第34話 ここがわたしたちの新しい居場所
俺と皇女フィリア、メイドのクラリス、そして聖女ソフィアの四人は、一軒の屋敷の前に立った。
重厚な赤レンガの建物が、夕闇に溶け込んでいる。
ところどころの壁には蔦が生えていた。
屋根についた尖塔には、金色の風見鶏がついていて、少し目立っている。
決して豪邸とは言えないけれど、準男爵クラスの下級貴族が住んでいてもおかしくはない程度には、きちんとした屋敷だ。
これが俺の買った屋敷だった。
結局、聖女ソフィアの皇宮居住は拒絶され、一方で皇女フィリアの皇宮外での居住は認められた。
だから、これから俺たち四人はここに住むことになる。
「カッコいい建物ですね」
クラリスが門の扉を開きながら、嬉しそうに言う。
この屋敷には広くはないけれど、ちゃんと庭園もついていて、門から玄関まで行くには庭園を横切っていくことになる。
俺は歩きながらクラリスに答えた。
「大貴族の屋敷にははるかに及ばないよ」
「わたしは、そういう豪邸よりもこのお屋敷のほうが好きだなあ」
ソフィアが控えめに、でも明るく言った。
大貴族の屋敷に幼いソフィアはまさに住んでいた。そして、そこでは良い思い出がなかったのだろう。
でも、まだ建物のなかに入ってもいないのに判断するのは早すぎると俺は思った。
俺がソフィアにそう言うと、ソフィアは首を横に振った。
「ソロンくんがわたしのために用意してくれたお屋敷ってだけで、わたしはこの建物のことが好きになれそう」
ソフィアは柔らかく微笑んだ。
そう言ってくれるのは嬉しいけれど、ここに住むのはソフィア一人じゃない。
「『わたしのため』じゃなくて、『わたしたちのため』だよ? ソフィアさん?」
フィリアがくすくす笑って訂正する。
聖女ソフィアは慌ててうなずいた。
「も、もちろんです。皇女殿下」
皇女フィリアと聖女ソフィア。
この二人がうまくやっていけるかどうか、俺はちょっと心配していた。
とりあえずクラリスは問題ないと思う。
明るい性格で誰とでも割と仲良くやっていけそうだ。
それに、クラリスは聖ソフィア騎士団に対するあこがれを持っていた。だから、クラリスは副団長の俺だけじゃなくて、団長の聖女ソフィアのことを尊敬しているようだった。
けれど皇女フィリアは違う。
フィリアは自由奔放な性格だし、クラリスと違って、聖女ソフィアに対する憧れはあまりないみたいだった
フィリアの関心は不自然なほど俺一人に注がれている。それは俺とかつて会ったことがあるというあたりが関係しているのかもしれないけれど、よくわからない。
一方、聖女ソフィアも人見知りで、引っ込み思案な性格だ。
フィリアとは性格が正反対なので、気が合うかはわからない。
気にしているうちに、いつのまにか玄関についた。
この屋敷は帝都の郊外にあって、もともとはある貴族の子が住んでいたという。
だが、彼は決して治らぬ、重病の病に陥り、世をはかなんで自殺した。
それ以来、彼の怨念がついているとか言われて、この屋敷はずっと買い手がついていなかった。
つまり、幽霊物件なのだ。
俺は幽霊なんか信じていないし、魔術結界を張るのに向いていて、かつ安いこの屋敷を購入することにためらいはなかった。
でも、聖女ソフィアは幽霊を怖がって、夜も眠れなくなるかもしれない。
あるいは、皇女フィリアは幽霊を面白がって、その正体を探しに行こうと言い出すかもしれない。
だから、フィリアとソフィアには幽霊話はいったん話していない。
クラリスは室内を見て、つぶやいた。
「意外と綺麗ですね。片付いていますし。でも、寝室をどうするかは決めないといけません」
クラリスが部屋の間取り図を指差した。
部屋割をどうするか、という問題がある。
この屋敷はそれなりに広いし、普通に考えれば四人別々の寝室を割り当てることができる。
けれど。
「わたしはソロンと一緒の部屋だよ?」
「そんなのダメです。ソロンくんと皇女様が一緒の部屋なんて、その、不道徳です……」
「だって、ソロンはいつもわたしのそばにいて、わたしのことを守ってくれるんだもの。なら、同じ部屋にいるのが自然だよね?」
「自然ではないと思います……」
ソフィアが弱々しく抗議した。
そして、ソフィアは俺をちらりと見た。
賛同してほしい、ということだろうけれど。
ソフィアには悪いけれど、それはできない。
「フィリア様は俺と同じ部屋ってことになる」
「そ、ソロンくん。ど、どうして?」
俺がフィリアの意見をとるとは思っていなかったらしい。
ソフィアは顔を青くした。
横で見ていたクラリスが面白がって口をはさむ。
「それはもちろん、ソロン様とフィリア様が、夜な夜なあんなことやこんなことをなさっているからです」
「あんなことやこんなこと!? それってどんなこと?」
ソフィアが身を乗り出し、クラリスはくすくす笑った。
「ソフィア様のご想像にお任せします」
ソフィアはさっきまで青かった顔を赤くした。
そして、潤んだ瞳で俺を見る。
「そんなあ。ソロンくんが皇女様に手を出していたなんて……。やっぱりソロンくんって年下好きなの?」
「手なんて出していないから」
「年下好きってところは否定しないんですね」
「……クラリスさん。茶化さないでほしいな」
「それはお約束できません」
いたずらっぽく笑いながらも、クラリスは一歩、身を引いた。
俺の言い分を聞いてくれたんだろう。
代わって、俺がソフィアに説明する。
