痛みを伴ううねり③
ぼくはまず側にいるユーシャちゃんの肩を抱いて引き寄せてツメエリから隠した。走る痛みはとりあえず無視だ。
「何を言われても黙ってて」
ツメエリに聞かれない声音で囁いてから、改めてツメエリに向き直る。
「勇者……? そんな有名人様を、ぼくが知ってる訳ないだろ」
「そうか」
ツメエリはぼくの右腕を
「っ……あ……」
「君の仲間の魔法士、僕たちの仲間をほとんど惨殺したあの殺し屋。この時期に祝福を司る司祭のいる街に、あれほどの魔法士が来るということはあの女は勇者の関係者だとうちの上司が睨んだんだが、勘違いだったか?」
「そう、みたいですね……あ……。上手くいかないですね……っ」
ちぎれるぐらい痛いのを我慢して、咄嗟に左手でユーシャちゃんの口元を隠す。案の定ユーシャちゃんは何か言いた気にして、手の平に熱い吐息が伝わった。
「ふうん、そうか。後で上司から話を聞いてみよう。今頃、君が逃げてきたあの町であの女と会ってる頃だろうし」
ユーシャちゃんは目を見開いたのちに、眉をひそめて更にもがいた。暴れるたんびにぼくの左腕はじんじんと痺れていく。このクソガキ、いつの間にツメエリの味方になったんだ。
ツメエリはおもちゃを手にした子供のようにつついたり上げ下げしたりひねったりして、ぼくの右腕を責めたてていたが、反応の薄さに飽きたように目を切らして、ぼくの腕の中でもがく少女に目を向けた。
「その子は? 妹か?」
「あー……」
なんと答えよう。そうだと言えばぼくの大切な人だと思われ、この尋問の道具に使われるかもしれない。出来るだけどうでもいい奴だと認識させないと……
「違うよ、気色悪い……。土臭い百姓んとこの娘の下女だよ。見てくれだけはそれなりだから使ってるのさ」
「……お前、こんな少女を」
「ほんと言うともうちょっと若いと良いんだけど、まあ安かろう悪かろうだね。一年くらいは使えそうだ」
初めて見るツメエリの表情は道端に散乱した吐瀉物を見るより歪んで嫌悪感ありありのものだった。
『貴様の嘘の上手さは一周回って貴様自身を苦しめる原因になりそうだな……』
「……少女を離せ。僕たちの話し合いには関係ないだろう」
「嫌だ! こいつはぼくのものだぞ! お前、ぼくから取り上げるつもりだろ!」
「そんなつもりじゃあ——」
「お前も! 色目使いやがって! このあばずれめ!」
ユーシャちゃんにも罵声を浴びせておく。リアリティにこだわらなければ、万が一ツメエリにこの子の正体がバレたらタダじゃ済まないだろう。ユーシャちゃんには悪いけども……難しい言葉使ったり直接的な言葉は使ってないから意味はわからない、よね……?
ユーシャちゃんはその目を大きく開いて、じいとぼくを見つめる。そのまなじりにゆっくりと、小さな雫が出てきた。やりすぎちゃった……アクマのため息が聞こえた。
なにか弁明っぽいことを言おうかと口を開きかける。がしかし、それは喉を潰されることで遮られた。ツメエリはぼくの首を両手で掴んでなんの躊躇いも感じない強さで締め上げる。その表情に温度はなく、道端の雑草を見るように空虚なものだった。意外と正義感溢れる奴だった……
抵抗しようと思ったけど、両腕が使い物にならないことを思い出した。足をじたばた動かすと、ツメエリはぼくの下半身に乗っかることでそれを収めた。端正な顔に唾を吐いてみるも、顔色は何も変わらなかった。
これはいよいよ、かなあ。ぼくはユーシャちゃんから手を離した。今のうちに走って逃げてくれ、という無言のメッセージだ。少しだけ悲しくなるから姿を見ることもしない。目の前の無表情男と見つめ合う、終わりまでの数十秒。白い点滅が視界をよぎってくる。
最期なんて大概くだらないっていうけど、まさかよく知らない兄ちゃんと見つめ合いながらなんてな。まあぼくらしいっちゃあ、らしい。
辞世の句も思いつかないし、こいつに言うことでもない。することもないのでツメエリの顔をじいと見つめてる。まあ、不細工よりか男前の方が最後に見るものとしては良いかもね……暗黒のことをできるだけ考えないように、そんな馬鹿らしいことを考えてみる。
あ。
「………………は?」
途端、喉の拘束が少しだけ緩んだ。なだれ込むように口内に入り込む空気。逆に辛かった。なんだ? 目の前のツメエリを見ると、間抜けに口を半開きにして、目を見開いている。どうしたんだこいつ。
『………………貴様』
すっかり存在を忘れてたアクマも声を漏らす。そう言えばぼくが死ねばこいつどうなるんだろう。
「————やあっ!」
ぼくとツメエリの間に生まれた一瞬の空白。それを破ったのは若草のようにみずみずしい少女の声だった。そして耳に障る鈍い音。間抜け面のまま、ツメエリはぼくの方に体を倒してくる。それを転がることで回避し、立っている影を見上げる。
荒い息を立てながらユーシャちゃんがツメエリを見下ろしていた。
「にげろ……ったのに」
微かな酸素を利用して吐き出すと、ユーシャちゃんはその睥睨の対象をぼくに切り替えた。どうやら大人しく言うことを聞いてくれるほどの信頼感は失ってしまったらしい。初めて会ったころはあんなにぼくの話を聞いてくれたのに……
『自業自得以外の何物でもないな』
「……っ」
剣呑な視線で何も言わずにぼくを睨む。その間に、頭をぶん殴られた衝撃から覚めたツメエリがゆっくりと体を起こす。このばか、なんでさっさと連打でとどめを刺さなかったんだ……!
