第28話 お着換え中の出来事

 ハァハァ…。


 ここまで、息を切らしたのは久しぶり。

 もう、これだけ走れば追いつけないでしょう。


 足の速さには自信があった。

 毎日走り込みをしている成果でもある。


 だけど、目印になるような村も通らず道をひたすら走ったので、ここがどこかわからない。

 急に不安になった。

 誰か居ないか周りを探したけど、人の気配はない。

 一息ついてから、今の恰好はあまり人様に見せられたものではないと思い至ると、ここで着替えるかと少し悩む。


 改めて人が居ない事を確認し、木陰に隠れ、キュロットスカートと一緒にタイツを脱いだ。

 その時、上着が厚い生地の防寒用だというのを思い出し、いっそ清涼感のある涼しいドレスに着替えようと思うに至る。

 走った事もあって滴る程に汗をかいていたのもその要因だ。


 上着も脱ぎ、ドレスを固有空間から取り出したその時、背後から物音がした。

 恐る恐る振り向くと、そこに居たのはマーティン様だった。


 息を切らし、木にもたれながら、顔を赤くして何かを言いたそうにこちらを見ている。


「きゃ…」


 らしくない声を上げる。

 自分の恰好を考えれば当たり前だ。

 下着姿を殿方に晒すなんて、本当に迂闊でしかない。

 彼に背を向き、俯き加減に話す。


「お見苦しいものをお見せしました。できれば他所を向いていただけますか」


 紳士であればそうしてくれるのでしょう。

 いえ、誰であれ、そうすべきなのです。


 なのに、彼は背後から抱きしめてきた。

 汗ばんだ手が、腕が、わたくしを包み込んだ。

 体が背後から密着され、身動きが取れなくなった。


「好きだ」


 絞り出したような小さな声で、あり得ない言葉が聞こえた。

 よくて国外追放になる覚悟があっての事でしょうか。

 王家の婚約者の横取りなんて許される訳が無いのです。


「嘘ですわ」


 それは祈りのような一言でした。

 そうでなければ彼の立場が悪化する。

 嘘だと認めれば、無かった事にできるのです。


「そうですね、そういう事にしておいてください」

「では、離してくださいます?」

「もう少し…、もう少し、このままで。王都に帰ってしまえばもう、こんな事はできませんから…」


 変に断ると、彼が強引に何をしでかすか分からないので、無言を貫いた。

 その何かが怖くなり、ドレスを握る手が小刻みに震えだす。


 彼がわたくしを好きになる要因なんてありました?

 ありません、全く心当たりがありません!

