第38話 砦での異変

 シャーロット・アルヴァレズ公爵令嬢視点──。


 時は少し遡り、シャーロットが守れと言われた砦にたどり着いた頃。

 目的地に辿りついたものの魔法も使えない状態で、何もできず上空で見ている事しかできないでいた。

 敵兵は遠くに一個師団以上とも思える異常な人数が控えていた。

 あれが一気に押し寄せてくればどうなるかなんて、誰にでもわかる事だ。


 第一魔術師団の師団長は師団副長に引き渡した。

 師団長さえ活動を始めればどうにかなると思ったのに、意識が戻ったものの、風邪をひいたのか体調が酷い状態になっているそうだ。


 結果、戦況は悪化する一方で、陥落するのも秒読みだと思えた。

 いま、ここでトレヴァーの解放と、わたくしが奴隷となるという選択肢が現実味を帯びてくる。


 もう、神でもなんでもいいからこの状況をどうにかしてほしい。

 そんな事を祈るがそれが何の意味を持たない事なんて、分かり切っている。

 祈り、それはなんと呑気な行為だったのだろう。

 ここは戦場で、その上空で何もできない小娘が、何の効果も無い祈りを捧げる。


 本当に意味がない。

 何も成し得ない。

 いまなら「トレヴァーを連れてくるから侵攻を止めて欲しい」と懇願すれば、時間稼ぎは出来る。

 その言葉を口に出しかけた、その瞬間。

 敵兵の投げた槍がリアンの横をすり抜けた。


「クァァァァル(危ない!)」


 リアンはその攻撃に動揺し、横回転とともに上空に上がろうとする。

 祈りで手綱から手を離していた、わたくしは空中に放り出される。


「リアン!」


 リアンの名を呼び、助けようと手を差し伸ばしたが、明らかに危険な状態にあるのはわたくしの方だった。

 このままでは落下死だ。


 こんなつまらない死に方をするのかと思った。

 だけど、もう、それすら抵抗する気が無くなっていた。

 ただ、落下するだけ。

 どこかの物語の様に上空から女の子が落ちてくるというのに、誰も受け止める事がなく、地面に落下する。

 勢いがあるというのと、敵だと認識されていたせいで、敵の全員が避けたのだ。


 地面に落下する前に意識が無くなっていれば楽に死ねるのに。

 だが、現実は無情で地面が目前になった瞬間まで、意識を失う事はなく、そのまま激突。


 この瞬間、師団長がわたくしの名前を叫んでいたのを覚えている、

 それが走馬灯なのなら、どうして直近ものなのかと神を問いただしたくなる、もっと思い出すべき事があったでしょうに、と。

 

 顔からの落下したのだから、さぞひどい状態になっているだろう。

 そう達観するのは幽霊になったと思ったからだ。

 だが、幽体になったにしては、視界は真っ暗で何も見えないし、何も聞こえない。

 書物によると、幽体は死んだ場所に留まるか、天上世界に行けると記載されていた。


「何も見えない……、真っ暗」


 声が反響する。

 まるで、狭い空間に閉じ込められているような感じがする。

 もしかしたら、自分が生きているのかと疑った。


『生活の章二節、我が前に、ささやかな光を灯せ』


 …。

 発動はしなかった、まぁ無理ですよね。

 手探りで出口を探している内に、この空間が卵のような形状だと気づいた。

 ただ、そうしている内に、足の感覚が無くなっている事に気付く。

 自分の足がどうなっているか確認しようと手探りで触ろうとすると、足のあるはずの場所に堅いものがある。


 それは地面と同化したあの夢が現実になったのかと思った。

 体の感覚は下から順に失ってゆき、手が動かせなくなった時には、もう助からないと理解したが、不思議と悲しくは無かった。

 あの夢は正夢だったんだ。

 違うのは地竜が出てこなかった事くらいだ。


 髪の毛の先まで全て固まった時、不思議な事に意識はまだ残っている。

 夢ではこのあと、考えるのを止めたんだっけ。

 ありのままを受け止め、傍観しろとでも言うのだろうか。


 ピキピキ


 これは恐らく、足の方からひびが入ってくる音だ。

 その事を忘れていたと思った途端、音は連鎖的に全身から鳴り続けた。

 恐る恐る手を動かすと、感覚が戻って来ている事がわかった。

 それだけではない、生まれ変わったかの様に清々しい気分になり、ここ最近患っていた気持ち悪さが無くなっていた。

 ただ一点、背中に違和感を感じた事を除いて。


 でも、これなら魔法が使えるかも!?

