32話 カウンセラー小絃お姉ちゃん

「——落ち着かれましたか紬希さん?」

「……はい」


 感情を爆発させ、私に縋り涙と謝罪の言葉を溢していた悪友のお嫁さんである紬希さん。嗚咽が聞こえなくなってきたタイミングで、私は彼女に声をかけてみる。


「重ね重ね、本当にごめんなさい。私……小絃さんに、なんて酷い事を……」

「いやいやいや。私は酷い事も何もされてませんよ。大丈夫です。気にしていませんから」


 心底申し訳ないといった表情で、紬希さんは私に本日何度目かもわからないくらい平謝りしてくれる。謝る必要なんてないのにね。修羅場が始まった時は流石の私も多少はびびったけれど。結局紬希さんは私に手をかけるような愚かな真似はしなかった。そんな人じゃないって、途中からハッキリわかったもん。


「本当にあいつの事好きなんですね。ここまで思い詰めちゃうくらい好きなんですね」

「……はい。初めてだったんです、私に……好意を抱いてくれた人は」


 小さな声で、恥ずかしそうに。でもとても嬉しそうに。紬希さんはそう語り出す。


「小絃さんがうちの病院で入院している時に、初めてあや子ちゃんと出会って。最初はとても綺麗な人がいるなーくらいにしか思っていませんでした。……それが、何度も何度もあや子ちゃんが貴女のお見舞いに来てくれるうちに……少しずつ話をするようになって、だんだんと仲良くなって。気づいたら、私……好きになってきて。恋を自覚したタイミングで、あや子ちゃんの方から言ってくれたんです。『紬希、私……貴女が好きなの。貴女さえ良ければ……私と付き合ってくれないかしら』って言ってくれたんです」

「……ほほぅ?あいつが好きって言ったんですか」


 へぇ……それはつまり、あいつから告白したって事なのか。それはそれは……中々面白い事を聞いたぞ。


「人に好きになって貰える……初めての経験でした。私……見た目通り、小学生にしか見えない貧相な体型ですし。引っ込み思案な性格な上に不器用で……誰かに好きになって貰えた経験がなくて。……そんな私に、初めて好きだって言ってくれたんです。何もかも新鮮でした。誰かを好きになった時のドキドキも、恋をする楽しさも。好きな人と一緒に居られる幸せも……その全部をあや子ちゃんが教えてくれたんです」


 紬希さんの一言一言から伝わる、あのアホへの強い想い。聞いているこっちもドキドキしちゃいそうになる甘酸っぱい『好き』という気持ち。

 ったく……こんなにも一途に想われて、あいつは幸せ者すぎるだろ……


「そんなあや子ちゃんと……出会うきっかけになってくれた小絃さんには、感謝しているのに。それなのに……私……小絃さんとあや子ちゃんの仲に、嫉妬しちゃって」

「紬希さん……」

「私……いつも不安だったんです。あや子ちゃん……綺麗でかっこよくて優しくて。老若男女を問わずモテるから。自分じゃあや子ちゃんに釣り合わないんじゃないかって不安でした。……でも、あや子ちゃんの『私の一番は、紬希よ』って言葉を……信じていました。釣り合わなくても、あや子ちゃんが好きでいてくれるならそれでいいんだって思っていました。ですが……貴女が目覚めてから、私の中で何かが狂い始めたんです。あや子ちゃんが『あいつの世話をしに行ってくるわー』って、楽しそうに小絃さんに会いに行くたびに……辛くて、苦しくて。醜い感情が胸の内で育っていって。……結局。私の心が弱いから。あや子ちゃんを、信じきれなかった……」


 ぶっちゃけ紬希さん視点で見ると、嫉妬するのも無理はない話だと思う。自分の事を好きだって言ってくれて、結婚までした相手が……昔なじみで腐れ縁の他の女と再会した途端、その女とイチャイチャ(?)して。家を空けるのが頻繁になって、最近ではとうとう朝帰りまでし始めたとかどう考えても浮気してるとしか思えないもん。


「弁明させてください紬希さん。誓って、あいつとは何にもないんですよ。私の家に押しかけていたのだって……あれは琴ちゃんに『私の代わりに小絃お姉ちゃんを見ていてくれませんか』って頼まれて。琴ちゃんの頼みなら仕方ないって、渋々やってただけの話ですから」


 ……お世話って言っても。実態は私のお世話と称して、あいつ私と琴ちゃんの家でぐーたらしてただけだけど。

 昔からあのアホは優先順位の付け方がわかっちゃいないんだよなぁ。私のお世話が必要だぁ?私には琴ちゃんがいるわけだし、そうでなくとも母さんだっているんだ。『嫁に悪いから今日は無理』とか言って断れば良かったんだよ。

