第49話 名前を呼び合った

 着替えも落ち着いたタイミングでアデルバート様が部屋に入って来た。

 ジェスが部屋を出入りしてたタイミングで入る頃合いを教えていたらしい。

 という事は、わたくしの準備が整うまで、部屋の前で今か今かとそわそわして待っていたのかもしれない。その光景ってちょっと見てみたいよね。

 そんな訳で、気を使って全員が部屋から出ようとした。


 出際に一人ずつ、声を掛けて部屋を去って行った。

 ジェスは「何か御用があればお呼びください」と言いつつ一礼。

 ミリーは「お美しいですよ、自信をもって」と励まし、少し冷たい笑み。

 ペイジは「また、夕方に」と言いつつウィンクを飛ばす。

 モニカは無言で、「んふー!」と鼻息を荒くして握り拳を上げたが、その握り拳は指の間から親指が出ている不思議な握り方で、そのタイミングでペイジがモニカの頭に小突いた。何かの隠語でしょうか。


 さて、ようやく彼の部屋で二人っきりとなったというのに、緊張のあまり言葉が出なかった。

 そんなキャラじゃないだろうって言われそうですが、今では夫となったアデルバート様が真正面にいるのですよ。夫婦的なごにょごにょをしても世間体からなにから非難される事ではなくなったのです。今がお昼前だからそういう事はないのでしょうが、日が沈めば一線を越えてしまうのでしょう。初夜ですから。と、考えるのははしたない事でしょうか。いえ、むしろ、そんな事を考えているから目を見て話ができないのです。あ、いえ、話しすら出来ていませんでした。

 流石に夫との会話という条件しばりでの話題の手持ちが全くない。夫婦って何を話すものなのでしょうか?参考までに両親が何を話していたのか記憶を急いで漁っているのに全くもって見つからない。


 動揺した気分をどうにか落ち着けて、目を見て話そうと思った。

 何を話すのかなんてまだ決めていないけど、思った事を話せばいいと思う。

 そこからとっかかりを掴んで、上手く話題に転換すればいい。そうだ、それで行こう。

 普段ならこんな会話の流れを意識しなくても自然にできていたハズなのに、どうして普段通りに出来ない自分が歯痒くなってくる。

 正面を向いて、話しかけるだけがこんなに難しい事だなんて、生まれて初めての事だった。


 意を決してから、かれこれ何分、いや、何十分が経過しただろう。

 お互いに向き合ったまま立ち続けている。さらに少し俯き加減に赤面し恥ずかしがっていた。なので、見えているのは相手の足だけだ。

 その状態で一言も発せられないのは、アデルバート様にとって呆れるような事態かも知れない。この事で呆れられたらどうしようかという、焦りからアデルバート様の表情を確認しようと見上げた。

 焦りが功を奏してやっと顔を見る事が出来た。

 だが、目に入って来た彼は顔を背けてわたくしを見ない様にしてたアデルバート様で、表情はハッキリ見えないですが耳まで真っ赤になっている事に気が付いた。


 思わず、クスリと笑ってしまう。

 お互いに恥ずかしくて目を合わせれなかったんだという事に安堵してしまった。

 何十分も立ち尽くしていた事が面白いのと同時に同じ気持ちでいた事が嬉しい。

 その笑った事が気になったのか、アデルバート様もわたくしの顔を見て微笑んだ。

 その微笑みはやはりと言うべきか、格好良いながらも美形特有の優しさに満ち溢れ誰も彼も虜にしてしまうような、そんな魅惑的な笑顔にを見てまた赤面してしまう。なんというか、こういうのって反則だよね。背中に花でも背負ってるかと思ったよ。


「ア、アデルバート様」


 ようやく口に出したのが名前だけ。

 あれ?この後に続ける言葉が出てこない。

 名前だけ呼ぶって不自然だよね。早く、早くなにか言わないと…、えーと、えーと。


「シャーロット姫」


 名前を呼んだ返しが名前で帰って来た。

 えっと、この場合は返事をするだけで良いのかな?いいよね?

 そう思いつつ、何故か繰り返し名前を呼んでしまった。


「アデルバート様」

「シャーロット姫」


 更に帰ってくる、わたくしの名前。


「アデルバート様」

「シャーロット姫」

「アデルバート様」

「シャーロット姫」

    ・

    ・

    ・

    ・

    ・

    ・


 繰り返される名前の呼び合い。

 十回くらい言い合った頃には、早口言葉かってくらいの早さで呼び合うという流れになった。

 実際のところ、名前を呼べる事も呼ばれる事も嬉しいですよ。

 だって、九年もの間、好きな人の名前は『ルーカス』だと思っていたし、時々は口に出してもいたし、呼んだり呼ばれたりした時の妄想も捗っていました。

 そのせいか、本当の名前を呼ぶ事が新鮮で、もっといっぱい呼びたくて仕方がない。

 しかも、本人が目の前にいて、名前を呼ぶと名前が返ってくる。

 この傍から見えれば何でもない、と言うか馬鹿みたいな事がとても幸せな事だと思った。


 そんな早さで呼び合っていると、当然な事に息が切れ始めた。

 そして、込み上げる笑い。

 恐らくはお互いに『何をしているのだろう』って思いながら、貴族、王族、令嬢といった上品さなんてどこかに忘れてしまったかのように、無邪気に笑い合った。

 もうね、笑うのにも体力がいると思ったのは久しぶりってくらいに笑いました。


 笑いも落ち着いた所でアデルバート様が呟くように言葉を出した。


「手を繋いでもいいだろうか」


 いまさらですか!?

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