 そう思った瞬間に、光が差し込み、閉じ込められていた空間が崩壊する。

 その時に目に入ったのは敵兵。


 周りは敵、敵、敵、敵兵だらけだった。

 落ちた場所が場所なだけに、当たり前だ。


「は、裸の女!?」


 敵兵の一人の声が耳に入る。

 自分の姿を確認すると、下着すら付けていない状態になっていた。

 局部を隠し、その場にへたりこむ、と同時に悲鳴をあげる。


「きゃあああああああああああああああああああああああああ」


 無我夢中で敵に対し『近寄るな』と思った事が、悲鳴となって、周りに何らかの変化を与えた。


 地面の液状化だ。

 敵だけが地面に沈んで行き、下半身までが地中に埋もれ、身動きが取れなくなる。

 その状況を見て我に返る。


「これ以上沈んだら死んじゃう……」


 そうつぶやくと同時に、敵兵の体がそれ以上沈まなくなった。

 胸をなでおろし、落ち着きを取り戻すと同時に、大きなタオルを固有空間から取り出し、体に巻き付ける。


 固有空間が使える様になっている事に少し驚いたが、気分がよくなった状態であれば、このまま魔法だって使える様な気がすると思った。


 だが、もはや敵兵は無力化していた。

 戦果を上げないままだと、殿下に何を言われるかわからないと思っている内に、味方の兵が次々と止めを刺してゆく。

 当たり一面が、死体の血で赤く染まった。


 兵士は勝鬨を上げ、師団長がわたくしに駆け寄って来た。

 茫然としたまま、抱きかかえられ、砦の個室に運び込まれる。


 放心しながらもドレスと取り出して着た。

 落ち着きを取り戻すまで膝を抱え、一人で泣いた。

 大勢の人達の死を目の当たりにして、罪悪感に押しつぶされそうになる。

 戦争で自分の手を汚さないのは卑怯だと思ったからだ。


 落ち着いた頃に、個室に師団長が入って来た。

 傍からどういう風に見えていたか説明したいと言うので、簡潔にお願いした。


 地面に落下した時、頭から地面に吸い込まれた、それはまるで水面に飛び込んだ様に自然に地面に潜ったという事。

 暫くして、地中から卵型の土の塊が現れ、敵兵は其れを警戒するあまり、侵攻は完全に止まってしまった。

 それから、卵の殻にひびが入り、崩壊したら裸のわたくしが現れたと言う。


 ふむ…なるほどです。

 全くわかりません。


 ただ、これが夢の通りであれば、地竜と関係があるのでしょう。

 もう一度夢で会えたなら、聞いてみる事にしましょう。


 それよりも、戦果を上げれなかった事の方が問題です。

 その事に悩んでいると師団長が悩みがあるなら聞いてやると言ってくれたのです。


「ふむ、戦果が必要と……。いや、十分に上がっているだろう」

「と、言いますと?」

「君は敵を無力化したんだ、その時点から味方の被害は皆無、砦も落ちなかった。敵兵は一万を軽く超えていたのに、千人程の兵力で耐え抜いたんだ。いや、それどころか殲滅した。これ以上の戦果が必要か?」

「師団長様、報告です。敵兵の数を確認した所、約二万であることが分かりました」

「ほら、新たな伝説の始まりだぞ?シャーロット……嬢」


 呼び方が変わった。

 師団長、ナイジェル・バイロン伯爵がわたくしを認めた瞬間だったのです。


 直後、砦にお爺様と先代様が来られたので、四人で寮に戻る事にした。

 先代様からは『何やら面白い催しがあるそうだぞ』とだけ聞いたのですが、結論から言うと、わたくしにとっては九年前に会った相手が第一王子だったという事だけが大事で、他の事はどうでも良かったのです。

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