 多分だけど。あや子の奴は紬希さんのことを信頼しているからこそ……この人の好意を理解しているからこそ。紬希さんに甘えてたんだろう。『この程度の事で嫉妬したりはしないだろう』『うちの嫁ならわかってくれるはず』ってな感じでさ。バカめ、他の誰よりも何よりも。まず自分の大切な人とのコミュニケーションを大事にすべきだったんだよあや子は。


「あいつ、アレでお節介なやつですからね。病み上がりな上に10年前からタイムスリップしてきたみたいな私のフォローをしようと色々考えてたんだと思います。ま、それで自分の一番の大事なお嫁さんを不安にさせちゃうとかダメダメ過ぎですけどねー」

「……はい。頭ではちゃんとわかっています。そういうぶっきらぼうだけど優しいところも、私があや子ちゃんの事を好きになったところですから。でも……」

「でも?」

「その事を差し引いても。貴女とあや子ちゃんは、お似合いで。あや子ちゃんは気が合う貴女と一緒の時が、一番輝いて見えて……それが、私にはとても羨ましくて……」


 そう言って紬希さんは困ったような笑みを浮かべる。……そうだよね。頭ではわかっていても、それじゃ納得いかない事もあるよね。

 ……しかたない。ある意味で私が元凶みたいなものだし。不安にさせてしまったお詫びに、彼女を安心させてあげようか。


「安心して貰えるように、この際なのでハッキリ言っておきますが。私とあいつ——あや子は。今も昔も、そしてこれから先も未来永劫。貴女が考えるような関係にはなりませんしなれません」

「え……」


 私のその断言に対し、目を丸くして紬希さんは聞き返す。


「どうして……そう言い切れるんですか?」

「確かにあいつとは気が合います。だから10年前も、10年の時が経った今でもつるんで気軽に喧嘩し合える……一番の悪友だって認めていますよ。でもね、紬希さん」

「は、はい……」

「いくら気が合うって言っても。そいつの事を好きになるかは、また別の問題でしょう?」


 良い機会だし、ここでハッキリと私のスタンスを公言しておこう。


「ちょっと昔話をさせてくださいね紬希さん。……今でこそ、色々と認めて貰えるめっちゃ良い社会に(知らない間に)なっていましたけど。でもですね、10年前は同性同士の恋愛って……かなり偏見が強かったんです」

「偏見、ですか……?」

「私も……あとあや子もですね。二人とも、10年以上前から好きになる人は同性……つまり女性を恋愛対象にしか見れなかったんですが……同性婚を認められている今と違って。当時はさっき言ったとおり、偏見がほんっとに強くですね。『女の子が好き』だってカミングアウトしただけで、かなり変な目で見られたりもしたんですよ」


 理解してくれる人も中にはいたけれど。それでもかなり色んな奴からからかわれたり。白い目で見られたり。陰で悪口を言われたりもしたっけか。


「酷い話ですよ。同性の同級生からは事あるごとに『襲われるー!』とか茶化されたり。『二人とも同性愛同士でお似合いだし、付き合ってんだろ』とか好き勝手言われた事もあってですねー」

「あ……あの、ごめんなさい……私も、同じような事を小絃さんにもあや子ちゃんにも言っちゃってる……」

「ああ、違うんですよ。あざ笑ってきた奴らと違って。紬希さんは真剣に、本気で『二人は付き合っているんじゃないか』って心配してたって私わかってますから」


 だからこそ、私とあのアホが付き合ってるんじゃないかって本気で聞かれてるってわかって地味にショックだったけどね……あいつと付き合うとか不名誉すぎる……


「っと……話を戻しますね。怖いもの知らずだった若かった当時の私とあや子はですね。そういう目で見られるってわかってはいましたけど、そんなの知ったことかって堂々とカミングアウトしまして。それで結局いじめの対象にもなっちゃってですね」

「だ、大丈夫だったんですか……?」

「大丈夫です。そういう奴らは全員——二人で蹴り倒してわからせてやりましたから」

「えぇ……」


 おっと?紬希さんに引かれてる気がするぞ?もしや純粋で純情そうな紬希さんには刺激が強すぎる話だったかしらん?ち、違うんですよ……言ったとおりあの頃は若かったんです……若気の至りって奴なんです……

