第9話 行方不明のメイド

 急にフィリア殿下は真剣な表情になった。

 その綺麗な瞳が憂いを帯びる。


「そのわたしのメイドは行方不明なの」


「行方不明?」


「もう3日前から、お仕事に来ていないの」


 なるほど。さっきのそばかすのメイドは「何をやらせても失敗ばかり。そのうえ、今度はどこに行ったかわからない」と言っていた。

 俺がそのことにふれると、フィリア殿下は首を横に振った。


「たしかにあの子はメイドとしては要領が悪いけど、真面目な子だよ? いきなり来なくなったりするなんて、そんなこといままでなかった」


「それは心配ですね」


「それにソロンがわたしの家庭教師としてやってくるって聞いて、すごく喜んでいたのに。その子、あなたの大ファンなの」


「本人に会ってがっかりしないといいですけど」


「がっかりなんてしないと思うよ?」


「どうでしょう」


 そういえば、帝都に戻ってくる途中、「英雄ソロン」の大ファンだと言ってくれる女の子がいたっけ。

 たしかその子も皇宮務めのメイドで、名前はクラリスって言った。

 そのときは俺は偽名を名乗っていたから、俺がソロンだとはその子は知らなかったけれど。

 俺はクラリスの前で正体を隠したまま魔法剣士として山賊を倒した。そのときにクラリスが俺に向けたきらきらと輝く瞳を思い出す。

 ああいう目で見つめられるのは、嬉しいけれど、少し気恥ずかしい。


 一方で、フィリア殿下はため息をついていた。

 殿下は言った。


「早くクラリスにもソロンと会わせてあげたいのに」


「へ?」


「あ、わたしの専属メイドはね、クラリスっていうの。亜麻色のとっても綺麗な髪をした、ちっちゃくて可愛い子だよ」


 そうか。

 フィリア殿下のメイドがクラリスだったのか。

 世間は狭い。

 俺がフィリア殿下に経緯を説明すると、殿下はちょっと驚いた後、楽しそうに笑った。


「すごい偶然! 運命の赤い糸ってやつだね!」


「けど、俺は偽名を名乗っていましたからね。ちょっと気まずいというか……」


「そんなこと、クラリスは気にしないと思うよ? でも、ともかくクラリスが行方不明のままじゃ、ソロンのことも紹介できないよね」


「心あたりはないんですか?」


「クラリスは住み込みのメイドだから、いきなりいなくなるなんて、普通ならありえないと思うの。実家は遠いし、帰るなら先に言ってくれるはずだし」


 うーん、とフィリア殿下は頭を抱えた。

 一人しかいない専属メイドがいなければ殿下にとっては大問題だろう。

 単純に、若い女性が三日間行方不明というのは穏やかじゃない。


 家庭教師の業務の範囲ではないけれど、なんとかしてあげたいところだ。

 けれど、手がかりがない。


 そのとき、扉の近くから音がした。

 郵便受けに手紙かなにかが入れられたようだ。

広大な皇宮では、各部屋に郵便受けがついているのだと思い、俺はちょっと感心した。

俺はそこから手紙を回収すると、フィリア殿下に手渡した。


「殿下、お手紙みたいですよ」


「ありがと。あと殿下って呼び方、堅苦しいから、別の呼び方がいいな」


「別の呼び方、ですか」


「普通にフィリア、でいいよ」


「それはちょっと恐れ多い気がしますが……」


「いいのいいの。ね、フィリアって呼んでみて」


「フィリア様?」


「ダメだよ? 呼び捨てじゃないと」


「あー、えっと、フィリア?」


「そうそう。もう一回」


「……フィリア」


 俺は顔を赤くしながら言った。

 相手が皇女なのに呼び捨てというのは抵抗感がある。

 でも、それだけじゃなくて、初対面の女の子の名前を何度も呼び捨てにするのが、単純にちょっと気恥ずかしいというのもある。


 殿下は、いや、フィリアはとても嬉しそうに微笑んだ。

 

「わたし、名前を呼ばれるのって大好きなの」


「どうしてですか?」


「だって、誰もわたしの名前なんて、呼んでくれないし」


 フィリアは笑顔のまま、そう言った。

俺は余計なことを聞いたな、と後悔した。

何の力もない皇女には、誰も近付こうとしない。

 皇宮の誰もフィリアのことを必要としていないし、フィリアが頼るべき相手が誰もいないということだ。

 皇族も臣下も彼女のことを無視してきた。

 名前が呼ばれない、ということはフィリアの孤独の象徴なのだ。

 もしフィリアのことを名前で呼ぶ例外がいるとすれば、彼女のメイドであるクラリスぐらいだ。


 俺は言った。


「やっぱり、呼び捨ては勘弁してください」


「わたしの名前を呼ぶの、嫌?」


 少し不安そうに瞳を曇らせ、フィリアが俺に問いかける。

 俺は微笑した。


「嫌ではないですけど、俺が恥ずかしいんですよ。フィリア様にはわからないかもしれませんけれど」


 俺が「フィリア様」というのを聞くと、フィリアは目を丸くし、それから嬉しそうに微笑んだ。


「うん。仕方ないか。『フィリア様』って呼び方でも許してあげる」


「フィリア様のご配慮に感謝します」


 俺がおどけて言うと、フィリアはくすくすっと笑った。

 しかし、突然、彼女は凍りついたように表情を固まらせた。


 フィリアは封を切った手紙の中身をこちらに見せた。

そこにはこう書かれていた。


「メイドのクラリスは預かった。その命が惜しければ、皇女一人で取り返しに来い」

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