18話 演奏中は(珍しく)真面目です

 滑らかに、涼やかに。私の小さな部屋いっぱいに、美しい箏の音の調べが文字通り琴ちゃんの手によって奏でられる。


 右手の親指、中指、人差し指に琴爪を付け、13本の弦の上を流れるように行ったり来たり。反対側の左手は弦を押したり引いたり、右手だけではカバー出来ない微妙な音の変化を与えて色を添える。

 鳥の鳴く様子、風の表現、虫の音……様々な奏法を巧みに用いた琴ちゃんのその箏の音は、目を閉じれば容易に自然豊かな情景が思い浮かんできた。


「(琴ちゃん、すっごい楽しそうに弾くなぁ……)」


 ただ音を出そうと躍起になっていたさっきまでの私とまるで違う。琴ちゃんの演奏は所作一つ一つが丁寧で優雅でとても華があった。落ち着いて、正確に、それでいてとても気持ちよさそうにのびのびと。なんだか見ているこっちまでも楽しくなってくる。


「お姉ちゃん、何か聴きたい曲とかあったら遠慮しないでリクエストしてね。だいたい弾けると思うから」

「マジで?んーと、それじゃあねぇ……」


 楽譜も無しにそう言い切るとは相当自信があるのだろう。試しに私がいくつかリクエストしてみると、そのリクエストに合わせて定番の曲から最近流行の曲の箏アレンジにいたるまで。様々な音楽を箏に乗せ、たった一人の観客であるこの私を大いに楽しませてくれた。


「——以上をもちまして、本日の演奏は終了です。最後までお聞き頂き、ありがとうございました」


 曲が終わると本物の演奏会のようにお辞儀と挨拶で締めくくる。最後の挨拶までも優雅に終えた琴ちゃんに、私は素敵な曲を聴かせてくれたお礼に割れんばかりの拍手で彼女を称える。


「すごい、凄いよ琴ちゃん!めちゃくちゃ上手じゃないの!私本気で聞き入っちゃったよ!」

「良かった。お気に召してくれたみたいだね。練習した甲斐があって良かったよ。まあ、昔のお姉ちゃんの箏の腕には負けるけどね」

「いやいやいや謙遜しないで!当時の私よりも遙かに上手いじゃん!」


 知らぬうちに磨いていた琴ちゃんの箏の腕は、少なくとも私が知る限りだと箏の師範だったばっちゃん並。そりゃあ琴ちゃんは昔から結構手先が器用な子だったけど、まさかここまで出来るとは……うちの従姉妹ったら天才過ぎる……いやはやおみそれしました。


「つーか……このプロ級の腕前で、琴ちゃんが邦楽家をやってないのが不思議なくらいだよ……箏一本でご飯が食べられるレベルじゃないの」

「そう?まあ、確かに昔は学校の先生にも『是非とも名のある音大へ』って推薦されたり、箏の師匠にも『是非ともプロに』ってお誘いを受けたりもしたけど……」

「けど?」

「大学行くにせよプロになるにせよ。どちらにしても眠ってたお姉ちゃんのお見舞いに行く時間が減っちゃうでしょ?だから丁重にお断りしておいたよ」

「もったいねぇ……!」


 その素晴らしい才能を持っていながら、そんな理由でプロになる道を蹴ったの!?天国のばっちゃんも多分草葉の陰で泣いてるよ!?


「良いんだよ。箏を始めた理由は、単にお姉ちゃんが習ってたから私も習ってみたいなって思い至っただけの話だし。箏をお仕事にしようなんて考えた事もなかったよ」

「で、でもなぁ……」

「それにね」


 渋る私とは対照的に。当の本人である琴ちゃんは何の憂いも曇りもない表情で、


「一番聴いて欲しい人に、私の渾身の演奏を聴いて貰うって長年の夢が……今日叶ったから。プロになって日本中の人に演奏するよりも、何よりも望んだ念願の夢が叶ったから。それだけで私は満足なの」

「琴ちゃん……」


 そんな事を言い切った。ホントにこの子は……私の事、大好きすぎだろ……そんな嬉しい事言われたら、泣くぞ?お姉ちゃん泣いちゃうぞ……?


