30話 大好きな人、取らないで

 ―――あや子の嫁が遊びに来る。


 琴ちゃんからそんなにわかには信じがたい話を聞いてから、きっちり1時間後。半信半疑の私の前に現れたのは、もはや見慣れた悪友のあや子と……それからもう一人。


「えっと、初めまして……とはちょっと違うかもですが。小絃さんと直接こうしてお話しするのは始めてですのでご挨拶をさせてください。あや子ちゃんの……パートナーの。伊瀬いせ紬希つむぎと申します」

「…………」


 あや子に連れられて、丁寧な口調で自己紹介してくれるのは。私の大好きな琴ちゃんとはまた別のタイプの可愛らしい人。つぶらな瞳と困り眉とツインテが特徴の、如何にもあや子のタイプど真ん中って感じの小柄な女性だった。

 そんな彼女……紬希さんに。折角挨拶されたというのに、私は言葉を失いただただ呆然と彼女を見る。


「ちょっと小絃?あんた、折角うちの嫁が挨拶してるって言うのに。何をぼけっとしてんのよ。挨拶返さないの失礼でしょうが」

「…………あや子の……嫁……?」

「なによ小絃。そのいつにも増して不細工で変な顔は何なのよ」

「バカな……あや子の嫁さん…………!?」

「実在って何よ……開口一番失礼な事をうちの嫁に言うんじゃないわよ。って言うか、前あんたに嫁の写真見せてやったでしょうが」


 確かに以前こいつに『この子が私の可愛い嫁よ』と、頼んでもないのに見せつけられた事はある。だがしかし……


「てっきりあや子の妄想、妄言の類いかと。気になってる子を勝手に盗撮して、この子がわたしの嫁だって虚言を振りまいているものかとばかり」

「失礼にも程があるわねあんた……」


 だってあのあや子が結婚出来たとか信じらんないし……


「あ、あの……どうなさいましたか小絃さん?」

「ああ、すみません失礼しました。えー……それで、紬希さん?ちょいと確認したいんですが、貴女がコイツの……あや子のお嫁さんってのは間違いありませんか?」

「は、はいそうです。あや子ちゃんに……お嫁に貰ってもらいました」

「そう、ですか……なるほど……」

「どーよ。信じてくれたかしら小絃」

「うむす、これはもう信じざるを得ないみたいね」


 他でもないご本人からこう言われては、信じられないが信じるしかあるまい。そうか……こんなに可愛い人が、本当にあや子のお嫁さんなのか……


「さて、それを踏まえてあや子?」

「何よ小絃」

「…………一体どんな催眠術とか薬物とかを使ったの?今なら通報するだけで許してやるから正直に言いなさい」

「ちゃんと真っ当な手段で口説き落としたわよ!?」

「なるほど、真っ当に……金銭を用いて無理矢理嫁にしたって事か……」

「ホントに失礼極まりない奴よねあんたってバカは!?それのどこが真っ当だと!?」


 だってこんなにあや子の好みドストライクな可愛くて性格も良さそうな女の子を、あのあや子がゲットしているとか……いくらなんでもあや子に都合が良すぎるし……まともな手段を使ったとは到底思えないし……


「え、ええっと……琴ちゃん。も、もしかして私に何か問題があるのでしょうか……?私を巡って(?)お二人が言い争っているように見えるんですけど……」

「大丈夫大丈夫。紬希ちゃんに問題なんて無いし、あれはいつもの二人のコミュニケーションだから気にしたら負け。小絃お姉ちゃん、それにあや子さん。紬希ちゃんも困惑してるし、積もる話もあると思うから。そろそろリビングに案内しようね」

「そ、そうだね……」

「そ、そうね……」


 ギャーギャーとあや子と言い合っているところで、琴ちゃんが仲裁しつつそんな提案してくれる。む……それもそうか。あや子はともかく、お客さんである紬希さんに立ち話させちゃうのも失礼だわ。そんなわけで琴ちゃんに言われたとおり、一旦紬希さんをリビングにお連れする事に。


