14話 その匂いは安心する香り

 前回までのあらすじ。


『はぁあああ……っ♪お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんおねえちゃぁあああんん……!ああ、凄い。すごいよぉ、お姉ちゃんの香りがいっぱいするよぉ……♡』

『…………』


 私の汗まみれのタオルを、琴ちゃんがくんかくんかしてた。以上。


「……」

「……」


 ……気まずい。


 なんと言えば良いのだろう。あんまり上手く例えられないけど……あえて例えるなら、おかーさんもしくはおとーさんが偶然子どもの部屋を訪れた時に、その子どもがちょうどエッチな本を読んでた場面に遭遇した的な……そんな言いようのない気まずい気分を私は今味わっている。

 教えてエロい人……じゃない偉い人。こんな時、私は妹分になんと声をかければ良いんですかね……?


「(……あ、でも……臭い嗅いでるとこ私に見つかった時の琴ちゃんのリアクション……可愛かったなぁ……)」


 目を閉じて、ついさっきの琴ちゃんとのやりとりを思い出す私。


『ダメ……なのにぃ……こんなところ、見られたら……小絃お姉ちゃんに嫌いになられるのに……でも、無理なの。やめられないの……ごめんねぇお姉ちゃん、ごめんね——ん?』

『あっ……』

『…………ぁ、れ……小絃、おねえちゃん……?』

『は、はーい。小絃お姉ちゃんですよー♡』

『~~~~~~ッ!』

『…………あー……えっと。その。わ、私のほうこそごめん琴ちゃん。の、のぞき見するつもりはなかったの……邪魔する気はないし……ご、ごゆっくりー……』


 パタン


『…………う、うにゃぁああああああああああああんん?!?!』


 あまりの光景に我が目を疑い、とりあえず謝り扉をそっ閉じした瞬間。扉越しでもわかるくらいの音量で琴ちゃんは全力で愛らしい悲鳴を上げていた。なんだか10年前を思い出すなぁ。


「(そうそう。イタズラが見つかった時の琴ちゃんも、あんな風に声をあげて良いリアクションしてくれてたっけ)」


 見た目は超クールにとても大人っぽく成長した今の琴ちゃんとのギャップを感じて……そのギャップにキュン……となっちゃう。

 何でも出来る落ち着いたお姉さんキャラがふいに見せる隙って……良いよね。私大好き。うにゃー!って……ふふふ。猫ちゃんかよ可愛すぎかよ。


「………小絃お姉ちゃん」

「ふぉう!?……な、何かね琴ちゃんや?」


 っと。若干トリップしかけてた私に、琴ちゃんが沈んだ声で話しかけてくる。い、いかんいかん……さっきの琴ちゃんを思い返して浸る前に、まずはこの気まずい状況をなんとかしなきゃいけないってのに。


「……今の、見た……よね」

「あー……えっと、その…………うん……」


 流石の私も、あの状況で『見てないよ』と言うには苦しい。逡巡したけれど結局頷き肯定を示した。


「そう……やっぱり、見られたんだ……ふ、ふふ……ははは……」

「琴ちゃん……」


 恥ずかしいところを私に見られた琴ちゃんは、相当落ち込んでいる模様。乾いた笑いを見せながら肩を落として震えている。これは今にも泣き出しそうだ。


「(……しっかりしろ私。ここはお姉ちゃんとして、『大丈夫だよ』と度量が大きいところを見せて琴ちゃんを安心させてあげなきゃ……!)」


 気を取り直し、琴ちゃんに向き合う私。大きく深呼吸をして、いざ勇気を出して琴ちゃんに声をかけ——


「あ、あのさ琴ちゃん!さっきの事なんだけど!」

「…………(ブツブツブツブツ)こうなったら、お姉ちゃんの5分前の記憶、まっさらにするしか……後頭部を鈍器で……いや、でもお姉ちゃんに危ないことするの嫌だしお姉ちゃんに痛い思いをさせるのも嫌だし……」

「……って……あ、あの。琴ちゃん……?」

「…………ならお義母さんに頼んで記憶消去マシーン的な物を作って貰って……ううん、ダメね。お義母さんの場合加減を知らないから、下手したらお姉ちゃんの記憶全部消去される恐れもある」

