第42話 エッチな目で見ちゃったから?

魔法の杖の性能は、その本体の材質と、杖の核となる鉱石によって決まる。


 例えば、聖ソフィア騎士団の幹部の一人、女賢者アルテの杖はヤナギの木をベースにして、大きなダイヤモンドを杖の上部にはめ込んでいる。


 ヤナギもダイヤモンドも扱いづらい素材だけれど、術者が使いこなすことができれば、特に攻撃系黒魔法の使用では高い性能を発揮する。

 

 実際にアルテはその杖を巧みに制御して、攻撃魔法の天才としての名声を手に入れた。


 俺がペルセの助けを借りながら、皇女フィリアのために選んだのは、サクラの杖だった。

 杖の核には白銀を使用してある。


 どちらも術者に馴染みやすい、初心者向きの高品質な素材だ。


 フィリアは赤みがかった色の杖を大事そうに抱きしめていた。


 俺たちは杖を買った後、屋敷に戻ってきた。

 

 屋敷一階の書斎を魔術の訓練用の部屋にしてあって、俺たちはその部屋にいた。

 

 まだ昼過ぎだし、さっそく今日からフィリアに魔法を教え始めようと思ったのだ。


「いかがですか、初めての自分専用の杖は?」


 俺は微笑んでフィリアに問いかけた。


「うん! いい感じ。でも……」


「なにか不満がありますか?」


「ソロンがわたしのために用意してくれた杖だもの。不満なんてないよ。でも、ソロンみたいに魔法剣を使ってみたかったな」


 そう言って、フィリアは俺の腰に下げられている宝剣テトラコルドをちらりと見た。


 もともと杖がなくても微弱な魔法なら使えるし、さらに杖の代わりとなるものもある。

 その一つが魔法剣や聖剣と呼ばれる特殊な剣だ。


 けれど、俺は首を横に振った。


「本来的には、魔法剣を用いて魔法を使うのは邪道なんです。あくまでも、これは杖の代わりに過ぎません」


 魔法剣は剣の柄と刀身を杖に見立てて、魔法の使用に利用しているのだ。


 宝剣テトラコルドの核には蒼鉛が使われており、擬似的な杖となっている。

 さらに純粋な剣としてもかなり優秀な性能をもつし、同時に剣自体が魔法を生み出す特殊な呪力を帯びている。


 そのおかげで俺は多くの魔族との戦いを単独でも有利に進められる。

 詠唱なしでそれなりの強さの魔法を放つこともできる。


 けれど、魔術の訓練という意味では、魔法剣は普通の杖に比べれば使いづらい。それに剣自体の帯びる魔力に頼っていては、魔法の腕は上がらない。


「魔法剣は戦闘用の道具なんですよ。俺もルーシィ先生から魔法を教えていただいたときは、普通に杖を使っていましたしね」


 俺が魔法剣を使うと、俺の師匠のルーシィは渋い顔をした。


 ルーシィは「魔法剣なんて使うのは邪道なんだから、私の言うことに従って魔法の勉強に専念しなさい」と口癖のように言っていた。


 でも、俺はルーシィ先生のような天才とは違う。


 普通に魔法を使うだけで十分に活躍できるほど、俺には才能がなかったのだ。

 だから、俺は魔法剣士となることを選んだ。


 フィリアが弾んだ声で俺に話しかけた。


「じゃあさ、わたしもソロンみたいな魔法剣士になって、それで冒険者になれば、魔法剣を使えるってことだよね?」


「それはそうですが……」


 フィリアは俺のような魔法剣士になりたい、と言う。

 けれど、それが必ずしも正解だとは俺は思わない。

 

 フィリアにはもっと適性のある道があるんじゃないだろうか。


 例えば、聖女ソフィアのような、教会式の回復系魔術に強みを持つ白魔道士。


 あるいは、賢者アルテのような攻撃魔法に特化した黒魔道士。


 フィリアには魔法に高い素質がありそうだし、魔法剣士みたいな中途半端なものになる必要はないと思う。


 でも、それはフィリアが決めることだ。


 もちろん俺もフィリアの今後の方向性について、アドバイスはするけれど。


 それより、今はフィリアに基礎的な魔術を教えるのを優先する必要がある。

 フィリアに最初に会ったときは、杖なしでも使えるような本当に簡単な魔法しか教えていない。


「これから、ソロンがわたしに魔法を教えてくれるんだね」


「そうですね」


「いよいよ師匠と弟子になったって感じがするね!」


 フィリアは嬉しそうにぱあっと顔を輝かせた。

 そんな顔をされると、俺も嬉しい気持ちになってしまう。


 俺とフィリアは顔を見合わせ、そしてくすくすと笑った。

 さて、さっそく訓練だ。


「まずは簡単な浮遊魔術を使ってみましょうか。杖を構えてみてください」


「うん」


 フィリアはサクラの木の杖を右手で握り、それを前へとかざした。

 姿勢はそれで問題ない。

 

