第22話 レディ・フィオレンサ

 ジェンキンス公爵領 フィオレンサ・ジェンキンス視点──


 日々、お兄様を想う日々が続いていました。

 無事でいる事は勿論、早く帰って来て欲しいという想いと、しっかりと勉強をして叔父様から領地の経営権を奪い返して欲しいという思いが交錯しています。


「お嬢様、ダンスレッスンの続きですよ、あのままではヴァルツが恥をかいてしまいますわ」


 ヴァルツ様は叔父様の一人息子なのですが、同い年のせいか非常に私に粘着してきて、最近では嫁にしてやると上から目線で言い寄ってくる始末。

 性格も悪ければ、頭の回転も悪い、ただ威張るだけに特化した思考なので一緒に居るのは苦痛で仕方がなかったのです。


「何度も言いますが、ヴァルツ様と私は何の関係もありませんからね、べーだ」

「まだそんな事を言っているのですか。いい加減諦めなさい、今後まともに生きて行くにはヴァルツに依存するしかないという事を体に叩き込む必要があるようですね」


 叔母はダンスレッスンやマナー教育という一環で何かにつけて体罰という暴力を振るう。

 私だって黙っていません、黙ってやられるだけだとお兄様に笑われてしまいますので、やり返します。

 その後さらに数倍になって返ってきますが、一度はやり返す事で相手も警戒しますし、暴力女と認識すればヴァルツ様が近寄って来なくなると踏んだのです。

 最終的に『こんなじゃじゃ馬にヴァルツ様がふさわしくないわ』とか言って頂ければ最高なのです。


 私はお兄様の足枷になってはいけない。

 お兄様が叔父に従っているのも、私の事を人質の様に扱っているからだと思った。

 たった三年待つだけでお兄様が帰ってくるのです。

 それまで耐えるだけで良いと思っていました。


 問題はお兄様が学園に通い始めた一週間後に起きた。


 お兄様の部屋の周りが騒がしくなっていたので様子を見た所…。


「あなたたち、お兄様の部屋で何をしているの!ヴァルツ様っ、説明してください」

「お前には関係ない、この部屋は日当たりがいいから、俺が使う事にしたんだ」

「当主の部屋ですよ!無礼にも程があります!今すぐ立ち退きなさい!」

「五月蠅い!ここはいずれ俺の部屋になる予定だったんだ、三年も留守にするのだから今貰っても問題ない、そうですね?母上」

「ええ、有効利用してあげようというのよ、ヴァルツに感謝し、有難く思いなさい」


 大人の使用人が次々と部屋の中の物を運び出し、みるみるうちにお兄様の部屋に何も無くなった。

 そしてヴァルツ様の荷物が運び込まれ、お兄様の部屋は見る影もなくなり、完全に乗っ取られてしまったのです。

 その事を一度はお兄様に連絡しようと筆を執ったものの、今まで以上に心配をかけてしまう事になると止めてしまった。


 それからというもの、何かにつけて反発していたせいか次第に食事のレベルが落ちて行き、二週間も経った頃には三食全てが堅いパンと水の様な薄味の冷たいスープのみとなっていた。

