お姫様の賞味期限

ごせんさつき

お姫様の賞味期限

私もお姫様というものに憧れていたと思う。


幼稚園のころは、きっと白馬の王子様が迎えにきてくれると思ったし、お姫様になりたいと思い、何をすればお姫様になるのか考えて、お尻のあたりまで髪を伸ばしていた。


幼稚園時分の時はお姫様というものにそういうイメージを持っていた。

綺麗な髪で、王子様がいて、お洒落なドレスを着ている。


でも、そういう幻想も中学校に上がる頃にはなくなっていたと思う。


いやもしかしたら、持っていたのかもしれない。ただどちらにしても部活のために伸ばしていた髪を切った時に、私は幼稚園の自分とはバイバイしたのだ。


それよりも早い段階で王子様という憧れも消えていた。

小学校の時にいた同級生の男子はみんな子どもに見えたし、それでいてお迎えに来てくれる様子はなかった。

唯一憧れていた小学校四年生のときの先生も、私が六年生の時、児童に対する性犯罪で逮捕された。


その時、やっぱり王子様はいないと思ったし、何より世間というものが王子様とお姫様の恋愛に興味がないと思った。まずはじめに見られるのは年齢なのだろう、と先生が逮捕された案件からそう感じた。


唯一変わらなかったのは、お姫様はドレスを着ているという考えくらいだ。

そもそも日常で、ドレスを着る風習がない私達にとって、

やっぱり非日常の象徴になるドレスは、それなりにお姫様のお召し物という印象があることは拭えなかった。


しかしそれも結局、非日常の象徴であるドレスを自分が着られるわけがないという、何よりの証明であった。

もし仮に、普段ドレスを着られるのであったとしても、

やっぱりそれは非日常じゃなくなるだけだし

今の自分の立場はお姫様じゃないのだから、

ドレスを着られる=お姫様であるという構図が成り立たなくなるだけにすぎなかった。


とにかく、私も昔はお姫様に憧れていたし自分がなれるものだと信じていたのだ。


私は今、真紅のドレスを着ている。そうして昔の自分を想起していたのだ。

二十五になった現実の私はお姫様でもなんでもなく、ただお店で男と話をしてお酒を注いで、たまに行きたくもないホテルに行って、それでお金を得ているだけの人間だった。

これがもしお姫様だったら嫌ね、なんて考えながら私は今日も客の相手をしていた。


「もしかして、具合悪い?」


その客からの言葉だった。

当たり前だ。これからすることを考えると、注いだお酒をすべて私が飲んでゲボゲボ吐いても上書きされないくらいの気持ち悪さが残るのだから。


「そんなことないですよ〜」


我ながら、気色悪い返事だな。電話出たときの第一声みたいに高い。

とにかく相手が金を落とすまでの辛抱だと思うことにする。


「僕、ちょっと下で飲み物買ってくるね」


「あ、うん、わかった〜。待ってるね」


この客、チキったな。見るから童貞っぽいしな。

そう思って5分ほど待っていると客は戻ってきた。


「はい、これ」と手渡されたのは3%のサワーだった。もう一つは枝豆のスナック。


もらった私は困る。普通、こういうものはお店の規則でもらえないことになっている。客に悪い、というよりか例えばこの渡されたものに何が混入されているかわからないからだ。