 この様な子どもっぽい体のせいで、女性としての魅力が皆無なのは自覚していた。

 だからこそ、自由恋愛なんて出来ないものだと思っていた。

 結局、婚約という形に恋愛を求めているのが現状なのだと薄々思っている。


 そして、こんな自分を好きだという者が居れば、からかっている場合くらいだろうと思っていた。


 わたくしが彼を突き離せないでいるのは、この関係が進展してしまうと彼の立場が非常に悪くなると、分かって言ってる事に、何らかの覚悟を感じていたからだ。

 それが自ら想いであるのなら救いは無く、誰かに指図されての行動であればまだ救いはある。


 お互いに言葉を発せず、静寂に包まれ、時間だけが流れる。

 日陰に入っていたせいか、走ってかいた汗も冷えて来た。

 もしかすると、この状況からくる冷や汗の方が酷いかもしれない。

 普通は抱きしめられたら落ち着くと言うではないですか。

 なのに鼓動が激しく、呼吸が荒くなり、何も考えられなくなってきたその時。


「くしゅん」


 お互い我に返る瞬間だった。


「も、申し訳ありません」

「い、いえ」


 体同士が離れ、明後日の方向を向いたのを確認し、ささっとドレスを着た。

 せめて、汗をぬぐってから着ればよかったと後悔するがもう遅く、薄い生地は肌に張り付き、気持ち悪さが際立ってしまう。

 気温の暑さなのか、後から後から汗が出続けた。

 早く、お風呂に入りたい。

 屋敷だと湯あみが精々なので、寮が恋しくなる。


 もし彼と恋に落ちて婚約を破る事になれば、家名に傷をつける事になる。

 今までは見た目を好ましくはあっても、恋愛の相手として見ていなかった。

 今だって見ていないし、見てはいけないとわかっている。

 改めて自制を促そうとするのに、激しく動く心臓の鼓動が身勝手に暴れている。


 きっと自分が恋愛弱者なのだと思った。

 好きだと思っていた相手には未だに会えずにいる。

 それによる心変わりがあってはいけないと思っている。

 ルーカス様が替え玉のせいだとするのは責任転嫁に過ぎない。

 なんて弱い意思なのかと自分をひっぱたきたくなる。

 そうです、縁を切られるまで、わたくしは婚約者であり続ける。


「さぁ、屋敷に帰りましょう」


 そう言って差し伸ばした手を無視していると、直接手をとって強引に歩き出した。

 恋愛書物でよくある、まるで恋人のような行為をされた為に、恥ずかしくて顔が上げれなかった。

 そこからは思考すら纏まる事のないまま、屋敷に戻る事となった。

 終始うつむきながら歩いていた、わたくしの顔はきっと真っ赤になってたに違いない。


 屋敷に戻った所を使用人やフィオレンサさんにも見られる。

 もう、顔から火が吹き出るかと思うくらい恥ずかしかった。

 湯あみの後は、フィオレンサさんの勧めで彼女の部屋で休憩させてもらう事になった。


 だが、それは愚策だった。

 一人で、落ち着いて考えたかったのに、ひたすら話しかけてくる。

 しかもマーティン様についてばかりだ。


「お兄様はお嫌いですか?」

「いえ、そんな事はないですよ」

「お兄様って昔から黒髪に憧れていたのですよ」

「そうなのですか」

「お兄様は実は甘党なのですよ。なのに大人ぶって苦い飲み物を飲みたがるのです」

「大人ぶる年頃なのですね」


 少々怠くなってきた。

 どこまで続くのか、最後まで聞いてみるのも一興ですが、もしかしたら終わらないかもしれない。


「あの、お兄様と何かありました?」

「ない、ある訳がないのです、絶対です」

「ふぅ~ん……おてて繋いで、睦まじかったですよ」

「いや、そのあれは、違うんです。迷子になってはいけないと言われたので、子どもっぽい扱いをされるのは嫌だったのですが、その、つまり、ですから、別に下着姿を見られたわけでもないですし、つまりですね」

「つまり?」

「いえ、なんでもありません……」


 今、なにか何か変な事を口走った気がするー!

 この子に何か話した所で、噂が出回る訳ではない筈。

 きっと、だから、ですから、大丈夫……大丈夫ですよ。


「もしかして、着替え中に抱きしめられたりしましたぁ?」

「えええ、どうしてそれを!?」

「きゃあああああ、お兄様頑張ったのですね」


 え、もしかして、ブラフ?

 いや、そこまで口走っていた??


「それでそれで?どうでした?ドキドキしました?」

「それは、殿方に抱きしめられれば、普通はドキドキするでしょう?」

「普通なんてどうでもいいのです、シャーロット様がどう感じたかが問題なのですよ、嫌じゃなかったかだけでも教えてください」

「嫌……………………では、ありませんでした」

「きゃあああきゃあああ、じゃあ脈ありって感じですね」

「そんな事はありません!」

「それでそれでっ、キスの味は何味でした?」

「そ、そんなことまでする訳がないでしょぅ!」

「ああ~、そうなのですね、残念」


 ああああ、またしてもブラフ。

 いい様に弄ばれているのでしょうか。

 このままでは何もかも筒抜けになってしまいます。


「ごめんなさい、すこし、落ち着いて静かに考えたいので」

「それでは、ベッドに入られますか?」

「あ、お借りしても良いのですか?」

「はい、どうぞどうぞ」

「では、失礼して…」


 ベッドにもぞもぞと入り、フィオレンサさんに背を向けた。

 すると、フィオレンサさんも入ってきて、後から抱き着いて来る。

 さすが兄妹とばかりに、行動まで似ているのかもしれない。


「あの、フィオレンサさんも入ってくるの?」

「はい、誰かと一緒の方が落ち着きませんか?」

「それは確かにそうですが」

「それとも、抱き着かれるとお兄様の事を思い出してしまいますぅ?」

「そんな事ありませんっ」


 思い出しますよ!同じポーズなのですから当たり前じゃないですかあー!


「五月蠅かったら無視してください」

「……」

「実は私、昔からお姉様が欲しかったのです。それも飛び切り可愛いくて優しいお姉様が欲しかった。シャーロット様はその点、すごく理想なのです。お姉様の気風は十分ありますし、こう言っては不快に思われるかもしれませんが、親しみやすい感じがするのです。それと、あまり大人びた方だと、お母様を思い出してしまうので、それは少し辛いとでも言いましょうか…」


 そうでした、お母様は毒殺されたのでしたね。


「あの、わ、わたくしの事は、お姉様と呼んでも良いですよ…」

「本当ですか!?嬉しい、お姉様ぁ~~~」


 抱きしめる力が強くなる。

 痛いと言う程ではないのですが、腕がお腹を締め付けてちょっと辛い。

 正面同士になるように態勢を変えると、そのまま正面から抱き着いて来た。

 この姿勢の方が落ち着く、そうおもっているうち、いつの間にか眠りについた。


 そして、起きた時には窓の外は暗くなっていた。


「ああああ、日帰りの予定があああ」

「夜にグリフォンは飛べませんよ。諦めて泊ってください。一緒に寝ましょう?お姉様!」

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