ツメエリはようやく目線を自分に向き直したユーシャちゃんから目を離さず、警戒しながら立ち上がる。ああ、こうなったら終わりだ。
「……僕が用があるのはそこのクズだけだ。何も君を傷つけるつもりはないんだよ」
「…………」
二人は向かい合う。ユーシャちゃんは何も言わない。徹底抗戦の意思なのか、恐怖の表れなのか。
「これのことは気にしない方が良い。みなしごでいるよりも、こいつと一緒にいることの方が余程残酷な目に遭うだろう。どこへなりとも行きなさい」
「…………」
「…………はあ」
ため息をついて、ツメエリはユーシャちゃんを無視して再度ぼくの首元へ手を伸ばす。しかし、それはユーシャちゃんのキックに阻まれた。さっと避けて、ぼくを見下ろす。
「…………本当にお前を恨むよ」
憎々しげにぼくに吐き捨てて、ツメエリはユーシャちゃんに向き合う。やる気にさせてしまった……。
前回ぼくがあっさり殴り倒してしまったけれど、このツメエリという男の力量で、ユーシャちゃんを相手取ることに苦労するとは思えない。魔法のことはよくわからないけれど、まず不可視の衝撃が厄介すぎる。目に見えず、しかも高速で飛来する巨大な砲弾を何発も打ち込まれるようなものだ。ぼく並みの動体視力と空間認識能力、予測能力を持ってしてなんとか躱せるものだ。昨日手合わせしたユーシャちゃんの力量なら、まず初撃で終わりだ。
それだけじゃなくこいつには目に見えない、打撃の衝撃から身を守る障壁の魔法がある。あの頑丈な不可視の障壁を越えてダメージを与えられる攻撃手段を、剣も持ってないユーシャちゃんは持ってない。
『……ま、十中八九小娘は勝てんな』
拳一つで今駆け出したユーシャちゃんを小馬鹿にするようにアクマは言った。癪だけどアクマと同じ感想だ。
ユーシャちゃんは徒手空拳で精一杯体を動かして、拳や蹴りを浴びせようとしている。身体強化魔術によって通常より鋭敏な動きにはなっているけれど、ツメエリには簡単に避けられてしまっている。
助太刀するために立ち上がろうとするも、両腕はぼろぼろだし、そも立ち上がれたとして助太刀になるかどうか……今のぼくなんて、ツメエリにしてみれば腕を振るうだけで倒せる。むしろユーシャちゃんの邪魔になる。
ぼくの意思を削ぎ落とすように痛みを増す両腕。押し潰されて、腕は下がった。一体何度目だ……人生のうちにこんな思いをするのは。後何回こんな気持ちを味わえばぼくの人生は終わるんだ。
限りなく惨めな気持ちで、倒れ伏したまま少女の奮闘を見る。ツメエリはどうも直接的にユーシャちゃんを攻撃するつもりはないようだ。涼しい顔で掌打をかわし続けて、相手が疲れて動けなくなるのを待っているのだろう。邪魔が入らなくなってからぼくを殺すなりなんなりすればいいからあいつにとってはそれでいい。
それを知ってか知らずか、ユーシャちゃんの表情にも焦りが見える。素人なりにフェイントを加えたり飛び上がったり足を狙ったりと、頑張ってはいるけど大人と子供では身体能力や歩幅が違う。それも大人が魔法士だったなら、更に違ってくる。
街道端の木を利用して飛び上がり、身軽にかかと落としを入れるも上手く体重が入らなかったのかツメエリが両腕を構えて受けられてしまう。捕まるのを恐れて咄嗟に後ろに下がる。
その時、ツメエリの頭上で茶色が揺れた。なんだと窺うと、それはユーシャちゃんが身につけていたマント型のフードだった。木に引っかかって外れたのか、それが宙から落ちていく。やけに緩慢に見える落下運動は、ツメエリの頭の上で終わった。
そこには間抜けに顔を頭巾で隠したツメエリがいた。どこかで見た覚えがある。南の街で、不可視の衝撃から身を守るためにぼくが用いた戦法にそっくりだ。まさかと思ってユーシャちゃんを見ると、目と口を開いたユーシャちゃんと目が合った。
