第8話 皇女様のお着替え!
俺とフィリア殿下は二人して紅茶をじっくり味わって飲み、それからカップを机の上に置いた。
同時に殿下が立ち上がった。
「今度こそ着替えてこなくちゃ。怒られちゃうもの」
「怒られるって誰にですか?」
俺が疑問の声を上げたときには、フィリア殿下は寝室の方へと引っ込んでいた。
一人残された俺はぼんやりと考え事をした。
寝室の方からは衣擦れの音がしてきて、フィリア殿下が着替えているということを意識させられる。
14歳の女の子にやましい感情を抱いたりはしないけれど。
ちょっと無防備なんじゃないかなとも思う。
ルーシィ先生は言っていた。
殿下の美しさは可憐な百合の花にもたとえられ、殿下の聡明さは古の賢者にも匹敵するという素晴らしい方だ、と。
なるほど。
たしかにフィリア殿下は容姿端麗な美少女だ。そして、頭の回転も早い。
けれど、俺にとっては皇女の不思議な明るさのほうがずっと印象に残った。
天真爛漫で、魅力的で、でもどこか無理をしているような明るさ。
どうして皇女はああいうふうに振る舞うようになったんだろう?
考えがまとまらないうちに、ノックの音がした。
どうぞ入ってください、と俺が言っていいのかな?
俺がためらっているうちに、扉が静かに開けられた。
「殿下? いらっしゃらないんですか?」
ひょこっと、一人のメイドが顔をのぞかせた。
着ているのはさっきまでフィリア殿下が着ていたのと同じメイド服。
けっこう美人だけど、ちょっとそばかすが目立つ女性だ。
相手の女性が俺を見て、おやという不思議そうな顔をしたので、俺は立ち上がった。
「はじめまして。俺は殿下の家庭教師だけど」
「へえ。新しい家庭教師の方ですか。気の毒に」
彼女はとても冷ややかに言った。
気の毒に?
どういう意味だろう?
そのメイドは続けて言った。
「殿下に伝えておいてくださいな。自分の侍女の管理ぐらいしっかりしてくださいと」
「なにかあったの?」
「ええ! フィリア殿下付のメイドはですね、何をやらしても失敗ばかり。そのうえ、今度はどこに行ったかわからないんですよ!」
「はあ」
俺が曖昧にうなずくと、不機嫌そうにそのメイドは去っていった。
なんだか彼女はとても棘のある雰囲気だった。
皇女と皇女のメイド。そのどちらに対しても悪意を持っているように感じた。
「きゃあっっ……助けて!」
そのとき、甲高い悲鳴がした。フィリアの声だ!
俺は慌てて奥の寝室へと踏み込んだ。皇女の身に何かあったとあればこの場にいる俺の責任だし、もちろんフィリアのことも心配だ。
フィリアは固まっていて、部屋の壁を指差していた。
そこには大きな蜘蛛がいた。ああ……虫が怖かったのか。年齢相応の可愛らしい一面があるなと思い、俺は蜘蛛を窓の外へとつまみだした。
「あ、ありがとう……ソロン」
「いえ、どういたしまし……」
俺は微笑みながらフィリアを振り返り、固まった。
あっ、とフィリアは恥ずかしそうに頬を染める。
そういえば、フィリアは着替え中だったのだ。下着のドロワーズも替えようとしていたのか、着けかけの状態でかなり際どい感じになっていた。
胸元がはだけていて、小さな膨らみがちらりと見えている。
「そ、ソロン……あまりじっと見ないでほしいな。恥ずかしいから」
「す、すみません」
俺は慌てて寝室から出ようとしたが、フィリアに引き止められた。
「ソロン……あのね。着替えるのを手伝ってほしいの」
「え?」
「一人だと大変だから……」
「し、しかし男の俺がそんなことをするのはまずいのでは……」
「わたしが大丈夫と言っているんだから、いいでしょう?」
フィリアはからかうように、青い瞳で俺を上目遣いに見た。ふふっと笑うフィリアの目には甘えるような色があって……ちょっと小悪魔的なところがあるんじゃないかと思ってしまう。
14歳とはいえ、フィリアはかなりの美少女で、その着替えを手伝うのは緊張する。
でも、結局、俺はフィリアの言うことに従った。皇女殿下の命令(?)なのだ。
俺はおそるおそる、フィリアの言うとおりに、ワンピースを着るのを手伝った。背中のファスナーを上げようとしたとき、俺はフィリアの露出した肩にうっかり触れてしまった。
「ひゃうんっ!」
フィリアは甘いような悲鳴を上げる。俺もびっくりして手を止めた。
フィリアは照れたように微笑んだ。
「ごめんね、ちょっとびっくりしただけだから。……ソロンの手って温かいんだね」
「そ、そうですか?」
「うん」
フィリアは嬉しそうにうなずいた。
その後は何事もなく、フィリアの着替えは終わった。……良かった。
フィリアは紺色のワンピースに身を包んでいた。
肩出しのシンプルなデザインだけれど、上質な素材が使われていることは明らかで、メイド服よりはずっと皇女らしい服装だ。
「どう? ソロンはこの服、似合ってると思う?」
くるり、とフィリア殿下は身を翻してみせた。
ワンピースの裾がふわりと揺れる。
俺は微笑した。
「似合っていますよ。とてもお姫様らしい服装だと思います」
「そうかな」
えへへ、とフィリア殿下は笑った。
「ソロンに手伝ってもらってよかった。ありがとう」
「いえ……」
俺はフィリアの肩の感触を思い出し、思わず赤面した。そんな俺を気にせず、フィリアは言う。
「本当は侍女に手伝ってもらうべきなんだろうけど……。この服はね、わたしの侍女が選んでくれたの」
「へえ。その人はいいセンスをしていますよ」
「うん。家事はできないし、頼りないけど、わたしにいろいろ教えてくれる、優しいメイドの子だよ。でも……」
急にフィリア殿下は真剣な表情になった。
その綺麗な瞳が憂いを帯びる。
「そのわたしのメイドは行方不明なの」
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