「すみません紬希さん。ちょっと色んな意味で動揺して失礼をしちゃいました。改めましてご挨拶させてください。初めまして。音瀬小絃と言います。以後よろしくお願いします」

「は、はい。あや子ちゃんと琴ちゃんからお噂はかねがね。こちらこそよろしくお願いしますね」


 ソファに座って貰い、琴ちゃんの美味しいお茶を飲んで。ようやく少しは冷静になれた私。一息入れてからもう一度紬希さんと挨拶の仕切り直しをする。


「ふふふ……小絃お姉ちゃん。お姉ちゃん的には紬希ちゃんとは確かに初めましてだと思うけど。実はそういうわけでもないんだよ」

「え?初めましてじゃない……?」


 琴ちゃんに言われて思い出す。そーいや朝もそんな事を琴ちゃんは『初対面というわけでもない』と言ってたね。でもおかしいなぁ?紬希さんとお会いした覚えが全然無い。いくら記憶力もアレな私とはいえ、こんなに可愛い人なら流石に忘れないと思うんだけど。

 そう首を傾げる私に。琴ちゃんは面白そうにクスクス笑って答えを教えてくれる。


「実はね。他でもない、ここにいる紬希ちゃんはね——看護師さんなの。それも……小絃お姉ちゃんが入院している間、お姉ちゃんのお世話をしてくれたお姉ちゃんの担当の看護師さんなんだよ。毎日毎日、お姉ちゃんの容態をチェックして。お姉ちゃんを見守り癒やしてくれた人なの」

「えっ!?そ、そうなの!?」

「は、はい……一応……ですけど……」

「感謝しなさいよね小絃。あんたが10年も眠りこけていたにもかかわらず、褥瘡一つ無く今も経過良好で回復に向かってるのは。ここにいる琴ちゃんと、そしてうちの紬希のお陰なんだから」


 私の担当看護師さん!なるほどそういう事かとようやく合点がいった。どうりで琴ちゃんも不思議な言い回しをしてたわけだ。確かに知らないけど初対面ってわけでもないよね。私が意識がなかった時に会ってたってことなのね。

 そっかぁ……私担当の看護師さんかぁ……


「紬希さん。その節は本当にお世話になりました。何年も私を看てくださって本当になんてお礼を言ったら良いか」

「い、いえ……そんなお礼なんて……看護師として当然の仕事をしていただけですし、そもそもあまりお役には立てなかったですから。正確に言うと小絃さんを受け持ったのは2,3年程度ですし……それに、お礼を言わないといけないのは寧ろ私の方なので……」


 お礼を言うと恥ずかしそうに俯いて謙虚にそう言う紬希さん。……うーむ奥ゆかしい。こんな良い人が、がさつで傲慢なあや子の嫁ねぇ……


「それで……紬希さん」

「は、はい。何でしょうか小絃さん?」

「琴ちゃんから聞いたんですが、なんでも私に話があるんだとか?」

「……はい。そうです。是非とも、小絃さんに……話したい事が、あるんです」


 つい先ほどまではオロオロとしていた紬希さんは、私のその問いかけにとても真剣な表情でそう告げる。ふむ、話したい事とな?


「実は……ですね……」

「おっと。みなまで言わないでください紬希さん。その顔を見れば、私に聞いて欲しい事がなんなのか一発でわかりましたから」

「え……ほ、ホントですか……?」

「わかりますとも。つまりアレでしょう?」


 その紬希さんの真面目な顔を見て私は完璧に理解する。なるほど……そうかわかったぞ。彼女が我が家へ来た理由が。紬希さん、貴女は……


「——あや子に弱みを握られて、無理矢理関係を迫られて困っていると。それで悪友である私に逆にあや子の弱みを聞きたいと。そういう事なんでしょう?良いですよ、いくらでもお力をお貸ししましょう!」