どうしたらいいのだろう。ぼくたち二人は同時に困惑した。それはあいつも一緒だったらしい。ツメエリは視界が布に覆われたことに驚いて体を震わせたのち、何故かその場で拳を構える。マントを取らずに。再びぼくとユーシャちゃんの目が合い、言葉なき言葉が交わされる。取りゃいいのに……
一瞬身動き取れずにいたユーシャちゃんだったが、再起はツメエリより早かった。掌をかかげると、そこに橙色の炎が揺れる。それを、まだ動かないツメエリに向けておっかなびっくり放った。これで合ってるのかな……? と言いた気な所作だった。
だけど狙いは正確だった。射出された炎は正確にツメエリの頭部へ着弾した。甲高い悲鳴が鳴り響く。炎は被さったマントに燃え移り、ツメエリから酸素を奪っていく。慌ててマントを取ろうとするも、素早く燃え移ったマントはもはや簡単に手に取れる熱量ではない。悶え苦しむツメエリはなりふり構わない様子で暴れながら、林の中へ消えていく。
そして、残されたのは二人。
「………………」
どうしたらいいのかわからないのか、ユーシャちゃんはじいっとツメエリが消えて行った方を見つめている。しばらく経ってる戻ってこないのを見て、張っていた肩を下ろした。
あまりにも、あまりにも間抜けな終わり方だった。しかもぼくとアクマの予想の反対の結果。なんで負けたんだあいつ……
『貴様を意識し過ぎたんだろう』
問いかけたつもりはなかったけど、アクマが声を返してくれた。
『以前奴が貴様に敗北したのは、魔導師女の連れ合いだから魔法士だろうと早合点したお前に肉弾戦を挑まれたことにある。だから簡単に接近を許し、そして考えもつかないような力技で押し切られた。その相手が近くにいることから、あの時の敗北をどうしても意識してしまったんだろう』
『それがどうしたよ』
『勇者小娘も貴様と同じく肉弾戦を持ちかけてきた。実際には身体強化魔術を行使していたんだろうが、詰襟男が未熟なのと貴様の小娘に対する前情報が効いたんだろう。百姓の娘だからこその体力だと勘違いを起こしたのかもな』
『いくら力仕事してたって子供だろ? わからんもんかね』
『詰襟男がそれほど庶民の生態に精通してるとでも? もしそうなら間違っても貴様の下女よりみなしごの方がマシだとは言えないだろう』
『…………』
なんだか、名探偵の事件解決部分を聞いているような気分だ。
『話を戻すぞ。詰襟男の目的は小娘の無力化と貴様の殺害もしくは拷問だ。自分から傷つける必要はなく、疲弊させたり挫折させたらいいだけだ。頭上から落ちてきたマントが頭に被さった時、奴は貴様に敗北した時のことを思い出したんだろう。小娘が貴様から話を聞いて意図的に企んだと思ったかどうかはわからんが。そしてあの時のように連打されると考えたんだろう。だから奴は多分あの時不可視の障壁を行使したんだと思う。小娘の掌打では障壁を壊せるとは思えんし、貴様に対する意趣返しにもなる。小娘の攻撃を完璧に防いで、今までの奮闘が無駄だったと悟らせることで無力化しようとしたのかもな』
『はあ……』
推測ではあるけれどさっきの間抜けな現象の説明としては割と納得できるものがあった。でも。
『……別にマントは取っても良かったよな』
『取っても良い、当然な。でも取らなくても良い、奴にとっては。相手は所詮田舎小娘、それまでの攻撃で奴が危険を感じる場面も無し。幼稚な格闘技で自分に挑んできた小娘がまさか魔法士だとは普通思わん』
『結局間抜けなオチだったってことか』
『責めるのは簡単だが、貴様がそれを言えた口か? もう昨日のことを忘れたか?』
途端に蘇る屈辱の記憶。確かにあの時のぼくとツメエリは同じだ。同じ相手に同じように無様に負けた。レストインピース、ぼくだけはお前を笑わないよ。
……同じ?