 ……だから10年の時が止まっていたお前に関しては、若かったも何も当時のまま変わってないだろうって?ハッハッハ!気のせい。


「そーいう心にもない事言われた時は、決まってあや子と二人で仲良くそいつらをぶっ飛ばしながら、最後にこう言ってやりましたよ」


『女だったら誰でも良いんだろうって?ノンケだって女なら誰でも襲うんだろうって?……わかってない。それ、全然違うわ』

『確かに私たちは女の子しか恋愛対象には見れないわ。でもね……私たちにだって好みは当然あるに決まってる。喜びなよ、あんたら全員私たちの好みにかすりもしないから』

『逆に聞くけどさ。ならノンケのあんたらは男が好きなら、その辺の男なら誰でも良いの?男だったら誰であっても好きになれるの?』


「——ってね」

「……そう、だったんですか」


 そんな輩と対峙する度。『同性が好き』を『同性なら誰でも良い』と勘違いするんじゃない、ひとまとめにするんじゃないよってずっと思ってたなぁ。まー、あの当時は仕方ないと言えば仕方のない事だったかもだけど。

 そういう意味では今のこの……同性同士でもパートナーになれるって社会は。それが当たり前に受け入れられているこの世界は。……10年寝過ごしてた私から言わせて貰えばかなり凄い世界になったと思ってる。先人たちが相当頑張ってくれたんだろうなぁ……ありがとうございますって心から言いたい。


「……っと、すみません。また話が脱線してますね。えーっと、私が何を言いたかったのかですけど……ああ、そうだ。好みの話ですよ好みの話。この際だからはっきり言うと。あいつを好きでいてくれている紬希さんには申し訳ないんですが……」

「な、なんでしょう……?」

「私は、これっっっぽっちも。あいつから魅力というものを感じません」


 まずね、互いに全然好みのタイプじゃないだもの。私は……スタイル抜群な凜々しくて美しい大人の女性が好み。具体的に言うと、成長した琴ちゃんみたいな子が……

 逆にあのアホは……小さくて愛らしくて守ってあげたくなるような女性が好みなんだとか。具体的に言うと、それこそ今私の目の前にいる紬希さんみたいな人が超ドストライクらしい。

 あの頃が懐かしいな……当時からお互いの性癖を言い合っては『は?ロリコン過ぎだろ変態め』とか『あ?グラマラスな大人が好きとかとんだエロ娘め』とか口喧嘩をしたものだ。


「お互いに、恋愛感情を持てないんですよ。あくまで私とあいつは……絶対に交わることはないけれど。でもお互いの良いところも悪いところも分け隔て無く、嘘偽り無く。遠慮も躊躇も一切無しに自分を曝け出す事が出来る関係——平たく言えば。そう……悪友です」


 あいつと私は、どこまでいっても悪友だ。それ以上でもそれ以下でもない。


「……嘘偽り無く。遠慮も躊躇も一切無しに自分を曝け出す事が出来る関係……ですか。それって……恋人みたいなものなのでは?」

「大分違いますよ。少なくとも、私とあや子にとってはね。恋人には……曝け出せないんですよ。失望されたく無いから。自分の汚いところとか見られたくない物を隠したいって思うものですから」

「……なるほど」


 私の持論を聞いていた紬希さんは、納得したような納得していないような……ちょっと微妙そうな反応を示している。


「……やっぱり妬けますね。私……貴女が羨ましい」

「え?羨ましい?どこが?」

「私も……貴女みたいに、あや子ちゃんと色んな事を曝け出したいんです。でも、私には……どうしてもそれが出来なかったから……」

「……ああ、なるほど!」


 その一言でようやく私は、紬希さんが何を真に悩んでいるのかが理解出来た。つまり紬希さんは……


「紬希さん、貴女——あや子と、恋人じゃなくて。家族パートナーになりたいんですね」

「…………はい。そうです、その通りです。形式上は……私とあや子ちゃん、結婚出来ています。でも……本当の意味でパートナーになれているかっていうと……出来ていないと、思うんです」

「お互いが付き合った時のまま、恋人の関係のままって事でしょう?好きな人にガッカリされたくなくて。自分の綺麗なところばかり見せて見せられて……何もかも曝け出す事が出来ないんですよね」

「……その通りです。もっと私は……あや子ちゃんに、不満を言って欲しい。遠慮せずにダメなところはダメだって言って欲しいし、自分の恥ずかしいところを曝け出して欲しいんです。……だって、私……あや子ちゃんのパートナーだから。これから先も、ずっと、ずっと……あや子ちゃんと共に歩み寄りたいから……だから……!」


 やっぱりそういう事か。あー……だから私とあや子の喧嘩してるところを見て、羨ましいって発想になっちゃうんだね。好きだからこそ、もっと長い時間を共に過ごしたいからこそ……今のままじゃダメだって思っているだね。

