レヴィロー

エリー.ファー

レヴィロー

 葬列が浮かんでいる。

 空中である。

 七月九日のことである。

 季節的にはまだ早い。

 アザラシの葬列であった。

 誰かが写真を撮っている。

 あれは、マナー違反ということになる。別に法を犯しているわけではないので、何か言えた義理はないが。

 ただ、よくないのではないだろうか。

 この町に生まれ、この町で生きている。

 空は青いが、いつも何かに葬列で埋まっている。

 悲しい限りである。

 時間が足りないと言っている人ばかりなので、焦ってしまうが、いつも時間は溢れている。特に葬列などということに現を抜かさなければそんな時間などいくらでもねん出できる。

 私は、知っている。

 この葬列はもう意味がないことを。

 私は、知っている。

 この葬列は文化の名前を付けるために必要なだけだということを。

 日本に誇るべき文化が少ない。日本人が守ろうとしないためだと言われるがそうではない。日本政府が日本の文化を軽んじているのである。

 もっと金をばらまくべきだ。

 もっと金で守るべきだ。

 もっと金を使うべきだ。

 ただ、金が使われないことで廃れていくなら、それも一つの道か。むしろ、そんな文化が根こそぎ消えてしまった方が、意図は文化から外に出ることができる。

 人は文化と共に生きるべきであり。

 人を縛るものが文化であってはならない。

 文化という名前を使えば、金と、命と、人と、権力を縛れるとでも思ったか。

 バカが。

 葬列は続いている。

 目をこらせば、一キロや二キロできかない長さである。大抵は音が聞こえてくるのだが無音である。まるでこちらの鼓膜が破れてしまったかのように寂しい時間である。

 私は生きる希望を抱いてしまう。

 何故だろうか。

 誰かの死がよく見えるからか。

 死んでしまうという事象は、誰にも訪れるものである。

 大切にしていた命が不意に零れ落ちてしまうのは、厄介極まりない。

 どこかで音が聞こえる。

 大きな音が遠くから響いてくるような感じ。

 何かまた別の葬列が始まったのか。

 そらが埋め尽くされていくのだろう。

 私は地面を歩いているから、そういうものの影響を受けることはない。進みたい道を進むし、進みたくない道は進まない。

 勝手にすればいいと思う。

 あの葬列の一番不思議なところは、棺の中に入れられる死体は、必ずその葬列に参加している中から選ばれるということである。つまり、それは葬列を行っている者も死者であることを示している。

 亡者が列をなしている。

 情緒である。

 写真を撮りたくなる気持ちがよくわかる。

 私はここでこの世界を視界に映すことが面白くてしょうがない。

 生きがいというものを感じてしまう。

 私のところには数えきれないほどの人が来る。そして、私に大金を払って、相談をしてくる。私は話を聞き、アドバイスをするだけである。

 そして。

 その相談をしに来た者たちは必ずと言っていいほど、葬列に参加しにいく。

 そこに幸せを見出したということなのか。

 葬列の先頭と最後には、髭の長い背の低い男がいる。

 葬列を監視していると思われる。

 そんな状態で歩くことの何が面白いのか。

 志を無くした人間が前に進むための動機には必ず葬列が含まれているということなのか。


「葬列阿形義里義千世界葬送葬列送葬。合掌」

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