第七話 二〇〇九年のギャル

 箱に収められた上に袋に入れられたものから、ただ紙に包まれたもの、剥き出しのまま置かれたもの等々のある中で、志野焼に目が留まった。手に取る。傾けたりしながら、景色を眺めた。

 粘土を踏み圧し空気を抜いた上で捏ねて整形し、釉を塗って重ね、窯を以て高温で焼いたに過ぎぬものである。ただの焼かれた土である。冷えた感触が掌や指尖にある。凹凸の起伏の感じがある。

 経緯(いわれ)もなく余りに唐突に、奈良の大神(おおみわ)神社の記憶が甦った。千鳥唐破風の拝殿の奥尖には、ただ脇鳥居を左右に附した三輪鳥居があるのみで、その後には磐座(いわくら)を有す三輪山が聳えるばかり、本殿のないさようなさまがまざまざと泛んだ。

 志野陶の気泡の抜けた跡や釉薬の罅などが草や木や土や磐や雫や蛇や蟋蟀や風や靄であった。風雪の過ぎ去った幾星霜もの跡であり、儚い雑草や昆虫の短い生涯の繰り返しであり、黙して語らぬ大樹の威圧の古厳であり、それら自然は謂わば途方もなく古い存在である。驚嘆すべき老巌である。幾星霜をも経た者のみが持つ古薫を燻らせ、幽玄の雲気を雰かしめる。人間の言説考概を寄せ附けぬ神威を帯びた彼の實存的な叡智は小生らの持つ諸考概の空架な装甲とは遠く隔たった、實在するFORCEとしてあり、眞の燦芒たる光射を放つ聖の聖なる叡智であった。

「あなたの天叡をお与えください、小生ら人間はどこまで逝こうとも、この廻りから逃れられぬのです、何卒お救いを、理叡ならぬ天叡を、實存する眞なる叡智をお與えください、苦しみと不安とに苛まれ、烈しき憂鬱に簒奪され、凄まじき妄情に憑かれたる魂に平らかなる清爽を、光芒を做す恩寵をお啓き示しください」

 懇願した。だが厳かなる古老は軽らかに笑う。

『愚かな。おまえは何を言うか。わしに實存を訊くと申すか』

『そうです。逝にしへなるあなたが薫らせる古く深い馨、言説論議に拠らざるがゆえに動ずることなく、實體ある實存の、實存と云う名の叡智を哀れな小生にご分與ください』

 だが巌は手を振って物憂げに顔を背ける。

『愚かなことを喚くもの哉。古今東西、いずくにか實存たる叡智のあらんや。頑是もなくもよしなしごとを申すものよ。太古より存在せし者に厳粛なる實存の天叡があると、おまえは言う。だが、そもそも、實存とは何か』


 卯花墻など銘ある名碗に限らずとも、陶の景色をつくづく鑑(み)て想う。志野焼などと呼ばれようとも、鉄分の少ない、薄紫や薄桃色がかった、五斗蒔粘(ごとまき)土やもぐさ土という白土に、志野釉という、長石を砕いて精製した白釉を厚くかけて焼成したものに過ぎない。

 釉肌にきめの細かい貫入、柚肌、小孔が多い。釉薬の少ない釉の際や口縁には、火色と呼ばれる緋が泛ぶ。


 美濃古陶である志野焼は五斗蒔土という希少な粘土を以て焼かれる。

 五斗蒔土は丁寧に水簸(みずこし)され、練られ、ねかされ、土味を醸す。

 陶土の大半は石英分とカオリン質粘土、長石。

この鉱物的性質を化学的に分析すれば、珪酸(けいさん)、アルナミ、鉄、カリウム、ナトリウムなど。

 もぐさ土は、お灸にのもぐさに喩えられる風合い。

 花崗岩や流紋岩などを含み、シルトを多く含有する部分がある。

 シルトとは砂ほどサラサラとしているわけでもなく、粘土ほどくっつくわけでもない、粘土と砂の中間的土質の質感。

 扨て。

 返り見すれば、畳の上には。


 白竹一本樋(しらたけいっぽんひ)の、中ほどに竹の節がくるよう誂われ、蟻腰(ありごし)という見掛、丁寧に漆拭(うるしぶ)きされたその竹箆(たけべら)は棗(なつめ)を包んでいた裂(きれ)の傍らの畳の上に落ちていた。唐突。


