第2話 フローラとクラリス
冒険者の攻略対象である地下遺跡。それは帝国全土に散らばっているが、特に帝国東方に多い。
そういうわけで聖ソフィア騎士団も東部の港町に本部を置いている。
ここから帝都に戻るには、馬車でもけっこう時間がかかる。
久しぶりの長旅になるわけだ。俺はあくびをして、早朝一番の乗合馬車がやってくるのを待った。
美しい町並みには、まだ朝早いせいか、ほとんど人通りもない。
振り返ると、すぐ近くに聖ソフィア騎士団の本部が見える。そこにはソフィアの紋章であり、騎士団の象徴でもある金十字をあしらった旗が、風に揺れていた。
見送りは誰もいない。幹部たちは俺を無能だと言って追放したから、見送りに来るわけがない。
一般団員たちはまだ俺の追放のことを知らないだろう。なかには俺と親しい人間もいるけれど、彼らに合わせる顔もないし、黙って出ていくことに決めた。
それでも、誰も見送りに来ないことが寂しくないと言えば嘘になる。
「あの……ソロン先輩?」
とても小さな声に振り返ると、そこには小柄な少女が立っていた。黄色の裏地が特徴的なローブを身にまとっている。占星術師特有の服装だ。
三角帽を深くかぶり、恥ずかしそうに、黒い目を伏せていた。やや短めの黒髪はつややかで、顔立ちも整っている。
かなりの美少女のはずなのだが、気弱な雰囲気のせいで、印象が薄くなっている。そして、彼女の容姿は、女賢者アルテそっくりだった。
「フローラ? どうしてここにいるの?」
俺が名前を呼ぶと、フローラはびくっと震え、上目遣いに俺を見つめた。そして、口をぱくぱくとさせる。
フローラは、女賢者アルテの双子の妹だ。そして、聖ソフィア騎士団の幹部でもある優秀な占星術師だ。強気な姉と違って、とても大人しい。俺とは魔法学校の先輩後輩で、卒業後しばらくして、俺たちの騎士団に加わったという長い付き合いでもある。
「えっと、その……ソロン先輩をお見送りしようと……」
フローラはおどおどと切り出す。俺はちょっと驚いた。
たしかに、俺はフローラと仲が悪かったわけじゃない。姉のアルテとは対立することも多かったが、フローラとは比較的良好な関係を築けていたはずだ。
それでも、フローラはアルテの妹だ。フローラ自身、俺の追放に賛成していた。なのに、俺の見送りに来るとは意外だった。
俺が黙っていると、フローラは勘違いしたのか、黒い綺麗な瞳を、まるで泣きそうな感じに潤ませた。
「わ、私なんかと会いたくなんてないですよね。そうですよね……」
「いや、そうじゃないよ。見送りに来てくれてありがとう。ただ、意外だったから。追放された俺なんかの見送りにどうして来てくれたの?」
「……ソロン先輩にはとてもお世話になりましたから。初めて会ったときから、ずっと私たちのことを助けてくれました」
「そうだったかな」
「そうですよ」
フローラはうなずき、そして、潤んだ瞳で俺を見つめた。
「ごめんなさい、ソロン先輩。私たちのせいで……」
「俺が追放になったのは、フローラのせいじゃない。気にしなくていいよ」
「私……本当は……ソロン先輩のこと……」
フローラがかすかに頬を染めて、俺を見つめ、何かを言いかけた。
そのとき、乗り合い馬車が停留所にやって来た。
あっ、とフローラは小さくつぶやく。俺はフローラに続きの言葉を促したが、彼女は首を横に振った。
そして、フローラは柔らかく微笑む。姉と同じく美少女だが、フローラはずっと柔らかい雰囲気だ。
「占星術師として、ソロン先輩の幸運を祈っています」
「ありがとう。フローラやアルテ、クレオンたちにも幸運のあらんことを」
フローラは俺をまじまじと見つめた。そしてつぶやく。
「ソロン先輩は優しいですね」
「俺は優しくなんかないよ」
「だって、追放した私たちのためにまで、幸運を祈ってくれるんですから」
「たとえ、どんな経緯があっても、俺たちは仲間だったんだから。幸運を祈るとは当然さ」
そう言うと、フローラは嬉しそうにうなずいた。短めの黒髪が、わずかに揺れる。
俺が乗合馬車に向かいかけたときに、フローラが「あの」と少し大きめの声を出した。
「言い訳みたいに聞こえるかもしれませんけれど、本当は私はソロン先輩の追放に反対だったんです。私は……ソロン先輩のことを今でも仲間と思っています」
「そっか。ありがとう」
幹部のなかに、たった一人でもそんなふうに思ってくれている人がいるなら、救われる。フローラは姉のアルテに逆らえないから、流されて俺の追放に賛成したんだろう。
やがて、俺はフローラに軽く手を振り、そして馬車に乗り込んだ。馬車は走り出し、いよいよ帝都へと向かうことになる。俺は隅の方の座席に腰掛けた。
有名な騎士団の団員だから、いや元団員だが、正体がバレると騒がれて面倒だ。
おまけに追放されたわけだから、あまりかっこいい立場でもない。
たしかに俺は、「魔法剣士ソロン」として有名だけど、直接姿を見たことがあるという人は少ない。
だから黙っていればわからないはずだ。
俺は身分を隠して料金を払い、大きな乗合馬車に乗り込んだ。
乗客はそこそこたくさんいる。護衛も二人いる。このあたりの街道は治安も良いけど、襲撃の危険がまったくないわけじゃない。