「ああ、でも……今はプロの道を目指すのもありかなってちょっとだけ思ってるよ。今更だけどさ」

「え?そうなの?」

「うん。だってお姉ちゃんが目を覚ましてくれたからね。もう一つ私、夢があってね。お姉ちゃんと二人でプロになってさ。そんで、お姉ちゃんと一緒に舞台に立って……二人で箏を演奏したいって思ってたの」

「……私と一緒に箏を?」

「そう!着物着て、たくさんのお客さんの前で。二人でね、息を合わせて二重奏を奏でるの!絶対楽しいよ!」


 ふむ……琴ちゃんにそう言われて想像してみる。自分がプロになって……そんでもって他でもない琴ちゃんと一緒に、舞台で箏を演奏する姿を。

 さっきまであんなに素敵な音を届けてくれた琴ちゃん。その琴ちゃんの隣で、互いに高めあいながら演奏できるなら。ああ、それはきっと——


「悪く、ないかも……」

「おお!やった、お姉ちゃんも結構乗り気っぽい!だったら今すぐにでも……コンサートの準備をば」

「いくらなんでも気が早いよ琴ちゃん!?」


 こちとらブランクありまくりで、まともに弾けないってさっき言ったばかりなのすっかり忘れてないかね琴ちゃんや?つーか、そんなノリと勢いだけでコンサートなんて開催出来るわけないでしょうに。


「まあプロとかコンサート云々は置いておくとして。唯一の特技の箏をまた弾けるようになりたいなとは思うし……琴ちゃんと一緒に弾けたら最高だとは思うけど。如何せん、ここまで腕が鈍ってると……琴ちゃんと一緒に弾けるようになるのは当分先の事になりそうだよね」

「大丈夫、小絃お姉ちゃんならちょっと練習すれば勘を取り戻せるよ」

「そうだと良いんだけどねー。なんか久しぶりすぎて、練習もままならない状態なんだよね私」


 何せ基礎すらかなり怪しい残念な感じだったもんね……そう私が琴ちゃんに言うと、琴ちゃんはにっこり笑ってこう返す。


「だったら……今から私と一緒に練習しない?お姉ちゃんさえ良ければ、私が箏を教えてあげるよ」



 ◇ ◇ ◇



「——座る位置はここ。……これが別の流派だと座る場所が違ってくるけど、お姉ちゃんが昔習ってたのはこっちだから弾きやすいと思う。あとは座り方だね。まっすぐ背骨が伸びるように……そう。力まなくて大丈夫、肩の力を抜いて」


 抱きすくめられる形で、後ろから琴ちゃんに箏の指導を受ける。


「手の形はこう……右手は丸く、柔らかく。左手は添えて……うん、そうそうそんな感じ」


 琴ちゃんの手が、私の手を包み込む。柔らかくって温かいその手で直接琴ちゃんは指の位置や手の形を教えてくれる。


「遠くの弦に触れたい時はそんな風に前屈みにはならないで。こうやって……腹筋を意識しながら上体を倒して、自然に届く位置に近づいて」


 琴ちゃんも私に合わせて動くべく背中越しにぴったり密着しながら、文字通り身体で私に教え込ませる。背中に琴ちゃんの温もりを、胸の鼓動を感じながら。私は箏と真剣に向き合う。


「……ふふっ」

「?琴ちゃん、どうして笑うの?何か私おかしな事をしちゃってたりする?」


 と、そんな箏のレッスン中。琴ちゃんは不意にクスリと笑みを零す。あれ……もしかして私、何かミスっちゃったりするのかな?不安に思った私に対し、琴ちゃんは首を振ってこんなことを言ってくる。