 ……ホントに、すっごい愛されてるよなあや子の奴。羨ましい限りだよ全く。


「紬希さん。だったらこれから曝け出せば良いんですよ」

「え……」

「喧嘩したって良いじゃないですか。私にしたように……不満くらい、いくらでも爆発させれば良いじゃないですか。だって貴女たち……永遠の愛を誓い合ったパートナーのハズでしょう?喧嘩して、仲直りして。そして今よりももっと仲良くなれば良いじゃないですか」

「で、でも……私……」

「大丈夫ですよ。それで、もしお互いに気まずくなったら。関係の修復が難しくなったら……その時は」

「その時は……?」

「この私が悪友として。どんな手段を使ってでも。無理矢理あのアホと紬希さんと仲直りさせてやりますからご安心ください」

「…………」


 泥船に……じゃない、大船に乗ったつもりで安心して欲しい。何せ私はあいつの悪友。あいつの弱みならいくらでも知っている。素直に仲直りに応じなければ、ぶん殴ってでも……あいつの弱みを紬希さんに教えてでも。強制的に仲直りさせてあげようじゃないか。

 そう胸を叩いてふんぞり返る私を前に。紬希さんは一瞬呆気にとられた顔をしていたんだけど。


「……琴ちゃんが、貴女に好意を抱いている理由。あや子ちゃんが、貴女を信頼している理由。それがよくわかりました。……本当に、ありがとうございます小絃さん」

「いえいえ。お役に立てたならなによりです」


 今日初めて彼女は心から笑ってそう言ってくれた。……よしよし。ちょっとはこれでちょっとは紬希さんも安心してくれたかな。


「……その。疑ったりしてごめんなさい。小絃さんは何も悪くないのに……嫉妬したばかりか八つ当たりなんて……」

「あはは、そんなのお気になさらずに。愚痴くらいならいつでもいくらでも聞きますよ。何せ紬希さんは寝たきりだった私のお世話をしてくれた恩人でもありますからね」


 大体悪いのはこんなに素晴らしい嫁さんを不安にさせるような真似をしたあのアホですから。


「さーてと。それじゃ……紬希さん。更に安心して貰えるように、ついでと言っては何ですがもう一個だけ教えてあげますね」

「えと、何でしょうか?」

「あいつ……あや子ってですね。飄々としていてモテそうで、端から見たらプレイガールっぽく見えるじゃないですか」

「は、はい……それはまぁ……」

「でもね、あいつあれでかなり奥手と言いますか…………ここだけの話、ぶっちゃけて言うと……ヘタレで恋愛面はめちゃくちゃクソザコ女なんですよ。多分、恋人関係になれたのは紬希さんが初めてなんじゃないかな」

「え、えええっ!?」


 私のその暴露話に心底ビックリした顔をする紬希さん。ふっふっふ……思った通りだ。あいつ隠していやがったな。


「ほ、本当に?あや子ちゃんが……?」

「本当に。昔からそうなんです。恋愛以外なら無駄に度胸はあるくせに。恋愛関係になるとそれはもう弱々でして。気になる子が出来ても一度も声をかけられないままに終わるなんて一度や二度の話じゃありませんでしたよ。その度に私に泣きついて反省会に付き合わされたんです」

「い、意外だ……」


 私、正直紬希さんに会うまでは……マジであいつに恋人が——いいや恋人を通り超してお嫁さんが出来たって言われても信じる事が出来なかったんだよね。


「ヘタレだからそれはもう想像できないくらい相当苦労したんだと思いますよ。あいつが紬希さんと付き合うのはね」

「し、信じられません……私てっきり、経験豊富だって思ってました」

「とんでもございません。奴はただのヘタレでございます。……ねえ紬希さん。言ってましたよね?あや子の方から告白してきたって」

「は、はい……あや子ちゃんから告白して貰いましたけど……」

「それ聞いて私、正直ビックリしましたよ。あいつ、めちゃくちゃかっこつけたがりだから、間違いなく紬希さんの前だとそんな面を見せようとしなかったと思いますけど……どうしようもないくらいヘタレなんで。あいつの方から行動を起こすなんて、まずあり得ない事だったんです。少なくとも10年前は考えられませんでした」


 つまり裏を返すとそれは――あいつにとって紬希さんは。ヘタレな自分を変えてでもどうしても告白したいって思える……そんな人だって証明だ。


「だから……大丈夫ですよ。どうか自信を持ってください。誰がなんと言おうと……間違いなく、あいつが世界で一番好きなのは……紬希さん、貴女なんですから」

「……はいっ!」

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