第45話 敵襲

 屋敷の保管庫への廊下に、フィリアが用があるはずがない。

 俺とノタラスの会話を盗み聞きしていたのだと思う。


 聖女ソフィアと一緒に奥の部屋に隠れておくように、フィリアには言っておいたのに。

 まずいことになった。


 ノタラスは怪訝な顔をして、俺を振り返った。


「ソロン殿? この方は?」


「まあ、その、なんていうのかな、預かっている子なんだよ」


 使用人だ、という言い訳はできない。

 フィリアの身につけているワンピースが高級品なのは明らかだし、口調だって使用人らしいものじゃない。


 弟子だ、と言ってしまってもよいのだけれど、そういうと、ノタラスの興味を引きそうだ。

 そうなれば、召喚士であるノタラスが、フィリアを悪魔の娘だと見破る危険が高くなる。


 けれど、俺の配慮は無駄だった。


「悪魔の娘ですな」


 ふむふむ、とノタラスは平然とした顔でうなずいた。

 あっさりとノタラスはフィリアの正体に気づいてしまった。


 ノタラスは魔族を使役する召喚士だ。

 しかもノタラスは騎士団幹部になれるほどの実力者だった。

 このぐらいのことは、当然、気付けるのだろう。


 ノタラスは言った。


「預かっているとは、どなたから預かっているのですか?」


「それは……悪いけど、言えない」


 俺は首を横に振った。

 フィリアが皇女だということは、決してノタラスに知られてはならない。


 皇女が悪魔の娘だということは、皇宮の中では公然の秘密となっていたとはいえ、世間に知られれば問題になりかねない。


 しかし、ノタラスは俺にさらに質問を投げかけた。


「では、この娘の母親が誰かも言えませんか?」


「母親?」


「ええ。この娘は強い魔力を持っています。そして、混血者で悪魔の力を多く受け継ぐのは、母が悪魔だった場合ですからな」


 フィリアの母親。

 俺は彼女がどんな人物だったのか、何も知らない。


 ただ、悪魔の奴隷だった女性で、皇帝の娘を孕み、そしてすでに亡くなったというだけのことしか知らないのだ。


 そして、フィリア自身も、早くに亡くなった実母のことをほとんど何も覚えていないという。


 ノタラスはフィリアをまじまじと見た。

 怯えたように、フィリアが俺の背後に隠れて、ぎゅっと俺の服の袖を握った。

 

 ノタラスが微笑した。


「よく懐いていますね。この娘はソロン殿の何なのですか?」


「俺の弟子だよ」


 隠す必要もなくなったので、俺は端的に言った。

 ほう、とノタラスが声を上げた。


「弟子、ですか。けっこう、けっこう。良い者を選ばれましたな。しかし、決して賢者アルテのような悪党に、この子を会わせてはいけませんぞ」


「理由はなに?」


「この子の引いている血には、特別な利用価値があるからです。詳細は……」


「詳細は?」


「ソロン殿が我が輩の提案に賛同して、騎士団本部に乗り込んでアルテをぶっ倒すと約束してくださればお教えしましょう」


 ノタラスはにこりと笑った。

 弱った。


 フィリアに特別な利用価値があり、その理由はフィリアの母親にあるらしい。 

 けれど、ノタラスは交渉の材料としてこの話を使うつもりらしい。


 俺は肩をすくめた。


「そのことも考慮に入れて、考えることにするよ」


「聞いておいたほうがお得ですぞ」


 ノタラスは言ったが、それ以上、重ねて俺を説得しようとはしなかった。

 ともかく、明日になれば、俺はアルテたちを止めるために動くか、見て見ぬ振りをするか、どちらの道を選ぶか決めなければならない。

 

 そこで前者を選べば、ノタラスはフィリアの秘密を教えてくれるらしい。

 

 俺はすぐに追いつくからと言い、葡萄酒の保管庫に先に行くようにノタラスに伝えた。

 廊下の先の出入り口からいったん建物を出て、庭園を横切りつつ別棟に行かないと、保管庫にはたどり着かない。

 ちょっと遠いから先に行っておいてもらったのだ。


 そして、彼の姿が消えた後、俺はフィリアをたしなめた。


「フィリア様。奥の部屋にいるように、俺は言いましたよね?」


「ご、ごめんなさい。でも、ソロンのことが心配で……」


「フィリア様に心配していただかなくても、俺は大丈夫ですが、フィリア様が危険な目にあえば俺も困ります。だから、俺の言いつけを守ってくださいね」


 俺が諭すように言うと、フィリアはしゅんとした顔をした。

 これはフィリアのためだ。

 勝手にフィリアが動いていては、守れるものも俺は守れなくなってしまう。

 

「ソロン? 怒った?」


 フィリアが不安そうに俺の目を覗き込む。

 俺は首を横に振る。


「そんな顔しないでください。怒ってなんかいないですよ。ただ、俺との約束を守って欲しいだけです。師匠の俺が信じられませんか?」


「ううん。わたしはソロンのこと、信じてる」


「それなら、もう一度、約束しましょう。俺との約束を守るという約束です」


 そして、俺は小指を差し出した。

 指切りをするのだ。


 フィリアは少しためらってから、俺の指に自らの指をからめた。

 そして、フィリアはささやくように言った。


「ね、ソロン? わたしのこと、気にしないで騎士団に戻っていいんだよ」


「ノタラスと俺の会話、やっぱり聞いていたんですね。盗み聞きはダメですよ?」


「えっと、ごめんなさい……」


 素直に謝るフィリアを見て、俺は微笑んだ。


 フィリアのことを置いて、騎士団に戻る。

 やっぱり、そんなことは俺にはできない。


 俺はフィリアに約束を守れ、と言った。


 なら、俺もフィリアとの約束を守らないといけない。

 俺はフィリアのそばにいると約束したのだ。


 フィリアとの約束を守り、そして、騎士団の無謀な計画を止めさせる。

 そんな第三の道はないんだろうか。


 俺が考えていたとき、廊下の向こうから悲鳴が上がった。

 召喚士ノタラスのものだ


 俺とフィリアはすぐにそちらへと向かった。

 いったいどうしたのだろう?


 ノタラスは腰を抜かして、中庭の地面に座っていた。

 その向こうに数人の若者たちの姿が見えた。


 その中央に黒いローブに見を包んだ魔術師がいた。


 美しい黒髪と黒い瞳で、聖女ソフィアとならぶほどの可憐な容姿を持つ少女。

 その魔術師は賢者アルテだった。


 アルテは不機嫌そうに俺を睨んだ。


「ソロン先輩は役立たずなだけじゃなくて、本当に邪魔な人ですね!」

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