17話 箏(こと)?琴(こと)?事(こと)?

 たとえそれがどんなダメ人間だろうと。例えば料理だったり勉強だったり運動だったりゲームだったり……何かしら、自分はこれが人よりも得意だって誇りに思える物が誰でも一つや二つはあるものだって私は思う。

 現に料理も勉強も運動も、ゲームでさえもダメダメな私にだって。たった一つだけ人よりも多少は得意分野がある——いや、失礼。得意分野がわけだし。


「わ……こんなところにあったのか。懐かしいなぁ」


 琴ちゃん庇って事故に遭い、10年寝過ごしてたねぼすけ娘な私、音瀬小絃。今日は久しぶりに実家の自分の部屋に帰って、10年間手付かずだった部屋の大掃除をやっていたんだけど……

 掃除中に押し入れの中で偶然発掘したとある物がとても懐かしくなり、つい掃除の手を休めて広げてみる。


「いやー。死んだばっちゃんにメチャクチャやらされたよなぁ、箏は」


 出てきたのは日本の伝統楽器であること。ん?「箏」って何だ?琴ちゃんの字と同じ「琴」とは違うのかって?ああ、うん。厳密に言うとかなり違うって言うか……多分実物を見て貰ったら違いがよくわかると思うけど。私の今目の前にある「箏」がを使って音を調整しながら音程を変える楽器なのに対して。「琴」にはがなくて、こっちは指で弦を押さえて音程を変えながら弾く楽器なのである。

 余談だけど昔は当用漢字には「箏」って字がなかったから、代わりに我らが琴ちゃんの「琴」の文字が使われてそれが一般的に広まってしまったそうだ。だから多分世間の皆さんが想像していることとはこのことことだと思う——って「こと」だらけでややこしい?そんな豆知識はどうでも良いって?ま、まあそうだね……


「……うん。折角だし弾いてみようかな」


 音瀬小絃——なんて如何にも音楽に関係するような苗字と名前を付けられているから……という訳じゃないんだけど。箏の師範だった祖母の影響で、小さい頃はそれはもうみっちり指導させられてて……そのお陰で、箏曲に関しては人よりも多少は出来ると思っている。

 なにせ普段は私をアホの子扱い(扱いって言うか実際アホの子だろって?やかましい)してるあの母さんや悪友あや子でさえも。私が箏を弾く時は素直に褒めてたし。


「へへへ……お前も10年間、私を待っててくれたのかね?悪かったね、ご主人様が久しぶりに弾いてあげようじゃないか」


 かつての相棒を前にして、なんだか急に弾いてみたくなった私は早速準備に取りかかる。自分と同じく10年眠っていたにしては、妙に手入れが行き届いている箏を軽くメンテナンスして。琴爪を装着し。そして姿勢を正していざ——



 へにょぉおおん……



「…………あれっ?」



 ◇ ◇ ◇



「——だぁーめだ。ダメダメ全然ダメ。私めちゃくちゃ鈍ってるわ」


 しばらく試行錯誤してみたけれど。自分が思ってた以上にブランクがあったらしい。かつては唯一と言っても良いほどの得意分野だった箏の腕は鈍りきって、いい音は出ないわ音も小さいわ、そもそもどう弾いてたか忘れてしまっているわと。大変残念な結果に終わってしまった。


「くそぅ……なんか悔しいな」


 あれだけばっちゃんにビシバシ習わされてたし、それにたった一つでも自分の誇れるものだっただけに……まさかここまで弾けないとなると流石に悔しいって思ってしまう。

 おっかしいなぁ……昔の私、どんな風に弾いてたっけか……?座る位置が悪いのか?それともまだリハビリの途中で指の力が入ってないだけなのか?琴爪で弾く場所が合ってないのか……?


