31話 誤解と修羅場と彼女の想い

「——ねえ、琴ちゃん」

「はい?あや子さん、どうしましたか?」

「もしかしなくてもさ……私を連れ出してくれたのって、うちの嫁とあのバカを二人っきりにさせるためだったりする?私が琴ちゃんに『助けて』なんてお願いしたから」

「ええ。紬希ちゃん、小絃お姉ちゃんと腹を割ってお話がしたいって感じでしたからね。口実作って邪魔にならないように二人きりにしました」

「ええっと。それはありがたいんだけど。でもね琴ちゃん、今更だけどあのバカとうちの嫁を二人きりにして大丈夫だったかしら」

「どうしてですか?」

「……下手したら小絃と修羅場ってないかしら。最悪流血沙汰に……とか、なってないか……お姉さんちょーっと心配なんだけど……」

「ああ、その事ですか。……んー、確かに紬希ちゃん。人よりもちょっとだけ愛情が重たいですもんね。そう心配しちゃうのも無理はないですよね」

「(……ぶっちゃけ、琴ちゃんも人の事言えないと思うけどね……)」

「でも……大丈夫ですよあや子さん」

「えっと……大丈夫って何が?」

「大丈夫。小絃お姉ちゃんなら絶対なんとかしてくれるって、私信じていますから」



 ◇ ◇ ◇



「(たすけて琴ちゃん……ッ!?お願いだから早く帰ってきておくれ……ッ!)」


 心の中でヘルプと叫ぶ、頼れる従姉妹の琴ちゃんに助けてと叫ぶ。そんなただいま絶賛ピンチな私。


「お願い……お願いです小絃さん…………あや子ちゃんを、取らないで」


 修羅場


 この状況を一言で表すなら、これほどわかりやすい言葉はないだろう。


 琴ちゃんの友達で、あの悪友あや子のお嫁さん……紬希さんと会話の最中。どういうわけか床に組みされ、そして首に手をかけられてしまった私。

 え?なに?なんで私こんな事になっちゃってるの……?生命の危機だったりするの……?つーか私、紬希さんに何かしたっけ……!?


「あ、あの……紬希、さん?あや子を取らないでって……どーいう意味でせうか……?」


 少なくとも、私があのアホを取った覚えなんてない……と言うか、あんな奴を取ろうと思わないし思いたくもない。もしかして紬希さん、何か盛大に勘違いをなさっているのではなかろうか。

 とりあえず首に手をかけられて、いつでも彼女にキュッ♡とシメられてしまいかねないこの状況だし……下手に刺激をしないように慎重に確認してみる事に。


「小絃さんが目覚めてから。あや子ちゃんは、明るくなりました」

「へ?明るく?」


 いきなり何の話だろうと首を傾げながら考える。あいつが暗かった時なんてあるっけ?いつでもどこでも無駄にケラケラ笑ってるイメージしかないわ私。何せあいつ、昔から悩みなんて無縁の女だからなぁ。

 ……あ?万年悩みなどなさそうなお前が言うなって?失礼な、私はあいつと違って悩み事とか色々あるわ。琴ちゃんが綺麗すぎて辛いとか、琴ちゃんがえっちすぎて辛いとか。日々いっぱい悩んでいるわ。


「……正確に言うと。貴女が目覚めてくれたお陰で。あや子ちゃん本来の明るさを取り戻した、と言った方がいいのでしょうね。小絃さんが目覚めてからというもの。あや子ちゃんは日に日に素敵になっていくんです。生き生きとしていて。笑顔も絶やさずに。貴女と電話をしている時のあや子ちゃん、貴女と接している時のあや子ちゃん……本当に楽しそうで……」

「は、はぁ……」

「あや子ちゃんが素敵になっていく事自体は喜ばしい事です。あや子ちゃんが幸せだと、私も幸せです。……ですが」

「ですが?」

「……」


 そこまで言うと紬希さんは、自分の唇を噛み押し黙る。目を瞑り、少しの間が空いて……そして再び紬希ちゃんはぽつりぽつりと話し出す。


「実は……私。ここ最近、あや子ちゃんと喧嘩を……しまして。一応、すぐに仲直りはしました。でも……初めての喧嘩で。それ以来あや子ちゃんと……ちょっとギクシャクしてて……」

