第35話 ソロンと皇女の最初の出会い
皇女フィリアは俺と昔、会ったことがあるという。
けれど、俺にはまったく思い当たる節がなかった。
「ソロンはわたしとはじめて会ったときのこと、覚えている?」
「残念ながら……」
クラリスから昔、フィリアと会ったことがあるらしいと聞いて、思い出そうとしたけれどダメだった。
そもそも、ずっと皇宮のなかにいた皇女と、会う機会があったとは思えない。
このことはいつかフィリアに聞こうと思いながら、フィリアのほうから話してくれるのを待つべきかなと考えていた。
フィリアは微笑んだ。
「そうだよね。覚えていなくても仕方ないよ。四年前のわたしは皇女だなんて名乗らなかったし、それに、本当に少しだけのことだったから」
四年前。
それは俺や聖女ソフィアたちが魔法学校を卒業した年だ。
そのとき、たしかに俺は皇宮に入ったことがある。
卒業の際、魔法学校の卒業生たちは、皇帝陛下に謁見する。
それが帝立魔法学校はじまって以来の慣わしだった。
フィリアは俺からそっと離れた。
そして、人差し指を目の前に立てる。
その指先には小さな火が灯っていた。
「この魔法を、ソロンはわたしに教えてくれたんだよ」
フィリアは恥ずかしそうに小声で言った。
その瞬間、俺は思い出した。
そうだ。
確かにあのとき、俺は幼い女の子に魔法を教えた。
皇帝の謁見が終わり、大勢の卒業生と一緒に皇宮から出ていくとき、俺は一人の女の子を見かけた。
彼女は一人ぼっちで庭園にある小さな椅子に座っていた。
銀色の髪の、愛らしい容姿の女の子だった。
着ている服もその子のサイズに合わされて作られたもので、上等なものだった。
皇宮の外側にある庭の片隅に、おそらく貴族階級の女の子が従者の一人も連れないでいるなんて、不自然だ。
気になって、俺は少し道を離れて、その子に「大丈夫?」と声をかけた。
その子は心細いから一緒にいてほしいと言った。
そして、それがフィリアだったのだ。
「あのとき、わたしは皇宮の部屋からこっそり抜け出していたの。皇宮の外を見てみたかったから」
でも、幼いフィリアには皇宮の庭園より先に行く勇気はなかった。
それに、複雑な皇宮内部の構造のせいで、自分の部屋に戻る道もわからない。
「その頃はまだクラリスもいなかったし、ホントに不安だったの。このまま誰もわたしのことを探しに来てくれないんじゃないかって」
そのとき現れたのが俺だったのだ。
そして、幼いフィリアは魔法を教えてほしいと俺に言った。
俺は少し考え、保護者が来るのを待っているあいだ、教えるぐらい良いか、と思って彼女のお願いに応えたのだ。
メイドの一人が探しにやってくるまで、俺は彼女にごく初歩的な魔法を教えた。
「だから、紅茶を淹れるときに、火魔法を使うことができたんですね」
俺はフィリアの家庭教師として最初に皇宮を訪れた日のことを思い出した。
フィリアは魔法を使って、紅茶のためのお湯を沸かしていた。
「ソロンは魔法を優しく教えてくれて、そしてこう言ってくれた。『君には魔法の才能があるよ。きっと一流の魔法使いになれる』って」
たしかに俺はその女の子にそう言った。
そして、名乗ったのだ。俺はこれから冒険者になる魔法剣士のソロンだ、と。
「そんなふうに、わたしが偉くなれるなんて言ってくれる人は、ソロンがはじめてだったんだよ? みんなわたしを悪魔の子で、大勢の皇女の一人ってだけの、何の役にも立てない少女だって言ってた。わたしもそう思ってた。でもね……」
俺は違った。
べつに俺でなくても、ある程度の見る目があれば、フィリアに才能があることは見抜けたと思う。
でも、たまたま俺がフィリアにとっては最初の教師となったのだ。
「だから、わたしは魔法使いになりたいって思った。ううん、正確に言うとね、あのとき魔法を教えてくれた魔法剣士みたいな人になりたいって思ったの」
「だから、家庭教師として魔法剣士を探していたんですね」
「本当ならもう一度ソロン自身に教えてほしかったよ。でも、聖ソフィア騎士団の副団長として活躍しているソロンを、わたしが雇うことなんて無理だと思っていた」
「でも、俺は騎士団の副団長ではなくなって、そして、フィリア様の家庭教師となることができました」
「ソロンがわたしの師匠となってくれるなんて、ホントに幸運だったって思ってる。昔も今もソロンは優しいし」
フィリアはメイドを装って俺に会ったことがあったけれど、あれはフィリアによれば、俺が変わっていないかどうかを試すつもりだったらしい。
そして、結果は合格で、俺のことを変わらず優しい人間だと思ってくれたようだった。
フィリアは柔らかく微笑んだ。
「これからいっぱい、わたしに魔法のこともそれ以外のことも教えてね。わたしはソロンと一緒に戦える、ソロンみたいな魔法剣士になりたいんだから」
俺がフィリアの言葉に答えようとしたそのとき。
地鳴りのような奇妙な音が屋敷に鳴り響いた。
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