「——小絃お姉ちゃん、どうかな?お部屋の掃除は終わった感じ?……って、あら?」

「あ……琴ちゃん」

「箏じゃないの。わぁ……お姉ちゃんがそんな風に箏の前に座ってる姿……懐かしいな」


 と、私がそうやって箏の前でうんうん唸っていると。一階のリビングの掃除をしてくれていた琴ちゃんがやって来た。


「ふふ、今でも私よく覚えてるよ。昔はお姉ちゃんに素敵な箏曲をいっぱい聴かせて貰ったよね」

「あはは、そだね。琴ちゃんに聴いて貰ってたね。今思えば……あの厳しすぎるばっちゃんのスパルタ指導に耐えられたのって、ひとえに琴ちゃんっていう一番の私のファンが、一生懸命私の箏を聴いてくれていたからかも」

「私は未来永劫お姉ちゃんのファンだよ。……あ、ここにあるって事は……もしかしてお姉ちゃん、また弾きたくなった感じ?だったら一ファンとして、是非とも聴かせて欲しいな」

「いやぁ、私もそう思って試してみたんだけどねー。これがどうにも……10年ですっかり弾き方を忘れちゃってたみたいでさー」

「え……そうなの?」


 ……言われて思い出したけど、そう言えば昔は琴ちゃんにもよく聴かせてあげてたっけ。琴ちゃんったら、私の箏の演奏をそれはもう目を輝かせて嬉しそうに聴いてくれて……それがホントに嬉しくて、私もいっぱい練習してはその成果を琴ちゃんに聴かせてあげて……

 …………くそう。なんかそれを思い出したら、弾けなくなったのが余計に悔しくなってきた。……あの頃みたいに、琴ちゃんにまた自分の演奏……聴かせてあげたいなぁ……琴ちゃんに『おねえちゃん、すごい!じょうず!』って言われてぇなぁ……


「んー……多分久しぶりすぎて身体がついて行けてないだけじゃない?一度覚えたら自転車の乗り方を忘れないのと一緒で。お姉ちゃんならまたすぐじょうずに弾けるようになると思うよ」

「そうかなぁ……そうだと良いんだけど」

「……あ、そうだ。もしかしたら人が弾いてるところを見たら、コツとか思い出せるかもしれないよ。私ちょっと弾いてみるから、お姉ちゃんはそれを見て聴いて思い出してみると良いよ」


 ポンっと手を叩き。そんな提案を私にする琴ちゃん。……え?ちょっち待って?琴ちゃん今なんて言った?『私ちょっと弾いてみるから』……?


「こ、琴ちゃん?もしかして琴ちゃんって……箏弾けるの!?弾けるようになったの!?」

「え?……ああ、言ってなかったね。……えへへ。実は……お姉ちゃんが綺麗に弾いてたのずっと聴いてたから。私もお姉ちゃんみたいに綺麗な音を出してみたい、素敵な曲を弾いてみたいってあこがれてて……始めたんだ。そのお姉ちゃんの箏を押し入れに眠らせておくのも勿体ないって思ったし」


 はにかみながら琴ちゃんはそう答える。……ああ、道理で10年眠ってたにしては、この箏かなり手入れが行き届いていておかしいなとは思ったけど……なるほどね。琴ちゃんが使ってくれてたのか。


「ごめんね、勝手にそのお姉ちゃんの箏を使っちゃって。一応お義母さんに了承は得てたんだけど……」

「ああ、いや。それは全然良いんだよ。こいつも琴ちゃんが使ってくれるなら喜んでくれてるだろうからね」


 実際私よりもしっかりお手入れされてる感じがするし。この箏的には私よりも琴ちゃんに弾いてもらう方が嬉しいとか思われてたりして……


「そ、それよりさ。琴ちゃんさえ良ければ……聴かせて貰っても良いかな?琴ちゃんの箏を……」

「喜んで。じゃあちょっと待っててね、すぐに準備をするから」


 そう言って琴ちゃんは早速準備に取りかかる。箏を調整し、箏と自分の座る位置を合わせ……琴爪を付けて姿勢を正して……


「じゃあ、いくよお姉ちゃん」

「うん、お願いね琴ちゃん」


 ——こうして、私と琴ちゃん二人っきりの小さな演奏会が始まった。

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