「喧嘩、ですか……?」


 ふむ……なるほど。この流れから察するに。その喧嘩と今の私のこの状況は少なからず関係しているんじゃないだろうか。ならばその喧嘩の内容さえわかれば、おのずと対処方法も見えてくるハズ。


「紬希さん。差し支えなければ、喧嘩された理由を教えて貰ってもいいですか?」


 一体あや子はこの人とどんな喧嘩をしたって言うんだ……?私の問いかけに紬希さんは目を伏せながら。


「私、あや子ちゃんに……こんなことを、言っちゃったんです——」


 それでもハッキリとこう告げた。


『あや子ちゃんはさ、本当は私じゃなくて……?本当は、あや子ちゃんと小絃さんは……付き合っているんじゃないの……?浮気、してるんじゃないの……?』


「——って。言ってしまったんです……」

「…………は?」


 その瞬間。私の頭は理解を拒み、身体ごとフリーズする。…………いま、なんと?


「は、はは……は……す、すみません。ちょっとよく聞き取れなかったので……もう一度言って貰えますか……?誰と、誰が……付き合っていると?浮気をしていると?」

「あや子ちゃんと、小絃さんがです……!」

「…………聞き間違いじゃ、なかったかぁ」


 その一言に思わず顔を覆って涙を流して嘆く私。くそぅ、聞き間違いであって欲しかった!ナンデ!?なんでよりにもよって、あのアホと私がそーいう事してる事になるんですかね!?


「私とあいつが付き合ってるとか浮気してるとか、どうしてそうなるんですか!?何をどう間違ったらそんな結論に至るんですか!?」

「だ、だって……!そうとしか思えないくらい、あや子ちゃんは小絃さんに構ってばかりなんですもの……!」

「どういうことなの……!?」

「た、例えばですがあや子ちゃん……最近は何かと理由を付けては私に隠れて貴女と連絡を取り合ったり」

「うっ……」

「休日も『ちょっとあのバカの様子を見てるくるわー』ってフラッと出かけたり。私と二人っきりになっても話題も小絃さんの事ばかりだし」

「ぐ、ぅ……」

「この前も……夜勤が終わって帰ってみたら、あや子ちゃん家にいなくて。心配になって電話をしても電話に出てくれなくて……待ち続けて、朝やっと帰ってきて……問い詰めたら小絃さんのお家でお酒を飲んでいたって……!」

「そ、それは……」


 涙目になって私にそうぶつける紬希さん。そう言われてみると……浮気を疑われてもおかしくないような気がする。私が紬希さんと同じ立場なら……同じように考えるかも知れない。

 特に最後の奴なんかさ、もう言い訳不可避な案件じゃね?大事な嫁さんが夜遅くまで頑張って働いているってのに……そんな彼女をほっといて自分は別の女の家で飲んでベロンベロンに酔って朝帰りとか。そりゃ菩薩みたいに温厚そうなこの紬希さんだって怒るのも無理はないんじゃないか?


「ここ最近は、小絃さんに会いに行く頻度も時間もますます増えています。あや子ちゃんと一緒に居られる時間が、どんどん減っているんです。……その度に、私思うんです。私と一緒に居るよりも……あや子ちゃんは、小絃さんと会う方が、楽しいんじゃないかって……」

「Oh……」


 なるほど、これはつまり。全部あや子が悪いな!ハッハッハ!いやはや全く…………何やってんのあのアホは!?『四六時中私と琴ちゃんのお家に入り浸ってるけど、こいつ大丈夫か?』って前々から内心思ってたけどさ……全然駄目じゃねーか!?

 くそぅ、なんで私があや子の浮気相手に認定されにゃならないんだ!?そんな理不尽且つ不名誉な扱いを受けて、その上なんでほぼ初対面の紬希さんと修羅場になることになるんだ!?紬希さんと私に謝れ!責任取れあや子!