だから基本お酒を一緒の飲む時はお店のお酒だし、外に出る時は相手が出したものは一口もつけないのが常識だった。


私は困るという顔をしたが、相手は意にも介さず勧めてくる。

こういう場合はお店側に報告するのが義務だった。

さて、どう目を盗んで報告しようかと考えていると

向こうが「あー、そう? いらない?」と言いながらそれらを勝手に開け、自分一人で楽しくやり始めた。


「あ、そうか。客が出したものは飲めないよね。気がつかなかった」

はははと、少ししょんぼりしながらいう男。やっぱりこういうお店には慣れていないのだろうことの表れだった。


それから、男は一人で楽しく色々なことを語り始めた。

会社のこと、趣味のこと、別れた恋人のこと。

私についてどう思ったのかは知らないが、少なくともそういう気はないようだった。


ここまでだったら、正直ホテルですることではないと感じた。お店でできることだった。


しいて違うことをあげるなら、お酒の種類。お店だとこんな安っぽいものはまずない。


そして男が振ってきたその話題が二つ目の違うところになった。


「キミは、何か趣味とか夢とかないの」


ここが違った。お店だと人の話は聞くばかりで自分のことを話す機会などなかった。


「夢は、昔ありましたよ」

だから私はこの異質な環境にのっかってちょっと話をしてみることにしたのだ。

声のトーンは、日常会話する程度の低さになっていた。電話の高さではなくなった。酔っいる男は気にしている様子はなかったが。


「昔、わたしはお姫様になりたかったんです」


「へー、どんなお姫様?」


「どんな?」


「ほら、色々いるでしょ? シンデレラ、白雪姫、ラプンツェル……他なにがあったっけ?」

あんまり考えたことはなかった。私の中のお姫様は王子が白馬で迎えに来て髪が長くてドレスを着ているのだ。

そう考えると、私の理想はどれにも当てはまっているとも言えて、それであると明言することができない。


「人魚姫……は違うかなぁ」

男はどんなお姫様かを勝手に想像して話を続ける。


「人魚姫って声を失うやつですっけ?」


「たしか、そういうやつ。助けたのは自分だけど人間になる代償で声が出なくて自分の好きな思いを伝えられないみたいな」


「皮肉ですね」


「まったくだよ」

いつの間にか、なんか馴染んでいる。


声を失う。今の私は、高い作り声から普段の声になっていた。するといつもの声が出るのだから人魚姫はないと言えるなぁ。

これで高い声しか出ないのだったら、それはそれで面白そうではあるけれど。


そう思った私はふと、迎えに来てもらうことばっかりで、自分が王子を助ける前提が頭からすっかり抜け落ちていたという事実に気がついた。

そう、人魚は王子を助けるのだ。


「まぁ、キミのお姫様のイメージはどれだったの?」


「わからないです」


「わからない? お姫様なりたかったのに?」

男は枝豆スナックをポリポリしながら、ふむと考え出した。


「小さい頃、本を読んでお姫様に憧れたとかじゃないの?」


「……記憶にないですね」


そう言われると私はどうしてお姫様になりたいと思ったのだろう。


「わからないうちに憧れて、わからないうちに諦めちゃったんだ?」


「そう、なりますね」


「あ、じゃあ、諦めた理由はなんだったの」


不思議だ。その質問の答えはわかった。

だから私は話した。

周りに王子様がいなかったことを、髪を切ったことがきっかけであることを、ドレスを普段着ていないということを。


「ははははは。現実を知ったって感じか」


「そうですよ」

話したことで男が笑っている事実がなんとなく不快だった。


そうすると、と男は続けた。


「キミは今物語の途中なんだね」


「は?」

男の言っている意味がわからないという感じで、威圧的で変なことを出してしまった。

少なくとも接客する人間が出していい声ではない。


「こわ、こわいなぁ。もう。女の子がそんな声を出しちゃダメだぞ」


「あの、どういう意味ですかそれ?」

今の発言を無視して、意味がわからないそれを問いただす。


「ん? いや女の子がそんな声出すと裏がありそうで怖いだろ」


「いや、そっちじゃなくて」

無視しようと思ったら、向こうが許してくれなかった。というかこの男は、女の子には基本裏がないとでも思ってるのか? 夢みがちなことだ。


「あぁ、物語の続きの方ね」

男は再度、はははと笑っていた。笑い上戸かもしれない


「いや、つまりね。よくあるお姫様って何か途中で辛いことを経験するんだよ。ほら白雪姫でもシンデレラでもラプンツェルでも。」


「つらい……?」


「あれ? わからない? あ、きちんと読んだことないんだっけ? えっとシンデレラなら姉たちにこき使われて灰被ってるところだし、白雪姫は一回死ぬし、ラプンツェルは塔の外に出られないだろ?」


「えっと」


「いや、だからさ。キミはきっと、まだそのお姫様たちの物語でいうところの、辛い位置にいるだけなんだよきっと」


「それってつまり、これから物語が良くなるってことですか?」


「そういうこと」


「そんなのあり得ませんよ」

そんなことはありえない。だってこれまでそういうことが起こってこなかったのだから。お姫様にも賞味期限がある。この歳になっても、それが来ないのだ。当然だろう。


「おいおい、なんでありえないって言い切れるんだ」


「だって、この歳まで、私は現にお姫様になってないので」

すると、男は少し説明するように、理屈っぽい顔になった。


「さっきまで、お姫様の物語をきちんと知らなかったキミが、なんでお姫様になれないなんて言い切れるんだい?」


ーーッ


それはド直球なまでの正論だった。


そもそもね、と続きを始める男。この人はもしかしたら、こうやって喋る職業の人間ではないかと思わせられる。


「どの物語のお姫様だって、それなり苦労して、何よりーー

自分自身が幸せになりたいと思って行動するんだよ」


そう、だから私は言い返せなくなっていた。


「キミは……お姫様として幸せになろうと行動したかい」


男の言葉はそれきりだった。

その日の話はそれで終わったのだった。


結局お店に連絡もせず、男がホテルを泊まりでとっていったのもあり、酔った勢いで眠りだしたのだった。


私はどうしようかと悩み、

そしてお店へ今日の仕事はもうやめると連絡を入れたのだった。


もしかすると今日どころか、この仕事自体をやめるかもしれない。そんな風に思った。


そして男に聞きたいことのできた私は、男が起きるまで待とうして眠くなり、浴槽で寝たのだった。

さすがにシングルベッドでその男と寝る気にはまだなれなかった。


真紅のドレスで広い浴槽に毛布かぶって寝ている姿は、さながらマッチ売りの少女のようだった。


朝を迎えて、


「ごめんなさい」という男の第一声を聞きながら、

「気にしてませんよ」と返した。


むしろこの男は高い金を払って、なにもなかったがいいのだろうかと思ったが


「昨日、話してて楽しかった」

と言われた時にその思慮はどこかに吹き飛んだ。

この男は、昨日話しをしているだけ楽しかったのだ。

そういう男性もいるにはいるのだ。


そして不思議と私も気分は悪くない。

吐きたい気持ちも何もなかった。


チェックアウト間際になって、

「あ、そうだ。名前を教えてください」

と私は尋ねる。

こういうことってしていいのかどうかわからないけど、まぁいいだろう。

その時にはもうこの仕事を辞める決心はついていた。


「え、名前? 僕の?」


「はい」

少し笑って応えると、「まいったなぁ」と男も笑って返す。

昨日はあんまり気にしなかったが、男は二十代前半くらいで絶妙に幼さを残している顔だった。


「僕の名前はーーーー」


その名前は、なんとなく王子様っぽいと思った。

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