第22話 ルーシィの心配

 フィリアは俺にしなだれかかったまま、顔を真っ赤にしていた。

 俺はどうすればいいかわからないまま、固まっていた。

 誰かに見られたら誤解されること間違いなしだ。

 「父と娘」ごっこをしていました、なんて言っても誰も信じてくれないと思う。

 そして実際に目撃者は信じてくれなさそうだった。

 

「な、なにをやっているの? ソロン?」


 女性にしてはやや低いトーンの、けれど綺麗な声が部屋に響いた。

 部屋の扉を振り向くと、そこには赤髪赤眼の綺麗な女性が立っていた。

 帝立魔法学校の教授、「真紅のルーシィ」だった。


 ルーシィは困ったような顔をして、俺とフィリアを見比べた。

 自分の弟子に、その教え子となる皇女が赤面して抱きついていたのだ。

 ルーシィがなぜここにいるのかは知らないけど、たしかに困惑するとは思う。

 俺が言い訳を口にする前に、フィリアが微笑んでルーシィに問いかけた。


「もしかして羨ましいの?」


「べっ、べつに羨ましくなんてないわ」


 フィリアはいたずらっ子っぽく目を輝かせる。そして、わざとらしく俺に胸をふたたび押し当てる。


「ふうん。なら、わたしとソロンがこうやって密着したままでもいいの?」


「よくない!」


 と言ってから、ルーシィは顔を赤くした。

 ルーシィはつかつかと俺たちに歩み寄り、俺たちを引き離した。

 そして、俺の肩をつかむ。


「しっかりしてよ、ソロン。あなたがこの子の師匠なんだから。こういうふしだらなことはダメって言わないと!」


「いや、ふしだらというわけではなくてですね……」


 俺が説明しかけたのを、フィリアが横で楽しそうに見ている。

 フィリアは口をはさんだ。


「だけどルーシィだって、ソロンが学生のときはさんざんイチャついていたんでしょう?」


「わ、私は弟子とそんなことしないから!」


「髪を撫でたり、抱きしめたり、膝枕をしたりしていたんじゃないの?」


「なんで知ってるの!? ソロンがしゃべった!?」


 俺は首を横に振り、フィリアはジト目でルーシィを睨んだ。


「ふうん。ルーシィって、本当にそういうことしてたんだ」


「もしかして、いまのって誘導尋問?」


 ルーシィの言葉に、フィリアはしてやったりと笑みを浮かべ、うなずいた。

 ますます顔を赤くしたルーシィは、恥ずかしさのあまりか、その場にがっくりと膝をついた。

 天才ルーシィが完全にフィリアに振り回されているなあ、と俺は思う。


「でもキスしたり、胸を揉まれたりはしていないんだ?」


「そんなことするわけないでしょう!?」


「なら、わたしが先を越しちゃうかも」


「だからダメだってば!」


 ルーシィとフィリアは言い合いを続けていた。俺は昔のことを思い出す。


 ルーシィは俺より少し年上だけど、ルーシィが俺の師匠となったとき、彼女はまだ少女みたいなものだった。

 だから、俺たちはどちらかといえば師弟というより友人みたいな感じだった。それが師匠と弟子として正しいあり方なのかはわからないけれど。


 そんなことはさておき、ルーシィは皇女フィリアに敬語を使わないし、フィリアもルーシィに割と気安く接している。

 俺とフィリアを引き合わせたのはルーシィだ。

 けれどルーシィとフィリアがどういう関係なのか、聞いていない。

 フィリアが俺の疑問に答えた。


「わたしとルーシィは従姉妹同士ってことになっているの」


「従姉妹?」


「わたしのお母さんは奴隷の『悪魔』だったけれど、そのことを隠すために形式上のお母さんが別にいるってこと。その義理のお母さんがルーシィの叔母さんだったわけ」


「つまり、私の叔母が皇帝の妃だったということね」


 ルーシィがフィリアの説明を補足した。

 ややこしいが、要するに血縁関係こそないが、二人は親戚同士ということらしい。

 そうでなければ、いくらルーシィが名門大貴族の娘でも、こんな皇宮の奥まで簡単にはやってこれないはずだ。

 ルーシィは気持ちを切り替えたのか、真面目そうな顔をして言った。


「ともかく、ソロンにはきっちり説明してもらわないとね。14歳の女の子の弟子に何をしていたのかを」


「何もしてないですって」


 俺がそう言って、フィリアにも同意を求めようとしたが、フィリアはもう奥の部屋に引っ込んでいた。

 いつのまにか着替えを始めたらしい。


 俺はへらりと笑い、ルーシィは俺のことを睨んだ。

 しばらく俺たちは向かい合った後、ルーシィはため息をつき、小声で言った。


「皇女殿下と仲良くなるのはいいけど、ほどほどにしておいたほうがいいわ」


「フィリア様に俺を紹介したのは先生じゃないですか」


「そうよ。でもきちんと距離を置いて接しないといけないと思うの」


「それはそうだとは思いますが」


 俺が曖昧にうなずくと、ルーシィは心配そうに俺の瞳を覗き込んだ。


「仲良くなりすぎて、傷つくのはあなたなのよ。弟子はいつか離れていくものだし、師匠を必要としなくなるわ。思い入れが深ければ深いほど傷は大きくなる」


 ルーシィは自分に言い聞かせるように言った。

 つまり、それはルーシィ自身のことを言っているように聞こえた。


 俺は思わず聞き返した。


「ルーシィ先生も教え子がいなくなったら寂しいですか?」


「私の教え子ってあなたのことよね?」


 考えてみれば、そのとおりだ。

 まだ若いルーシィ教授の最初の弟子は俺だったし、その次のルーシィ先生の弟子はまだ魔法学校を卒業していない。

 ルーシィはささやくように言った。

 

「私が、あなたがいなくなって寂しくなったと思う?」


「寂しかったって思ってくれていたら、嬉しいとは思いますが」


「そう思うなら、騎士団なんて作らずに、ずっと帝都にいればよかったのに」


 ルーシィはそうつぶやき、赤い美しい瞳で俺を睨んだ。


「ソフィアもクレオンもあんなにあなたにべったりで、あんなにあなたに助けられていたのに、あなたから離れていった。フィリアだってそうなるかもしれない。そのとき傷つくのはいつだってあなたなんだから。騎士団を追放されたのは辛かったでしょう?」


「たとえ傷ついたとしても、俺は間違ったことをしたとは思っていません」


「どうして?」


 俺は考えながら言葉を紡いだ。


「ソフィアもクレオンも昔は頼りなかったけど、今は誰もが憧れる立派な冒険者になりました。今の二人は俺を必要としていない。だけど、二人が活躍できているのは、かつての俺のおかげなのだとしたら、俺はそれを自慢にできますからね」


「……あなたは冒険者っていうより、根っからの指導者って感じの人ね」


「そうですか?」


「そうよ。そして、私はあなたとは違うわ。大事なものは手元に置いておきたくなる。教師には、向いていないのよ」


 ルーシィは寂しそうに笑った。

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