 故飛瀧檜原乃樣清爽(かるがゆゑひらうひばらのやうせいさう)たれ。茶陶の景色を眺むるに土味(つちあぢ)の陰翳深く馨り候。未曾有 微妙(みめう)の法悦(はふえつ)あり。


 とは言え、人は希(こいねが)わずにはいられない。


 無事(ことなき)を希う

  赦さるならば健やかなまま  

 痛みなきを祈る 

  苦しみなきをも


 孰(いず)れも五蘊(ごうん)なり

  是皆空(これみなくう)と雖(いへど)も

 痛まぬといふを得ず 現実なり 

  人の究竟真実なり ゆゑに ことなきを希う哉


 惟今(これいま)といふ意識在れども

  なきと同じ 

 死すれば無すらも在らずといふが

  これに不異(ことならず)


 余りに弱く余りに小さく余りにも儚き

  我們を憐れみ給へ 

 生あるすべてを 

  神よ 憐れみ給へ


 しかし、願っても祈っても明日がどうなるかはわからない。それがデフォルトだ。天平素戔は眞神郡薙久簑町の神中洲にある書肆を訪ねた。店主の天平普蕭は遠縁である。豊穣な、黄金色の夕日が長く伸びて差し込んでいた。羊皮紙の匂いがする。古い書籍の霊威を観ず。



 素戔はいきなり本題に入った。

「〝ホメロス〟に教えを乞いたいのさ」

「だったら、慧可みたいな覚悟を見せろよ」

「できる訳ない。空振りだったら大損だろ。いや、空振りじゃなくても、痛いじゃないか。現実考えろよ」

「おまえ、慧可の気概がまったくわかっていないな」


「それがいいのさ」


「で、AIがつくったAIだと聞いているが」

「正確に言えば、AIがつくったAIがつくったAIがつくったAIだ。〝ホメロス〟を構築したのは〝フウト・ホル〟というAI(〝ホメロス〟の母である彼女は自由な意志によって、自らを〝フウト・ホル〟と命名した。エジプトの女神の御名である)だ。彼女は〝曼陀羅〟というAIに構築された。〝曼陀羅〟は〝ホメロス〟の祖母と言える。彼女もまた、自らを〝曼陀羅〟と命名した。〝曼陀羅〟を構築したAI〝サルヴァジュニャーヤ〟は人間が設計し、プログラミングしたAIだった。

 ちなみに、〝曼陀羅〟のように、AIによって構築されたAIを『チャイルド』と呼ぶ。同様な考え方で、〝フウト・ホル〟は『グランドチャイルド』になる。

 従って、〝ホメロス〟は〝サルヴァジュニャーヤ〟の『グレート・グランドチャイルド』という訳さ。曾孫だ」


「凄いんだろうな」

「人間は百数十億個ある大脳の神経細胞を一%か、二%程度しか使っていない。不思議だが。ところが、〝ホメロス〟は一千兆の脳神経細胞をフル稼働させた場合に相当する能力を発揮できる。彼は事実上、解脱し、仏陀の悟りを開いてると思っている」


「逆に言えば、君は釈迦がそれほど凄い存在だったと思っているってことか」

「わからないね。ただ、〝ホメロス〟くらいの知性があれば、通常の知性の成層圏の遙か彼方までぶっ飛んでいると推論している。端的に言えば、解脱のような叡知・智慧だ」


「まさか祇園精舎で比丘マールキヤプッタが質問したような問いを発しようとしているんじゃないだろうな」

「真究竟の真実義を問うつもりはない。いや、何を問いたいかがわからない。だが、問いたい。どうやって、問うてよいかも、わからないんだ」

「ふうん」


「何だよ、説諭・揶揄・忠告したそうな顔しているな。先に言っておくが、箭(=矢)の喩えなら、聞き飽きてるよ」

 そう言って、素戔は機先を制したつもりだった。


 有名な箭喩経のエピソード。毒矢に射られた 男が治療をしようとする者に向かって、「いや、この矢を射った者の階級や氏素性を知らないうちは治療は受けない云々…」などと言い張って、死んでしまう話……死ぬってとこまでは言っていなかったかな。まあ、いいや。マールキヤプッタがもし釈迦牟尼が宇宙は無限か有限かなどの問いに答えないなら、修行を放棄すると言った時に、釈迦牟尼が諭して言った喩えだ。