そうだ、昨日も今日も同じだ。実力とか経験とか、それを上回るほどの偶然の連続。負ける道理がないぼくとツメエリはユーシャちゃんに負けた。
勿論それも含めて実力だと言われたり時の運だとか言われたらなんともだ。けど勝敗のいかん関係無しに、偶然という言葉がどうも最近多すぎる気がする。そう考えると、今までのいろんなことが思い起こされて……
街を出てすぐに死体を見つけて、遭難して、魔物に殺される直前でセンシさんに助けてもらって。連れられた先で勇者に会って、魔族に会って、ツメエリと喧嘩して。なあなあで中央までの旅をお供して、傷ついて、ユーシャちゃんに負けて、魔族に襲われて、そして今。
ちょっとした気まぐれとか一秒体を動かすのが遅かったら、ぼくは今ここにいない。それが運命でそれが人生なのかもしれない。ぼくが漫画の世界の人間だったら。
でも違う。人生はもっと即物的に予定調和だ。才能ある奴が勝って無能は負け続ける。そしてそれに慣れることに大人だとか成長だとかという言葉で修飾することでなんとか自我を保って生きていくもの。なるようになるのが人生だ。
じゃあそれが今違ってるのはなんで?
「……そういうことなのか?」
この偶然の連続。十中八九の一二の発生過多。致命的な一分の油断の散見。それが悪魔の怪現象の正体なのか?
『我輩はそう考えている』
それはある程度決定的な言葉だった。今までさんざ勿体ぶっていたのに。
『もう機は熟したからな』
『……? ていうか、考えてるってなんだよ。お前のことだろ』
『貴様が何故勇者として生まれたのか説明できん様に、我輩にも何故契約者が他に類を見ないほど偶然に人生を揺るがされる様になるか、明確には説明できん』
『マジでお前がなんかしてるって訳じゃないんだ』
『今までの経験から恐らく怪現象の原因は我輩たち悪魔だろう。言い訳する気も必要もない。だが確証が無い。怪現象も我輩が己の存在を自認してから今までの契約者の様子を観察しての推測でしかない』
『もしかしたらそれこそ本当の偶然かもしれないってことか』
『ああ』
悪魔の言い回しには誤魔化しの色は無かった。
偶然の散発現象……確かにそう言われたら納得できることもあるけれど。
『それにしてはなんかこう……悪い目ばかり引いているような。偶然良いことがあってもいいんじゃないの?』
『何度か命を救われたろう』
『そうだけどさあ……』
『まあ確かに我輩の経験上この怪現象は不幸に見舞われる事案の方が多い傾向にある。現象としては偶然の散発だが、この怪現象の本質は偶然の連続により通常の結果を尋常ならざるものに変える、呪いの様なものだと思う』
『呪い?』
『誰もが普通ならそうなる、と考える結果がとるに足らない偶然によって覆される、ということがよくある。貴様にも覚えがあるだろう』
『うん』
『そしてその結果は、大概契約者にとっての不幸だ。今までの契約者は全員数奇な運命を辿って死んだ。それもあまり良い死に方ではない。全員、きっかけはほんのちょっとした偶然だ。まるでその結果を導くために因果を書き換えられたように』
……はた迷惑な。それなら前に言ってた悪魔の怪現象の正体は不幸だという言葉も満更嘘じゃない訳だ。
『まあな。全く、どんな性悪がこんな風な
『知らないのか』
『知らんし今となっては興味もない。だけどきっと……』
アクマは少しだけ躊躇いがちに、
『きっと誰かの呪いなんだろう、我輩は』
と漏らした。
『——知る限り、対処方法はない。気をつけてどうにかなるものでもない。今吐いた貴様の息が回り回って貴様の窒息死に繋がるかもしれないし、繋がらないかもしれない。抗おうとするだけ無駄だ。諦めて間抜けに死ね』
『口悪いなあ……』
怪現象の正体はなんとなく掴めた。アクマの言葉に少なくても嘘はない。隠してることはあるかもしれないけど、今日のこいつは断定口調が多い。ある程度信じられる。
『なあ、今までの契約者の死因とか死に方ってどんなのがある?』
『ふうむ……例えば食べ残しの豆のスープに入っていたタカの羽の——』
「お兄さん!」
耳元で騒がれてようやく気づく。うだうだとアクマと話し込んでいるぼくの側に張り詰めた様子のユーシャちゃんが居た。
なるようにならない元勇者の災厄 夜乃偽物 @Jinusi
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