「え……えっ!?」

「小絃、今すぐ表へ出なさい。喧嘩なら買ってやろうじゃないの」


 あや子に胸ぐらを掴まれる。何だねこの手は?痛いじゃないか。


「さっきからあんた何なのよ!?どんだけうちの可愛い嫁を私の嫁だって認めないつもりなのよ!?なんか文句でもあるわけ!?」

「文句はないけど……でもやっぱ信じがたくて。それだけあり得ない事が起きてるって事だしさ。あや子に嫁とか天地がひっくり返ってもあり得ないって思ってたし。おまけにあんなに愛らしくて素直そうな人がお相手とか……あや子が卑劣な手段を用いて手込めにしたとしか思えないし」

「ぶっ飛ばすわよ!?それを言うなら、あんたみたいな生活能力も財力も甲斐性すらもない駄女に、美人で完璧超人な琴ちゃんが惚れてるって事実の方があり得ないでしょうが!?」

「な、なにおう!?確かに何で私みたいな奴が琴ちゃんみたいな超絶美人に惚れられてるのかって疑問は私の中にもちょっとはあるけど、それはさておきあや子のその言い草だとまるで私が琴ちゃんのヒモみたいじゃないか!?」

「ハッ!みたいもなにも、あんたは琴ちゃんのヒモそのものでしょうが!」


 再びギャーギャーと二人で言い争う。こいつめ……言って良い事と悪い事も区別がつかんのか……!良いだろう、今日は喧嘩の特売日らしいし……言い値で買ってやろうじゃないかその喧嘩……!


「ふふふ。相変わらず、お姉ちゃんたちは今も昔も仲良しさんだ」

「…………(ボソッ)良いなぁ、小絃さん……私も、あや子ちゃんとあんな風に……」



 ~お姉ちゃんズ喧嘩中:しばらくお待ちください~



「——そ、それで……紬希さん。もう一度確認しますけど……こいつに催眠術をかけられているとか薬物を用いられているとか、お金とか弱みとか使って関係を迫られているとか……そういうわけじゃないんですね?それについての相談じゃないんですね?」

「は、はい……ご心配されずとも、そんな事実はありませんので……」


 ひとしきり昔みたいにあや子と大暴れしてから、再度紬希さんに確認を取る。どうやら紬希さんは私が危惧していた事を相談に来たわけではなかったらしい。

 ……だとしたらなおさらわからないな。患者と看護師という関係ではあったけれども、面識らしい面識がないと言うのに……紬希さんは一体私に何の用があってうちに来たのかな……?


「そうですか。違うならそれは良かった。……それじゃ、改めて聞きますけど。私に話って一体なんでしょうか?」

「それ、は……えっと。そのぅ……」


 私の問いかけに対し紬希さんはチラリと琴ちゃんとあや子を見て、言いづらそうにモジモジしている。……ん?ひょっとしてこの感じ……あや子たちの前では話しづらい事なのかな?二人の手前、話すに話せないって事か?


