第三話 唐突
一秒の間をおいて、単音十穴のハモニカ、たとえば、ホーナー社製のブルースハープだったかもと思う。あやしみて問うても、彼はただ、「小説さ」と応(いら)えるのみ。
そのときの録音は次のとおり。
※ http://sylveeyh.g2.xrea.com/bluezhyper.m4a
経緯(いはれ)も、由縁(ゆゑん)もなき、ぶっきら棒にて、即物的なる、無味乾燥の、ただ、露出せし、〝唐突〟といふ。にしある哉。
小説、それが? 何で? どう云う意味?
「意味も何もない。ただのブルースハープの音さ。ただの素寂(すさ)びだ」
「小説と、今言ったようだが」
「文字の点綴が小説とは限るまい。メディアは何でもよいはずだ」
天易真兮(あまやすまことや)は不思議な男だ。彼を初めて見た人は皆驚く。
尖塔のようなウィザードハットを被っているが、その先端は折れて斃れ、広い帽子の鍔は大きく波打ち、その下の頭髪は腰まで蔽い、スキニーな十六オンスのリーヴァイ・ストラウスのジーンズのポケットの鋲も隠す、長い顎鬚や頬髯や口髭、片眼鏡を掛けてキャラバッシュパイプを咥え、ボルドーの天鵞絨のシャツの上に、水色の繻子のミリタリー・ロングコート、コートには金糸の房飾りや飾り紐や肩飾りなどで満艦飾で、その袖には大振りなカフス、その足下には蛇皮のロングブーツで、大いに弛んでいて、ずり下がった靴下のようになっていた。
僕は訊く。
「で、何が表現されているんだ」
彼は眉を上げて驚きの表情を捏造した。
「聞いてのとおりさ。事実だよ。ブルースハープの音だぜ、他に何がある?」
僕は二の句が継げない。すると、彼は語り始めた。いつものように。
「在るがままを、見たままに綴れば、事実だろうか。私小説の時代、無結構という言葉が横行した。技巧を排斥すること、ただ事実を書く。それが真実だと。文章の技巧やストーリーの展開や設定を練るなどのない、無技巧がよいとされた。久米正雄は或る講演会で、このような暴言を吐いた、「レフ・トルストイ翁の『戦争と平和』は偉大だが、偉大なる作り話だ」と。ふ、笑止千万。
事実を書けば、それが事実か。科学的に言っても、不可能だ。色彩は存在せず、我々は光線の波長を解釈して色彩を表象している(これも技巧だ、結構だ)が、それは事実ではない。我々が確かに、事実、真実、現実を見ているかどうかを検証する方法はない。眼は眼を確認できないからだ。
もし私小説的な作法、つまり、ありのまま、見えるがままを書くことが事実、真実、現実を表現するというロジックが正しければ、言葉などで間接的に表現するよりも、事実そのままを突きつけることがよっぽどましだ。だから、言葉に拠らず、ブルースハープそのものでブルースハープを表現したのさ。そういう小説だよ」
扨て、僕は話題を変えたくなった。いつもこんな話ばかりだからである。だが、彼には、そんな気は毛頭ないようであった。
「しかし、こうして〝事実〟をぶん投げてみると、ブルースハープの音をブルースハープの音と解釈する以前の、ぶっきらぼうな、何も言わない巌のような、いわれも、ゆえんもない唐突な、存在・現実そのものを突きつけられたような、是非のない感じが、釈迦の沈黙、すなわち無記(記別せず、説明や解釈をしない)のようで、興味深くも思ったものだが」
「ちょっと待って、今日はそのことで来たんじゃない。新しい作品ができたと聞いたのだが」
「ああ、これだよ、天平普蕭(あまひらふしょう)」
何でフルネームで呼ばれるのかわからないが、僕はフルネームで正式に呼ばれた。指差された文机を見遣る。
和綴の冊子があった。
手に取る。
絹の繊維が混ざった白い手漉きの和紙に繊な雲龍紋が金線で刷られ、その上に篆書や隷書、楷書や草書が綴られ、稀に甲骨文字も鏤められていた。傍ら擱かれたままの毛筆には黒地に漆が塗られ、その上に金の雲龍細工が施され、雲の部分には一部朱色が附されている。九龍紋が彫られた青みのある黒い石には墨汁が乾涸びていた。
一対の龍が玉を奪い合うよう戯れる姿が金泥を以て描かれた墨が隣に置かれている。
僕は頁をめくった。
「丁寧に綴じてある。吟味されたであろう用紙は端正に揃えられ、眩いくらいに鮮やかだ。文字の細さも精緻だし、とても繊細な筆運びが為されている。書体の択び方にも意味があるに相違ない。
君は哲學の愛好家だから、内容もそう云う類のものなんだろうな。それにしても小難しいタイトルにしたものだ。尤も僕などは、この装丁を眼にしただけで手で触り、閲覧してみたくなるが。書籍の愛好家には装丁や冊子の厚みや活字やマテリアルなどにこだわる人も多い。それが事実であることは間違いない。
しかし、上梓するには、この体裁では」
僕の言葉に眼を細め、顎を持ち上げて微笑を泛べる。
「そう云うコンセプチュアル・アートだから。
ただ、龍安寺石庭のよう枯山水であることを希うばかりだよ。昨今文學に於いては左樣な藝術にステイタスはない。然し、商業性や顧みられることが少なくとも无価値な譯ではない。いく許かの人々には欣びを齎し得る。
読ませるよりも骨董のよう手で玩ぶために作ったと思ってくれ。点綴する文字を眺めたかっただけさ。右端を貫孔され、糸を通して縛られた、ただの紙の束でしかない。装飾する文樣は平仮名や漢字。物品として黙す表情は媚びるでなく蕪雑、在るものである何かと云う以上ではない。だから訴える。存在は、なぜ、人心を惹くのであろうか、と。
男女の情の機微もなくば、都会の孤独もない。それが小生には心地よい。抒情性もなく、洞察もドラマもない。
非常にwell-doneだ」
僕は『-人間存在の實存的分析による存在論考-「空」』という一冊の本を擱いた。
和綴本は、黄昏時の茜の日射しを浴び、織られ絡ませられたるパルプ繊維の一々を燦めかせ翳りを做す。そのさま、欝憤やる方もなく、顔を顰めたる偏屈の表情をなし、ユーモラスですらある。
平成廿四年壬辰 壬寅雨水 土脉潤起 雪冰溶化成爲雨水之候であった。
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