綺麗でふんわりとした髪の毛はボサボサに。私の腕の中で身をよじらせて心なしか不満そうに見えるし……

 ま、まずい……調子に乗りすぎたかもしれない。もしや嫌われた?嫌がられた?泣かれる?また泣かれちゃう?い、今小絃ちゃんに嫌われちゃったら……泣かれちゃったら……私、立ち直れる自信が無いんだけど……!?


 息を呑み、小絃ちゃんの次の反応を待つ私に……小絃ちゃんは両手を広げ、その大好きな大きな瞳で私をしっかり見据えて。そして私にこう告げた。


「まま……だっこー!」

「はぅぅ……ッ!


 その一言に、心を射貫かれた。拒否されたわけじゃなかったとわかった途端。そこから先はノンストップだった。


「どう?小絃ちゃん、お望み通りママのだっこだよー♪」

「わぁあああ!きゃーっ♪」


 一切の遠慮無しに。小絃ちゃんの要望通りに思い切り抱っこしてあげる私。ひょいっと小絃ちゃんの身体を(いつも通り)持ち上げる。小絃ちゃんはしっかり私の首に抱きついて、嬉しそうな声を上げてくれる。


「(…………ああ、なんて至福の時……)」


 どうしよう……凄く感動する。普段の小絃お姉ちゃんは『私、重いからダメだよ……!離して琴ちゃん……!?』と全然重くなんて無いのに私のお姫様抱っこをめちゃくちゃ嫌がるのに。恐縮してすぐに降りようと全身全霊でお暴れしちゃうのに。

 今の小絃ちゃんは暴れるどころか寧ろ自分から私の抱っこを望み、そして何のためらいもなくママである私にその身を委ねてくれる。それが無性に嬉しくて、思わず顔が緩んでしまう。


「まーま!」

「んー?どうしたのかなー小絃ちゃん」

「まま、すきー!」

「…………ほわぁああ……♡」


 天使みたいな笑顔で、ほっぺにチューして好きと言ってくれる小絃ちゃん。……なんという破壊力。危うく腰砕けになるところだった……


「(困った……これ、凄い……)」


 私にとって小絃お姉ちゃんは……文字通り自分の命を賭けてまで。大怪我を負ってまで。青春時代を犠牲にしてまで守ってくれる……絶対的存在な強い人。

 けれどそんなお姉ちゃんが、今私の前ではこれまで絶対に見せようとしなかった弱さを不意に曝け出し……惜しげも無く私だけに見せているという。なんて倒錯的で、なんて背徳的で、なんて刺激的なのだろう。元のお姉ちゃんも大好きだけど……今の小絃ちゃんも可愛さの権化で……本当に、私とお姉ちゃんの間に出来た娘みたいに思えてきて……


「ふふ、ふふふ……ふふふふふ……!」

「……?ままー?」

「ああ、ごめんねー小絃ちゃん。気にしないで。それよりも……もーっとママと楽しいことしようねー♪」

「あーい!」


 ゾクゾクと全身震わせて恍惚に身を任せてトリップしかけていた私。そんな私を小絃ちゃんは不思議そうに眺め、ママはどうしたんだろうと首を傾げる。

 ……いけないいけない。今は小絃ちゃんに集中しなきゃいけないのに、いけない気持ちに目覚めちゃいそうになっちゃってたわ私ったら……


「それじゃあね小絃ちゃん、次は……ほら、高い高いよー♪」

「わぁ……!うきゃーっ♪」

「ふふっ、よかった。怖くないみたいね。よーし、なら……それーっ!ぐるぐるだよー♪」

「きゃっきゃっ♪ままー!もっとー!」

「よぉし、ママに任せてね。次はもっと凄いのを——」


 気分は完全に新米ママ。小絃ちゃんが大喜びしてくれるだけで幸せな気持ちいっぱいになる私は、全力で小絃ちゃんを高い高いして遊んであげる。







「…………小絃、それに琴ちゃん……あんたら……」

「は、はわわわわ……」

「…………えっ?」


 ……そう。いつの間にか来ていたお客様二人の存在に全く気づかない程、全力で遊んでいた。あ、あれ……?


「小絃ママから『小絃がヤバいの。もし良かったら琴ちゃんを助けてあげて』ってメール貰って。何事かと駆けつけてみれば……これは確かにヤバいわね。変態だとは昔から知ってたことだけど。まさかここまでヤバいとは……」

「ご、ごめん琴ちゃん……チャイム鳴らしても全然反応無かったし……玄関も空いてたからもしもの事が起こったのかもって心配になって……勝手に入ってきたんだけど……」

「あ、あや子さん……?それに、紬希ちゃん……?」


 一体どこから見られていたのだろう。ドン引きしているあや子さんと顔を真っ赤にした紬希ちゃんの視線を一身に受け、小絃ちゃんを高い高いしたまま固まってしまう私。


「よし、紬希。来たばっかりで何だけど、大丈夫そうだし帰るわよー。二人の大人のプレイの邪魔しちゃ悪いからね。……まあ大人っつーか、赤ちゃんプレイだけど」

「あ、あの……ち、違うんですあや子さん……!?こ、これはその……」

「ああ、大丈夫。皆まで言わないで良いわ琴ちゃん。大方そのアホが『琴ちゃんと幼児退行赤ちゃんプレイしたいなー♡』ってせがんで来たんでしょ?ホント、変態な嫁を持つと苦労するわね」

「い、いえ……ですからホントに違う……」

「こ、琴ちゃん……大丈夫だよ……だ、誰にも言わないから。そ、それじゃあまたね……お、お邪魔しましたっ!」



 バタン!



「…………」

「……?ままー?ねー、もっとー!」

「…………ごめんね、小絃ちゃん……ううん、小絃お姉ちゃん。先にごめんなさいしておくね……」

「???」


 ……即帰宅した二人を扉越しに眺めながら。次の日に元に戻るであろう未来のお姉ちゃんに謝る私。

 ……多分、後でお姉ちゃん……あや子さんにさっきの事で弄られるだろうなぁ……



 ◇ ◇ ◇



『いやー。それにしてもなんつー倒錯的で頭の悪いプレイやってたのかしらね。流石の私もドン引きよ』

『…………えっと』

『ホント、琴ちゃんも大変よねー。あんな変態の変態プレイに付き合わないといけないだなんてさー』

『…………あ、あの……!あや子ちゃん!』

『んー?どうかしたのしかしら紬希?何かあった?』

『え、えっとねあや子ちゃん……私も……その』

『うん?私も何かしら紬希?』

『…………あ、あや子ちゃんと……あんなプレイ、してみたいなーって……』

『……えっ?』

『わ、私も常々思ってたの……あや子ちゃんの事、思いっきり甘やかして……甘えられたいなーって……!』

『…………えっ!?ちょ、待って!?しかも私が赤ちゃん役なの!?』

『……だ、ダメ……かなぁ?』

『…………ぅ、ぐ……』


 ……ちなみにこれは余談だけど。あの私と小絃お姉ちゃんのやりとりを見て(主に紬希ちゃんが)私たちに刺激され……同じ事をその日の夜、二人も楽しんだんだとかなんとか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る