「あ、あのですね紬希さん!私とあいつは神に誓って紬希さんが思われているような関係ではなくて——」


 とにかくこの誤解は早く解かねば色々マズい。あいつのアホな行動のせいで私の命に関わる事態になるとかマジで勘弁だ。そう思い弁明をしようとした私だったんだけど……



 ポタタ……



「(……え)」


 私が言い募る前に。真上から水滴がポタポタと私の頬に落ちる。それが何を意味するか、見なくてもわかってしまった。


「小絃さんと……あや子ちゃんは。ハッキリ言って、お似合いなんです。お互い以心伝心、気兼ねなく自分の想いをぶつけ合えて……喧嘩をしている時すらどこか楽しそうで。さっき、私言いましたよね?貴女の側に居るだけで、あや子ちゃんはドンドン素敵になっていくって。貴女があや子ちゃんにとって、かけがえのない存在だってわかります。わかってしまいます……」

「紬希さん……」

「……それが、私は何よりも羨ましい。私は、あや子ちゃんのパートナーになれたのに。私では……あや子ちゃんのあんな顔を引き出す事が、出来なかった……!それが悔しくて、虚しくて……!」


 大粒の涙と共に、紬希さんから強い感情がこぼれ落ちて私に降り注ぐ。


「束縛したいわけでは、ないんです……自由で奔放なあの人を、私は好きになったわけですから。私の事が一番好きだと言ってくれたあの人の、あや子ちゃんの言葉を疑いたくない。この程度の事で嫉妬なんてしたくない。あや子ちゃんと本当の意味で仲直りしたい。あや子ちゃんを困らせたくない……!」

「……」

「でも、それでもやっぱり……私は、あや子ちゃんの事が大好きで。小さな存在の私を見つけてくれたあや子ちゃんの事が、こんな重く醜い感情を持った地雷女な私に……好きだって言ってくれたあや子ちゃんの事が……どうしようもないくらい大好きで。失いたくなくて、誰にも取られたくなくて……だから……もう一度言います。お願いです小絃さん……」


 震える声で想いを吐き出し、震える手で私の首に手を当てて。


「私のあや子ちゃんを、取らないで……!」


 目を見開くのも辛いだろうに、涙を流しながらも私から目を逸らす事は無く。紬希さんはそう懇願した。

 この人と、あのアホにどんな出会いがあって。どんな恋物語が繰り広げられたのか。それは私にはわからない。こんなに可愛らしくて一途な人が、あんな奴のどんなところに惚れたのか。それも私にはわからない。

 けれど、これだけはわかる。この人はこんなにもあいつの事が——


「紬希さん」

「……はい」

「どうして、私の首……絞めないんですか?」

「……ッ!?」

「やろうと思えばいつでも出来たはず。憎い恋敵(?)の私を、いつでもキュッとシメれたはず」

「そ、それは……」

「それでも貴女はそうはしなかった。……だって貴女はわかっているから。そんな事をしたら……

「……」

「紬希さんは……本当に、あいつの事が好きなんですね」

「ぅ、ぁ……あぁあ…………っ!」


 始終首に手をかけておきながら、あれだけ私に強い感情をぶつけておきながら、ハッキリと嫉妬していると言っておきながら。一度たりとも手に力を入れる素振りは見せる事はなかった紬希さん。

 どうしてかって?そんなの決まってる。そんな事をすれば、あや子が悲しむってわかってるから。紬希さん、自分で言ってたもんね。大好きで大好きで堪らない、あや子の事を困らせる事はしたくないって。


「ごめん、なさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……っ!」

「大丈夫、大丈夫です。心配しないで。あいつは取りませんから。ね?」


 色々と限界だったのだろう。堰を切ったように涙を流しながら私の首にかけていた手を離して。私に倒れ込みながら謝罪の言葉を何度も何度も口にする紬希さん。

 そんな子どものように泣きじゃくる彼女の背中を、彼女が落ち着くまでポンポンと叩きながら思う。


「……ホント、あのアホ何やってんだか。こんなに一途な嫁さんを泣かせてんじゃないよ全く」


 帰ってきたら、それなりの罰を与えてやるから覚悟しておけよ悪友……!



 ◇ ◇ ◇



「——それにね、あや子さん。私確信しているんですよ」

「確信……?えっと琴ちゃん?何を確信しているのかしら」

「あや子さん言いましたよね?修羅場になってないか、流血沙汰になってないか心配だって。修羅場には……まあ多少はなってるとは思いますが。それでも……流血沙汰には絶対になりませんよ。あの紬希ちゃんが、小絃お姉ちゃんをどうこうするって事はないって私は確信しています」

「……どゆこと?」

「だって。もしも紬希ちゃんがお姉ちゃんを傷つけたりしたら……あや子さんが悲しむでしょう?大事な親友が傷つく事も、それを自分の大切な人がやってしまったという事も。そんな事になったらあや子さんは悲しんでしまうでしょう?あや子さんを世界で一番大好きな紬希ちゃんが、そんな愚行……犯すはずありませんよ」

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