「お、おーい?琴ちゃん、聞いてる?聞こえてる?」

「…………いっそのこと、さっきのが霞む強烈な記憶で上書きさせてしまうのは……?うん、そうだよ……それが良い。ふ、ふふ……我ながら名案…………お姉ちゃん襲って、失神させちゃうくらい気持ちいいこといっぱいして。その記憶でさっきの恥ずかしい記憶を塗り替えちゃえば良いんだよ……!」

「琴ちゃん落ち着いて!?正気に戻ってお願い!?」

「大丈夫、私はすごく冷静。冷静だから……心配しないで。お姉ちゃん、今の記憶が吹き飛ぶくらい……頭真っ白にしちゃうだけだから……!お姉ちゃんはただ私に身を任せるだけで良いから……!だいじょうぶ気持ちいいだけだからだいじょうぶだから……!」

「大丈夫な要素を全然感じられないんだけど!?」


 なけなしの勇気はどこへやら。虚ろな目でとんでもない事をブツブツと口走ってる琴ちゃんに気圧されてしまう私。ヤバい……従姉妹故にわかる、わかってしまう……琴ちゃん、これ本気だ……

 錯乱し、私を押し倒そうと迫る琴ちゃんをどうにか押し返しつつ思う。ごめんよ琴ちゃん……琴ちゃんの事は全力で受け止めるつもりだったけど……ちょっと今の私では難しそうだ。度量、小さいわ私……



 ~小絃説得中:しばらくお待ちください~



「…………琴ちゃん、落ち着いた?」

「…………なんとか。恥の上塗りしてごめんなさいお姉ちゃん……」


 数十分ほどかけて暴走する琴ちゃんを説得し(途中、何度も剥かれたのはナイショだ……)、なんとか正気に戻って貰った。


「別に恥とは思わないけど……まあいいか。って言うかさ琴ちゃん……さっきのアレなんだけど……」


 正気に戻って貰ったところで、話を戻すとしよう。あんまり蒸し返しちゃうのも琴ちゃんがかわいそうな気もするけど……かといってこのままスルーする訳にもいくまい。改めて琴ちゃんの奇行について問う事に。


「琴ちゃんさ……わ、私の使ったタオルを……嗅いでたん……だよね?」

「…………うん」

「つまりその……私の臭いを、嗅いでたって事なんだよね?」

「…………うん」

「……なんで?」


 純粋にわからない。なんで?私の臭いを嗅ぐ意味がホントにわかんない。琴ちゃんが嗅いでいたタオルは、運動後の私の全身の汗をたっぷり吸い込んだ物。ぶっちゃけホントに汗臭い、喜んで嗅ごうとは思えない代物だ。あんな汗まみれのタオルを必死に、嬉しそうに嗅いでたって事は……もしかして琴ちゃん……いわゆる臭いフェチ……ってやつ?

 少なくとも私の知る琴ちゃんは、10年前はそんな性癖なんて持っていなかったはず。自分の性癖もアレな私が人のことどうこう言える資格はないし、どうこう言うつもりも微塵もないけど……この10年で何があったと言うんだ琴ちゃんや……?


「勘違いしないで欲しいんだけど、その行為自体を否定する気はないよ。でもね。それにしたってもっと……私の臭いとかじゃなくて。もっと良いものを嗅いだ方が身体的にも精神衛生的にも良いと思うんだけど……」

「…………」


 そんな素朴な疑問を持った私に。琴ちゃんは何かを観念したように大きくため息を吐き。


「……お姉ちゃんのじゃなきゃ、ダメなの」

「はい?」

「…………だって、これは。お姉ちゃんが生きてくれている証だから……」

「???」


 と、ぽつりぽつりとそんな事を言い出した。私のじゃなきゃだめ?生きてくれてる証?え?何?どゆこと?