 後は、そのまま「浮遊せよ」と言えば、ごくわずかにフィリアは床から浮き上がることができるはずだ。

 

 けれど、フィリアは「浮遊せよ」と唱えたが、何も起こらなかった。

 フィリアが首をかしげる。


「たぶん杖にうまく魔力を通せていないんです」


「どうすればいいの?」


「俺が手助けします。少し、手をお借りしてもよいですか」


「いいよ」


 フィリアは微笑むと、杖を握ったままの右手を差し出した。

 俺はその白い手の上に、俺の手を重ねた。


「なんだか、くすぐったい感じだね」


「すみません。少し我慢していてください」


「ううん。わたしは、ずっとこうしていたいぐらいだよ?」


 フィリアは綺麗な声でそう言い、少し頬を赤く染めた。

 俺はフィリアの小さな手のひんやりとした感触を感じ、少し気恥ずかしくなった。

 

 そういえば、俺も難易度の高い魔法を覚えるときは、ルーシィ先生にこうして手を重ねてもらって、一緒に魔法を使った。

 

 そのときもルーシィ先生は恥ずかしそうにしていたけれど、今度は俺が先生の立場になったわけだ。


「俺と同時に詠唱してくださいね」


「うん。いっせーのーで」

 

 フィリアが掛け声をかけて、俺もそれに合わせた。


「「浮遊せよ」」


 ふわり、と俺とフィリアは浮き上がった。

 成功だ。

 一度、うまく魔力を杖に通せれば、感覚がつかめて次も問題なく同じ魔法を使えるようになる。


「では、そのままゆっくり魔法の出力を弱めてください……っと」


 急にがくんと俺たちは床へと落ちた。

 フィリアが早く魔法を止めすぎたのだ。

 大した高さじゃないけれど、俺は慌ててフィリアを抱き止めた。


「大丈夫ですか、フィリア様?」


「う、うん。ごめんね、ソロン」


 そういった後、フィリアは顔を真赤にした。

 フィリアはドレスのスカートがめくれ、下着がちらりと見えている。しかも、俺に背後から抱きしめられる格好になって、俺がフィリアの胸をわしづかみにしていた。


「あっ、んんっ、そ、ソロン……えっと……その……」


「す、すみません」


 俺は慌ててフィリアの胸から手を離した。フィリアは起き上がり、そして、上目遣いに俺を見る。


「どうして謝るの?」


「それは……」


「わたしのこと、エッチな目で見ちゃったから?」


 フィリアはまっすぐに俺を見つめた。俺は思わず目をそらす。

 ごまかそうと座りながら考えている俺に、正面から、フィリアが迫った。


 ほとんど唇と唇が触れるぐらい近くに互いの顔があった。


「胸を触ってもいいし、キスしてくれてもよいんだよ?」


「そんな冗談、言わないほうがいいですよ」


「手の甲と、ほっぺたにはもうキスしてくれたから、次のキスは唇だよね?」


 フィリアは上目遣いに俺を見た。


 皇宮衛兵隊の副隊長であるギランとの決闘の際に、俺はフィリアの手の甲にキスをした。

 フィリアのための決闘ということで、勝利の際の儀式として行ったのだ。


 ほっぺたにキス、というのはフィリアにからかわれて、フィリアと「父と娘」ごっこをしたときのことだ。


 どちらも気恥ずかしかったけれど、でも、まあ、親愛の情の現れという意味以上のものではない。


 でも、唇にキスをする、というのは儀式や冗談でできることじゃない。

 師匠と弟子という関係でするものでもないだろう。


「さて、次は別の魔法を使って、杖を馴染ませましょう」


「あ、話をそらすんだ」


「いえ、そういうわけではなくてですね……」


「ちゃんと答えてくれないと、ダメだよ?」


 フィリアにまっすぐに見つめられて、俺は困惑した。

 どう答えれば良いんだろう。

 

 けれど、すぐに悩む必要はなくなった。

 クラリスが部屋の扉を開けて入ってきたからだ。


 メイド服姿のクラリスは、なにやら慌てた様子で、部屋に入るなり足を取られて、すってんと転んだ。


「うう、痛い……」


「だ、大丈夫? クラリスさん?」


「うーん。ソロンさんが抱きしめてくれたら、治るような気がします……」


「大丈夫そうだね」


 俺はクラリスの冗談を聞き流し、クラリスに手を差し伸べた。

 クラリスはちょっと残念そうな顔をして、それから微笑んで、俺の手をとった。


「そんなに急いでどうしたの?」


「お客さんが来たんですよ!」


「客? この屋敷に?」


「はい。しかもきっと大事なお客さんです」


 クラリスは来客の名前を告げた。

 

 客の名は、召喚士ノタラス。


 聖ソフィア騎士団の十三幹部の一人で、俺のかつての仲間だ。

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