「この屋敷に住むにあたって、俺はフィリア様といくつかの約束をした。そのなかの一つが俺とフィリア様が同じ部屋に住むって約束があった。それだけだよ」
「なんでそんな約束したの……?」
「そうしないとフィリア様は皇宮を出ないって言ったからね」
皇宮にいたときは同じ部屋だったんだから、屋敷でも同じ部屋でいいよね?と言われると、俺もうなずかざるを得なかった。
警備上の便利さを考えれば、俺とフィリア様が同じ部屋にいたほうが都合がいい。
俺はそのあたりのことをソフィアに説明した。
ソフィアは頬を膨らまして、俺を睨んだ。
「なら、わたしもソロンくんと同じ部屋に住む」
「え?」
「皇女様が良くて、わたしがダメな理由ってないよ。ソロンくんはわたしのこと、騎士団に連れ戻されないように守ってくれるんだもん」
「そりゃそうかもしれないけど……」
「決まり。そうしてくれないと、わたし、ソロンくんのことを許さないんだから」
ソフィアの決意は固いようだった。
俺とフィリアが同じ部屋、ソフィアと俺が同じ部屋ということは、フィリアとソフィアも同じ部屋ということになる。
フィリアはなにか言いたそうにしていた。
以前、「ソロンと同じ部屋で一緒に住むのはわたしだけ」と言っていたし、不満なのかもしれない。
でも、フィリアを守るために俺とフィリアが同じ部屋ということになっている以上、そこにソフィアが加わることに反対する理由はない。
むしろ聖女であるソフィアも同じ部屋にいたほうが、フィリアを守る上では都合が良いはずだった。
クラリスが俺たちを眺め、ゆっくりといった。
「フィリア様。ソフィア様。案は二つしかありません。ふたりともソロン様と別の部屋に住むか、ふたりともソロン様と同じ部屋に住むか、どっちがよいですか」
フィリアとソフィアは顔を見合わせ、やがて、口を揃えて俺と一緒の部屋のほうがよいと言った。
俺は頭を抱えた。
こうなるとは予想していなかった。
たしかに皇宮に住み続けるときは、ソフィアも一緒の部屋という案もあった。
でも、それは最終手段のつもりだったし、やむを得ない場合のみにそうするつもりだった。
今はそうじゃない。
部屋はいくらでもあるのだ。
ただでさえ、フィリアと一緒の部屋なだけでも気をつかうのに、ソフィアも一緒の部屋だという。
年頃の美少女二人と同じ部屋なんて、俺はとても困るのだけれど。
けれど、俺が反対しても、二人は言うことを聞かなさそうだった。
しかも、クラリスはこの非常識な案を却下せず、むしろノリノリのようだった。
クラリスが満足そうにうなずく。
「なら、決定ですね♪ ソロン様とフィリア様とソフィア様が同じ部屋で……」
それから、クラリスが期待するように俺のことを見つめた。
俺はうなずき、なかばヤケクソ気味に言った。
「クラリスさんも同じ部屋に住もう。一番広い部屋なら、四人分のベッドもおけるさ」
三人が同じ部屋に住んで、クラリスだけ一人別の部屋に住ませるというのは筋が通らない。
俺はクラリスのことも守ると約束した。
身分が違うといっても、俺とクラリスはもともと同じ平民身分だ。
フィリアにとって、クラリスは家族みたいなものなんだから、皇宮を離れた以上、問題はないだろう。
問題があるのは俺のほうだ。
三人の美少女が、綺麗に澄んだ瞳で俺を見つめる。
俺はたじろいで、一歩後ろに下がった。
三人が一斉に俺のほうに詰め寄る。
「ソロンくん。なんで逃げるの?」
と聖女ソフィアが言う。
「逃げてるわけじゃないんだけど……」
俺は壁を背にしていて、周りを三人に囲まれていた。
冷や汗をかく。
逃げ場なし、だ。
クラリスが優しい声で言う。
「あたしたちはみんなソロン様のことを信頼しているんですから、そんな困った顔をしないでください」
「でも……」
「みんなソロン様と一緒に暮らせて嬉しいんですよ」
見ると、フィリアとソフィアもうなずいていた。
ソフィアは顔を赤くして「ソロンくんと一緒の部屋……」とつぶやいている。
クラリスがくすっと笑う。
「あっ、でも、フィリア様やソフィア様が美少女だからって、手を出したらダメですよ? 寝ているうちに襲ったりとか、いけませんからね?」
「そんなことしないよ……」
「二人ともソロン様ならOKしちゃいそうですけど、襲うなら、あたしにしておいてください♪」
「だからしないってば」
ソフィアは顔を赤くしてうつむいていた。
フィリアは俺をちらりと見た。
俺は大事なことを思い出して、フィリアに言う。
「そろそろ魔術の訓練も始めましょう。師匠らしいこともしてさしあげないといけませんからね」
「うん。ありがとう、ソロン!」
フィリアははにかんだように微笑んだ。
そして、それから、一瞬、ためらうような様子を見せた後、ぴょんと跳ねるようにして俺に近寄った。
フィリアは屋敷をもう一度見渡し、そして言った。
「ここがわたしたちの新しい居場所なんだね。……わたしはここにいていいんだ」
「はい。ここはフィリア様の居場所ですから」
「そして、ソロンの居場所でもあるんだよね。嬉しいな。わたしはずっと昔から、こんな日が来ることを待っていたの」
「ずっと昔から、ですか?」
俺は思わずフィリアの言葉を繰り返し、問いかけた。
フィリアはゆっくりうなずき、頬を少し赤く染めた。
「あのね。わたし、本当は昔、ソロンに会ったことがあるの」
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