馬車が走り始めてからしばらく経った。
俺はあくびを噛み殺していたが、目の前に腰掛けていた女性客がこちらをちらちらと眺めているのに気付いた。
たぶんソフィアと同じぐらいの年頃の少女だった。ふわりとしたスカートは新調されたもののように見えるし、全体的に丁寧に仕立てられた服を着ている。
つまりこの少女は裕福だ。
しかし乗合馬車に乗っているということは貴族や豪商の令嬢というわけでもないらしい。彼女は短くさっぱりとした髪型をしているが、仕事の邪魔にならないようにしてるんだろう。
帝都にいる貴族の使用人といったところかな、と思う。
どうしてこの子は俺を気にしているんだろう。
ちなみに俺は使い古した、安物の冒険者の服装をしている。
興味を引くような対象じゃないと思うけれど。
「なにか気になりますか?」
と俺が尋ねると、少女はびくっと身体を震わせた。
「す、すみません。じろじろ見たりして。無作法ですよね」
少女は恥ずかしそうに顔を赤らめた。無作法だと言いながらも、相変わらず少女の大きな瞳はこちらに向けられている。
なんというか、小動物っぽい雰囲気の子だ。
「あたし、クラリスって言います。皇宮でメイドをやってるんです」
「それはすごいですね」
と相づちを打ちながら、クラリスが使用人という自分の予想があたったことに満足する。
けれど皇宮務めというのまではわからなかった。メイドとはいっても、やっぱり帝室が関わるところで働いていれば尊敬される。採用されるのも簡単ではないはずだ。
「自慢ってわけじゃないんですけどね」
そう言いながらも、ふふふ、とクラリスは笑う。
やっぱり自慢なんだろう。
俺は苦笑しながら、尋ねる。
「このあたりにはなにか用事でもあったんですか?」
「実家があるんです。あ、お兄さん。あたしの方が年下ですから敬語なんてつかわなくていいですよ」
「それはどうも。俺に話しかけたのはどうして?」
「旅は道連れ、というでしょう? 話し相手がほしかったんです。お客さんの中では一番お兄さんがあたしと歳が近そうですし」
そう言われれば、護衛を除けば、乗っている若者はたしかに俺とクラリスだけみたいだった。
俺は本名を言うわけにもいかないので、ダビドという偽名を名乗った。
クラリスは俺が腰に下げている剣をじっと見た。
「それ魔法剣ですよね」
「よくわかるね」
「へえ、お兄さんは魔法剣士さんなんですね?」
「そのとおりだけど?」
ついでにいえば、この魔法剣は伝説の宝剣テトラコルド。だけど知らない人から見れば、ただの古びた剣にしか見えないと思う。
魔法剣士の数は決して多くないが、とても珍しいというほどでもない。魔法剣士だからといって、「聖ソフィア騎士団のソロン」だとバレるということもないはずだ。
しかしクラリスは嬉しそうな顔をして言った。
「魔法剣士といったらソロン様ですよね!」
「ソ、ソロン様?」
言ってから思わず咳き込む。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
俺のことだと気づいて言っているわけじゃない。
クラリスはこの場にいない有名人の話題を振っただけだ。
「やっぱりお兄さんもソロン様にあこがれて魔法剣士になったんですか?」
当然、そんなわけはない。ソロンは俺自身のことだからだ。
だいたい、俺たちの騎士団が有名になったのはそんな前の話じゃない。
けれど、俺が否定の言葉を口にする前に、クラリスが続きを言った。
「いいですよね、ソロン様! あたし、大ファンなんです。聖女ソフィア様を助けて遺跡の魔族と戦って、どんな強敵にも一歩も引かない! 騎士道精神あふれる素敵な方だって聞いてます!」
そうでもないんじゃないかな、という言葉を俺は飲み込む。
ソロンを否定するようなこと言ったら、クラリスは不機嫌になりそうだ。
まあ、俺のことなんだけど。俺はそんな立派な奴じゃないよ。
「それにあたしたちと同じ平民出身ですし! もともとはあたしみたいな貴族の使用人だったんでしょう? そういう意味でも憧れなんです」
「なるほどね」
平民出身だから「魔法剣士ソロン」は人気がある。貴族を凌ぐ実力をもち、聖女の仲間として最強の騎士団を作り上げた。
平民の夢を叶えた理想の存在。世間では、俺をそうやって持ち上げている。
けれど、現実はどうか。
結局、貴族の優秀な仲間に負けて、パーティーを追い出されてしまった。
クラリスみたいに俺のことを尊敬してくれる人がいると思うと、気分が重くなる。
世間では、まだ俺が騎士団を追放されたと知らないんだ。
「ソロン様やお兄さんみたいな冒険者が遺跡を解放してくれるおかげで、わたしたち平民が生きていくことができるんですよ」
クラリスはふわりと微笑むと言った。
突然、馬車が大きく揺れ、そのまま停止した。
おかしな気配がする。
クラリスを見ると目があった。彼女の瞳は不安そうに揺れていた。
俺はつぶやいた。
「襲撃だ」
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