 その事に不満を漏らすと、これも躾の一環だと言い張る。

 それでも言う事を聞かないでいると、部屋に鍵を掛けられ食事も抜きとなった。

 空腹も限界を迎えた夜、私は当初から練っていた計画を実行に移した。


 家出だ。


 こんなところに居たら何時か殺される。

 それだけじゃない、ヴァルツ様が何度も覗きに来る。

 ノックも無しに部屋に入ってくるなんてよくある事で、酷いときは寝ている最中に忍び込んできた。

 最早気持ち悪さが限界に達し、この家に居たくないと思う様になっていたのだ。


 昔、お兄様が子供の頃に着ていた服と大き目の帽子を深く被るという男装で見つかっても周りの目を欺く事にした。


 いざ家を出るとなると胸が高まる。

 だってこれからは冒険が始まるのです。

 窓枠に足を掛け、屋敷という檻から脱出した。


 この時、私は自由になったのだ。


 数日の間は森をさまよった、木の実を食べながらどうにか村に出た。

 お金はある程度持っていた。

 お兄様が残してくれたお金で何かあったら使えと言われたのだから、今が使う時だと思った。

 通りすがりの村人から食べ物を分けてもらって、王都に行く方法を聞いた。


 あとは辻馬車に乗るだけ。

 順調に事が進んでいたそんな時、屋敷の使用人の姿が目に入った。

 咄嗟に隠れて様子を見ていると、会話が聞こえてくる。


「あの子も災難よね、両親が生きていればもっと幸せな人生だったでしょうに」

「仕方がないわよ、母親は毒殺されたのも同然だったじゃない。あの子達もそうならなかっただけ幸せよ」


 その言葉に思わず姿を現せてしまった。


「それ、本当なの?」

「えっと、男の子……じゃない、フィオレンサ様!?」

「本当なのかと聞いているのよ!」

「ええ、本当ですよ。そんな事よりも、大人しく一緒に帰りましょう?」

「そうですよ、平民と関わると危ないですよ、追剥や殺人の危険があります」

「私、王都に行くと決めたの。見逃してくれたら帰った時に給料上げてある」

「そうですか、ですが──」


 まるで体当たりの様な衝撃が私を襲う。

 メイドとは言え大人が組み付いてきたら抵抗ができなかった。

 非力な腕で反撃の拳を振り下ろし、『人さらい』と大声で叫んだ。

 そんな抵抗が気に入らないのか、力いっぱい頬をぶたれた。

 痛みもあるけど体に力が入らなくなり、ぐったりとする。


「うわ、よだれを垂らしてるわ」

「えー、私の髪に付いてない?もう、最低だわ」


 このまま、連れ戻される絶望に視界が歪んだ瞬間、体が宙に浮き誰かに抱きかかえられた。

 颯爽と助けてくれたのは、半分くらいが白髪になった黒髪で初老、そして立派なお髭を生やしたお方でした。

 私をそっと降ろすと、にこやかな顔をして私の頭を撫でた。


「この子が嫌がっているではないか。少々大人気ないですな」


 私を拘束していたメイドが気を失い崩れ落ち、頬をぶったメイドが後退りして警戒する。


「なんですか貴方は、奥様からそのお嬢様を連れ帰れとの命令があるのです、返してください」

「そんな不穏な方法で連れ返すのは感心しませんな、子どもには旅をさせよというではないか、多少の危険は経験の内よ」

「訳の分からない事を、人を呼びますよ!」


 その声と同時に突風が吹いた。

 一瞬閉じた目を開けた時にはメイドが意識を失い倒れた。

 その出来事に、唖然として口を開けてしまうくらい、何が起こったのか理解できなかった。


 ようやく状況が理解できたとき、最初に出て来た言葉は『すごい!カッコイイ!』でした。


「儂はジャスパーじゃ、お嬢ちゃんは?」

「フィオレンサよ」

「これから王都に行かれるのかな?」

「はい、お兄様に会いに行くのです」

「では、レディ・フィオレンサ、この老いぼれと一緒の旅は如何ですかな?馬に乗るのに抵抗が無ければですが」

「はい!大丈夫です!」


 予定では辻馬車を乗り継いでいく予定だったのですが、この方の馬に乗せてもらう事になった。

 王都までの移動は五日間もかかったけど、今までにない新鮮な体験、色んな風景、おもしろい地形、見知らぬ街で宿に泊まったり、野営もしました。

 初めての野営はワクワクが収まらず中々眠れないでいたりと、充実した旅になった。

 そしてその間に多くの事を話しあった。


「ジャスパー様はどうしてあの村に?」

「姪っ子からのお願いで商売の下見にきていたのですよ」

「体術の達人で行商人なのですね、何処にでも行けて自由で羨ましい、人生が楽しそうですね」

「ふ~む、本当の意味で何処にでも行けると良いですなぁ、世界一周なんて夢で憧れますな」

「わかります!」


 そんな楽しい時間というのはあっという間に過ぎるもので、いつの前にか遠くに王都の正門が見えてきました。

 その門を通り抜けたらジャスパー様とはお別れです。

 私はしんみりとしていた表情をしていたのか、無言で頭を撫でられました。

 よくよく考えれば、馬に二人乗りしているから私の表情は見えない筈です。


「ジャスパー様は私の気持ちがわかるのですか?」

「わかる訳ではないがな、なんとなくだよ」

「あの、我儘な子どもってお嫌いですか?」

「そうでもないぞ、それくらいの年頃の子の我儘は可愛いもんじゃ、何かそういうのがあるのかな?」

「……なんでも、なんでもありません」


 少しの沈黙を置いて、ジャスパー様は口を開いた。


「そうですな、お兄様とやらが見つかるまでは一緒に行動してもらえますかな?爺の我儘で良ければですが。とりあえず旅で疲ているから宿屋に泊まりゆっくり探せば良いと思うな」

「はい!私からもお願いします!」

「ははは、レディとのお話は儂も楽しみですからな」

「それでは王都に入りましょう~」


 いっそ、お兄様と出会えなければいいのにと思うのは迷惑でしょうか。

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