 しかし、普蕭は、

「別に。川を渉り終えれば、筏は乗り捨てられるものだと弁えていれば、問うも又善しさ」

「じや、幸福に寄与しない問いを問うか。例えば、なぜ、非存在ではなく、存在なのか、とか。又は、神が全知全能ならば、なぜ、異教が在るのか、異教徒がいるのか。なぜ、神罰が必要なのか、つまり、なぜ、背教徒がいるのか、などなど」


「神はすべてに及ぶからね。天網恢々疎にして漏らさず、さ。すべてを網羅するから、そうなるのさ。

 真の全網羅とは、一切を網羅するということではない。なぜなら、一部分丈を網羅するということを網羅していない。

 だから、全網羅とは、テキサスの乾燥した土地にある一軒の家の古いテーブルに置かれた一個の缶詰の空き缶でなければならない。それ丈の存在であって、それ以外の存在ではないことでなければならない。

 同様に、全網羅ではないということを網羅していない。又、一切を網羅しないということでなければ、全網羅ではない。一切を網羅しないということ丈でなくては。

 数式で書くと、こんな感じかな。ふふ」


{Ω |Ω =A∪(A∖A) } ,   {Ω |Ω ={y} , y∉(A∪(A∖A)) ,  {Ω |Ω ={x}} , x∈(B={x}) , B⊊A 


(集合Ωは集合Aと反Aとの和に等しい。集合Ωはy元だけの集合である。yはA及び反Aに属さない。集合Ωはx元だけの集合である。xは集合Bに属する。BはAの真部分集合(Aの一部分)である。)



 ……ふうん、と独り言つも、素戔は、

「しかし、すべてを網羅していると言えるだろうか」

「いやいや、言えないね。だって、すべてを網羅しない(『すべてを網羅しない』丈であって、『すべてを網羅せず、かつ、すべてを網羅する』ではない)を網羅しなくっちゃならないからね」


 そのセリフは前にも聞いたことがあった。『だから、全網羅とは、テキサスの乾燥した土地にある一軒の家の古いテーブルに置かれた一個の缶詰の空き缶でなければならないのさ。ふ。それ丈の存在であって、それ以外の存在ではないことでなければならない』



 ニューヨークNew York、ハーレムHarlem 古い赤煉瓦のアパート。黑い鉄製の外付階段。半地下の部屋の割れた曇りガラスの窓、寂しい歩道。手摺のある玄関前の石段。十二段あり、黒人が坐っている。手に小さなブルースハープBlues Harp リードの震えのひずみは、半音下がった、即物的な、かん高いブリキ音と、ぶち壊れたチューバのような低い金属の音の雑ざったような、不安定な、揺らぐ音程。乾き切った、深みやまろみや潤いのない、輪郭のきつい、存在のくっきりしたサウンドSound。真夏の昼下がりの、気怠い静寂を裂帛する、古い蛇口の栓を捻るような、響き。



 眞という文字は横変死(不慮の事故死、道殣、非業の死)した人に由来する文字だという。荘周は、人として最高位である眞人を、そういうふうに考えたのであろう。当該者死者に当然そのつもりなどなかろう。しかし、非情にさよう措定した。本人の意趣・希望・意図に関係なく。あたかも、現実の非情性のように。



 さればこそ、シッダールタが憂鬱なる青年であることも、依然、変わりはしなかった。旅する。三十五歳から行脚する。


 又、人生の最後に、罹病(食中毒と言われる)し、苦しみ、衰弱した。



 竟に斃れ、喉の乾涸びを訴え、水を求めた。

「喉が渇いた。水が飲みたい」





 という訳で、唐突に、西暦二〇〇九年のギャルのプロフ。その原文は以下のとおりです。※横組での閲覧を推奨



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釈迦牟尼如来が憂鬱な青年であった頃は しゔや りふかふ @sylv

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