「……小絃お姉ちゃんはね。この10年、ずっと昏睡状態で……コールドスリープの影響で……仮死状態になって。成長が、時が止まってたの」

「ああ、うん。それは知ってる。それがどうかしたの?」

「…………お姉ちゃん。仮死状態って、どんな感じか本当に知ってるの?」

「ど、どんな感じかって……」


 そう言われてみれば具体的にどんな感じなんだろう?当事者だけど寝てただけの自分じゃよくわからんな……


「生きてるんだけど、それがとても曖昧なんだ。細胞が壊死しないように、新陳代謝を極限まで遅くして。そのせいで温もりをほとんど感じない。鼓動もかすかにしか確かめられない。汗もかかないから……お姉ちゃんの匂いもわからない……お姉ちゃんを良く似せた、精巧なお人形さんが寝かされてるみたいだったよ……」

「……」

「戻ってきてくれるって、信じてた。でもね、お人形さんみたいにただそこに居るだけで動かないお姉ちゃんを見てたら……毎日が不安でいっぱいだったよ。このままずっと。ずぅっと……お姉ちゃん寝たきりなんじゃないかって。もう一生、お姉ちゃんとお話したり出来ないんじゃないかって。私に笑いかけてくれることも……ないんじゃないかって不安だった」


 感情と一緒に声を搾り出すように言う琴ちゃん。ぽつりぽつりと、目元から滴が離れ落ちていく。


「意識を取り戻してくれて、私の側に居てくれてる今でも……正直怖いの。もしかしたら、これは……夢なんじゃないかって思う時があるの。これは幸せな夢の中で……目を覚ましたらお姉ちゃんはまだ、ベッドの上で寝たきりなんじゃないかって……今でもどうしようもなく不安になっちゃうの」


 ……そう琴ちゃんが考えるのも無理はない事だと思う。あの歳で慕ってた親戚の姉みたいなやつが、自分の目の前で撥ねられる光景を見せられたら……トラウマになっても仕方のない事だと思う。……ホント、悪い事をしてしまったよなぁ。


「……で、話を戻すね。私がどうしてお姉ちゃんの洗濯物の匂いを嗅いでいたのかって話なんだけど」

「うん……うん?」

「……あのね、最近わかったんだけどね……私、お姉ちゃんの匂いがわかる物…………とりわけ、まだ洗ってない汗の匂いが染みこんだ物の匂いを嗅ぐとね……とっても落ち着くんだ」

「…………ごめん、わからない。なんで?理由もわからないし、今の流れでどうして急にその話に戻ったのかもお姉ちゃんわかんないんだけど……?」


 ……おかしい。シリアスな空気が漂ってきたって思ったのに。またいつもの感じに即戻ったぞ……?

 え?待って、まさか今の話とさっきの行為が繋がるの?繋がる要素なんてあったか……?


「……だって。汗をかくって事はさ。お姉ちゃんが生きてるって証拠じゃない」

「あ、あー……なるほど……?」


 頭にハテナマークを大量に飛ばす私に。琴ちゃん本人は至って真剣な真面目な表情でそう言い切った。


「強い匂いを感じるって事はさ、それだけお姉ちゃんが汗をかいたって事でしょう?それってつまるところ……お姉ちゃんがちゃんと生きているって証だから。お姉ちゃんの服の匂いを嗅いでると……これが夢じゃないって、現実の事だってわかるもん。お姉ちゃんの確かな生の実感を得る事が出来るんだもん……お姉ちゃんが生きているんだって、安心するんだもん……!」

「琴ちゃん……」


 必死に私にそう訴える琴ちゃん。


「弁明させて貰えるなら、言わせてください。最初はね、あんな事するつもりはなかったの。嘘だって思われるかもしれないけど、お姉ちゃんと同棲生活を始める前はこんな事した事なかったし、しようとも思ってなかったんだよ。……ただ、洗濯しようとしてて……ちょっとした弾みでお姉ちゃんの汗を拭き取ったタオルが顔に掛かって……それが本当に、安心する匂いで……」

