第6話「レイミ」三章怪物より抜粋 前編

 丁寧に作り上げた虚像もいつかは崩れてしまうものと決まっています。その頃のレイミは僕と会う時も浮かない顔をしていることが多くなっていました。もしかすると、僕が彼女を好きではないということがばれてしまったのではないかと始終、僕はハラハラしていました。


「椿祭、来てくれるの?」


 僕の部屋で両手でコーヒーカップを抱え、ちびちびと啜っているレイミの言う椿祭、というのは彼女が通う女子大の文化祭の名前です。レイミの所属するダンスサークルがそこの野外ステージでダンスを披露するらしいのです。前々から、レイミに見に来るように誘われているのですが僕は正直気が乗りません。


「だってダンスサークルでしょ」

「うん」

「ダンスサークルの人たちって怖そうじゃない?」

「怖くないよ!それは偏見だよ。私だってそのダンスサークルなんだよ?」

「いや、レイミのことも最初は怖かったし」

「嘘」 

 

驚いた、と瞳を瞬かせるレイミは鳩が豆鉄砲を喰らったような可愛い顔をしていました。


「今はそんなこと思ってないって、じゃなきゃ付き合ったりしないでしょ」


僕が笑いながらそう言うと、レイミも許して進ぜよう、とちょっとおどけて笑ってみせました。

 

 レイミにはああ言いましたが、気は乗らなくても僕は椿祭には行くつもりでいました。「彼女」の頼みを無下にするほど腐ってはいないつもりです。当日の朝には保険をかけるかのように礼美から、来なくても良いよ、とLINEが来ていましたが僕は気にせずにいました。周りの屋台を少し回ってからお目当ての野外ステージに向かうと、揃いのミニスカートを履いた女の子たちがステージ裏に入っていくのが見えました。あの中に礼美もいるかもしれないと思って探してみましたが、それは一瞬の出来事だったので見つけることは出来ませんでした。


 暫くして軽快なBGMが鳴り始めると揃いの衣装に身を包んだ十人くらいの女の子たちがステージに一斉に飛び出してきました。一番左端に、レイミの姿もありました。ダンスの心得は全くありませんが、レイミの躍動するようなダンスは彼女の長い手足を活かされているように思えました。他の女の子たちよりも上手だと感じたのも贔屓目ではないと思います。ダンスを見ている間、最初は僕は違和感に気が付きませんでした。それだけ、レイミのダンスに魅了されていたということでしょう。その違和感というのはレイミの衣装が他の子と何か違っているということでした。僕が気になってよく見てみると、他の子たちは腕に色違いのお揃いのデザインのブレスレットをつけていたのですが、レイミだけつけていなかったのです。レイミが忘れ物をしてつけられなかったのだろうと推察した僕はダンスの感想を伝える時も、忘れ物をしてしまって浮かない顔をしている彼女の前でブレスレットの話題は出しませんでした。

 レイミがおかしくなり始めたのはこの後からだったように思います。まず、浮かない顔をすることが増えました。前までは、乙女のような表情で僕の言うことなすことに笑顔で頷いていたのに僕が話しかけても上の空で何かをじっと考え込んで、少しするとはっとした表情になって慌てて僕に謝るのです。初めは彼女の想いが僕から離れたのだと思っていました。僕は彼女のことが友人としては好きだったのでデートの時間も楽しんでいましたが、恋人を演じることには疲れていたのでそうなってくれればなによりでした。だから事態を静観していたのですが、これが大きな間違いだったと僕が知ったのは全てが終わって彼女の母親から話を聞いた後でした。


 彼女が首を絞めてくれと懇願してくるようになったのは春の初め頃だったように思います。そんなアブノーマルな趣味を隠し持っていたなんてと僕は驚きましたが、今思えばそれはレイミなりの自傷行為でした。乾燥肌の僕の指から少しの血が流れただけで大騒ぎをして絆創膏を貼ってくれたレイミですから、きっとリストカットには忌避感があったのでしょう。その代替案が恋人に首を絞めさせる、ではあんまりな話ですが。とはいえ、断ることが苦手な僕はその頼みももちろん断ることが出来ません。頷いた僕を、何故かレイミは寂しそうに見つめてから囁きました。


「ありがとう、シュウくん」


 不健康な細さをした彼女の首を、僕は事前に調べた頸動脈を絞めながら気孔を塞がない絞め方を実践しました。僕には苦しいことの何がいいのか全くわかりませんでしたが、レイミは浅い息を繰り返しながら恍惚とした表情をしていました。レイミの首を絞めながら僕は考えます。断ることが苦手だからという理由で好きではないのに付き合って、首を絞めてくれと言われれば絞めてやることが出来る僕なら、人を殺せと言われたら、殺せてしまうのではないかと。そうした時、この病を僕は心の底から、恐ろしいと感じました。

 


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