第25話 帝国の新たな首相
トラキア帝国の最高権力者は皇帝だけれど、実際の政治を担うのは皇帝から任命された大臣たちだ。
十二人の大臣は大臣会議を構成し、その会議の首席たる大臣会議議長、すなわち首相が国政を主導する。
前首相はついこのあいだ罷免された。
周辺諸国との戦争での敗北、農村部での飢餓の進行、過激派による内務大臣の暗殺。
どれも帝国の覇権に陰りがあることを示すもので、前首相は失政の責任をとらされたのだ。
そして、新たな帝国首相ストラスの任命式に、俺とフィリアとルーシィは来ていた。
「こういう行事って、ソロンは好き?」
前列のフィリアが振り向き、俺に小声で聞く。俺は肩をすくめた。
「堅苦しくって困りますね」
フィリアは同感だというふうに微笑んだ。
俺は周りを見回した。
玉座に座る壮年の皇帝の前に、大臣たちが並んでいる。
彼らは皇帝の正面の赤い絨毯にひざまずき、新首相がうやうやしく皇帝から一本の宝剣を受け取った。
その宝剣「エレア」は帝国の政治を任される栄誉を示す。帝室の秘宝だ。
皇帝と大臣から離れて左右に位置するのが、枢密院総裁をはじめとする高官たちだ。さらにその外側を皇族や大貴族、その従者が占めている。
つまり、俺たちは儀式の中心からはだいぶ遠い位置にいた。フィリアも、その両隣にいる俺もルーシィも、ほとんど末席にいる。
けれど、新首相ストラスの声は遠くまで明瞭に行き届いた。
ストラスはまだ三十代後半の若い男で、気迫に満ちていた。
彼はまだ宝剣を鞘から抜き放った。それが首相就任式の作法だったからだ。
彼は皇帝を背に立ち、そして観衆に向けて剣をまっすぐ振りかざし、宣言した。
「神よ、皇帝陛下とこの国を守り給え! 私はこの国を脅かすあらゆる敵と戦います。帝国の法と伝統と理想が、ひとしくすべての臣民を救うまで、我々の戦いは終わらないのです」
そこでストラスは言葉を切り、数秒ほど沈黙した。
列席者は静まりかえり、ストラスはゆっくりと儀式の場を見回した。
彼は穏やかだが、迫力のある声で語りはじめた。
「いま、この国は困難な時期にあります。そうであればこそ、我々は団結しなければなりません。闇に潜む魔の者の陰謀を、そして不正なる敵国アレマニア・ファーレン共和国の野望を打ち砕くことができる勇気を持っているのは、私とここにいるすべての方なのですから。皇帝陛下万歳!」
ストラスの言葉に続き、列席の人間は「皇帝陛下万歳」と斉唱した。
そして、割れんばかりの拍手が巻き起こり、一部の人々は「救国者ストラスに栄光あれ!」と叫んでいた。
「さすがは人気者ね」
ルーシィが冷めた声でつぶやき、俺はそれに応じた。
「みんなストラスに期待しているんですよ」
ストラスは元軍人だ。
名門貴族出身の将軍だったけど、ストラスは平民の兵士と同じ食事をして、同じ小屋で寝ていたと聞く。
平民の下士官をかばって負傷し、その傷が額にあるという話も有名だ。
だから、ストラスは民衆のあいだで人気が高い。
有力貴族たちも、ストラスであれば、停滞したこの国の政治を変えてくれると期待している。
皇帝にも気に入られてるし、企業家たちからの資金援助も受けている。
つまり、ストラスは帝国の希望の星なのだ。
けれど、ルーシィはそうは思っていないらしい。
「期待はずれに終わらないといいのだけれど」
ルーシィはつぶやき、早く終わってほしいというふうに小さくあくびをした。
俺とルーシィがここにいるのはフィリアのためだった。
一つはフィリアの身を守ること。こないだのような事件が起こらないとも限らない。悪魔との混血を憎む者は、貴族のなかにも多い。
もうひとつの狙いは、立派な肩書のある従者が二人いれば、フィリアの格が上がるということだ。
ルーシィは帝立魔法学校の教授として声望があるし、俺もなんやかんやで帝国最強の冒険者の一人ということになっている。
まともな従者が皆無であるとフィリアは困るだろうし、俺たちがいれば冷遇されているフィリアの立場も少しはマシになるかもしれない。
ルーシィは言った。
「フィリアには偉くなってもらわないと困るのよ」
「なんでですか?」
「そのうちわかるわ」
俺の問いを、ルーシィははぐらかした。
ルーシィがなぜフィリアに深く関わっているのか、俺は本当のところを知らない。
単なる親戚というだけではなさそうだ。
しかし、ルーシィはこれ以上の事情を話すつもりは当面ないらしい。
ルーシィは俺を睨む。
「それよりフィリアと一緒に住んでいるってどういうこと……?」
「いえ、何もやましいことはなく……。というかルーシィ先生も、その、くっつきすぎでは……」
ルーシィはフィリアの一方後ろに俺と並んでいるのだけれど、ぴたっと俺の隣に肩がくっつくように立っている。
その距離が近すぎるような気がする。
肩出しのドレスをルーシィは着ているから、その剥き出しの肩のひんやりとした感触にどきどきさせられる。。
そんな俺の様子を見て、ルーシィはくすっと笑った。わざとやっているんだな……。
儀式がほぼ終わりかけ、皇帝が玉座から立ち上がった。
お待ちかねの祝宴の時間が始まるのだ。
ルーシィは大の酒好きで、会場に並べ始められた高級な酒を見て目を輝かせていた。
ちょうどそのとき、背後から綺麗に澄んだ声が聞こえた。
「皇女フィリア殿下で間違いありませんか?」
フィリアはゆっくりと後ろを振り向き、俺もつられて後ろを向いた。
フィリアに声をかけたのは、一人の小柄な少女だった。
流れるような金色の髪が印象的な美しい少女だ。
そして、いつもどおりの純白の修道服を着ている。
少女は翡翠色の大きな瞳でまっすぐフィリアを見つめていた。
聖女ソフィアがそこにはいた。
ほぼ同時に、耳が裂けるほどの爆発音が会場に鳴り響く。
帝国打倒を掲げる「七月党」の殺人者たちが現れ、殺戮を開始したのだ。
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