「……それから、私の洗濯物の匂いを嗅ぐのが……癖になったって事?」

「…………ぅん」


 ……ギャグかと思ったけど、どうやら琴ちゃんは琴ちゃんなりに私の洗濯物の匂いを嗅ぐ重大な理由があったらしい。そっかぁ。安心する匂いかぁ……


「……ごめんなさい。気持ち悪い従姉妹でごめんなさい。……嫌いにならないで。反省してるから。お姉ちゃんが嫌なら、もうやめるから……だから……」


 うなだれて、しゅん……となった琴ちゃんから謝罪の言葉を聞かされる。そんな彼女を見て、私は……


「琴ちゃん、顔を上げなさい」

「……はい」

「よし。それじゃあ——てーい!」

「きゃっ!?」


 顔を上げた琴ちゃんに、その綺麗なお顔を自分のひんそーな胸に押しつける。


「お、おねえちゃ……何、を……!?」

「ふはははは!どーだ琴ちゃん!苦しかろう!私のまな板に挟まれて苦しかろう!私に隠れてコソコソよからぬ事をやってた罰じゃー!たーんと苦しむが良いさ!」

「く、苦しいって言うか……お姉ちゃんの、お胸……おむねが……!ああ、それに…………おねえちゃんの、素敵な香りが……!?」

「どーだ、参ったか琴ちゃん!これに懲りたら黙って私の洗濯物の匂いを嗅ぐ真似はしないように!もしまたやったら、同じようにハグの刑に処すからそのつもりでね!」

「…………(ボソッ)ごめん。それ、逆効果……喜んで再犯しちゃうと思う……寧ろそれ目当てに罪を犯しちゃうと思う……」


 押しつけて、そのまま琴ちゃんの頭をぎゅっと抱きかかえる。琴ちゃんは最初の内はもがもがと私の胸の中で暴れていたけど、だんだんと力が抜けて……数秒後には大人しくなった。よーしよし。良い子だ。

 さて、大人しくなったところで……言うべき事をちゃんと言ってあげないとね。


「……あのね、琴ちゃん」

「は、はい……」

「ちゃんと私はここにいるよ。琴ちゃんのすぐ側で、生きてるよ」

「……お姉ちゃん?」

「こうしてるとハッキリわかるはず。私の鼓動、聞こえるでしょう?私の熱さ、感じるでしょう?私の匂い、わかるでしょう?」

「う、ん……凄く、感じる……」

「ごめんね。不安にさせちゃってたのに気づけなくて。でも……心配しなくてももう私、琴ちゃんを不安にはさせないよ。琴ちゃんが望む限り、私は琴ちゃんの側にいる。琴ちゃんの側で生きるよ。約束するよ」

「こいとお姉ちゃん……」


 私を慕い、私の為に泣き。私を想って笑ったり不安になったり喜んだり。そんな彼女の一途さが本当に愛おしく感じる。

 どれだけ美しく賢く妖艶に成長しても、やっぱり琴ちゃんは琴ちゃん。私の大事な妹分だって再認識する私。姉貴分として、もっとちゃんと……琴ちゃんのこと色んな意味で守ってあげないとね。


「あ、の……お姉ちゃん。怒って……ないの?お姉ちゃんの洗濯物、嗅いでた事……」

「心外な。その程度で怒るようなお姉ちゃんじゃありません。……まあ、多少ビックリはしたけどね」

「……ごめんなさい」

「でも、私の匂いを嗅いで琴ちゃんが落ち着くなら構わないよ」


 寧ろそんなんでお手軽に不安が解消されるなら、琴ちゃんの好きにさせてあげても良いかなって思ってるくらいだし。


「とはいえ。やっぱり自分の匂いを……ましてや洗ってない洗濯物の匂い嗅がれるのは抵抗はあるけどね……」

「だ、だよね……」

「どうせ嗅がれるなら、こんな風に直に嗅がれる方が幾分かマシだろうけど——」


 汗臭いタオル嗅がれるよりも、そっちのほうがよっぽど……と。軽い気持ちでついそんな事を口にしてしまう私。


「え……?直に嗅いで……良いの……?」

「へ……?」

「お姉ちゃんの匂い、直に嗅いで……本当に良いの……?」

「……あっ」


 そして次の瞬間。軽はずみで放った自分の発言を激しく後悔する事となる。つい今し方までのしょんぼりしてた彼女はどこへ行ったのやら。目をキラキラ輝かせて『嗅いで良いの?』と問いかける琴ちゃん。

 …………ああ、これは……しまったやらかした……またやぶ蛇になったのかもしれない……

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