「(ボソッ)小絃お姉ちゃん、多分紬希ちゃん……私たちが側に居ると話したい事が話せないと思うの」

「(ボソッ)あ、やっぱ琴ちゃんもそう思う?」


 どうやら琴ちゃんも私と同じ事を考えたみたいだ。紬希さんのその様子を琴ちゃんは瞬時に理解し、その上で私にそう耳打ちしてくる。


「(ボソッ)紬希ちゃんが気兼ねなく話が出来るように……私とあや子さん、しばらく外で時間を潰してくるね」

「(ボソッ)了解。頼んだよ琴ちゃん」

「(ボソッ)30分くらいで戻るね。お姉ちゃんはその間に紬希ちゃんのお話、聞いてあげてね。紬希ちゃん大分悩んでいるみたいだから……親身になって聞いてあげて」


 流石私の琴ちゃん。気遣い上手で察しが良い優しい子に育ってくれてお姉ちゃん誇らしいわ。


「紬希ちゃん、ごめん。お茶菓子を用意してたつもりだったけど……うっかり買い忘れがあったみたい。私ちょっとお買い物してきても良いかな」

「え、あ……う、うん。勿論いいよ」

「ありがとう。ああ、あと一人じゃ人手が足りないかもだから……あや子さんに一緒に来て貰いたいんだけど……あや子さんを借りてもいい?」

「あや子ちゃんを……?え、ええっと。それも良いけど……わ、私も手伝った方が良いかな……?」

「紬希ちゃんはいいよ、お姉ちゃんとお話があるんでしょう?買い物はあや子さんと行ってくるからその間にお話の続きしておいでよ。……それでいいですよねあや子さん?」

「え?え、ええ勿論よ。……紬希、悪いんだけど荷物持ち行ってくるから。そこのバカのお守りを頼んだわよ」

「は、はい。わかりました……そ、それじゃあ二人とも……気をつけてね……」


 上手い事琴ちゃんが誘導してくれたお陰で、自然と紬希さんと二人きりになった。そのタイミングでもう一度聞き直してみる。


「それで紬希さん。さっきの話の続きですけど。私に話って一体なんでしょうか?」

「…………はい」


 邪魔する人が誰もいないこの状況。紬希さんは大きく深呼吸をして、ようやく意を決して私に語り始める。


「先に謝らせてください。急に、こんな話をされて……ほとんど交流もないのに、こんなことを言われてもって……小絃さんを困らせる事になるかもしれません。困惑される事になるかも知れません。本当に申し訳ございません」

「いやいや、お気になさらず。私で良ければ何でも聞きますよ」


 知らなかったとは言え、琴ちゃん同様何年も寝たきりだった私のお世話をしてくれてた人なんだ。力になれるかはわからないけど、いくらでも話くらい聞いちゃいますよ。そう思いながら彼女の話に耳を傾ける。


「……小絃さん。私、ですね……小絃さんには感謝しているんですよ」

「感謝?え、何で?」


 紬希さんに感謝をされる事なんてないハズなんだけどな……?


「こんな事を言うと不謹慎と言うか、申し訳ないんですけど……貴女がうちの病院に入院してくれたお陰で、貴女のお見舞いに毎日通い詰める琴ちゃんと知り合えて、お友達になれたんです。そして……同じく貴女のお見舞いに通うあや子ちゃんと運命の出会いをして……貴女を通じてあや子ちゃんと仲良くなって、好きになって……好きになって貰えて。そして告白して貰えて……素敵な関係を築く事が出来たんです」

「あー、なるほどそれで感謝してるって事ですか」


 感謝しているだなんて一体何の話かと思ったけど。なるほどね、知らず知らずに恋のキューピットになってたって事か。いやー、私ったら罪作りな女ね!

 なんて調子に乗った事を考えている私をよそに、紬希さんは静かに話を続ける。


「貴女がもし、事故に遭わずに入院なんてしなかったら……きっと私は、あや子ちゃんと……大好きな人と結ばれる事なんて、あり得なかった。だから……私、小絃さんにはどれだけ感謝をしてもしたりないって思っているんです」

「ははは!それは良かった。そう思って貰えたなら、事故った甲斐(?)があるってもんですよ」

「ええ、そうです。小絃さんには感謝しているんです。…………

「ん?でも?」







「…………感謝している気持ちと同じくらい、私……貴女を

「…………へ?」


 そんな事を言われたその刹那。私の視界は反転する。気づけばカーペットの床に寝転がっていた。慌てて身を起こそうとしたけれど、それは叶わない。紬希さんが倒れた私に馬乗りになり、そして私の首に自身の震える両手をかけていたのだから。

 一体何だ?何が起きた?困惑する私を虚ろな目で見下ろしながら……紬希さんはこう告げる。


「あ、あの……えっ……と?つ、紬希……さん?こ、これは一体……?」

「お願い……お願いです小絃さん…………あや子ちゃんを、取らないで」

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