「んーん。違うの。大した事じゃないんだけどね」

「うん」

「いつものお姉ちゃんだったら——」


『ふぉおお……琴ちゃんに手、握られちゃった……!柔らかくってあったけぇ…………ついでに、別の柔らかくって温かいものも……背中に感じちゃうんですけどぉ……!?でっか!琴ちゃんでっか!今更感あるけど……琴ちゃんったら10年でこんなとこまで立派に育っちゃって……メロンか!?すぐそばに、耳元に吐息と声がかかってくすぐったいよぉ……ぞわぞわするよぉ…………こんなの箏の練習どころの話じゃないじゃん!無理!こんなのむーりぃ!』


「——的な反応をしてくれるだろうなって思って。お姉ちゃん全然動じないんだもん。やっぱり箏のことになると集中力半端ないね」

「……」


 その言い草だと琴ちゃんや?いつもの私ならそんな風に鼻息荒くして、琴ちゃんのスキンシップに興奮しているように聞こえるんだが?

 …………その通りだけどさ。


「そういう琴ちゃんもさ、いつもだったら——」


『ああ……お姉ちゃんにそんな風に扱われるその箏がうらやましいなぁ。……私も同じことなんだし、お姉ちゃんにいっぱい指で弾かれたり撫でられたり摘ままれたりいじくり回されたり……いっぱいお姉ちゃんの手で鳴かされたいなぁ……お姉ちゃんに調教——もとい調律されたいなぁ……』


「——的なきわどいこと言って私を挑発してくるのに。今日は大人しい(?)のね。思いのほか、ちゃんと箏も教えてくれてるし」

「……ふふふ♪やだなぁ、私そんな事言わないよー?」


 嘘おっしゃい。いつも私にダイタンな発言をかましては、ドキドキさせちゃうくせに……


「まあ確かにいつもの私なら、そうやって全力で身体使いつつ。お姉ちゃんを言葉巧みに堕とそうとしちゃうだろうけど」

「やっぱしちゃうのね……」

「でも、私知ってるから。お姉ちゃんって昔から……箏に関してはすっごい真面目だってこと」

「へ?」


 ……私が、真面目?真面目かぁ?


「自分では気づいていないんだね。箏のことになるとお姉ちゃん、どんな時でも真剣で……そんなお姉ちゃんの邪魔は出来ないよ。いつもの百面相しちゃう可愛いお姉ちゃんも素敵だけど、今は凄くかっこよく見える。今も昔も、箏を弾くお姉ちゃんはすっごいかっこいいんだよ」

「かっこいいの?この私が?」

「あ、ごめん、かっこいいはちょっと褒め方としては嫌かもしれないけど……でも、本当に昔から箏を弾くお姉ちゃんって凜々しくて素敵なんだよ。物心ついた時から、お姉ちゃんの箏を聴かされてて……その時からずっと私、お姉ちゃんの箏の音に聞き惚れて。そしてお姉ちゃんの琴弾く姿にあこがれて……見惚れてたんだ」


 頬を染め、うっとりと琴ちゃんはそう力説してくれる。……うーん?鏡をちらりと覗いて見てみたけど、残念ながら琴ちゃんの言う凜々しくてかっこいい素敵な人はどこにも映ってはいなかった模様。どうやら、美的センスだけは琴ちゃんも10年経っても成長していないようだ。

 でも、まあうん。悪い気は……しないかな。


「小絃お姉ちゃん。また私にお姉ちゃんの箏を聴かせてね。私……お姉ちゃんの箏大好きだから」

『コイトおねえちゃん!もっと!もっと琴におねえちゃんのおんがくきかせて!』


 キラキラした、あの頃のような期待を込めた目を向けて。琴ちゃんは私にリクエストしてくれる。

 ……こんなに可愛いファンが私の演奏を待ってくれてるんだ。ちゃんと練習、しとかないとね。

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